命を持った姉人形はお姉ちゃんになる

マグ

第1話 人形遣い

 薄暗い森の中。風に枝が揺らされ木の葉が擦れる音の中にドッドッと重い足音が響いていく。

 茂みの陰に身を屈めて怯えるでもなく控える少年、トウマ。

 これは命を持つもの同士の生きる為のやり取り。



 徐々に大きくなる足音に緊張が背筋を走り、手のひらを汗がじっとりと濡らす。

 バキバキと枝葉を蹴散らしながら『それ』は現れた。

 猪だ。

 音からも感じ取れた異常性はその姿にも顕著に現れていた。

 折れた木の枝が体に突き刺さっているにも関わらず、決して速度を緩めることなくこちらへ突撃してくる。

 何かに追われて命からがら逃げているのか、まるで僕が見えていないかのように猛進する猪。

「それでも生きる糧のため、ごめんね」

 命を奪う覚悟を決めるとそれに呼応するように茂みから赤い何かが飛び出してくる。

 その赤い何かと交錯した猪は力無く倒れて突進の勢いのままに地面を滑り、そのままピクリとも動かなくなった。

 突如現れた赤い何かの方へ目を向けると、僕と同じ朱色の髪を整えながらナイフに付いた血を振り払うブラウンのワンピースを纏った美しい紅い瞳の女性の姿があった。

 だけど、僕はこの女性を知っている。

「お疲れ様、リオ。いつもありがとうね」

 彼女の元へ近寄り凛とした横顔に見惚れる思いを押し殺して平静を装いお礼を告げる。

 しかし、リオからの返答は無い。

「あっ、こんなところにまで血が跳ねてる……ごめんね、上手に出来なくて」

 見るとワンピースの下に着ている真っ白なブラウスにまで返り血が付着してしまっていた。

 見かねて僕が手拭いを取り出そうとした瞬間──

「うっ、何この臭い……」

 ふわりと鼻に届く腐敗臭。しかし、こんな酷い臭いの中でもリオは眉一つ動かさない。

 それもそのはず。


 リオは人形だ。それも普通の人形とも違う、魔道具としての人形。


 魔道具とは魔力を込めた素材で作られた様々な道具の総称。その中でも人形は魔力を込めた木や布を人型に組み合わせ、繰り手と魔力を繋ぐことで意のままに動かすことが出来る魔道具だ。

 そんなリオは臭いを感じるどころか、僕が操らない限り動くこともない。

 それでも、

「リオも臭いのは嫌だよね」

 僕はリオの手を操り飾り物の鼻を摘ませる。

 こうして自然な動きを取らせることでリオは『そこにいる』ことになる。長い孤独の中で得た教訓だ。


 して、この強烈な腐敗臭の元を辿る。

(たぶん近くに長く放置された動物の死骸があるはず……)

 経験則から導かれる予測。しかし、その発生源は若造の経験則なんて鼻で嘲笑わらうかのように堂々と鎮座していた。

 それは仕留めたばかりの猪。

 跳ねられた頸と胴体から血とも思えないような黒くドロリとした液体が漏れ出て地面を侵している。

「まさか、腐ってる?」

 突き付けられる事実に自分の記憶を疑いたくなるが、僕の記憶は明瞭でついさっきまで動いていた存在と同一であると断言できる。

 それはつまり、仕留めた瞬間に急激に腐敗が進んだ。あるいは──



 腐った死体が動いていた。



 あまりにも信じ難い。

 僕の使う操作魔法も人形のように受け手側を用意して初めて操作可能な代物。そう何でも操れるわけじゃない。

 ということは、僕の操作魔法よりも遥かに強力な魔法か、あるいは死骸になんらかの細工がされているのか……。

 そうして頭の中を整理していると見慣れない物が視界に入ってきた。

 腐った死骸からゴロリと転びまろび出てきたのは真っ白な玉。それは猪の死骸の中、と言うよりもこの場にあることがあまりにも不自然で、まるでこの世の物ではないかのように感じられる。

 とても魅力的で……美しくて……


「──っ!」


 突然、ガラガラと何かが崩れる音で我に帰る。

 音のした方を振り返るとリオが人間の身体では到底不可能な手足がクシャクシャに折り重なった姿で倒れていた。

 そして、


 僕の手は今にも白い玉に触れようとする寸前で止まっていた……。


 それを認識した途端、全身の血の気が一気に引いていく。

 急に恐ろしくなった僕は伸ばしていた右手を自分の元へ奪い返し、胸の前で抱きしめるようにして尻餅をついていた。

 普段息をするように出来ていたリオとの魔力の接続を保てなくなるくらいには自分が正気ではなかったこと。

 もしもリオが倒れる音で気が付かなければ万病の元である腐った死骸に触れてしまっていたこと。

 それらが死神の鎌に自ら首を差し出すようなとても愚かしい行為だったと、命の果てが脳裏に浮かび浅くなる息を必死に堪えて冷静に努めるように自分に言い聞かせる。

 謎の誘惑に負けぬように心に決め、再び白い球の方へ目を向けると、


 純白の玉はドス黒い体液の水たまりの上に鎮座していた。一切の穢れも寄せ付けぬ姿で。


 まるでこの白い玉がこの世のものではなく、他からの干渉を一切受けない特別な存在であるかのような姿に目を奪われる。

 間違いなく僕はあの白い玉に魅入られてしまっている。けれども、リオのお陰で僕の頭は冷静だ。

 大きめの木の葉をもぎ取って何枚も重ねて白い玉を厳重に包み、残った死骸にサッと土を被せてその場を後にした。



 家に帰り着くなり井戸のそばで白い玉を水に晒して汚れを粗方落とし去り、更に石鹸で念入りに洗う。

 そんな最中、手の中に見えた赤黒い何か。それは模様、というよりも文字のような何かが白い玉に記されていた。

 最初は猪の血で汚れているのかと思ったが違うようだ。何度擦ろうとも掠れる様子もなく、水に滲むこともない。

 爪で削ってみようにも爪先が引っ掛かりもしない。


 まるで透明な何かが間にあるかのように。


 そこで僕の頭の中にピンと浮かんだ可能性。

「リオと同じ『保護魔法』っ!」

 飛び跳ねるようにしてリオの元へ急ぎ返り血で汚れた真っ白なブラウスの袖を泡だらけの手でひと撫でする。

 するとシミひとつ無い真っ白なブラウスがそこにはあった。

 これが父さんが遺した『保護魔法』だ。

 読んで字の如く現在の状態を維持し、外的干渉から保護する魔法。

 その防護力は相当で、振りかぶった際に外れた斧の刃がリオの脚に直撃してしまった事故でも傷一つ付かず、泣いて謝りつつも胸を撫で下ろしたのをよく覚えている。

 それこそ父さんの顔よりもよっぽど……。


 父さんは十年前に僕一人が生きていくのに必要な知識だけを教えて僕たちを置いて姿を消した。

 まるで『最低限のことはした』などという自分への言い訳だけを用意して。



 この白い玉は父さんと同じ『保護魔法』がかけられている。つまり、父さんの行方を探す手掛かりになるかもしれない。

 魔法があれば使用者もいる。あの周辺に魔導師がいたことは確実。そしてその魔導師は父さんかもしれない……。



 ふと、傾きつつある陽の光では照らしきれない暗闇の奥へと目をやる。


 今ならまだ間に合う。

 自分で造ったリオすらも置いていったことを後悔させられる。


 胸の中に芽生える暗い感情が森の暗闇に吸い寄せられていくような感覚。

 暗闇に落ちていく風が僕の背中を押して──


「あー!やめやめ!保護魔法を使えるのなんて父さんだけじゃないでしょ!」

 いつものように無駄な思考が始まりそうになるのを強引に中断させ、自分やリオに付いた泡をさっさと洗い落として家の中に戻って行った。


 夕暮れの時点で薄暗い家の中、リオを風通しのいいところの壁に寄り掛からせ、固い干し肉をお腹の中に叩き込み、白い玉は机の上に放る。

 結局狩りで食べ物も得られなければ、腹の足しにもならない謎だけが得られた。

 こんな森の奥深くにまで人が来ることはかなり珍しい。この辺りは木々の成長が早く迷いやすいからほとんど人が寄り付かない。

 それこそ──

 頭に過った人物を即座に思考から叩き出す。

「もういい、寝よ」

 無駄な思考が巡る時はさっさと寝るに限る。

 でも考えないようにすることは考えるのと同じで、それからしばらく要らない思考と格闘し続けた。



 翌朝、僕の目覚めは普段と少し違っていた。

「──ぇ、ねぇってば、いい加減起きなさいよ」

 微睡まどろみの中からまったく聞き覚えのない声がする。

 生まれてからの17年。こんな森の中にある小屋に訪問者なんてとんと来た覚えがない。泥棒すらも。

「いつまでこうしてればいいのよ……」

 おそらく女の人。僕が声を知っている女の人なんてたまに町に降りた時に会うおばちゃんくらいで──



「起きなさいって!!!」



 突然牙を剥いた怒声に耳の奥を噛み付かれ、あまりの出来事に蹴飛ばされるようにして上体を起こす。

 薄ぼんやりした視界で周囲を見渡し声の主を探すが影も見当たらない。というか──


「リオがいない!」



「アタシはここにいるよ!」



 僕の不安を一蹴するように更なる怒声が飛ぶ。

 驚きのあまり飛び跳ねた瞬間にと目が合った。



 床にうつ伏せに倒れ伏したリオが生気の宿った紅色の瞳でこちらを睨みつけていた……。



「ねぇ〜早く起こしてよ〜」


 リオがうつ伏せに倒れたまま正気の宿った瞳でこちらに猛抗議してきている。

「ねぇ〜聞こえてないの〜?」

 これは──


「ねえってば!!!」

「は、はいっ!」


 僕の思考は大声によって一蹴された。



「いや〜ありがとね。日が昇る前からあんな状態だったからさ、ほっぺに跡付いてない?」

 意外にもリオの身体と魔力を繋ぐことに支障は無く僕の魔法で身体を吊り上げ、リオは空中で両の手足をだらんとさせたまま床に接していた右の頬を僕に見せてくる。

 どうやら首周りは自分の意思で動かせるみたいだ。

「せっかく喋れるようになったのに、自分の身体も満足に動かせないなんて思わなかったわ。それもこれもの所為よね」

 リオはまるで人間のように首を窮屈にさせながら自分の胸に視線を落とす。

 そこには──



 ちょうど心臓の辺りに昨日手に入れた白い玉が服すらも貫通してめり込み、完全にリオの身体と一体化していた。



「猪の死骸を動かしてた魔法が今度はアタシを動かしてる。信じらんないわよね、『命を与える魔法』なんて」

 リオが口数多く話し続けるが、それ以上に起こっている事象に圧倒されて頭の中が一杯だ。

「にしてもなんで頭だけ……自分の身体くらい自分で動かせてもいいじゃない、ねぇ?」

 その問いかけが僕に向けられたものだというのはわかっている。だけど、今の僕はリオが喋っている事実を飲み込めたとしてもまだ──


「アタシがリオだって信じられない?」


 心が、読まれた……!?


「嫌でもわかるよ。さっきからまったく警戒を解いてないからね。お姉ちゃん傷付いちゃうなぁ〜」

 枕元にある護身用の短剣にいつでも手を伸ばせる姿勢で固まってしまっている僕とは裏腹にリオは極めて柔和な態度を貫いている。

 それでも『知らない、わからないは警戒する』それが父さんの教えではある。

 そんな僕すらも許容するように穏やかな調子でリオは僕に語りかけ続ける。

「でも、そうだと思ってトウマが寝ている間に考えておいたの。トウマは覚えてる?」



「『人形は作り手の心を写す。作り手が願えばそれに応えてくれるだろう』って」



 その言葉を聞いて僕は耳を疑った。

 それは父さんが僕に遺した教え、その内から外れた言葉。父さんがまだ僕を見ていてくれた頃の言葉。

 父さんと僕、そしてリオ。家族だけが知っている言葉だった。

「これで信じてくれる?アタシはリオ。トウマの小さな頃から一緒に過ごしてきた人形でお姉ちゃんのリオだって、ね?」

 とても、とても信じ難い出来事ではあるけれど、父さんが僕に『お前のお姉さんだ』と紹介してくれた人形のリオであることは間違いないと言い切れる。


 長く生活を共にした人形に命が宿った。そう確信した瞬間だった。

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