ブルマを着た唯お姉様♂

「はーい。次の授業はがあるから、今日は早めに授業を終わりまーす。各々、復習を忘れないようにしてねー? それじゃあ! はい、起立!」


 起立、礼。


 そんなやり取りが行われるのはお嬢様学校である百合園女学園でもどうやら例外ではないらしく、椅子から立ち上がった僕は教壇の上に立つ英語教師……和奏姉さん、もとい百合園和奏先生に向かって軽くお辞儀を行うのと同時に教室の中は少しだけ色めき立つ。


「……はぁ」


 原因は語るまでもないだろうけれど、念のために説明しておくと……ここにいる高等部2年1組の茉奈と和奏姉さん以外の女子は皆、を見る事をとんでもないほどに楽しみにしているのである。


 だが、その僕がまさか男だなんて夢にも思っていない彼女たちの前にを曝け出す訳にもいかない。


 そんな事になってしまえば、僕たち百合園家の秘密だらけの女学園生活は終焉を迎え、僕たち2人は社会的に死んでしまうのだから。


「……さて」


 4月中旬水曜日の午前3限目、体育の時間。


 来て欲しくもない運命の時が来てしまった。


 次の3限目の授業は身体測定が行われる体育であり、これから僕は男であるというのに女性更衣室に堂々と殴り込みをしなくてはならない。


「……すぅ……」


 無駄だと分かっていても、これからする事に対して緊張しないように深呼吸をして。


「……はぁ……」


 ついに終わるかもしれないな、と言わんばかりに僕は溜め息を吐いた。


 緊張するなと言われたら逆に緊張してしまうのが人間という生き物で、おかげ様で僕は朝から上手く朝食すら上手く作れず、前々から作り置きしておいたおかずを温めたりだとか、解凍したりだとかで何とか凌いだ。


 実際、1限目と2限目の授業は緊張の所為で全くと言っていいほどに内容が頭に入ってこなかった。


 何せ、男の僕が女性に混じって着替えをするだなんて、そんなものは自分の真の姿を見てくれと言わんばかりの行為そのものであり、僕の女装事情が周囲の女子生徒にバレでもすれば文字通りの一巻の終わりなのだから。


「……うぅ」


 周囲の同級生たちかチラチラと視線――それもまるで痴漢の人が見るような舐め回すような眼差し――を向けている彼女たちを見つめ返すと『私、全然見てませんわよ?』と言わんばかりに赤面しながら視線を逸らしていく。

 

「……くっ……唯お姉様好き好き大好きファンクラブに加入さえしていなければ、直に唯お姉様をセクハラ出来ていたのに……! 悔しい……! でも寮にいらっしゃる唯お姉様の隠し撮りプロマイドを得られるにはファンクラブに加入しするしか方法が……! くっ……!」


「……おのれェェェエエエ……! 下冷泉ェェェエエエ……! しかし、この写真を撮れるのはクソ下冷泉会長ぐらいしかいないと思うと憎らしやァァァアアア……!」


 意外な事に下冷泉霧香が会長を務めているとかいう僕のファンクラブの鉄の掟である【神聖なる百合園唯お姉様に触ったファンメンバーは東京湾の刑。異教徒に百合園唯お姉様を触れさせるべからず】だなんて言う全く意味の分からない掟のおかげで僕に触ってくる女子生徒はこの教室内においては茉奈を除いて1人もいない。


 今にして思えば、突如として超高性能カメラを携えた下冷泉霧香による写真撮影会に参加して本当に良かったとさえ思う。


「……あの義兄あね? 大丈夫ですか……? 顔がどんどん強張っていますけど」


「……茉奈。これから私が女子更衣室に行く訳だけど、茉奈はいつも通りに接してくれるよね……?」


「なんでそんな死亡フラグに塗れた台詞を言いやがるんですか、この義兄あねは」


 そんなこんなで隣の席にいる彼女と話し合いつつ、僕と茉奈は手短に英語の教科書と筆箱を机の中に収納しては、体操服等々の衣類を1つにまとめる袋を手にして、足早で教室から出る。


「……気づきました?」


「何に」


義兄あねを見る女子生徒たちの視線にです」


「当然、気づくに決まっているでしょ。あんな動物園にいる珍獣を見られる視線を向けられたら。こちとら痴漢や男子に何度もあぁいう目で見られた事があるので視線には敏感なんだよね。嬉しくも何ともないけど」


「……それは、何とも、まぁ……ご愁傷様としか言いようがありませんね、義兄あね


「まぁ、別にそれはいいよ。どっちかと言うと自分の髪の色でついつい人目を集めてしまうのが一番いけない訳だし」


「それを言ったら私だって金髪ですよ。ですので、私が横にいたら髪色で注目されるっていう言い訳は通用しませんね義兄あね。そんな事よりも本当にブルマに着替えるんですか?」


「……ちょっと秘策があってね」


「マジですか。いや、本当にマジですか。義妹、ちょっと嬉し……ではなく、ヒきましたよ、えぇ」


「嬉しそうな笑顔をしながらヒかないでくれないかな、この天邪鬼」


「おや、どちらが天邪鬼なんでしょうね」


 ニマニマとした笑顔でこちらを覗き込んでみる義妹だが……彼女の言う通り、なるほど確かに僕は天邪鬼だろう。


 だって、僕は男子禁制の女学園に女装をして潜入している訳なのだから。


 ここまで来ると筋金入りの天邪鬼を自称してもいいのではないか……そんな風に思いながらも僕たちは脚を進めていき、ついに2年生専用の女子更衣室の前までやってきた。


「…………」


 心臓が、とてもうるさい。

 とはいえ、僕はこの日の為だけに色々と努力を積み重ねてきた。


 正直に告白するが、この百合園女学園の中で彼女たち2人に勝るような美人は本当にいないし、彼女たちと同じ屋根の下で寝たり、同じ釜の飯を食べた間柄である為か、本能レベルのどうしようもない性欲をあまり抱かないようになった僕に死角はない……筈だ。


 それに……僕は美人の身体を知っている。


 下冷泉霧香の胸に触れて、匂いを嗅いで、肌に触れて、以前の僕では拒否していたであろう感触を知っている。


 それはこの女装生活においては素晴らしい経験であり、転じて武器になる。 


「……義兄あね? あの、その、無理そうなら――」


「――大丈夫」


 心配そうな視線をこちらに向ける茉奈に対して、僕は彼女を安心させるよう力を入れた声音で返事をする。


 彼女はその返事で僕の覚悟を察してくれたらしく、これ以上僕の決心が鈍るような言葉を口にする事はなかった。


 そんな彼女と一緒に、1限目と2限目の間に身体測定があったのであろう他のクラスの女子生徒たちが中に詰まっているのであろう女子更衣室の扉を開けると――。















「きゃああああああああああああああああ!!!」


「唯お姉様の生着替えの時間ですわよオラァ!!!」


「盗撮! 盗撮の用意を!」


「非ファンクラブ会員ですわ! 異教徒ですわ! ぶっ殺して差し上げますわ!」











 ――誇張抜きで眩暈がした。


 ぐらりぐらりと頭が揺れる。


「……っ……くぅ……!?」


 いや、目の前にいる半裸状態のお嬢様みたいな生き物たちの醜態が眩暈の原因の1つではあるけれども、主な原因はそれではない。


 だ。


 女性だらけの空間には異性特有の独特な強い体臭が立ち込めており、緊張している僕の嗅覚を潰すと言わんばかりに襲い掛かってくる。


 そして、それらをまともに吸いでもすれば、只の一呼吸で視界がぐにゃりと歪み、真面に立てなくなった身体が勝手に崩れ落ちそうになってしまいそうになる。


 もしも、下冷泉霧香で女性の匂いというものを知っていなかったのであれば、この女子更衣室に入っただけで僕の人生は終わりを迎えていたに違いない。


 あの日、お風呂に入ってきた下冷泉霧香に感謝をしつつ、僕はこの独特な雰囲気を有する女子更衣室内を睨み返す。


「あ、義兄あね……? え、本当に大丈夫なんですか……?」


「だ、大丈夫。心配しないで」


 嘘だ。

 全然大丈夫じゃない。

 こんなの、平気でいられる訳が最初から無い。


「……っ……」

 

 ほんの少しだけの化粧の匂い。

 ミルクを思わせるような甘ったるい匂い。

 花を使用した制汗剤か何かの透き通るような匂い。


 そういった女性特有の匂い……男性相手では絶対に発生しない匂いは、正直に言えば教室でも感じ取れた。

 

 だけど、ここではその比率が全く違う。

 文字通りの桁外れであり、油断してしまえば意識を冗談抜きで持っていかれそうになってしまう。


「……ふぅ……」


 そんな刺激的過ぎる色香を吸い込まない程度に深呼吸をして、空いているロッカー付近に歩を進めたいのだが、誰も彼もが女子更衣室に入ってきた僕に視線が釘付けになっている所為で動いてくれやしない。


 ここ百合園女学園に所属する女子生徒にして淑女たちにはさっさとご退場して貰いたいものだが……今の自分の立場を少し思い出す事にしてみる。


 以前、下冷泉霧香は僕の事をその気になれば何でも出来るスペックがあると評してくれていた。


 あの彼女の言葉を素直に受け止めるのは正直言って業腹ものであるけれども、下冷泉霧香という食わせ者の評価が間違っている筈がないし、僕の非公式ファンクラブという存在がそれを裏付けている。


 だから、僕は少しだけ嘘を嘘だと信じさせる努力をしてみせる事にしてみた。


「ご機嫌よう、体育の授業はどうでしたか?」


「えっ!? ……えっ!? わ、私ですの!? ごっ!? ご機嫌よう……!? ゆ、唯お姉様だぁ……⁉ 唯お姉様が私のようなゴミカスにお声を……!? し、死にゅう……!?」 


「このロッカーはもう空いておりますでしょうか?」


「は、は、は……ひゃい……!」


「そうでしたか。私のクラスの人たちも次々にやってきますので早めに退室した方が宜しいですよ。もちろん、貴女が身体測定でお疲れなのは重々承知ですけど、ね?」


 ちょっと、困ったように笑う。

 下冷泉霧香が浮かべるような不敵な笑みを意識しながら、笑ってみた。


「……ふ」


 すると、笑みを向けた女子生徒が鼻血を出しながら嬉しそうにその場から立ち去り、周囲の生徒たちに退室を促したのであった。


「は、はい! 貴女たち! 唯お姉様の言う事に従いなさいませ!」


「で、ですがそれだ唯お姉様の生着替えを見る事が……⁉」


「え⁉ 唯お姉様ファンクラブをご存知でない⁉ あの百合園唯お姉様好き好き大好きファンクラブを⁉ 今なら月会費がなんと10万円! 入会した暁には百合園唯お姉様の非公式プロマイドを贈呈致しますわ! お買い得ですわ! 買いですわ! 安いですわ! 買えですわ! 死ぬか買うかどちらか選べですわ!」


 というか、僕の非公式プロマイドって、下冷泉霧香は一体どこまで悪事に手を染めていやがるのだろうか――いや、今はそんな事にかまけている場合ではない。


 僕は急いで茉奈の横に移動し、茉奈は僕の身体を隠してくれるフォーメーションを取って周囲の視線を妨げている間に鍵付きロッカーの扉を開ける。


 周囲の女子生徒に出来るだけ警戒しつつ、制服をまだ着ている間にスカートの下からジャージ形式の長ズボンを着用する。


「ヴェェアアアア⁉ どうしてブルマじゃねぇんですのよォォォ……⁉」


「ブルマ⁉ 何で⁉ ブルマ⁉ ズボン何で⁉」


 女子更衣室に満ちる絶望と怨嗟の声と視線。


 当然ながら、僕のそんな挙動にいの一番に驚いたのは協力者にして共犯者である義理の妹であった。


「え、長ズボン⁉ ちょ、ちょっと待ってください義姉あね。ブルマじゃないと体育の授業を受けられ……⁉」


「ふふ、ちゃんと今朝配布した通知資料に目を通しましたか? 今日から百合園女学園は体育授業の際に長ズボンをOKにしたんです」


「え、えぇ⁉ ……って、あ、そっか。そう言えば、義姉あねは理事長代理でしたっけ……」


「はい。


 義姉あねのやり口が下冷泉霧香に段々と似てきている、だなんていう義妹の言葉になるべく反応しないようにしたけれども、茉奈の意見はかなり正しい。


 というのも、校則を土壇場で変えるという荒業を思いついたのは以前、理事長室にやってきた下冷泉霧香の発言がきっかけなのだから。


(僕には……ね。全く、あの言葉でこんな荒唐無稽すぎる荒業を思いついたんだから、下冷泉先輩には感謝してもしきれないな)


 心の中で少しだけ変態に感謝の言葉と感情を送った僕は周囲の様子を伺ってみることにした。

 

「生足……生足どこ……? 唯お姉様の生足どこ……? ブルマと靴下から展開される絶対領域どこ……?」


「随分とド3流お嬢様の多いことですわね……唯お姉様の匂いがプンプンに詰まるという事実と、唯お姉様のスタイルを更に強調させる長ズボンの良さが分からないだなんて……ふっ、やれやれだぜですわ」


 何やら溜め息のような音が聞こえて気がしたけれど、恐らくそれは僕が肌の露出が全くないジャージを着用しているからなのだろう。


 そう判断できたという意味合いでも、あの日に下冷泉霧香がこの学校の裏掲示板を見せてくれた事に感謝しながら僕は上半身をどう着替えたものか思考を巡らせる。


 良くも悪くも、周囲の視線はやはり僕を中心に集まっている。


 以前の僕であれば何も出来ないままだったかもしれなかったけれど――下冷泉霧香に揉みくちゃにされ、セクハラ発言を連発され、色々と心臓に毛が生えてしまった僕にはそんなモノの処理なんて、下冷泉霧香の処理なんかよりも容易いものしかない。


「ふ」


「……⁉ ゆ、ゆ、ゆ、唯お姉様が私に笑みを……⁉」


「ふ。どうかなさいましたか?」


「あ、え、あぅ、えっ、あ、あ、あ……!」


「随分と私の事を見ているようですが……そんなに私の身体が気になるのでしょうか……?」


「オッッッッ!!!」


 凄いなぁ。

 口と鼻と耳から血を出したよこの女子生徒。

 人って簡単に殺せるんだなぁ、知りたくなかったなぁそんな事。


「おっ、おっ、おぉぉぉ……! い、いえ……! そんな滅相もない……! ふへへ……! やべぇですわ……! 唯お姉様に直々にお言葉を……! 身体もエロいのに声もエロいですわぁ……! ぐへへ……! 耳が妊娠して子宮も妊娠してしまいましたわねぇ……! えへへ……! 私たちの子を絶対に認知してくださいね唯お姉様ァァァ……!」


 ちょろい。

 恋は盲目だとかいう言葉をまさかこんな場所で実感できるとは思わなかった。


 おかげ様で近くにいた女子生徒は「ぐへへ」と笑うだけの女子生徒いきものになったので、更に僕をチラ見でもしようもなら本格的に壊れるのも時間の問題だろうから、放置して安全と判断した僕は上半身の着替えに勤しむ事にする。

 

「……あの、義姉あね? いたいけな女子生徒の性癖をこれ以上壊すのは義妹も流石にどうかなって思うんですけど……?」


「無理な相談ですね」


 僕は上の制服を脱ぎ捨て――その瞬間に小さな黄色い歓声が何度も飛んできた――慌てて体操服に袖を通し、すぐに長袖のジャージで上半身を覆い隠す。


「は、は、はなっ、はなっ! 鼻血ィ! ぶへへどぇんぐひえゃゃゃァァオオオイイイェェェェガァァァァァァァ!!!」


「唯お姉様の裸体が一瞬見えた……あれが……天国……? あ、去年死にやがった所為で貧相な遺産をドバドバ出した御祖母様クソババァ……そう……私、くたばりやがりましたのね……?」


「救護班! 救護班! 死人がいっぱいですわ! 死因は唯お姉様ですわ! 唯お姉様の裸体はやべぇですわ! 上半身でこれなら唯お姉様の全裸を見たら全人類が滅びますわ! 見たら死にますわ! 冗談抜きで死にますわ! ですが私は敢えて見ま――ごふっっっ!!! ジャージをお召しになられた唯お姉様がエッチすぎて死にましたわ! あんなの大量殺戮兵器ですわ! アレさえあればノーベル平和賞は私たち妹のモンですわー!」


 そんなに僕の肌を見たいのか、この変態淑女共。

 

 とはいえ、彼女たちには下冷泉霧香のような行動力はなかったので、精々鼻血を出して地面に倒れているだけで済んでいた。


 いや、あの先輩のように風呂場に突撃するような行動力があったら色々と僕が詰んでいる訳なのだから、持たないで欲しいが。


義姉あね。どうして義姉あねは着替えるだけでこの女子更衣室を地獄に変えるんですか? そんなにいたいけな女子生徒の性癖を壊したいんですか? もしかして、義姉あねって意外とあのメス豚先輩よりも変態の才能があったりするんです?」


「勝手に壊れる向こう側が悪いだけじゃないのかな」


 何だかんだで無事に着替え終わった僕である訳なのだが……当然ながら、身体測定が終わってしまえば、体操服から制服に着替える訳なので、それが今のところの懸念点と言うべきだろうか。


 何はともあれ、制服から体操服から着替えるのは今のところ問題はなさそうである。


 表から守ってくれた茉奈と裏で暗躍してくれた下冷泉霧香に感謝しながら、着替え終わった僕は体育の授業にへと赴く為に一旦廊下に出た。


 この調子ならば、多分、これからの女学園生活も何とかなりそうだと、胸の中にくすぶっていた重い感情が僅かばかり軽くなった気さえした。

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