第17話 君のために俺は戦う!

前回までの、七兜山無免ローヤー!

糸井教授との修行を終えた無免ローヤー。そして、一人バスに乗る前原女生徒を襲う怪人痴漢男。無免号に乗り、颯爽と現れたヒーローは、新たな姿へと変身する。光と闇、二つの力が、今、開廷! 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!



 開廷!


 それぞれの力によって創り出された法廷、光と闇がせめぎ合う世界の中で、無免ローヤーと怪人痴漢男は向かい合った。


「ど、ど、どこから出てきたッ、その化け物はァ!」


 いきなり悲鳴をあげたのは怪人痴漢男である。怪人に化け物呼ばわりされるとは笑止千万。無免ローヤーは、はてな、と首を傾げた。しかし怪人痴漢男は本気で狼狽していた。


「そ、そのォ、後ろにいるゥ、黒光りしてる化け物だよッ」


「む、こちらにいるのは、俺の師匠だ。失礼なことを言うな」


 光の法廷に立つ無免ローヤー、その背後では、守護霊みたいに浮かぶガングロギャルが、だっちゅーのポーズでセクシーにウインクしつつ、異様な存在感を放っていた。よろぴー☆ そう言うと、刑事訴訟法の悪魔はベルトの本に吸い込まれ、元居た場所に戻った。


「な、なんなんだァ、君はァ!」


「俺は無免ローヤーだ! お前を止めるため、俺は戦う!」


 水去が光の法廷で、グッと拳を握りしめた。謎のテンションに怪人痴漢男は頭を抱えた。しかし彼もまた強力な怪人。すぐに余裕を取り戻し、闇の法廷に立つ。


「ま、まァいいよ……で、無免ローヤー……性懲りもなく、僕を邪魔するつもりなんだねェ……だけど、君に僕を止める根拠はないって、分かるよねェ! いい加減、学んだよねッ!」


 その言葉と共に怪人痴漢男の闇が勢いを増し、光の法廷を侵食していく。だが今の無免ローヤーは、刑事訴訟法の悪魔の力を持つ、清き訴訟法フォーム。かつて敗北した時と同じ轍の上で、闇に呑み込まれることはない。


 無免ローヤーは光の法廷で、堂々と答える!


「根拠? あるさ! 適正な手続き、刑事訴訟法に基づいた、現行犯逮捕だ!」


「現行犯逮捕、だってェ……!」


 無免ローヤーが六法をめくり、条文に触れた。


【刑事訴訟法二一三条 現行犯逮捕!

 現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる!】

 六法から溢れた光が巨大な文字列となって、無免ローヤーの前に浮かび上がった。条文の輝きが怪人の闇の法廷を押し返そうとする。しかし、怪人痴漢男の力は、その程度では祓えない。彼はたまらず噴き出した。


「二一三条ってェ……ははははははァ、君はァ、もしかして馬鹿なのかなァ? まさかその程度で学んだなんて思ってるんじゃないだろうねェ!」


「まあそう焦るな。法廷は開いたばかりなんだ、一つ一つ整理していこう。次はコイツだ!」


 無免ローヤーがさらなる条文に触れる。


【刑事訴訟法二一二条 現行犯人!

一項 現に罪を行い、又は現に罪を行い終わった者を現行犯人とする!】

 六法から光が溢れて条文に変わり、さっきの条文の隣に浮かび上がる。無免ローヤーの前で、並列した二つの条文が黄金の輝きを放った。だがそれでも、怪人痴漢男の闇の法廷は、強固に存在し続ける。


「二一二条かァ、現行犯逮捕の要件の解釈論で戦うつもりなんだねェ! いいよォ! 受けて立ってあげようッ!」


 怪人痴漢男が闇の法廷で吠える。「かかって来なよォ!」闇が勢いを増して渦巻く。それに対し、無免ローヤーは、冷静に話を始めた。


「さて、刑事訴訟法二一三条の定める現行犯人の要件は、『現に罪を行い』『現に罪を行い終わった』という文言、そして現行犯逮捕の制度趣旨が、犯人誤認の恐れは小さく、かつ、直ちに身柄を拘束する必要性が高いことから、令状主義の例外を定めたものである、ということに鑑みると、まず、①特定の犯罪とその犯人の明白性、という要件を導くことができる」


 無免ローヤーが勉強してきたことを得意げに喋った。それに対し、怪人痴漢男も闇の中で余裕を見せる。


「その解釈に争いはないよォ? でも、いいのかなァ、自分で自分の首を絞めているように思うけどねェ、無免ローヤー?」


 浸食してくる闇に対し、無免ローヤーは首筋に手を当て鎧の位置を調整して、まるでスーツのネクタイを直すかのように姿勢を正す。


「と同時に、更なる要件として、②犯行と逮捕との時間的接着性が必要であると考えられる。これは逮捕について緊急性を担保する要件だ。補充的に場所的近接性も考慮され得ると考えられる」


「自分で意味を理解して言ってるのかなァ? 君が話せば話す程、君は不利になってるって分からないのかいィ?」


 怪人痴漢男の指摘があっても、無免ローヤーは構わずクールに主張を続けてゆく。


「最後の要件、これは、逮捕全般に関する要件だが、黙示的に、③逮捕の必要性も要件となる。ま、今回、これは問題とならないな」


 無免ローヤーが、光の法廷から人差し指を向けた。


「よし、刑事訴訟法二一三条に基づく現行犯逮捕の要件は、これで決まりだ。異論はないか?」


「無いねェ、でも、その要件じゃ、君は僕を逮捕できないよォ!」


 闇の法廷で、怪人痴漢男が主張を始める。


「まず①だよ、無免ローヤー。君はァ、僕があのちっぱい彼女に痴漢をしたと言うけれど、それを見たわけじゃないよねェ。犯行を現認していないィ、つまり、君の視点では、特定の犯罪とその犯人の明白性を欠くんだよッ!」


「ふむ。よかろう。その主張に反論はない」


「さらに、②だァ。時間的場所的近接性、君に認められるかなァ。僕が可愛い彼女に痴漢したと疑われてるのは、バスの中だよねェ。彼女の視点からなら、痴漢は続いていると言えるかもしれないけれど、無免ローヤー、君から見れば、どうかなァ?」


「なるほど、その通りかもしれんな。お前の主張は正しい」


 無免ローヤーは、怪人の言葉をあっさり認めた。怪人痴漢男が高笑いをする。


「あははははははァ……じゃあ、僕の勝ちだねッ! 訴訟法の罠に自ら嵌り込むとはねェ、滑稽だなァ……」


 闇の法廷から巨大な闇の手が現れて、手当たり次第に光の法廷を砕き始めた。法壇や法卓、発言台に書記官卓子、傍聴席などが粉々になり、光の粒子へと変わる。崩壊する光の法廷の中で、しかし、無免ローヤーはじっと立ったままである。


「もう、君を守るものはないよォ、この手で、握りつぶしてやるッ! そうすればァ、僕の痴漢は自由を得るッ!」


 怪人痴漢男の闇の手が、残骸の中に立つ無免ローヤーに迫る!


「これで終わりだッ! 無免ローヤー!」


「そいつはどうかな?」


 その時、無免ローヤーが指を鳴らした。


 パリイイイイン!


 無免ローヤーの背後で、光の粒子が鏡のように割れる! そうして、中から姿を現したのは……前原天祢女生徒だ!


「そういうことだったのね、律くん」


 無免ローヤーの隣に立った前原が、微笑みながら言う。刹那、見るも無残に崩れ去っていた光の法廷が、時間を巻き戻すかのように輝きを取り戻し、二人を守るように聳え立った。


「なァにいいいいいいィ!」怪人痴漢男が絶叫する。


「知間、俺は、お前を逮捕しないよ。現行犯人の認定と逮捕の意思決定をするのは、俺じゃない。ここにいる、前原さんだ。それなら、明白性も時間的近接性も、現行犯逮逮捕の要件を全て満たす。俺は、彼女が事実行為としての逮捕をするのを補助し、協力するだけだ!」


 無免ローヤーが、隣に立つ前原女生徒の手を取った。二人はそのまま、握り合った手を伸ばして、怪人に向ける。


「律くん……!」


「無免ローヤーは、自分のために戦うんじゃない。みんなのため、君のために、俺は戦う! そして、その限りにおいて、訴訟法の世界でも、無免ローヤーは適法となる! さあ、フィナーレだ。いくぞ、前原さん!」


「うん!」


 刑事訴訟法二一三条が光り輝き、現行犯逮捕の要件を満たした前原女生徒と、その補助者としての無免ローヤーを取り巻いた。光の法廷が闇の法廷を照らして、消滅させていく。法の輝きの中で、二人が叫んだ。


「「閉廷!」」


「ぐあああァ! ま、眩しいッ! 眼が! 眼がああああああァ!」


 訴訟法の世界を満たす法の光。怪人痴漢男は闇の手で両目を塞ぐが、それも輝きに溶けて消える。


 法の光が全てを包み込み、闇を消し去った!


 ○


「はァ……はァ……!」


 怪人が力なく膝をついた。


 訴訟法の世界が閉じて、無免ローヤーと前原、そして、怪人痴漢男は北住台に戻って来ていた。


「はァ……はァ……まさか、この僕がァ……法廷でのぶつかり合いでェ、負ける、なんてね……」


 崩れ落ちようとする己が身体を、闇の手でなんとか支えつつ、怪人痴漢男がヒーローを見上げた。無免ローヤーの無機質な複眼に、憎悪に満ちた視線が突き刺さる。


「知間……痴漢なんか、しちゃいけない。痴漢は、肉体を傷つけるだけじゃない。人の尊厳を、魂を傷つける犯罪だ。それに、被害者だけじゃない、お前の身体に刻まれるスティグマも、相応に大きい……!」


「うるさいッ! お前に何が分かるゥ! はァ……はァ……僕は、僕はァ、全ての女体に触れて、その感触と体温を楽しむんだッ! そうしていいだけの権利が僕にはあるッ! そうしなければッ、僕は、僕は報われないんだッ!」


「馬鹿なことを言うな! 人の身体は、その人以外の誰のものでもない!」


「黙れえええええェ!」


 咆哮と共に、怪人痴漢男が前原女生徒に目を向ける。「はァ……はァ……綺麗だなァ……美しいなァ……その綺麗な身体もォ、僕に触れられるべき、僕のための、僕だけの、僕の物だあああああああァ!」


 怪人痴漢男が闇を纏い、前原に向けて駆け出す。「ちっ、まだ力が残っていたか!」と、無免ローヤーが素早く六法をめくり、条文に触れた。


【刑法一七六条 強制わいせつ!

 十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の拘禁刑に処する。十三歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする!】


 光の中から顕れた法の槍を掴み取り、無免ローヤーが構える!「前原さん! 下がって!」「ううん、律くん、いいの。私がやるから。だって、逮捕者は私でしょ?」 前原女生徒は、自ら怪人の前にその身を晒した。怪人は勢いを増し、二人の下に突っ込んで来る。


「あははははははははァ! やっぱり好きなんだねェ! あははははッ!」


「最初に言っておくけど、私、かなり強いから」


 ビシュン! 前原の姿が消えた。


「えっ?」と無免ローヤーが呆けた声を漏らす。


 一瞬のうちに、前原女生徒は怪人の至近距離に移動していた。大きく足を踏み込み、腰の入った手拳による殴打を怪人の腹部にぶち込む。「ぐはァッ!」怪人が弾丸のように吹き飛んだ。ビシュン! 弾き飛ばされ宙を舞う怪人の背後に、忽焉、姿を現した前原が、空中で回し蹴りを叩き込む。「ごはァ!」怪人はまた砲弾のように打ち上げられる。ビシュン! 前原女生徒は怪人の上空にいた。数回転して勢いをつけてから、突き刺さるような踵落としを喰らわせる。「ひでぶッ」怪人が地面に向け隕石のごとく墜ちる。ビシュン! 何故か怪人より早く地上に戻り、迎撃の体勢をとる前原女生徒。ぐっと身体を沈めると、落ちてくる怪人に対し、天に昇る龍がごとき拳を喰らわせた。 


 拳圧で気流が発生し、周囲の雲が消し飛ぶ!


 そうして、晴れ渡る青空に舞う、塵のような怪人の身体……


「今よ! 律くん!」前原女生徒が無免ローヤーに言った。


「は、はいっ!」


 一連の出来事をぼんやり眺めていた無免ローヤーが、慌てて槍を構えた。二、三歩と助走をつけ、「せいやあああああ!」空に向かって、槍を投げる!


 光の槍が空間を切り裂いて飛び、怪人痴漢男を貫いた!


 ドガアアアアアン! 汚い花火のごとき爆発が、七兜山を照らした。


 ○


「ま、前原さん、強いね」


「いろんなバイトで、鍛えてるから!」


 変身と解いた水去が、前原に問う。その向こうで、ボロ雑巾のようになった怪人痴漢男、だった、知間青年が「ううううう! どうして! どうして僕ばかり!」と絶叫した。


 道路に蹲る彼に、水去がそっと近寄って、声をかけた。


「なあ、知間。なんで痴漢なんだ? お前と話してて、気になったんだ。お前が、無理に自分を鼓舞して、痴漢しようとしてるんじゃないかって」


「うるさい! 僕は痴漢したくて痴漢してるって言っただろ!」


「どうしてそんなに、痴漢にこだわる……?」


 知間青年が顔を上げた。目からは涙が溢れ出している。「僕の苗字から分かるだろ……!」彼は悔しそうにコンクリートを殴った。


「僕の苗字の読み方は、ちま、だ。だけど、ちかん、とも読めてしまう。ずっと揶揄われてきたよ。小学生の頃から……僕は痴漢だって。違うんだ、僕は知間だって、何度言っても、皆が僕を馬鹿にする……だから、だから本当に痴漢になってやったんだ!」


「そんなことが……」水去が深刻そうに呟いた。


「僕は痴漢なんだろう? それが、皆が僕に求める役割なんだろう? だったら、好き勝手してもいいはずだ! 僕はずっと、痴漢と呼ばれるのを受忍してきた。権利義務は一対のもの、義務の裏には権利がある。だったら! 僕には痴漢をする権利があるはずだ!」


 知間の慟哭が七兜山に響き渡る。


「知間、お前の気持ち、理解できなくもない……俺も変な苗字だからな……だが、痴漢をしていい権利なんてものはないんだ」


 水去が知間向かって言う。


「だけどな、やり直せるよ。無免ローヤーが怪人を倒せば、犯罪は遡及的に無効になる。お前は痴漢男ではなく、知間として生きていけるんだ」


 水去がそう言って微笑むと、知間青年はまた、道路に顔を伏せた。


「無免ローヤー! 確かに僕は、間違ってた……分かってたんだ! 本当は、痴漢なんて、したくなかった……! ずっと馬鹿にされてきたコトだから。自分で、自分の名前を汚すなんて……僕は、僕は……ううううう! うううううううう!」


 零れ落ちた涙が、北住台の道路にぽつぽつ落ちて染みた。そうやって、知間青年の人生の暗い汚点は、七兜山に吸い込まれて、消えていったのだった。


 ○


 実は神崎と駒沢の両名は、無免ローヤーと怪人痴漢男が訴訟法対決をしていた辺りで、北住台に辿り着いていた。遠くから、戦いの様子を見ていたのである。


 水去が知間青年を励ます姿、それを見つめる神崎の眼は、ほんの少しだけ、訝しむような視線を湛えていた……



次回、番外編「前原天祢のアルバイト」お楽しみに!

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