第18話 予備試験にてバズーカ

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 怪人痴漢男を倒した無免ローヤー。弓主体の怪人態より、生身の方が絶対に強い前原女生徒に慄きつつ、知間青年を励ます。その姿をほんの少しだけ訝しげに見る神崎。無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!



「な、なんだ、その目はっ、俺の作った飯に、何か文句があるのか」


 虫たちが合唱する夏の七兜山。その声に耳を傾けつつダイニングテーブルで水去が言う。「えのきと豚肉のポン酢炒め、さっぱりして美味いだろ。ビタミンB1で疲労回復・夏バテ対策だ」


 同居人が作った丼飯を箸でぶすぶす刺しながら、神崎は不満そうな顔をしている。テーブルには神崎の前に皿があるだけで、水去は麦茶ばかり飲んでいた。


「……キミは食べないの?」


「俺? ああ、俺は食欲無いからいいや。疲れてんだよ。刑事訴訟法の修行が大変だったからなー。せっかく新フォームで活躍できるかと思ったら、前原さんが怪人痴漢男ボコボコにしちゃうし。内心ブチギレてたんだろうな、あれ」


「……それだけ?」


 神崎が尋ねる。水去は不思議そうに「何が?」と、彼を見つめた。神崎は数回まばたきして、少し語気を強める。


「キミ、怪人痴漢男に殺されかけたのに、それでいいのかい? しかも、戦いの後も、いろいろ励ましたりして……正直、ボクはあんなのに同情の余地は無いと思うけどね。苗字を馬鹿にされてきたから痴漢するとか」


 向けられた神崎の言葉に圧されたのか、水去は椅子の背もたれに身を沈め、困ったようにゆっくり息を吐いた。


「まあそう言うなよ。怪人は犯罪衝動ヤベーし、どうしようもない部分もある。怪人の姿がその人の本性ってわけじゃない。それに、『法に代わって、救済する!』だからな。少なくともこの力で、恥ずべきことはできない。この力を、穢すわけにはいかない、てなわけだ、な?」


「でもっ、ボクらすごく心配してたんだよ!」


「ああ、それはすまんかった。ありがとう」


 水去が自分の手を眺めつつ、ぎゅっと握りしめた。そうして立ち上がる。「明日、予備試験で朝早いから、俺はもう寝るわ。食器は食洗器にかけといてくれ。そんじゃ、おやすみ」彼は神崎に背を向け、ふらふらとダイニングを出て行った。


 ○


 司法試験とは、国家資格としての法曹資格付与のための試験である。弁護士や検察官や裁判官になるには、この試験を突破しなければならない。


 司法試験は原則として、法科大学院を修了しないと受験できない。受験資格を得るためには、この地獄の機関を卒業しないといけないのである。酷い、酷すぎる。あんまりにも酷すぎるので、例外的に、予備試験というルートが設けられている。予備試験に合格すれば、法科大学院を卒業しなくても、司法試験を受験できるのだ。試験を受けるための試験というのも妙であるが、現在のところ、司法試験法はこのように運用されている。


 七月中旬、この予備試験の一次、短答試験が実施される。水去はそれに申し込んでいた。


 早朝、七兜山を下りて電車に乗り、受験会場として指定された、とある私立の大学へと向かう。眠い。で、会場に到着してみれば、そこは煉瓦造りのお洒落な建物が並ぶステキ大学だった。七兜大学のシケた空間とは彩度からしてまるで異なる。何だか視界が輝いているように見えた。水去はため息を吐いた。


 受験票を取り出して、受験番号によって割り振られた部屋を確認し、中へ入る。講義室は他の受験生で賑わっていた。全体を見渡してみると、中年・壮年の割合が結構高い。歳を取っても新たなことに挑戦し続けるバイタリティに、水去はほんの少し恐怖を感じた。自分の心の弱さを省みたのであろう。


 受験票と座席に貼り付けられた番号を照らし合わせ、指定された席に座る。


「あっ」


「おっ」


 水去の隣には、同じ七兜大学法科大学院に通うクラスメイトがいた。中井さんである。大学卒業後じばらく不動産屋で働いていた人で、年齢は四十代、妻も子供いる人生のベテランである。別に水去と仲が良いわけではないが、まあ、顔と名前と簡単なプロフィールくらいは認識していた。「頑張りましょうね」「不安やわー」そんな会話を交える。それから水去は受験票を席に置き、マークシート用の鉛筆を取り出し、試験が始まるまで目を閉じていた。


 ○


 最初の試験は、民法・民事訴訟法である。水去は問題用紙を開いた。手を擦り合わせ、ふむふむと問題文を読む。うーむ、ふむ、なるほど、こう来たか……彼はまた手を擦り合わせる。祈るように、手を擦る。


 ところで、蝿はよく前脚を擦り合わせているものだが、この時にちょっと距離感を誤って、己が首を捻じ切ってしまうことがあるらしい。ネットで見つけた知識だし、文献の中でそんな記述を見たことがないので眉唾だが、イメージとしては面白い。そして、水去の伽藍洞の脳内にも、一匹の蝿がいた。ガラクタの上に降り立って、前脚を擦り合わせる。擦り擦り……擦り擦り……擦り擦り……コロリ。蝿の頭が転がり落ちた。チーン。


 分かるかっ……! こんなモンっ……!


 問題文呼んで選択肢を見ても、何も分からん。知らないものは知らない、解けるはずがない。水去は早々に白旗を上げてしまった。幸いにしてマークシート試験なので、とりあえず塗っとけば面目は保てる。解答だけはしておくかと、水去は受験料一万七千五百円の超高級塗り絵を始めた。


 さて、そんな阿呆水去の隣で、一人の大人がある決意を固めていた。


 中井氏はこれまで働きつつ何度か予備試験を受けてきた。しかし駄目だった。そこで今年、ついに決心して法科大学院に入学したのである。妻も子供もいる中で、仕事を辞めるのは大変恐ろしい選択であったが、それでも彼は法曹になりたかった。法科大学院に入学した彼は、数か月、一心不乱に勉強してきた。そして今年も、予備試験を受けたのである。


 が、駄目っ……! 難しい……!


 やはり予備試験の問題は難しかった。勉強を重ねても重ねても、解けるようになる気配が無い。法科大学院に入学したにも関わらず……この時、一人の成人男性が絶望したのである。


 ○


 高級塗り絵に取り組んでいた水去が、はっ、っとただならぬ気配を感じた瞬間、衝撃波が彼を襲った。


「ふぁッ……ふぁッ……ぶあッくしょんッ! ぶあッくしょんッ! ぶあッくしょんッ! ぶあッくしょんッ! ぶあああああああッくしょんッ!」


 国家試験名物バズーカおじさん、通称バズおじ。試験中にクソデカくしゃみをしまくって周囲に迷惑をかけるおじさんのこと。周囲への配慮がない中年男性特有の無遠慮な態度によって生じるよくある現象なのだが、水去を襲ったのは、そんなチャチなものじゃなかった。


 風速四十メートル


 中井氏の口から発せられた台風レベルの強風が、講義室中に吹き荒れる! どどどどどっどー! どどどどどっどー! 他の受験生たちは吹き飛ばされぬよう机にしがみつくので精一杯、解答どころではない! それまで塗り絵に興じていた水去も、なんとか解答用紙、そして自分自身が飛ばされるぬよう、細い腕で懸命に机を掴んでいるしかできなかった。叩きつけるような強風の中、なんとか薄く目を開けると、風は闇を纏っていた。


 怪人か!


 水去が横目で見れば、隣席の中井氏は、醜悪な怪人へと変貌していた。そうして彼は、台風の目の中、無風地帯で、一人平然と解答を続けている! 

風の中で水去は思考する。変身! ……はできない。短答試験において六法の持ち込みは禁止だ。今、変身六法を取り出せば、それはカンニングにあたる。試験官は……駄目だ、闇の力で洗脳されている……なら、この科目が終わった後、次の憲法・行政法の試験が始まるまでの間に戦うしかないのか。くっ、しかしこのままでは、この講義室にいる受験生たちが、中井さん一人を除き、民事系科目でマトモに解答ができない……どうする……どうする……!


 水去に焦りと裏腹に、風は次第に弱まり始め、数十秒後には治まった。しかし安堵したのもつかの間、水去は不気味な音を耳にする。


 ひュおおおおおおおォ……


 怪人の隣に座る水去にしか聞こえないような小さな音。しかし確かに空気を吸い込んでいる音。水去が横目で様子を伺えば、怪人はマークを続けつつ、ゆっくりと空気を吸い込んでいた。


 こいつまさか、次のくしゃみのため、次弾を装填しているのか!


 水去は戦慄する。彼にもはや塗り絵に興ずる余裕は無かった。無免ローヤーには変身できない。試験中に、怪人を止める手立ても無い。しかしこのままでは、試験は怪人に妨害され、多くの犠牲者が出る。どうする……どうする……! 冷や汗が頬を流れた。隣で闇のオーラが空気と混ざり、存在感を増していくのをひしひしと感じた。

 

 その時、やめっ、という試験官の声が響いた。水去はこれほどありがたい、やめっ、を聞いたことが無かった。解答用紙が回収され、休憩時間に入る。


 休憩の間に倒す!


 講義室を出ていく中井氏を水去は追いかけた。


 ○


「変身! 法に代わって、救済する!」


「ま、まさかァ、水去君が無免ローヤーやったとはなァ!」


 試験会場の外、お洒落な校舎が並ぶ裏で、水去と中井氏、否、無免ローヤーと怪人は向かい合った。


「何故試験を妨害するんですか!」


「君には分からんやろなァ。問題が解けんくてェ、追い詰められたこの絶望がァ! こうなったらもう、周りを蹴落とすしかないやろォ!」


「俺だってロクに解けないですよ! それに、一会場の一室だけ妨害したって、そんなに意味はないでしょうに!」


「ほんの少しでもォ可能性があるならァ、それを追い続けんのが本気というものやろォ!」


「他人を蹴落とすことは、可能性じゃありません!」


「そうかもな、けど、ワシにはァ妻と子供が待っとるんやァ!」


 無免ローヤーが怪人に向けて駆け出す。それに対し、敵は息を大きく吸いこむ。無免ローヤーはその口を塞ごうと、怪人の顔に触れた。その瞬間、「ぶあッくしょんッ!」闇を纏ったくしゃみが炸裂。風速五十メートル、無免ローヤーは吹き飛ばされ、煉瓦に叩きつけられ、気を失った。


 ○


 休憩時間が終わって、次の科目、憲法・行政法の短答試験が始まる。試験開始五分前に気絶から回復した水去は、慌てて試験会場に飛び込んだ。隣では、中井氏が静かに空気を吸い込み続けている。水去は無言で解答用紙を睨んだ。試験開始。


 再びよく分からんので塗り絵を始めた水去の隣で、怪人が次弾の装填を完了させた。怪人がニヤリと笑い、くしゃみを発動させようとする。


「ふぁッ……ふぁッ……く……ううッ⁉」


 くしゃみは出ない。困惑する怪人。水去は平然とした顔で塗り絵を続ける。そのまま、くしゃみバズーカは発射されないまま、試験時間は過ぎていく。


 一体何が起きたのか。


 先程の攻防、無免ローヤーが怪人の口を塞ぐためその顔に触れた瞬間、彼は人体に存在する四十八の安心秘孔の一つ、千会のツボを押していた。これにより中井氏の身体はリラックス状態となり、くしゃみができなくなったのである……!

なんとか空気を吸い込み、くしゃみ弾を装填しようとする怪人。しかしついに、バズーカが発射されないまま、憲法・行政法の試験は終了したのである。



「一体何をしたんやァ! 無免ローヤー!」


「ツボを押して、あなたの身体をリラックスさせたんですよ。俺、そういうの、かなり詳しいので」


 休憩時間、再び煉瓦の建物の前で相まみえた無免ローヤーと怪人。


「ツボ⁉ ふざけとんかァ? ……なら、もう、君には指一本触れさせへんッ! くたばれやァ! 無免ローヤー! ぶあッくしょんッ!」


「ぐっ……!」


 風速六十メートルのくしゃみバズーカを喰らい、無免ローヤーはまた煉瓦の壁に叩きつけられて、意識を失った。水去の背中はボロボロである。


 ○


 次の試験、刑法・刑事訴訟法の開始時刻三分前に水去は目を覚まし、試験室に飛び込んだ。中井氏が勝ち誇ったようにニヤリと笑う。水去は無言で解答用紙を見つめる。試験開始。怪人が空気を吸い込み、くしゃみバズーカの準備を始める。水去は黙って塗り絵を続けた。


 装填、完了。怪人が発射体勢に入る。「ふぁッ……ふぁッ……」


 その時、ふわりと心地よい香りがした。水去が、試験前、隣席だけに届く範囲でとっておきのお手製リラクゼーションアロマを撒いていたのである。怪人驚愕の表情。くしゃみバズーカは不発に終わった。


 さて、事前の対策が功を奏し、黙々と塗り絵を進める水去だったが、一つ発見があった。刑法の問題として、業務妨害罪に関するものが出題されていたのである。それは、業務妨害罪と公務執行妨害罪の成立と権力・非権力的公務の関係性についての問いであった。問題文を読みつつ、水去の思考は展開していく……思い出した! そうだった、威力業務妨害が使える! 国家試験は公務であるが、非権力的公務である。判例は、強制力を行使する権力的公務は業務に含まれず、それ以外の公務は業務に含まれるとする。公務執行妨害罪との関係は諸説ある。なので、とりあえず業務妨害罪は成立する! ……何を言っているのかよく分からないかもしれないが、水去自身もよく分かってないので気にしなくてよい。


 刑法・刑事訴訟法の科目が終われば、後は一般教養の試験を残すのみである。次で必ずケリをつける! 水去は鉛筆をギュッと握りしめた。


 ○


「アロマやてェ! 小癪なことをしてくれるわッ!」


 怪人が叫ぶ。刑法・刑事訴訟法の試験が終了し、休憩時間の間に、二人は再び煉瓦の建物の前にいた。


「もう……もうやめましょう! こんなこと! 怪人業務妨害男、いや、中井さん……ここで俺が、あなたを止めます!」


「無免ローヤー、これ以上ォ、ワシが試験の邪魔すんのを邪魔させはせーへんでェ。最後やッ、最後の教養科目、必ずくしゃみしたるッ!」


 怪人業務妨害男が空気を吸い込み、くしゃみバズーカを発射せんと構える。無免ローヤーの無機質な複眼は哀しい光を帯びて、怪人を見つめた。そうして腰の六法をめくり、条文に触れる。


【刑法二三三条 信用毀損及び業務妨害!

 虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する!】


【刑法二三四条 威力業務妨害!

 威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による!】

 六法から溢れた光が、法の扇となって、無免ローヤーの両手に現れる!


「あなたのやっていることは、威力業務妨害にあたる! 犯罪だ!」


「うるさああああいッ! 夫としてェ、父としてェ、負けられんのやああああッ! 愛の力を見せてやるわァ! いくでェ! ぶあああああああああああッくしょんッ!」


 怪人業務妨害男がくしゃみバズーカを発射、風速七十メートルの闇を纏った突風が塊となって、無免ローヤーに押し寄せる! 


 それに対し、無免ローヤーは法の扇を構える!「闇に堕ちたその姿を、あんたは妻や子に見せられんのか! 自分の家族を、愛する人を、犯罪者の家族にするつもりなのか! それが本当に、愛と言えるのかあああああああ!」


 無免ローヤーが扇を振るい、光の風を生み出す!


 風速八十メートル! 


 颱風のごとき暴風が、くしゃみバズーカと衝突した! 光の風と闇の風が、お洒落な煉瓦通りでぶつかり合う! そして!


「ぐはああああァああああああァああああァ!」


 天高く打ち上げられたのは、怪人であった。法の扇から放たれた光の風が、怪人を押し包み、そして……


 ドガアアアアアアアアアアン! 怪人業務妨害男の闇の身体が爆発した!


 ○


 その後、試験開始ぎりぎりに、慌てて講義室に飛び込んだ水去と中井氏は、無事教養科目の試験を受けることができた。試験後、中井氏は、何かさっぱりしたように笑って、水去に「ああ、大変やったなぁ、お互い、お疲れさんや。ありがとうな」と言った。


 ちなみに、この司法試験予備試験の短答試験、中井氏は無事合格し、水去は落ちるという未来が待っているのであるが、当然、この時の水去はまだそれを知らない……



次回予告

愛! アプリ! 悪しき罪! 第十九話「無権代理で追っかけて」お楽しみに!

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七兜山無免ローヤー ~変身! 法に代わって、救済する!~ 蛇蝎太思郎 @Hemisasori

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