第2話 始動

 人形のリオに命が宿った。

 それはあまりにも衝撃的で信じ難い出来事。だけど、リオの記憶が長き時間を共に過ごしていたことを証明していた。



「なっつかし〜トウマがずっとアタシのことレオとしか呼べなくてさ〜父さんの気が変わって明日からレオってことにされたらどうしようとか思ってたの」

(僕が幼少期の頃の赤裸々話で実感が強まるとは思っても見なかったけれど……)

 そんな僕の戸惑いなんていざ知らず、今まで物言わぬ人形だった時間を取り戻すように僕の隣に腰掛けたリオは喋り続けている。

 怒涛の如く押し寄せる言葉の中に僕はふと違和感を覚えた。

「でもね、床に落っこちる前に父さんがパッ!と拾ってみせて──」

 リオの話の中にはリオ自身、そして父さんと僕。僅か三人しか登場人物がいなかった。つまり、リオも僕と同じでこの家の周りのことしか知らないということだ。

 それでもリオは僕の知らない父さんを知っている。それならば聞きたいことはただ一つ。


「リオは父さんがどこに行ったか知らない?」


 この胸の中の小さなしこり。それを解消する答えをリオが持っている可能性に賭ける。

「うーん、ちょっとだけわかるかも?」

 その言葉を聞いて思わず胸の内から息が溢れてくる。

「じゃあさっさと探し出して──」


「どうするの?」

「そんなのリオを置いていった理由を問い詰めて……それから……」


 そこから先の言葉はあまりにも空虚で音にすらならなかった。

 その先の展望なんて存在していない。

(僕はただ……)


「寂しかったんだよね?」


 リオの真っ直ぐな言葉が僕の胸を貫いた。

 大きく息を吐くとその拍子に頬を熱いものが伝っていく。

 視界が滲んで目の前にあるものも上手く見えない。

 だから、仕方ない。


 僕は目の前にあったものを抱き寄せる。涙や鼻水でぐしゃぐしゃな顔で汚してしまうことも顧みず。

「父さんがいなくなって十年。一人でよく頑張ったね。アタシも返事してあげられなくてごめんね」

 優しい言葉が僕を包み込む。

 体温も鼓動も感じられない。それでも確かな温もりに心が溶けていく。



「父さんがね、『母さんや自分の代わりに離れない家族になってあげて欲しい』ってアタシにお願いしたの。アタシは家族として、もうトウマを絶対に独りにはさせないから」



 リオの力強い宣誓を胸に自分の心を咀嚼する。

 孤独に対する不満、不安。それがいつしか父さんに対しての苛立ちや恨みに近い感情にまで至ってしまった。

 今の自分ならわかる。

 それが勘違いも甚だしく、八つ当たりとも言える幼稚な行いだった、と。



「ありがとう、リオ。もう大丈夫」

 なるべくリオに見えないように袖で顔を拭い、目頭がヒリヒリと痛みながらも顔を上げる。

「いい顔になったね、トウマ」

「そう……かな……?」

 泣き腫らして格好の付かない顔をそう言われるのは少し恥ずかしい。

「やっと前を向いたっていうか、大人になったというか。そんなトウマになら言ってもいいかな」

 なにか意を決したように微笑むリオ。その表情はまるで僕を試しているようにも見えて少し胸の奥がスッとするような恐ろしさがある。

「うぅ……」

 急に褒められたのもあり怯んでいる僕を見てもなお「知りたい?」とリオはこちらの様子を伺い続ける。

 これはリオの挑発。自分の焦りをぶつけるようなマネは馬鹿馬鹿しいと断じたばかり。

 僕は冷静に切り返す。

「うん……教えてほしい……」

 自分でも意図せず口から出てきたのはへにょへにょな涙声。

 こんな声ではまるで格好が付かな──

「──っ!ま、まあ、そこまで言うなら教えちゃおうかな〜」

 リオは意外な反応を示した。これまでの僕を品定めするような目をフイッと逸らしてどこかバツが悪そうにも見える。

「コホンッ、冗談はこれくらいにして、一皮剥けたトウマなら話しても大丈夫だと思うから教えてあげる」

 咳払いを一つ。リオは一転して真剣な表情になり、ゆっくりと深呼吸をして話し始める。


「母さんはトウマを産んだ時に死んじゃったって父さんは言ってたけど、違う。母さんは生きてる」


 あまりにも衝撃的な真実に呆然とするしかない。

 しかし、それすらまだ序の口に過ぎなかった。



「十年前、父さんは母さんに誘拐されたの」



 もはやその言葉を受け止めることを諦めてしまいそうになりそうなほどの衝撃。

「アタシはその場をこの目で見たし、父さんが拐おうとした人を母さんと同じ名前、ヒナタって読んでいたのも聞いた。ただ、人形だったアタシには何もできなかった。それが悔しい」

 そこでリオからもたらされる情報は途切れる。

 それはリオが目を伏せ、口を真一文字に結んでしまったからだった。

 それは僕も同じ。

 これまで諦めていた両親への情。それが胸の中をぐちゃぐちゃに掻き乱す。

(母さんが生きていた?それだけじゃなくて父さんは母さんに拐われた?)

 ただ受け止めるだけでも相当骨が折れる。それくらい信じ難い言葉だった。

(生きているのに、どうして帰って来ないの?)

 そんな疑問が浮かんでは理性で心の奥へと追いやる。

 憎しみをぶつけても意味は無い。大切なのは自分の心に向き合って正直でいること。

「ふふっ、大丈夫そう、だね?」

 リオを心配させるまでもない。

「うん、父さんだけじゃない。母さんも連れ戻す。事情があるならそれも全部終わらせる。そして──」



「この家に家族みんなで暮らすんだ」



 僕の心は決まった。

「よしっ!もちろんアタシも協力するよ!お姉ちゃんに全部任せなさい」

 そう言ってリオはフンスと小さく鼻を鳴らし両手を腰に当ててふんぞり返ってみせる。

「お?いいね、コレ。感覚はあるけど動かないから動かしてくれると様になるねぇ」

 自分の身体を勝手に動かされているのだが、意外といい感じらしい。



「でもどうやって父さんを探すの?」

 結局、手掛かりが無ければ探しようがない。一応リオには心当たりがありそうだったので尋ねてみると、「それはね〜コレよコレ」と自信満々に何かを示すリオだが……


「違う違う、そんなどこにでもあるようなものじゃなくて!」

「わかんないからどれか言ってよ……」

「それじゃ面白く──あっ!どこ指してんのよエッチ!」

 意図が読めず、まるで二人羽織の様相。見えるものを手当たり次第に指してはダメ出し。

(初めて人形を操った時でさえこんなにボロボロじゃなかったのに……)

 人形に意思がありそれを汲み取り操る。言い換えれば、人間を操ることがいかに難しいことかを思い知らされた。



「父さんを探す秘策。それはコレだあああ!!!」

 勢い良くビシッと指し示すは胸元にめり込んだ白い玉。おそらくリオに命を吹き込んだであろう魔道具だった。

「一度仕切り直してるから、もう驚きは無いけどね」

「意地悪なこと言わないの。お姉ちゃん権限で黙らせるわよ?」

「それはそうと、なんでこの玉?父さんが保護魔法をかけたとは限らないと思うけど」

 僕の預かり知らぬ権限を行使されそうになったので一旦話題を切り替える。

「むぅ……簡単に説明すると『同じ魔導師の魔法は引き合う』ものなのよ」

 少し不満そうな態度を漏らしたリオだったが、その後の説明は実にわかりやすい。

「つまり、リオにかけられた保護魔法と玉にかけられた保護魔法は同じ魔導師、父さんがかけたものだからリオには玉と引き合う感覚があった……?」

「そのとーり。アタシにはピンと来る感覚があった。だから──」

「リオがいれば父さんが近くにいるかわかる!」

「そーよ!そのとーりよ!もう、全部言わなくたっていいじゃない……」

 リオの説明が丁寧かつわかりやすく、つい口走ってしまったがためにリオの機嫌を損ねてしまったらしくプイッとそっぽを向かれてしまった。

「じゃあリオを操りながらあちこち旅をすれば──」

「当てもなく彷徨ってたらトウマが疲れ死んじゃうのが先よ。せっかく手掛かりが手元にあるんだから、ね?」

 僕の短絡的な考えはあっさり却下され、今度はリオ自ら僕に回答を促してくる。

「玉の謎を探る……!」

「そう、腐った猪の死骸が動くなんて話そうそう聞くもんじゃないわ。だからそれに近い噂を探せば?」

「父さんが見つかるかも、だね」

 リオの拍子を合わせた問いかけに僕も気持ちよく答えが出る。これもずっと僕を見ていてくれたからなのだろうか?



 翌日、早朝。

「善は急げ、にしても急ぎ過ぎじゃない?」

「いーや、人の噂も七十五日って言うからね。ボーッとしてると玉の噂を追えなくなっちゃうわよ」

 僕はリオに急かされるままに荷物をまとめ、大切なものや保存食を満杯に詰め込んだ大きな鞄を背負って今にも出立しようとしている。

「ほら、忘れ物がないか確認して。最後なんだから焦らず急ぎなさいよ」

「も〜どっちなの〜」

 リオの声にお尻を蹴飛ばされるようにして渋々僕は家の中に戻っていく。


「アタシがどうやって動いてるか、いつまで動けるか、まったくわからないんだから……どうか最後までトウマのそばにいられますように……」



 すっかり空っぽになった──わけでもなく、家具はそのままなのでイマイチ別れという実感の湧かない家をじっと眺める。

「思い出……なんてものも無いけど、明日ここに帰らないと思うと不思議な感覚」

 どれくらいの期間、この家を空けるか分からない。

 もしも父さんと母さんが一緒に暮らしていたら僕たちもそこに住むかもしれない。

 だとすれば、もう二度とここには帰らないかもしれない。

 それでも別に惜しくはない。

 僕にとって大切なのは家族だ。誰もいない家じゃない。

「じゃ、いってきます」

 僕は後ろ髪を引かれる気配すら無く家を後にする。

 決断してみれば案外簡単な話だ。

 僕は場所ではなく──



 家族と生きる。

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