第4話 試しの時

 困窮した村を後にした日の夜。

 テントの周囲に気配を感じ、目を覚ます。

 真夜中の静寂を打ち破る外敵の襲来に気付いたのは僕だけではない。

「さっきまでうるさいくらいだったのに急に静かになったわ」

 先んじて警戒していたであろうリオから情報がもたらされる。

 テントに遮られた上に夜の暗がり。相手の様子を探るだけでも一苦労だ。

「獣かな?」

「いや、警戒心が無さすぎるわね」

「じゃあ人?」

「それも違う」

 僕の想定を即座に否定され、外にいる何者かが僕の理解の範疇を超えた存在だと確定してしまった。

「じゃあ何なの?」

「分からない。音から察するに体格は大きくない。多分人間くらい。なのに枝に身体がつっかえても気にせず折って進む。明らかに変よ」

 人のようなのに人とは思えない。

 まるでなぞなぞのような情報に頭を捻る。

 相手が何者か、それが分からなければ『見る』『知る』『考える』と多くの後手を踏む。狩りと同じだ。

 更にこちらはテントの中、相手は不明。一方的に居場所を知られている。

 圧倒的に不利な状況。それなら一手目を仕掛けるのはこちらからだ。ただし、

「待ち伏せられたら一巻の終わり、だね」

 どうやらリオも全く同じことを考えていたようだ。

「そうなったらアタシを切って立て直す。それでいい?」

 囮を差し出して不利から仕切り直しの状況まで逃れる。合理的だが、犠牲を必要とする酷な作戦。

 それでも僕はその決断をしなければいけない。僕が戦闘不能になれば、それこそ全てが終わってしまう。

「うん、任せたよ、リオ」

「お姉ちゃんに任せなさいっ」


 勢いよくテントから飛び出すと僕とリオは背中合わせになって周囲を警戒しつつ聞き耳を立てる。

 一応の一手目は指し終えたが、依然として後手を被っていて予断を許さない。

 次に音がした方向が敵の位置。

 夜の暗闇に囲まれ、開けた場所で僕たちだけが月明かりに照らされている。

 こちらだけが一方的に視認され、これでは据え膳もいいところだ。圧倒的に不利でありながら音を頼りにする以外に取っ掛かりの一つもありゃしない。

 冷たい夜風と緊張で指先から身体の芯まで凍り付いてしまいそうだ。

 突然、凍り付いた時は動き出す。

「──っ!」

 葉が擦れる音に反応して僕とリオが同時に振り向く。それと同時にナイフを構えたリオが前に、その後ろに僕が控える。


 すると、再び音を鳴らして外敵が姿を現す!


「ね、ネズミ……?」

 脅威ではない存在の登場に一瞬心が弛緩しそうになるが、(これは本命じゃない!)と再度警戒の色を強める。

 ふと、首の後ろを糸で引かれるような不思議な感覚。未知の感覚に集中力が乱され──


「後ろ!」


 リオが声を発すると同時に姿勢を低くして前方へ跳ぶ。その頭上を振り返りざまに振るわれたナイフが通過していく。

 地面を転がり体勢を立て直そうと草を掴んだ瞬間、ザンッと何かが切り払われる音がし、ポトリと僕の眼前に何かが落ちてきた。



 人の手だ。



 血色を失ったソレは月明かりも相まって真っ白で到底人間のものとは思えないが、すぐ隣にある僕の手と同じ形状をしているがために嫌でも真実を思い知らされる。

 直視していられず視線を上げると、月明かりに照らされた外敵をハッキリと視認できた。


 それはとても痩せ細った男の人。


「ご、ごめんなさい!!!」

 反射的に出たのは謝罪の言葉だった。

 切り落としてしまった手首を拾い上げると氷のように冷たく自分の犯した過ちの重大さを──

「人の手首はこんな簡単に切れない!こいつが変なんだ!」

 リオの大声で頬をピシャリと叩かれて正気に戻される。


 今切り落とされたばかりの手首がこんなに冷たいはずがない。


 そう思い至ると今度は僕の背筋が凍り付いていく。

 拾った手首を放り出し、リオと共に距離を取る。

 人。にしては体温が無い。

 人。にしては足元がおぼついていない。

 人。にしては理性を感じない。



「コレは人じゃないわ!」



 頭の中でリオの声がぐるぐる回る。

 言われたところで割り切れない。

 落ち窪んだ目は影になり、ぽっかりと穴が空いているようにも見える。

 口から漏れる呻き声は「助けて」かもしれない。

 右の手首からボトボトと落ちる血は生きている人間が流すには多過ぎる。

 それでも、


「僕には人に見える……!」


「アイツはもう死んでる!死体が、アタシと同じ人の形をしてるが魔法で動かされてるだけ!」

 何度でもリオの叱責が飛ぶが、僕には出来ない。

「アイツをらないとトウマが死んじゃう!そうなればアタシは頭だけになってでもアイツを殺す。どっちみちアイツを殺すしかないの!」

 それでも僕には出来ない。

 フラフラとした足取りで、それでもジッと僕だけを見据えて追いかけてくる。明らかに僕を狙っている。

 人の形をして、意思を持って動いている。それはもうリオと同じ、物じゃなくて人だ。

「ああ、もう!トウマ!魔力の接続を解除して!アタシが短剣を咥えてアイツの頸を切り飛ばす!」

 痺れを切らしたリオから再三の怒声が飛ぶが、それでも僕にあの人に立ち向かう心は宿らない。

 人を殺すなんてとても出来ない。このまま引き付けて逃げ続ければ、何か糸口が掴めるはずだ。

 そんな幻想にさえ縋ってしまう自分の愚かさを自嘲する。わかっていてもその道を辿りたくない思いがこの手を強張らせ、決心なんて微塵も固まらない。

「このままじゃトウマが危ないの!わかってよ、トウマ!」

 もはや怒りや焦りの感情が振り切れ、リオは涙声になってしまっていた。

 僕の愚かさがリオを苦しめている。わかっていても踏み切れない。

 その時、不意に男の人が進路を変える。

 向かう先はテントだ。中にはカバンがあり、その中には食料が──

 考え至る頃には既に体が動き出していた。

 そこには──



 もう一人の家族がいるんだ!



「待って!アタシがやる!」

 リオの制止を振り切り、テントの側に置いてあった薪割り用の鉈を拾い上げ、渾身の力を込めて振り抜く。

「トウマが背負わなくていい!アタシがやるから!」

 これは僕が背負うべき業だ。


 感触は獣を捌く時のそれとはまるで違う。毛皮の堅さも肉を切る手応えも無い。熟れた果実のようにぐずぐずに腐った肉を刃が掻き分け、種のように硬いかに思われた骨を容易く砕き、まるで空を切ったようにアッサリと鉈は首を通過した。


 巡ることを止めた血は勢いよく噴き出すことはなく、断面からゴポゴポと溢れ出てくる。

 落とされた頸が僕の足元に転がってきてふと目が合う。

 吐き気が止まらない。

 それでも吐いて楽になろうなんて思考を足蹴にして渾身の力で耐える。耐え続ける。

 心臓を握り潰されているような、首を絞められているような、この男の人が僕を道連れにしようとしている。そう思えるような苦しさ。

 これは僕が受けるべき報い。人を殺めるとはそういうことだ。


 それからしばらくして、朝日が辺りを照らしてもなお、僕の心の暗い影は決して消えることはなかった。

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