第8話 人ならざる領域
森の中に足を踏み入れてからというもの、何かに見られているような感覚が付き纏っている。
これは錯覚。それが自覚できるくらいに充満する強烈な殺気。辺り一帯の動物たちが根こそぎいなくなるほどの異常存在が座している場所が近い。
昼間だというのに薄暗い森の中、リオとヒナタの二人を操作魔法で宙に浮かべ、僕自身も足音を立てないように細心の注意を払って一歩、また一歩と進んでいく。
もはや足音よりも鼓動の方が大きく感じる。それほどの静寂が立ち込めている。
主目的は襲撃者の発見。その先の目的は尾行し使役している人物を炙り出すというもの。
その為にも襲撃者を一方的に観測すること。それが必須事項だ。
「うっ!?」
ふと、足元を生暖かい風が吹き抜け、突然の不快感に飛び上がってしまう。
「な、なに?」
未だ経験したことの無い出来事にとにかく情報を得ようと周囲を見渡す。
保護色。
外敵から身を守ったりする為に草食動物や虫などが体色を変化させて環境に溶け込む性質。
しかし、それは──
捕食者とて利用する。
僕だけでなくリオやヒナタまでまるで気付きもしなかった。
右手側ものの数歩の距離。そこで──
怪物が寝息を立てているなんて……。
それはもはや大きな茂みとしか認識出来ていなかった。深い青緑の巨塊。そこから頭と思われるものが突き出している。
その目と鼻の先を無警戒に横切ろうとしていた事実に心臓が鷲掴みにされるような重圧に襲われる。
そんな中でも頭は冷静を保つように努める。
僕が取り乱せばリオもヒナタも行動不能になってしまう。どんな状況でも僕だけは絶対に冷静でいなければいけないんだ。
そんな僕の覚悟を嘲笑うかのように次から次へと情報の洪水が襲いかかってくる!
怪物が目を覚ました……!
動き出して初めてその姿が
僕の胴よりも太い腕に赤黒い血のこびり付いた鋭い爪が五本。熊のよう──いや、熊以上の巨体がみるみるうちに樹木の枝を折りながら高く高く伸びていく。
深い青緑色の巨躯が木漏れ日を遮り、まるで森が襲いかかってきているような圧迫感だ。
そこに光る二対の目。明確に熊とは違う。怪物たる所以がそこにはあった。
冷静。そんな虚勢は容易く剥がれ落ち、震える膝を止めることすらままならない。
「トウマ!しっかりしなさい人形遣い!!!」
「トウマならできるわ!」
硬直した頭を両側から大きく揺さぶられて視界が回る。だけど、
いい気付けになった!
一つの間違いが死に直結する。取捨選択を間違えてはいけない。絶対に。
リオが僕を突き飛ばし、ヒナタが抱きかかえるようにして後方へ跳ぶ。
その刹那──
身体よりも大きな剛腕がリオを一撃で叩き潰す!
僕は間違った選択をしていない。最も避けるべきは全滅。そして何より──
「自分でもビックリよ。丈夫に作ってくれて父さんに感謝ね」
リオが一番生存の可能性が高い。
とても信じ難いことにリオはその細い手足と体で怪物の一撃を受け止めて見せた。
恐るべきは保護魔法の頑強さ。父さんの魔法の精度とリオに注いだ想いの大きさが僕には到底届かない領域にあると思い知らされる。
しかし腕は二本。今度はリオの体を薙ぐようにもう一方の剛腕が振るわれる。
リオは押し潰されまいと抵抗するので精一杯。とても回避行動を取ることなんて出来ない。
「人間なら、ね」
リオの腰辺りを思いっきり引っ張り上げる!
支えを失った右腕は吸い込まれるように地面を叩き、標的を失った左腕は空を切る。
ここまで来ればもう一押し。
「うりゃああああ!」
「えーい!」
二人の全体重を乗せた飛び蹴りが怪物の横っ面に炸裂する!
人形だからこそ、人形でなければ出来ない芸当だ。
前傾した巨体。突き立てられた片腕。空振った攻撃。そして、加えられた強力な打撃。
これだけの条件が整えば、
天と地が逆転する!!!
ズズンと莫大な地響きと共に怪物の巨体が仰向けに地面に倒れる。
完全に無防備な姿を晒す怪物。
「よしっ、これで終わりよ!」
これが僕たちが放てる最高の一撃。
リオが怪物の脳天目掛けて全力でナイフを突き立てる!
パキンッ
と心が折れる音がした。
一本一本が極めてしなやかかつ強靭な毛が束ねられた毛皮。それはもはや岩よりも硬い。
鈍色の刃先が宙を舞う。
今まで多くの獣を解体してきた歴戦の得物もまるで刃が立たなかった……。
「ど、どうしよう……」
ヒナタが不安そうに声を漏らす。
もはや僕たちには策も手段も残されていない。
絶望するなという方が無理な話だ。
僕たちが取れる選択は一つ。『逃げる』のみ。だが、既に交戦した以上は相手も追撃してくる。そうなれば殿が必要になってしまう。
迷っている間にも怪物は体勢を立て直し追撃の手は激しくなる。
「て、撤退!」
僕は決断する。
「トウマ!?アタシは切り捨てろって言ったでしょ!?」
逃げるなら『全員で』だ!
今ならまだ間に合う。
眠っていたとはいえ、怪物は僕が目の前に来るまで気付かなかった。意外にも察知能力に関しては鈍麻なのかもしれない。
そして狩猟のスタイルは待ち伏せ。敏捷性に対して持久力で劣る可能性もある。
たとえ可能性が低くとも、全員生存を目指すなら『距離を取ってから隠れる』こと。
「トウマ!あれ!」
「ごめん、余裕ない!」
僕は人生の中でも最速の全力疾走の最中。とてもヒナタの言葉に耳を貸す余裕なんて──
「かいぶつのせなかにしろいたまがあるの!それに、くるしそう……」
その言葉に僕の中に新たな可能性が生まれた。
人間が怪物に変身させられ、破壊衝動に抗っているという可能性が。
足が……止まる……。
考えるのが嫌になるくらい、これまでの行動の辻褄がピタリとハマる。
村を出てからの急な方向転換。
そこにいたのは……そう、僕たちがすれ違った男の子。この時には正気を取り戻しかけており、その子を追いかけようとする衝動に抗った。
その後、人の寄り付きにくい森に身を隠していたが、何らかの理由で村の方へ戻ってきた。
その時に村にいたのが僕たちだ。
そして僕たちの存在を察知したのか、その場を去り再び森の中へ。
近くにいる人間を襲ってしまう衝動。それを抑える為に人間から離れようとしていた。だけど……
「僕たちが安易に領域に踏み込んでしまった……」
その衝動を不用意に引き出した責任が僕たちにはある。
「変なこと考えてないわよね?」
そんな僕の考えを見透かしたのか、先んじてリオに釘を刺されてしまう。
「ごめん、二人を巻き込むようなことは──」
「一人で抱え込むなって言ってるの。アタシはお姉ちゃんよ?弟が守れないんじゃお姉ちゃんの名が廃るわ」
「もちろん、お母さんもね。トウマのことをぜったいにまもる。それがお母さんだもの」
その言葉はとても心強く優しい言葉だった。
困った時は全力で頼る。困っている時は全力で助ける。きっと、それが家族なんだと思う。
二人のおかげで決心は固まった。
人間が変身させられている可能性を重視。目指すのはなるべく殺害を伴わない方法での戦闘不能。元凶は十中八九白い玉。それを剥離、または破壊することで無力化を図る。
「何はともあれ、あの白い玉を引っ剥がすよ!」
「了解!」
「おー!」
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