第3話 戦った意味






 『修羅の塔』、最上階。

 そこには天井も壁も無く、吹きさらしの床があるだけだった。

 暗雲立ち込める空から降り注ぐ雨粒が、暴風に乗せられ、ぶつかるようにして一輝を出迎える。


「酷い有様だな。」


 警戒するように周囲を見渡しながら言う。

 転がる瓦礫や壁だった物の残骸。何か強い力に薙ぎ払われたような無惨な光景だった。


「敵の姿が見当たらない。今度のボスは留守かな?」


 口でそう言ってみたものの、心からそう考えているわけではなかった。

 肌を刺すような殺気混じりの視線。

 水面に張られた薄氷のように、今にも決壊してしまいそうな程、空気が張り詰めている。

 敵となる何者かがこの場に存在している事を、一輝は、優れた戦士の直感で把握していた。


『来たな。』


 一輝が首を上げたのは、その一言とまったく同時だった。

 それは唐突に姿を現した。


 天を閉ざす黒雲を突き破り、ぬっと顔を出す。その蛇のような龍頭には、黄金色のひとみが輝き、侵入者の存在を見下ろした。

 すると、ズルズルと地響きのような音が空から鳴り響く。


 とぐろを巻く黒雲が歪に蠢き始める。その隙間から時折、黒い鱗に覆われた細長い体躯が覗く。

 その大きさは100階層もある塔を優に超え、如何なる攻撃も通用しない無敵の存在であるかのよう。


 黒雲を生み出しながら悠然と空を泳ぐ巨龍。

 それがこの塔のボスであった。


「・・・・・まさか、あれと戦うのか?」


 流石の一輝も頬を引き攣らせながら呆然と呟く。

 人が天災に対して敵意を持てないように、戦う気力さえ湧いてこない。それ程、圧巻の存在感だった。


『奴は《世界を塞ぐ者ヴリトラ》。かの雷神インドラが倒した後でさえ恐怖した正真正銘の怪物だ。無論、オリジナルでは無いが、あの個体はそれに準ずる力を持っているな。』

「インドラって。あのインド神話の神々の王のか?本当に人間が戦って倒せる相手なのか?それ。」

『普通は無理だ。何なら神魔の9割はあれを倒せない。』


 淡々と答えるアテナ。

 おい、と思わず文句を言いそうになったが、すぐにその余裕は失われた。

 黒雲から発生した青白い稲妻が襲いかかってきたからだ。

 蛇行する雷撃は、幸い一輝には当たらず、近くの床へと落ちただけだったが、目を焼くような眩い雷光と焼き付くような熱を齎し、一輝の肝を寒からしめる。

 雨粒を蒸発させながら黒煙をくゆらせる床が、直撃すればどうなるのかを何物よりも雄弁に物語っていた。


『臆したか?』


 まるで心を読むようなタイミングで投げ掛けられる神魔からの問い掛け。そこには、逃げる事を許容する柔らかな響きがあった。

 超常の力を司る神魔達でさえ敵わない怪物。

 加護を授かったとはいえ、ただの人間が裸足で逃げ出したとしても、責められるべきことでは無い。


「まさか。相手にとって不足はない。」


 それでも一輝は、不敵に笑った。顳顬こめかみから垂れる汗を雨粒であると言わんばかりに親指で拭って、ぎゅっと槍を握る力を強くする。


『ふっ、それでこそだ。』


 その蛮勇を戦と知恵の女神は讃えた。

 どうして神魔達がゲームやスポーツではなく、戦いを見ることを最も好むのか、その理由の1つがここにはある。


 足が竦むような強大な敵へと立ち向かう勇気。

 力、知恵、技、全てを振り絞って、万に一つの勝利を掴むような全力の姿勢。

 それ等が一切、損なわれることなく、剥き出しのまま伝わるからこそ、神魔達は、その結末に一喜一憂し、大いに熱狂する。


 これは人類の限界へと挑む試練であり、奇跡を待ち侘びる競技なのだ。


『奴を倒せば、貴様の名は今度こそ神魔達の間で広く認められるだろう。』

「それなら、頑張らなきゃな。視聴者の皆も応援しててくれよ?」


 アテナだけでなく、視聴者達にも笑顔を振り向ける一輝。


:頑張れ

:ここまで来たら行ける

:頼む、伝説になってくれ

:俺、男だけど勝ったらマジで推す

:割と本気で応援してる


 おびただしい数の激励の言葉がコメント欄に流れる。

 ここに来て、一輝の実力を疑う者も、敢えて蔑むような事を言うような者もいない。

 彼等は奇跡の訪れを純粋にこいねがっていた。


 その期待を一身に背負い、一輝は飛翔した。

 光剣2本が連結し、双翼の光輪に変わる。

 地面を蹴ると共に急加速し、黒雲を突き破って、ヴリトラの眼前へと躍り出る。


「狙いを敵の眼へと集中。撹乱しろ。」


 残り16本には急所を狙うように指示を出す。

 『天聖武装ミネルヴァ・アームズ』は、万能だが、全能ではない。

 槍、盾、変形武具の3つから成り立ち、それぞれの出力が定まっている。

 光剣を無限に召喚して勝つという方法は取り得ない。


『シャァァァァァァ!!』


 天を揺るがすような轟音が響き渡る。

 ただの咆哮一つで雲が吹き飛び、塔が頼りなく揺れる。

 光剣が目に突き刺さった事で、本格的に一輝を外敵として認知したようだ。

 その敵意に反応するように、四方八方の黒雲から極大の雷撃が放たれる。


「アイギス!!」


 神盾が魔力を吸って、真価を発揮する。

 一輝を起点に球形の障壁を展開。易々と雷撃を防ぎ切る。


 当たり前である。

 これこそアテナの代名詞、絶対防御の盾。

 ゼウスの雷霆、シヴァのやじり、オーディンの神槍、天地開闢の一撃にも耐えうる神話最強の盾である。

 一輝の力がアテナに劣るといえども、ただの雷撃に貫かれる訳がなかった。


「本当に嵐そのものが敵か。」


 とはいえ、何時までも張り続ける事は出来ない。

 そんな事をすれば、あっという間に魔力が枯渇してしまう。

 次の包囲攻撃をされる前に障壁を解除。

 即座にその場を離脱する。


 逃すかと言うように蛇のような雷撃が立て続けに放たれるが、それ等の間隙を縫うようにして飛翔し、縦横無尽に天空を駆け抜ける。


「来い!」


 その途中で飛翔する光剣と合流。

 身体を反転させ、飛来する雷撃へと投げつけ、撃ち落とす。

 そして、生み出された僅かな隙に、ヴリトラ目掛けて神槍を投擲した。

 赫灼の業火を纏う神槍は、精密機械の如き精度でヴリトラに着弾。堅牢な黒鱗を容易く貫通し、流星が過ぎ去った後のような深紅の軌跡を中空に描いた。


『ギシャァァァ!!』


 肉体を貫かれたヴリトラは、甲高い悲鳴を上げながら、暴れ狂う。細長い肢体が鞭のように波打ち、巨大な尻尾が一輝へと振り下ろされる。

 再度、アイギスを展開した一輝が易々と受け流すと、その先にあった巨塔へと衝突し、木っ端微塵に吹き飛ばす。


 ただ大きいだけ。

 それだけで万物を打ち砕く威力が与えられていた。

 しかし、一輝はさして危険視していない。


(当たれば大きいが、当たらなければ良いだけだ。あれは大したことは無い。)


 魔力で構成された海へと崩れ落ちていく修羅の塔を一瞥だけしてそう結論付ける。


(問題はこっちの攻撃が余り通用していない事だ。再生の象徴である蛇の力か、再生能力もあるみたいだし。このまま戦ってても、ジリ貧になるだけ。)


 知恵の女神の加護によって、演算能力を最大限、底上げされた頭脳が、何パターンもの戦闘を脳内でシュミレーションし、最適解を導き出す。


「アテナ、アレを使う。」

『・・・・・やはりそうなるか。』

「お前が嫌なら辞めるけど?」


 珍しく草臥くたびれた声音を出すアテナに、一輝は、あっさりと意見を翻す。

 支援者スポンサーと『神仕者ライバー』は一蓮托生。アテナの願いであるのなら、負けるという選択肢さえいとうつもりはない。

 その想いを知っているのだろう、アテナは、迷いを断ち切るように告げた。


『その必要は無い。ぶちかませ、一輝。』

「了解!」


 天高く舞う。

 黒雲よりも遥か上、ヴリトラを見下ろせる位置まで飛翔する。

 そして、槍を構えた。


「アイギス、殲滅モードに移行。」


 その一言と共に神盾は姿を消し、代わりに槍の前に蛇を象った魔法陣が生み出される。


 防御とは、ただ守るだけに非ず。

 敵対者に二度と攻撃を許さないように反撃して初めて成立するものだ。

 その為の機能がアイギスにも存在する。


 次々と飛翔してくる光剣を、魔法陣は貪り食うように吸収し、巨大化していく。

 おびただしい程の魔力が収束し、やがて、臨界を迎えたように発光する。


『ギシャァァァァァァ!!』


 遅ればせながらにヴリトラが咆哮を上げ、数多の雷撃を差し向けてくる。

 だが、時すでに遅し。一輝の必殺は完成している。


 天を泳ぐ巨龍は強過ぎたのだ。その大きさ故に無類の強さを誇り、天災のように雄大であった。

 それ故に、小さな脅威を見過ごし、対処が遅れた。

 その時間が命運を分けた。


「撃ち抜け、ゴルゴーン。」


 終焉の一撃が放たれる。

 槍の一点に収束した莫大な魔力が一気に解放された。

 神の裁きを彷彿とさせる極大の光の奔流が、途上にあることごとくを飲み込んでいく。

 そして、黒雲も、雷撃も、巨龍も、光に触れたものは、その端から時を停めたように動かなくなった。


 石化光線。

 それがアイギスのもう一つの力だ。物も、概念も光に触れた対象を石化させる事が出来る。

 かつてアテナが、ゴルゴーンという怪物の首をアイギスに取り付けた事で根付いた力だった。


『やはり、気に食わんな。私以外が一輝の力になっているのは。』


 それ故に、アテナはこの力を忌み嫌う。

 アイギス本来の力がアテナの力とするのなら、石化の力はゴルゴーンという怪物の力だ。

 しかも、その怪物はアテナよりも自分の髪の方が美しい、と豪語した鼻持ちならない女だった。

 アテナにしてみれば、自分よりもその女の方が役に立っているようで、二重に面白くなかった。


 軈て光は終息し、空には一輝と澄み渡る青さだけが残った。

 巨大な石像と化したヴリトラは、魔力の海へと沈み、巨塔と運命を共にする。


「・・・・・勝った。」


 微かな余韻を残した呟きを漏らす一輝。

 すると、示し合わせたように、ホログラムが眼前に浮かんだ。

 そこには、『congratulationsおめでとう』の文字列と『駿河一輝』という名前が載せられている。

 ダンジョンの攻略記録は、神魔達が存在する限り、残され続ける。

 そして、未来永劫、語り継がれていく。

 『神仕者』が紡ぐ物語。それは最新の神話なのだ。


『おめでとう、一輝。』

「あぁ、ありがとう。』

『ふっ、一コメゲット。』

「その良くない自己顕示欲辞めろよ。」


 見せびらかすような発言に思わず苦笑する。

 だが、不思議と心が落ち着いたのも事実だった。


『そう言うな。これはスポンサーとしての特権みたいなものだ。それにこれからはこういった事も難しくなる。』

「どういう意味だ?」

『コメント欄を開いてみろ。』


 言われた通りに指示に従う。

 瞬間、青い空に一斉にウィンドゥが開かれた。

 数千、数万、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるようなウィンドゥの群れ。その一つ一つに見知らぬ神魔の姿が映し出されている。


「おめでとう!!良い戦いだったぞ!!」

「ナイスゲーム!!ナイスクリア!!」

「ファンになったぜ!!これからも応援していくからなぁ!!」


 万雷の歓声が上がる。

 その盛り上がりぶりは、ヴリトラの咆哮にさえ怯まなかった一輝が驚き、目を見開く程だった。


「驚いたか?ダンジョンクリアや大会の時なんかは、『神仕者ライバー』と視聴者がより喜びを分かち合えるように、直接的に会話が出来る仕掛けになっている。」

「そう言うお前はいつの間に来たんだ。」

「ついさっきだ。」


 又もやダンジョンへと姿を現したアテナ。

 ただ、今回は以前とは異なり、女神らしい泰然自若とした落ち着きがある。

 蒼玉のように美しい双眸をこちらへと差し向け、言う。


「私の事は良いから、早く皆の声に応えてやれ。貴様の声が聞きたくて、貴様に声を届けたくて、今まで残った者達だ。そのぐらいは許そう。」

「そう言われてもな。」


 何を言っても興醒めな気がする。

 しかし、ここに集まった神魔達は、一輝の言葉を待ち侘びるように、静まり始める。

 それが気恥ずかしくて、後ろ髪を掻きそうになったが、辞めた。そんな姿を見せるのが、失礼な気がしたからだ。


(・・・・・とはいえ、あんまり畏まってもらしくない。)


 そう考えた時、パッと頭に思い浮かんだのは、今回の配信で何を伝えたかったのかという事だ。

 次の瞬間には、一輝はすっと腕を上げて、天を指差していた。


「行くぞ、次の場所まで。」


 ──駆け上がると信じさせてみせる。

 気障きざで、カッコつけで、気取った科白せりふ

 それは偽らざる本音であり、共に夢を見てほしいという心からの願いだった。

 その想いが伝わったのか、神魔達は、万雷の拍手を鳴らした。


 この時の感動を一輝は生涯、忘れないだろう。

 誰かに想いを届かせる──この世の何よりも素晴らしい偉業を成し遂げた時の喜びを。







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