第16話 開廷! 訴訟法の世界

前回までの、七兜山無免ローヤー!

糸井教授に助けられた無免ローヤー。と思ったら座敷牢に突き落とされ、ガングロギャルと濃密な二日間を過ごす。さらに糸井教授が怪人に変貌。なんと開廷攻撃を繰り出してきた! 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!



 時間は進み続ける。


「ぐはっ」


 もう何度目か分からない、糸井教授、いや怪人訴訟法男の「開廷」攻撃を喰らい、闇の法廷で弾劾された無免ローヤーは、変身を解除され、力無く倒れた。変身六法がバックルから外れて転がる。


「次いきますよォ、早く変身しなさいィ……」


 怪人訴訟法男が水去青年に迫る。水去はよろよろと立ち上がって、再び六法を腰にセットした。光が溢れて、無免ローヤーに変身する。


「開廷ィ!」


 闇の法廷がまた無免ローヤーを呑み込む。少しして、法廷から弾き出された水去が、勢いのまま壁に激突した。「次です、変身をォ……」「く……変身!」また同じことが繰り返される。変身しては、闇の法廷で敗北し、叩きのめされる。攻撃の手は緩まない。嘔吐しても、血を吐いても。気絶したら水を掛けられて強制的に目覚めさせられる。


 無免ローヤーは怪人訴訟法男の「開廷」攻撃を、何度も何度も受け続けた。

 

 ○


 二日経った。


「ぜぇ……ぜぇ……これで……」


 永遠に続くとも思われた闇の法廷が消え去った時、そこには無免ローヤーが立っていた。


 倒れることなく、ヒーローの姿を保ったまま、闇の法廷を切り抜けたのである。次の瞬間には、変身を維持できずに倒れてしまったが、しかし、怪人訴訟法男の「開廷」攻撃に打ち勝ったのだ!


 怪人訴訟法男が闇を収めて、糸井教授の姿に戻った。


「やっとできましたね。随分不完全でヘンテコなやり方ですが、ま、いいでしょう。お疲れさまでした。よく頑張りましたね」


「あ……ありがとう……ございました……」


 倒れ伏した水去に、糸井教授が手を差し伸べ、優しく抱え起こした。「コーヒー飲みましょうか!」「は……はい……」水去はふらふらと歩いて、壁際に寄せてあった椅子に座り込んだ。糸井教授は部屋の隅の机で、コーヒーを煎れ始めた。


 ○


「あの……先生は……先生はどうして怪人に……」


 湯気の立つマグカップを片手に、二杯目の香りを楽しんでいる糸井教授を見ながら、水去が尋ねた。彼はもうコーヒーを飲み終えて、荒い呼吸も治まっていた。


「意外ですか? まあ、無免ローヤーに倒されずに卒業する怪人は少ないですからね。というか、本当はいてはいけない。怪人を社会に出しちゃいけないんですが」


「じゃあ、先生も学生の頃に……?」


「そうですよー。私はね、怪人訴訟法男。ホントは民事訴訟法の研究者になりたかったんですが、担当教員に騙されましてね。刑事訴訟法の研究室に入れられてしまった。それで絶望したんですよ。恥ずかしい話ですが」


 糸井教授がマグカップを口に運びながら笑った。水去は何と答えたらよいのか分からず、黙り込んでいた。


「ですが、まあ、私は弱かったんですよ。怪人になっても、何の犯罪もできなくてねぇ。絶望の力に身を任せる勇気が無かったんです。ビビりだったんだな。何もせず、一人で絶望したまま、刑事訴訟法の研究者になってしまった。それで、赤原君が見逃してくれたんです」


「え……それは……まさか……」


「赤原君と私は同期なんです。そして、私たちの世代の無免ローヤーは、赤原君だったんですよ。つまり、君の先輩ですね」


「あ、あれが⁉」


「ふふふ。赤原君も昔は、優しくて正義感に満ちた無免ローヤーだったんですけどね。そしてとても強かった。格好いいヒーローでした」


 水去が目を見開いて絶句しているのを、糸井教授は楽しそうに眺めた。「法の道を歩む者は皆、多かれ少なかれ絶望しているものです。この道はどこまでも暗く、深く、途方もない。私や赤原君だって、躓いて転んだり、頭を抱えたり、傷を負いながら歩む毎日です」


 だけどね、と糸井教授は続ける。


「暗闇の中で動けなくなってしまったとき、希望の光をもたらしてくれるのは、水去君、君のような若い力なんです。絶望してしまった怪人を救えるのは、私じゃない。今の赤原君でもありません。その力を誰が有しているのか、分かりますね?」


「無免、ローヤー……!」


「その通りです」


 糸井教授が微笑んだ。そうして彼はマグカップを置くと、腕時計に目を向けた。


「やや、もうこんな時間だ。地下にいると感覚が狂いますね。今が土曜日の午前八時半。ああ、前原天祢さんの退院が、今日らしいですよ」


「ホントですか! 退院か、よかった……よかった……!」


 水去が嬉しそうに手を握りしめた。それを見て、糸井教授は「さて」と立ち上がり、コーヒー器具を片付け始めた。


「今から行けば、お見舞いにも間に合うんじゃないんですか? そのまま、怪人痴漢男を倒してきなさい。今の君なら、知間君を救済できるはずです」


 水去も立ち上がって、頭を下げた。


「ありがとうございました。俺、弱くてよかったと思ってます。だって、先生にいろんなことを教えてもらえたから……自分のやるべきことが、少しだけ分かった気がします。本当に、ありがとうございました」


 糸井教授が片付けの手を止めて、水去を優しく見つめる。


「法律戦士はね、法に代わって戦うんです。法に代わる、これはとても難しい。今の君なら、分かると思います。苦しい戦いになるかもしれない。だが……頑張ってきなさい!」


「はい! コーヒーご馳走様でした。では、行ってまいります!」


 しゅっ、と変身六法を掲げて、水去は、懲罰房の地下室を飛び出して行った。


 こうして修行を終えた水去が、前原のお見舞いにやって来たのであった。


 ○


 前原女生徒が難舵病院から出てきた。一人である。彼女がバス停に立って居ると、坂の向こうからバスが滑り込んで来た。プシュー、と音を立てて、後ろのドアが開く。七兜山の上の方へと向かうバスだった。


 彼女は一人で、バスに乗り込んだ。


 車内は静かだった。前原は素早く周囲に目を向ける。男性……杖を突いた禿頭の老人が一人。土曜日なのにスーツを着た壮年の男が一人。小学生らしき子供が二人。そして、一番後ろの広いシートのど真ん中、脚を組んで堂々と座っている青年。女性……優先席に座る老婆が一人。後ろの方に座っている老婆がもう一人。部活に行くのか制服を着た高校生が三人。車内は余裕があり、乗客は皆どこかの席に座っていた。前原女生徒はバスの前の方に行って、つり革を握って立った。バスが発車した。


 エンジン音だけが車内に響く。住宅街を走り、揺れながら坂を登っていく。しばらくの間、何も起こらなかった。窓の外で景色が流れて、いくつものバス停を素通りした。彼女は真っすぐ背筋を伸ばして立って居た。


 不気味な沈黙がピリピリ頬を撫でた。虫の知らせ、彼女の勘が、何かを感じ取った。


 その時、何者かの手が、前原の腰に触れた。手は少しずつ下がって、尾骶骨に触れ、更にその下へと向かっていく。


 前原が素早く振り返った。感触は消えた。至近距離に人はいない。一番後ろの席で、青年が不気味に笑っている。「あなたが怪人ね」前原女生徒が静かに言った。

乗客たちの奇異の視線が集まる。

 

 「そうだけど、なに?」知間青年は隠そうともせず答えた。「僕のこと知ってるなんて、触ってほしくて乗ってるのかな? そうなんでしょ? 可愛いなー」シートに深くもたれたまま、ニヤニヤ笑う。突然始まった会話に、皆が無言のまま意識を向けている。


 前原天祢は嫌悪の表情を隠さずに、知間を睨んだ。


「そんなわけないでしょ……寒気がするわ……」


「えー、均整の取れた、イイ身体してるのに。あっ、でも、ちょっと胸は小さいかな? 愛の内分泌が足りないみたいだ。整い過ぎてるのはよくないよー? だらしない所もあった方がイイ。その小さな乳房、僕がたくさん揉んで、大きくしてあげようかなー?」


「あなた、本当に痴漢ね。痴漢行為のことじゃない、痴愚の男って意味で」


 前原の軽蔑の視線を、知間は余裕そうに受け止めた。そうして、彼の身体から闇が溢れ出し、知間青年は怪人痴漢男に変貌した。二本の闇の手が出現して、怪人の周囲に浮かぶ。青年が醜悪な姿に変わったことで、車内がざわめき始める。


「その愚かな男にィ、君は今から全身を撫でてェ、揉んでェ、摘まんでェ、差し入れてェ、引っ張ってェ、触ってェ、好き勝手するのを許しちゃうんだァ! 本当に、本当に可愛いなァ! ……あァ、運転手にでも助けを求めてみるかい? 無駄だと思うけどォ」


 前原がチラリとバスの運転席を見る。「次は~高根~、次は~高根~」無感情なアナウンスが流れた。車内の異常にも一切の関心を向けず、虚ろな目をしたまま、ただバスを走らせている。運転手は怪人に洗脳されているようだった。


「……駄目みたいね」前原が小さく呟く。


「自分の状況、分かってくれたかなァ? 君は全身、僕の手の中にあるんだよォ。じゃあ、その綺麗な身体のォ、隠してる場所! 柔らかな場所! 濡れた場所! 全部全部全部ゥ、僕が優しく愛撫してあげるからねェ!」


 怪人痴漢男がシートから立ち上がった。闇の手が、彼女に向けて発射された。


「あなたなんかに、許すわけないでしょ!」


 高速で飛んできた闇の手を、前原女生徒が叩き落とした。


 その時、怪人の背後から、微かな排気音が聞こえてきた。バスの重いエンジンではない。もっと軽快な、ヒーローの音……


 前原の視線の先、リアガラスの向こうに、一台の原付が姿を現す。ブウウウウウウン……原動機付自転車にまたがる、一人の男。構えた六法がキラリと光る。


「変身!」


 溢れ出した輝きが流星のように流れて、原付は加速する。無免ローヤーに代々受け継がれる原動機付自転車「無免号」、それに跨り、法の鎧を身に纏った戦士が、怪人痴漢男の乗るバスを追いかけてくる!


「律くん!」


「無免ローヤー? なんでだァ? 彼は始末したはず、なのに何故ッ、また現れるゥ……?」


 怪人痴漢男が振り返って、原付に乗るヒーローを見下ろした。ほんの少し、声が瞋恚と猜疑で震えていた。それに対して前原が、「分からないの?」と、胸を張って尋ねる。


「なにがァ?」


「律くんは、私のヒーローだから」


「ふゥん」


「あなたなんかに負けない!」


 前原が撃墜した闇の手を踏みつけた。「次は~北住台~、次は~北住台~」アナウンスが響く。かつて無免ローヤーが敗北した場所、北住台のバス停が迫っていた。「まァ、どうなったって、僕は別にいいけどォ……」と怪人痴漢男が呟いた。


 バスが止まって、ドアが開いた。


 前原が踏みつけていた怪人の手を、乱暴に蹴り飛ばした。闇の手はドアをくぐりバスから飛び出す。駒沢が怪人を引きずり出したことの応用……怪人と闇の手は一定以上離れられない。つまり、外に飛ばされた闇の手の勢いに、怪人痴漢男も引っ張られる。


 見えない繋がりに弾かれた怪人痴漢男が、バスの通路で前原と衝突し、二人はもつれ合うように車外に飛び出した。一瞬の間に、怪人痴漢男が前原女生徒の胸を揉みしだこうとする。


 そこに原付が飛び込んで来た! 勢いをつけ、七兜山の急坂をジャンプ台にして飛んだのである。空中で右手を伸ばし、前原だけを受け止めて抱きかかえる。原付は着地と共に激しくバウンドし、ガードレールに触れる寸前でなんとか停止した。眼下には崖。前原女生徒は原付の上で、無免ローヤーを強く抱きしめていた。


「危険な役割を任せてごめん。怪人をバスから引きずり出してくれて、ありがとう。車内に被害を出さないためとはいえ、囮みたいな嫌なことをさせてしまった」


「いいの。律くんの頼みだったら、私はなんでも……」


「あーあーあーァー! 生きてるとは驚きだなァ。また僕に敗北しに来たんだねェ!」


 怪人痴漢男が二人の会話を遮った。無免ローヤーは、前原を抱えたまま「無免号」を降りると、優しく彼女を地面に降ろし、怪人に向き合った。


 バスが走り去っていく。


「僕にィ、勝てるはずないのに、格好つけちゃっていいのかなァ。君が負けたら、彼女の身体は僕の物になるんだよォ?」


「ここからは控訴審、第二ラウンドだ。今までの俺だと思うなよ」


 無免ローヤーが一冊の本を取り出し、ベルトの右腰にセットする。それは、あのガングロギャル、もとい、刑事訴訟法の悪魔が変化した「チョベリグ☆刑事訴訟法」だった。光が溢れ、無免ローヤーの法の鎧を染め上げていく。


 無免ローヤー 訴訟法フォーム!


 ガングロギャルの輝きが晴れて、新たな力を纏ったヒーローが姿を現す。それは、適正な法規の下に闇を祓う、清き訴訟法の戦士。漫然と法を扱うのではなく、定められた規定に従い、正しき手続きを履践する者!


「法に代わって、救済する!」


 新たな力を祝うかのように、七兜山の頂で火薬が爆発した!


 それに対し、怪人痴漢男が苛立ったように、闇を噴出させる。


「しつこいなァ! 何をしようがァ、君が僕の痴漢を止めることはできないんだよねェ! そんな権限は、無いんだよォ! いい加減、分からせてあげなきゃねェ……開廷ェ!」


 開廷、その言葉と共に、怪人痴漢男が闇の法廷を顕現させる。周囲が暗い翳に覆われ、無免ローヤーを呑み込まんと、怪人の闇が迫る。かつて無免ローヤーを敗北させた技、ヒーローの力を否定する攻撃。目の前に、絶望の暗い世界が広がる。


 しかし、無免ローヤーは一歩も退かない。力強く、右拳を握りしめた。


「その技は、お前だけのものじゃない。法廷で戦うのは、ローヤーの力だ……いくぞ! 開廷!」


 開廷、再び詠まれたその言葉と共に、無免ローヤーの背後で光の法廷が顕現した。輝きが満ちて溢れ、翳を消していく。怪人を照らすため、ヒーローの暖かな光が周囲を包み込む。目の前に、希望に満ちた世界が咲き誇る。


 光と闇、顕現した二つの法廷が、衝突した!


 

次回予告 

協力! 救済! 戦闘力! 第十七話「君のために俺は戦う!」 お楽しみに!

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