霧香√

それから月日が経過しても、霧は晴れないままで

「ハッピーニューイヤー! そしてハッピーバースデーですよ! 義妹わたし! 17歳! 17歳ですよ義兄あに! さぁさぁ料理を持ってきて下さい義兄あに!」


「うんうん、お誕生日おめでとう茉奈ちゃん! そして今年から高校3年生だね茉奈ちゃん! 受験勉強頑張ってね茉奈ちゃん!」


「あはは! わか姉、人の誕生日の時に勉強の話をするのは止めましょ? 人の心とかないんですか」


 今日は1月1日。

 新年開始日であると同時に、僕の義妹である茉奈の誕生日……同時に冬休みの時期。


 とはいえ、折角の休みなので僕たち3人は実家である百合園邸に半年ぶりに帰省していたのであった。


「いやぁ、それにしても義兄あにも何だかんだで無事に生き延びやがりましたね。どうです? 久々の百合園邸の空気は? 寮生になりやがった下冷泉霧香がいない絶対安全の空間の味はそれはもう格別でしょう?」


「うん、それはそうだね。こうして男モノの服に袖を通せるだなんて夏休み以来だよ、ほんと……」


 僕が女装をして百合園女学園の理事長だなんていう事をやらかして8ヶ月と少しが経過し、遂に僕たち3人は女装生活の半分をやり過ごす事に成功した。


 後は高校3年生という忙しい時期を過ごせばいいだけなのだが……やはり、1月という分かりやすい節目に差し掛かると脳裏にはこれまでにあった沢山の気苦労が鮮明に思い出せる。


 5月。それは部活動勧誘の地獄。

 

 6月。それは梅雨による雨で制服が濡れて女装バレしてしまう地獄。


 7月。それはプールとかいう地獄。


 8月。夏休みという素晴らしい天国。


 9月。それは体育祭とかいう地獄。


 10月。それは文化祭とかいう超絶地獄。


 11月。それは修学旅行とかいう無間地獄。


 12月。クリスマスを送ろうとする女子生徒から逃げる地獄。


 ……これを後、1年もするのか僕は……。


「まぁ、何だかんだで乗り越えたから次も何とかなりそうではあるけどね……」


義兄あには理事長代理でしたからね。困った時には出張で逃げていましたしね。プールの時期なんてわざと出張に行く予定で埋め尽くして、体育の補習を座学で受けてやがりましたからね」


「プールなんて出来る訳ないでしょ、普通に考えて」


「でも、唯くんなら意外と行けそうだったりして」


「和奏姉さん。普通に考えて無理に決まっているでしょ」


 深夜に開かれた茉奈の誕生日パーティの最中で絶対に溜息を吐かないと決意していたのだけれども、思わずやってしまいそうだったので、適当なジュースを飲んで物理的に溜息を飲み流す。


「それにしても……うぅ……! ついに唯くんと茉奈ちゃんが高校3年生かぁ……! もう少しで2人とも高校生じゃなくなるのね……! 百合園女学園の制服を着る2人を見れる機会が段々少なくなると思うとお姉ちゃん悲しい……!」


「あーもう。わか姉、人の誕生日の時に泣かないでくださいってば」


「嬉し涙だよぉ……⁉」


 本当の姉妹のように触れ合う彼女たちを見ていると、僕も自分の事のように思えて思わず柔らかい笑みを浮かべそうになってしまうが、来年から自分たちが高校3年生になると思うと本当に驚きを隠せない。


 何と表現すればいいのだろうか。

 ずっとこのまま、同じような日々を送り続けるものとばかり思っていたのだが……当然ながら、時間というものは残酷なほどに流れていくものだ。


 その時、僕はこの場にいない彼女の事について、ふと考えた。


「そう言えば、下冷泉先輩もついに卒業かぁ」


「ねー。霧香ちゃんが居なくなると思うとお姉ちゃん寂しいなぁ……」


「は? 正気ですか2人とも。寧ろ、寮内で義兄あにの女装事情を隠さなくていいんですよ? 寧ろラッキーでしょラッキー」


 僕個人からしてみれば、茉奈の意見に同意……したいところなのだが、寮生として同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べた仲としては、和奏姉さんの意見にも同意してしまいたくなってしまうのが正直なところ。


 確かに彼女は常日頃から暇さえあれば誰もがドン引きするような変態発言と奇行を繰り返すメス豚先輩であったが、それでも要所要所では僕の手助けをしてくれていたのだ。


 とはいえ、というのが正しいのだが。


「寂しいと言えば寂しい、かな。何だかんだであの人には偉く助けて貰った訳だしね」


「…………………………まぁ。それは義妹も認めざるを得ませんかね。結果的にあの変態は義兄あにの助けになっていた訳ですし……あ、そう言えば義兄あにのファンクラブの会長、私に引き継がれる事になってるんですよね。いや、同じ寮生だからっていうルールで自然的にそうなった訳なんですけど」


「そうなの?」


「えぇ。本当にここまで来るとそこまで変態の掌の上と思わざるを得ませんね」


「珍しいね、茉奈が下冷泉先輩の事を良く言うだなんて」


「良くゥ? いや、そんな訳ないでしょ。いつの日もいつの日も朝早くから義兄あにの部屋の前で正座して待っているヤベーストーカーですよアレ。絶対盗聴してますよアレ」


「確かにアレには僕も思うところはあるけど……おかげ様で寮の部屋から出る時にはちゃんと女装が出来ているかどうかの確認を怠らずに済めたからいいんじゃないのかな。部屋の中でわざわざ男っぽい喋り方をする訳でもないしね」


 今となってはもう見慣れた光景ではあるのだけれども、下冷泉霧香が百合園女学園女子寮の寮生になって以来、どんな日でも朝早くから僕の部屋の前に居座っては正座をして待ち構えているのである。


 そして、部屋を開けた僕に向かって、目を輝かせながら「ブヒヒ」と実に嬉しそうに気持ち悪く笑うというのが彼女が寮生になってからの毎日の習慣だったし、おかげ様で古い洋館風だった百合園女学園女子寮は改修工事を行い、簡単な防音機能やら防犯対策などなど様々な機能が付けられるようになったのは別の話。


 結論から言うと、彼女のおかげでとんでもない経費が割かれた訳なのだけど、僕個人の命……言い換えれば生徒の命を守る為なのだから必要不可欠な出費なのであった。


「ほんと、何であんなことするんですかね、あの変態。義兄あにに好かれたいんだったらもっと上品に接すればいいのに。頭が変態すぎて真面な恋愛が絶対に出来ないって残念な生物図鑑のメンバーに余裕でなれる所業ですよ」


 確かにそれに関しては茉奈の言う通りであった。

 というのも、下冷泉霧香はとんでもないほどの美人で、あぁ見えてもかなりの気配り上手であった。


 恐らくその気になれば、彼女はどんな人とでもあの変態性を隠し通したまま仲良くなれるのは赤子の手をひねるよりも容易い事だろう。


 だというのに、下冷泉霧香はあの変態性を隠す事は一切しなかった。


 寧ろ、その変態性を見せつけているかのようの行動を取り続けていて、警戒するなと言う方が難しいぐらいだった。


「……まぁ、世の中にはそういうのが好きだっていう人もいる訳だし。そういうのも個人の自由じゃないのかな」


「その個人の自由とやらで義兄あには物凄いセクハラに遭っていた訳ですけどね」


「それは、そうなんだけど、ね」


 何はともあれ残り3ヶ月程で下冷泉霧香は百合園女学園から卒業し、学生では無くなった彼女は女子寮である椿館からにも去っていく手筈になっている。


 当然と言えば、当然だろう。

 

 だけど、そんなどうしようもない事実に対して僕は何とも言えないような、喪失感のような感情を抱いていたのも確かなのであった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━




 そして、正月が終わり、冬休みが完全に終わるよりも前に女子寮に戻ってきた百合園唯ぼくの朝は早い。


 朝の5時に鳴るように予め設定しておいた目覚まし時計の鳴る音で目を覚ました僕はまだまだ眠い目を擦りながら、僕自身の人肌でポカポカに温まった最高品質の羽毛布団――確か、ポーランド産のホワイトマザーグースをふんだんに使用した10万円以上はするとかいう、茉奈のお気に入りで、物凄くモフモフしている魔性の布団――による二度寝の誘いから脱した僕は慣れに慣れてしまった女装の準備をする。


「……うぅ。なんで朝になると勃つんだ……理不尽……」


 この生理現象を見て分かる通り、僕は男である。


 女装が趣味という訳ではなく、女装をしないといけない環境にいるからこそ僕は女装をする。


 幸いにも僕は世間一般で言う所の女顔であるらしく、体型も下半身のアレさえ除けば女性そっくりであるので、百合園女学園の指定した制服に身を包めば誰がどう見ても立派な女子であるのだ。


 だが、念には念という言葉がここ日本には存在する。


「……うん、だから、仕方、ない……」


 予め、言っておく。

 これは言い訳でもなく、ただの事実だ。


 


 朝に軽く隆起してしまったアレが女性用の下着に直接当たっているが、僕は変質者だとかそういう類ではない。

 

 ……だからといって、だからといってぇ……! 

 なんで女の人のパンツやブラジャーを着ないといけないんだよぅ……⁉


「……慣れたくないのに、慣れてきちゃったなぁ……」


 どうして、それを着用する事が段々と小慣れてくる訳なんだよ……⁉

 おかしいだろ、本当におかしいだろ……⁉


 そもそも、何で僕が単身で女性専用の衣料店に行っても女性店員の誰もが僕を男だって気づかないんだよ……⁉


 女性専用店に男性が入店したら追い払うだとか、そういう仕事をしてよ……⁉


「……うぅ……今日も、着ちゃった……」


 鏡を見なくても分かるぐらいに赤面していた僕は、一応念のために全体を写せるほどに大きな鏡に自分の姿を写すと、そこには誰もが見惚れるような銀髪の美少女が涙目を浮かべて立っていた。


 ……くそぅ……!


 なんで僕はこんなにも見た目だけは美少女なんだ……⁉ 


 なんでこんな変態みたいな事をしてるのにそこら辺の女子よりもかわいいなって思いやがるんだよ、僕は……⁉


「……うぅ……」


 今日も今日とて自分のアイデンティティがどんどん崩壊してしまいそうになるが、こうして30分ぐらいかけて僕は毎日女装に取り掛かる。


 僕が今いる環境は百合園女学園……つまり、未成年男子禁制の女性の園であり、本来であれば僕のような存在はとても許されるようなものではない。


 つまり、言ってしまえば僕の女装が周囲にバレてしまえば僕は異常者としてお縄につくことは確実であり、そんな目に遭わない為にも僕は全力で厭々ながら女装に取り組む訳なのである。


「……よし……」


 最後の仕上げに下冷泉霧香から頂いた髪紐で髪を結うという作業を終えて、今日も今日とて完璧な女装をしてみせた僕は意を決して自室の扉を開ける。


 僕の部屋と、大正時代に建築されたという百合園女学園第1寮という男子禁制の世界が繋がる――と同時に。


「フ。今日も襲いたくなるぐらいのナイス女体ね、唯お姉様」


 ヤツがいた。

 今日も今日とて、ヤツは僕の部屋の扉の前に正座をして待機していたのであった。


「おはようございます、下冷泉先輩。どうして今日も私の部屋の前で待機しているんですか。いい加減、警察に突き出しますよ」


「朝一番に目にしたい唯お姉様を毎朝一番最初に視界に入れる……フ。それがこの下冷泉霧香の流儀。まぁそれは表向きの理由であって本音を言えば、こうして毎日唯お姉様の部屋の前で待ち伏せいていたら唯お姉様の全裸を見れるかなぁと思ってグヘヘブヒヒ……フ。つまりはそういう事」


「先輩はいつもどうしようもないですね」


「フ。今日も唯お姉様が私の髪紐をしてくれていて嬉しい。自分は私の所有物だってアピールしてくれているようでとても嬉しい」


 そういうと彼女は見惚れるような動きで直立するや否や、学生服のスカートに付いた埃を拭き払っては長時間正座をしていただろうにそんな事を感じさせないような軽快な動きでその場から立ち去ろうとして――僕は去り行く彼女の背に声を掛けてしまった。


「もう少しで卒業ですね、先輩」


「フ。そうね。こうして唯お姉様と毎日のように会えなくなるのはとっても寂しい」


「確かに滅多に会えなくなるとは思いますけど。それに同窓会だとかそういう場で再会出来そうではありますが」


「フ。唯お姉様がそういう場に出席するだなんてとても思えない」


 何とはなしに口に出してから気づいたのだけど、こういう同窓会の席でも僕は当然ながら女性として参加してしまう訳であり、成人して女装が多少なりとも難しくなった可能性がある僕にとっては余りにもリスクがありすぎた。


 うん、確かに下冷泉霧香が指摘するように僕がそういう場に顔を出す事はきっと無いだろう。


「フ。その表情を見るに私の推理は当たりみたいね。まぁ、敬愛する唯お姉様をこの1年で恋に落とせなかった私が悪い訳なのだけどね。フ、フフフのフ」


「ですから、私は女ですってば」


「フ。何度も聞いた断り文句。本音を言えば唯お姉様が作ってくれた手料理を食べる機会が本当に無くなってしまうのだけが心残りなのだけど」


「私の料理、ですか?」


「フ。それはもう。唯お姉様の手によって開発されてしまった私の舌は並大抵の料理を受け付けなくなってしまった。おかげ様で唯お姉様のモノでしか満足できない身体にされてしまったもの……!」


 素直に美味しいって言えば良い癖に、どうして彼女はこんなにもセクハラを混ぜてくるのか。


 とはいえ、自分の作った料理がもう二度と食べられない……というのは、中々に悲しいモノがあると思う。


「……先輩は確か東京の大学に進学するので1人暮らしをするんでしたっけ」


「フ。えぇ。実家の京都方面に進学するのも考えたのだけど、叶うのであれば家出はまだまだ続けたいもの」


「……ちょっとそこで待ってください」


「フ?」


 意外そうな表情を浮かべた下冷泉霧香を廊下に置き去りした僕は自分の部屋に戻り、鍵を閉めよう……と思ったけれど、彼女が僕の部屋に入った事はこの1年で1度も無かったのでしないでおく。


 自室に戻った僕は鍵付きの引き出しを開け、僕の個人情報――性別・男――が色々と書かれている健康保険証やマイナンバーカード等々を管理している箇所から1冊のノートを取り出した僕は再び廊下に戻っては、下冷泉霧香にそれを手渡した。


「……これは」


「レシピ帳です。僕が今まで作ってきた料理の基本レシピがそれです」


 ノートのタイトルは『先生の料理レシピ』。


 タイトルに記されている『先生』というのは僕が孤児院に居た時にお世話になっていた人の名前で、僕に料理を教えてくれた恩師でもある。


 先生は僕たち姉弟に里親が見つからなくても生きていけるようにと様々な生活な知識や勉強などを色々と教えてくれて、料理もその1つ。


 個人情報がたくさん保管されているこの場所にこのレシピ帳がある事から察せられるだろうけれど、これは僕にとっては一番の宝物と言ってもいいぐらいに大切なモノだった。


 渡せ、と言われても普通の人相手には絶対に渡したりなんか、絶対にしないような代物がコレだった――だけど。


「下冷泉先輩には、まぁ、元気でいて欲しいですから。そのレシピで何とか健康に自炊をしてください」


「……唯お姉様……」


 驚いた様子の下冷泉霧香はそのノートを開き、内容に目を通した彼女が目を見開いたその瞬間、彼女はあろうことかその場で静かに泣き出した。


「え、え、え、え……⁉ し、下冷泉先輩……⁉ ど、どうして泣いて……⁉」


「ごめ、ごめ、なさっ……! 泣いちゃ駄目って分かってる……! だけど、これ……これ……! 本当に、嬉しくて……! だって、だって……!」


 まるで宝物を抱くように彼女はそのノートを大切に両腕で抱き、セクハラ発言を口にするほどの余裕がないぐらいに切羽詰まった泣き顔はとても綺麗で。


 端麗な顔からぽつりぽつりと涙を零す彼女のその姿は、とても美しくて、何故か見ているだけでとても悲しい気持ちにさせられてしまうのだった。

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