第5話 受け継がれるもの

 一人の人間を殺めてしまった。

 やがて日も高くなり、リオから「日の光で余計腐る前に埋めてあげよう」と進言されるまで自分が何をしていたのか、まるで覚えていない。


 名前も知らないその人を埋葬し、簡素で申し訳なく思いながらも石を積んでお墓を作る。

 死の間際、どんな苦痛や苦悩があったかを思いながら墓前で手を合わせる。

 その命に報いなければいけない。そう心に誓った。


「慰めにもなんないかもだけど、コイツはもう生きてなかったの」

 リオはそう言ってくれるが、この人が生きていたことを否定することはリオが生きていることまで否定してしまう。


『命の基準』


 それだけは絶対にブレさせてはいけない。

 それが曖昧になった時、命を蔑ろにする瞬間が生まれ、命に抱くはずだった感謝や悲しみを忘れてしまう。

 獣の命を貰って生きる上で最初に教わった心構えだ。

昨夜ゆうべずっと胸がざわついていたんだけど、アイツが近付いてきてハッキリと感じた。アイツもアタシと同じだったんだ」

 リオが取り出したのは首飾り。削り出した木に紐を付けただけの質素なもの。そして一等目を引く



 白い玉。



 元々施されていた装飾を押し除けて首飾りのど真ん中を占拠している。周囲の木は血に侵されて赤黒く変色してしまっているのに、その玉だけは憎たらしいほどに見覚えのある白のまま。

「アイツもアタシや猪と同じ、この玉に動かされていただけ。トウマが奪えるような命なんて、もう持ってなかったんだよ」

 やはり僕とリオでは価値観が根本から違う。リオが自分の命玉で与えられた命を軽んじるほどに僕は追い詰められていく。

 人間と人形の隔たりを感じ、自分の譲れない常識を歪めることの難しさを思い知る。



 重苦しい空気の中、血に濡れないように移動させた荷物の元に着くとリオが率先して口を開く。

「あの時、トウマが決心したのはを守るためなんでしょ?」

 言及されてふとその場面を思い起こすと再び吐き気を催してしまう。だが、それを必死に飲み込んで思考を続ける。


 あの時、僕は咄嗟に二つの存在を天秤にかけた。

 冷静に考えれば命よりも重要なものは無い。それなのに僕は『見知らぬ命』を見捨てて天秤をこちらに傾かせた。

 この


『もう一人の家族の身体』の方に。


 カバンから取り出したのは僕の腰くらいの大きさの木箱。

 幸いにも木箱にも傷一つない。

 そうして胸を撫で下ろす自分の邪悪さに嫌気がする。

「一応中身も確認しておいたら?」

「う、うん」

 リオに促されるままに木箱と魔力を接続して内側にあるかんぬきを外して蓋を開ける。

 これが『見知らぬ命』と引き換えた存在。



『ヒナタ』。



 木箱から取り出されたのは子供くらいの大きさの人形。

 ヒナタは子供の頃の僕が父さんに教わりながら作った最初で最後の人形だ。

 何度見返しても稚拙な造形をしている。文字通りの荒削りだが、人形としての構造に問題は無い。

 僕やリオと揃いの朱色の髪。これもリオと同じ作り物の紅い瞳。違うのは優しさを感じられる垂れ目気味の目尻と身に纏った純白のワンピースくらいで、ヒナタの姿はほとんどリオをそのまま小さくしたようなもの。

 それもそのはず、


 リオとヒナタは同じ人物がモデルなのだから。


 リオは成長したら母さんのようになると想像して作られた姉人形。

 ヒナタは父さんに聞いた姿を想像して作られた母さん人形。

 であれば、似るのが必然だ。

 大切な家族。傷付けられずに済んで安堵する反面、その代償に人の命が差し出された重みがのしかかる。


 申し訳なさを感じながらヒナタの頬を撫でているとリオから想像もしなかった言葉が飛び出した。


「ねぇ、『コレ』をこの子に付けてみない?」


 そう言って差し出される首飾り。その先に付いた白い玉がリオの胸元の玉と重なる。



 ヒナタに命を与える。



 それはある種の冒涜のようで、僕にとっては逃げ道であり救い。見方によってはあの人の命を継承することになるのかもしれない。そう思えた。



 リオから首飾りを受け取り、最初にしたのは保護魔法をかけること。

 簡単に壊れてしまわないように丁寧に。

 保護魔法と人形の操作魔法は似ている。

 操作魔法は人形のパーツを一つ一つ縫い合わせるように糸のように細く繊細な魔力で繋いでいく。

 保護魔法はその糸のような魔力を対象物に巻きつけていく。寸分の隙間も無く緻密に。

 それゆえに保護魔法は完了するまでかなりの時間を要する。だからこそ、その物と対峙する時間が増えてより思い入れが深くなるというもの。


 狩りをして生活しているとこんなに精巧な装飾品を加工している時間はあまり無いはず。

 となれば、この首飾りは誰かからの贈り物。送り主はまずまずお嫁さんだろう。

 相対した時からそんな気はしていたが、


 昨日訪れた村の先日亡くなった村長さんである可能性が高そうだ。


 村を案じて亡くなったであろうことを悼むと同時に村で冷たい対応したことを後悔する。

 先を急ぐ身であったとはいえ、少し酷なことしてしまった。

 そして猪と同様、おそらく父さんが石を使ってこの人を眠りから呼び起こした。

(一体何のために?どんな目的があって?)

 いくら頭を捻っても答えなんて出やしない。

 僕はあまりにも無知だ。



 そうして思考する間に保護魔法がかけ終わる。

 僕が奪ってしまった村長さんの命。それが継承される時が来た。

 ヒナタを鞄にもたれるように座らせ、横に跪いて首紐に小さな頭をくぐらせたところであることに気付く。


 このままだとリオのように服を貫通して身体にめり込んでしまうのではないか。


 問題を事前に予感出来たことを喜び、首紐の端を持って首飾りを襟元へ。そして空いている左手をワンピースの裾から──



「ちょちょちょちょ、待ちなさいって!何やってんのよ!!!」



 何故か急にリオから静止命令が下される。それもかなりの焦りようだ。

「どうしたの?」

「『どうしたの?』じゃないわよ!なにワンピースの下に手ぇ突っ込んでんのよ!」

 リオが焦る理由もわからなくはないが、


 僕が自ら設計して、削り出して、組み上げて、保護魔法をかけた身体だ。

「ヒナタは僕が作ったんだから、今更だよ」


「うぎぎ……ハァ、わかったわよ。好きにしなさい」

 苦悩を奥歯で噛み潰し、大きなため息を吐いてリオは諦めた。

 襟から首飾りを引き入れると人間でいうおへその辺りに収まった。男の人に合わせたものだったからヒナタの身体には大きかったらしい。

 そもそもこれでリオのようになると確証があるわけじゃないが、どうか望んだ通りになってくれるように祈り、ヒナタの身体に白い玉を当てがう。

 少しすると指先が僅かに沈み、白い玉がヒナタの体にめり込んだ。

「これで……」

「アタシの時はわりと長──」

 リオが言葉を続けようとしたその時、不思議なことが起こった。


 襟元や袖口からジワジワと木製の表面が人間の肌のようなもので塗り替えられていく。

 球関節の肩や膝も肌で覆い隠され、完全に人間のような見た目になっている。

 飾りでしかなかった鼻や口も人間のような肉感のある見た目へと変貌を遂げた。

 嵌め込んだ球に描かれていただけの瞳には生命の光が差し込み、僕は理解する。



 ヒナタに命が宿ったのだ、と。



「っ!?」

 次の瞬間、僕の頭は何かによって捕らえられ、かなり強い力で顔が木のような硬いものに押し付けられた。

「お母さんね、ずうっとこうしてトウマをだきしめてあげたかったの。もうさびしくないからね」

 頭上から響く幼いながらに甘い声色。言葉に対する声色の不恰好さに混乱が加速する。

(どうにか脱出しないと……!)

 必死に頭に巻き付いた細い腕を掴み拘束を解こうとするが、まるで引き剥がせる気配が無い。

「いままでのぶんお母さんにあまえていいのよ〜」

 こちらの様子なんてお構いなしに拘束は継続される。

(こうなったら……)

 痛みに耐えながらヒナタの身体と魔力を接続して腕を操作する。未だかつて経験したことの無い『抵抗』を受け、ギリギリと音を立てながら僅かに隙間が生まれ痛みが和らいだ。

「──ぷはっ」

 無理矢理に作った隙間を利用して拘束をすり抜け、状況を確認する。


「あらあら、はずかしがらなくてもいいのに。お母さんがもっとナデナデしてあげる」

 ヒナタは両手を大きく広げて僕を待ち受ける。


 お母さんを自称する幼子が僕を甘やかそうとしている歪さに僕もリオも開いた口が塞がらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る