第6話

大好きだったビスケットもケーキもチョコレートもスナック菓子も、あれもこれも食べられないなんて!!


尚美の絶望はお菓子を食べられなくなったところにあるみたいだ。

なんて冗談はさておいて、本当にこのままでは困る。


仕事だって残っているし、なによりも猫として一生過ごすなんてどうすればいいか皆目検討もつかない。


このまま健一に飼われているわけにもいかないし……。

そんなことを1人思案していると、健一の長いまつげが揺れた。


ハッとして視線を向けると寝起きの健一が薄目を開けてこちらを見ている。

なんだか色気を感じる視線に尚美はたじろぐ。


悪いことはしていないはずなのに、なんとなく寝起きを見てしまったことへの罪悪感が胸をよぎった。


バツが悪くてベッドから飛び降りて逃げようと思ったところ、布団の中から伸びてきた両手に捕まって逆に引き寄せられてしまう。


尚美が驚いて「ミャアミャア」騒いでいると、頭を優しく撫でられてなんとなく落ち着かされてしまった。


健一の鼻先が尚美の目の前にあり、心臓がドクドクと跳ねる。


健一が呼吸をふるたびに尚美の前髪付近の毛がサラサラ揺れた。


「ミーコは暖かくて気持ちがいいな」

そうつぶやいて頬をよせてくる健一。


体をしっかりと抱きしめられている尚美はそれをまるごと受け入れる他ない。


抵抗を試みても勝てるほどの力もない。


頬をグリグリと痛いくらいに押し付けられて、それでも飽き足らずに尚美の体を撫で回してくる。


背中や頭はまだしも、健一の指先はときに危うい部分にまで伸びてきて、尚美は何度も体をビクリとはねさせた。


早朝からこんなの刺激的すぎる!!


もちろん健一にそんな気はないのだけれど、こちらとしては心臓がもたない。


恥ずかしさで沸騰してしまいそうになったとき、ようやく健一の手から開放された。


ホッとしてベッドから飛び降りたのもつかの間、健一はそのまま着替えを開始したのだ。


突然目の前でパジャマを脱ぎ始めた健一に尚美は咄嗟に両手で顔を覆う。


が、猫の手ではやっぱりうまくいかない。

どうしても隙間ができてしまい、隙間ができればそこから覗いてみたくなってしまう。


健一の体は見た目よりも筋肉質で腹筋が割れていることに気がついた。


な、なにあのエロい体は……!!


今まで男性経験ゼロというわけではない尚美だけれど、ここまで出来上がった肉体美を見たことはなかった。


心臓は今にも破裂してしまいそうなくらい高鳴っている。

こ、このままじゃ気絶しちゃう!


健一のフェロモンから逃げるように、尚美は寝室を飛び出したのだった。


☆☆☆


寝室のドアが少しだけ開いていてよかった。


あのまま健一の着替えを見ていると、間違いないなく鼻血を出して倒れていた。


リビングへやってきた尚美はひとまずホッと胸をなでおろした。

それから改めてリビングダイニグを眺めてみて目を丸くする。


今自分が小さくなっていることを考慮してもとてつもない広さだ。

さすが関さん……。


優秀とは聞いていたけれど、こんな豪華なマンションに1人で暮らせるほどとは思っていなかった。


尚美はついつい珍しげに室内を歩きまわってあちこち確認してしまう。

ひとり暮らし……だよね?


みたところ誰かと同居しているような形跡はない。

ベッドは大きくて広かったけれど枕もクッションも1人分だけだった。


ためしに食器棚へ近づいてみるけれど、これは背が高くて中を確認することができない。


だけどそのサイズはコンパクトで、いかにも一人暮らし向けといった感じだ。


2人分の食器が入らないこともないだろうけれど、きっと大丈夫。


どこの部屋にも観葉植物が多いので、緑が好きなんだろう。


今まで知らなかった健一の顔を見ることができて、尚美の心は踊ってゆく。


こうして猫になることができたからこその特権だと思って、思う存分楽しもう。


「ミーコ、お腹へっただろ。今朝ごはんを準備してやるからな」


後ろからそんな声が聞こえてきて振り向くと、ジーンズとTシャツというラフな恰好の健一が立っていた。

健一の私服姿を見るのもこれが初めてだ。


シンプルだからこそ、健一の元々の良さが際立っているように見えた。


内心ドキドキしている尚美に気がつくことなく、健一はそのまま冷蔵庫へ向かうとミルクと取り出して耐熱皿に入れた。


「温まるまで少し待つんだぞ」


まるで子供に教えるようにレンジについて教えてくる健一に今度は胸の奥がキュンッとする。


動物に話し掛ける人は沢山いるけれど、こんなかわいい一面を持っているのだと初めて知った。


それこそ健一の猫なで声なんて、きっと他の誰も聞いたことがないだろうと思う。


ミルクが温められている間に健一は霧吹きで観葉植物たちひとつひとつに水をやりはじめた。 


サッパリした部屋の中で観葉植物たちものびのびと育っているみたいだ。


そうこうしている間にミルクが温まって、健一が小皿にそれを移してくれた。


昨日は哺乳瓶だったから今日もそうなのかと思ったけれど、尚美がひとりでもミルクを飲むことができると判断したみたいだ。


「はい、どうぞ」

出されたミルクに鼻を近づけてクンクン匂いをかぐ。


そんなことしなくてもミルクだとわかっているのに、なぜかせずにはいられない。


そういえば動画とかで見た猫や他の動物たちも、こういう仕草をよくしていたっけ。


そして甘い匂いを確認してから、恐る恐る舌を出した。


熱いものは得意だし、アツアツになるまで温めてはいないはずなのに、思わず舌を引っ込めてしまった。


なにこれ、熱い!!

目を白黒させて健一を見上げて「ミャア」と、声を漏らす。


「まだ熱かったのかな? ごめんよ」


そう言ってミルクにふーふーと息を吹きかけて冷まし始めた。

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