第15話 死と師と、駄目な弟子

前回までの、七兜山無免ローヤー!

怪人痴漢男に敗北した無免ローヤー。闇の法廷でその存在の矛盾を指摘され、山にポイ捨てされてしまう。彼の死を悲しむ前原たち。そこにお見舞いにやって来る水去。無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!



 時間を少し巻き戻す。


 無免ローヤーと怪人痴漢男の戦いを、遠くから監視していた者がいた。赤原教授と糸井教授である。彼らの双眼鏡の中で、水去は怪人に敗北し、崖から投げ捨てられた。


「ああっ、あれ落ちたんでしょうか?」と糸井教授。


「水去め、本当に救いようのない莫迦だ……」と赤原教授。


 七兜山の風が、双眼鏡を覗き込む二人の頭髪を揺らす。どちらも年季の入った肉体である。


「これはマズイ。死んじゃったかもしれないですね」


「まあ、死んだとしても、何とかならないことはないが……仕方ない、面倒だが、確認にいくとしよう」


 二人の教授は、水去を探すため、崖を降りて行く。そして……


 果たして水去は生きていた。かなりの高さから落下したにもかかわらず、外傷は擦り傷程度で、木々の間に埋もれるようにして倒れていた。


「おや、気を失っているようですが、息がある。これは驚いた。完全に変身解除されていたのに、あの高さから、どうやって無事に着地したのでしょう」

糸井教授が、泥だらけの水去の傍にしゃがみ込んで、容体を確認している。赤原は面倒そうに、少し離れた場所から教え子を見下していた。


「実にレベルの低い話だ」そう言って、彼は背を向けた。


「どこに行くのです」


 糸井教授が呼び止めると、赤原はぴたりと立ち止まった。


「生きているならどうでもいい、帰る……だが、こうホイホイ死なれたら面倒だからな、貴様がこの低能を鍛えて、使い物になるようにしておけ」


「アナタがやればよろしいのでは? 彼の先輩ではありませんか」


「私には、こんな莫迦をどう育てればいいのか分からんね」


 そこまで言って、赤原がさっさと山中を歩いて行ってしまった。残された糸井教授は、チラリと現行無免ローヤー変身者を見て、「ふむ、仕方ない」と呟くと、気絶したままの水去を抱え上げた。


 ○


「はっ……俺は……」


 目を覚ますと、知らない天井だった。しかし、その陰鬱な蛍光灯のほの暗さと、濁り切った空気から、ロクデモナイ場所であるのはすぐに分かった。水去はパイプ椅子をいくつか並べた上に、身を横たえていた。


「おやおや、目が覚めましたか」


 瞬時に起き上がった水去は、声の主に対して臨戦態勢をとった。しかし目の前にいたのは、刑事訴訟法の糸井教授であった。机の上でコーヒーを煎れている。部屋は全くの空室らしく、広いスペースに机が一つと、椅子がいくつかあるだけだった。何の用途があるのか分からない、不気味な場所だった。


「糸井先生、ここは……?」


「法科大学院自習棟の地下ですよ。水去君。いや、今は無免ローヤーと呼んだ方がいいでしょうか?」


「何故、それを知って……」


「まあまあ、細かいことは後にして、まずはコーヒーでも飲みましょうよ」


 湯気の立つマグカップを、糸井教授がにっこり笑顔で差し出した。夏なのにホットコーヒー? まあ空調は効いているが……水去は少し警戒しつつ、それを受け取った。糸井教授がぐいっとあおるようなジェスチャーをしたので、水去は仕方なく一口だけ口に含んだ。思いのほか美味しかった。


 糸井教授がサイフォンをいじって、次の一杯を煎れ始めながら、「水去君」と言った。


「君は怪人痴漢男に負けましたね。私はそれを見ていました」


「え、あ……」


「少し嫌なことを言わせてもらうと、無免ローヤー、その責務は非常に重い。そして常に危険が付きまとう。時に、命すら失うことがあるものです。分かっていますね」


「……はい」


 水去が静かに答えると、糸井教授は笑顔を消して、真剣な顔つきで彼を見つめた。


「水去君、無免ローヤーとしての君は、はっきり言って弱すぎます。あまりに弱い。歴代の中でも、前代未聞というレベルで弱い。そして今回、下手をすれば死ぬという状況にまで陥ってしまった」


「すみません……」


「もちろん、どうやったか知りませんが、今もこうして生きているのですから、結果的には、君はよくやっています。しかし、毎度毎度怪人と戦うたびに、死に懸けるのでは、君も困るでしょうし、私や、赤原君も困ってしまうのです」


 赤原、という単語が糸井教授の口から出て、水去は少し嫌そうな顔をした。「じゃあ、糸井先生も、赤原と一緒にやってるってことなんですか」「赤原『先生』ですよ、水去君」「すみません。赤原先生と無免ローヤーに関する情報を共有しているってことなんですね」「ええ、その通りです」


 糸井教授が近くの椅子を引き寄せて座り、自分で煎れたコーヒーを口に運んだ。しばらく教授が黙り込んで、コーヒーを味わっていたので、水去も座ったまま、ぼんやりこの茶色い液体を飲んでいるしかなかった。


 しばらくして、水去がコーヒーを飲み終えると、糸井教授はマグカップを彼から引き取って、またにこりと笑った。


「美味しかったですか? よし、では水去君。ちょっと君には修行をしてもらいます。強くなってもらうために、怪人痴漢男なんぞに負けないように、ふふっ」


 何故か噴き出す糸井教授。水去は「はあ」と答えるしかなかった。


「とりあえず四日間は見ておいてください。なに、講義の出欠は私が調整しておくのでお気になさらず」


「えっ」


「では、ひとまず前半戦二日間、頑張ってください。またお会いしましょう。アデュー」


 そう言うと、糸井教授は懐からリモコンらしき物を取り出して、ボタンを押した。


 ガタン! という音と共に、水去が座っていた椅子の下で床が抜けて、彼は懲罰房の地下の、さらにその下、暗い奈落の底に落ちていった。


 ○


 水去は真っ暗な空間に落ちた。触れて見れば、下は畳らしい。


「痛ってえ……なんだ、ここ、暗……」


「まぢそぅだよねーホント真っ暗でぁり得なぃっつーか日サロ行きたぃよねー」


「え、だ、誰か、いるのか」


「ぁーしがぃるよー」


 蝋燭の火がぽっと灯って、ガングロギャルの顔が浮かび上がった。「ぎゃあああああああああああああ!」水去は、怪人に殺されかけた時でも上げたことのないくらいの、腹の底からの大声で叫んだ。作り物のような金髪に、着色料で塗り固めたような丸くて茶色い顔、デカくて黒い目、玩具みたいな匂い。平成初期の残滓たるその姿は、水去には世代的に見慣れないものだった。


「うっさ! ビビりかよー! まぢなぃわー」


「な、なんだお前は! 山姥か!」


「は? ババア扱いとかふざけんなし! ぁーしわ刑事訴訟法の悪魔だもんねー。よろぴー☆」


 ガングロギャルもとい刑事訴訟法の悪魔が、こちらに送風できそうな勢いでウインクした。水去は圧倒されて後退ったが、背中が壁にぶつかる。どうもこの部屋は、広さ四畳半程度しかないらしかった。273cm×273cmの空間に、ガングロギャルと二人きりであった。


「ぁーしがあんたに、オールで刑事訴訟法ヤっから、感謝しろよー♢」


 ガングロギャルが壁際の水去に詰め寄って、彼の乳首をつつく。ギャルに追い詰められた水去は、恐怖心に支配され、「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」という悲鳴を上げた。


 ○


 蝋燭を間に置き、暗い和室で正座して対話する水去と刑事訴訟法の悪魔。


「だからー、回復証拠だからって必ず刑事訴訟法三二八条に含まれるわけじゃないしー、分かれ☆」


「えーと……」


「その証拠がもとの供述の証明力お回復させる方法が、供述の内容の真実性お前提とするものだったらー、これわ補助証拠である回復証拠お実質証拠として扱うことに他ならなぃてわけじゃんよー、まぢチョベリバ!」


「う、うーむ、難しいな……」


 水去、頭を抱えて、ガングロギャル師匠の教えの下で修行中。


 ○


 なんかまあ、そんな感じで二日経った。


「ぉっしゃぃしゃぃー、これで一通り刑事訴訟法のベンキョわ終わりだぽよ☆ バクアゲチョベリグー☆」


「ご指導ありがとうございましだ……」


 畳に突っ伏したままの水去が、ガングロギャルの悪魔に感謝の言葉を述べた。


「ぁんたさー、別に頭わワルワルテンじゃなぃけど、法学のパワパワ系が致命的に無ぃよねー、まぢ向いてなぃってゆーかー、まぢダメ男だよねー」


「そ、そうか……そうかも……すみません……」


「でも、ヘンテコポンポコ! バツなのにマルってゆーか、何か憑いてるつーか、ダメダメくんなんだけど、時々怖いトコもある、ジェラだぞ☆」


「え……あ……そう……!」


 水去が刑事訴訟法の悪魔を見上げると、彼女は水去を見下ろしながら、ふーん喜ぶんだ、と白く塗られた分厚い唇に人差し指をあてた。「ぁーしが中を見てやろ☆」ガングロが水去を押し倒した。ぐっと全身に柔らかな体重を感じる。戦意の高いメイクが迫って来て、水去は身体が強張り動けなかった。


 額と額が触れた。その瞬間、水去の眼前で、ガングロメイクにヒビが入った。


「ギィヤアアアアアアアアアアアアア!」


 刑事訴訟法の悪魔が悲鳴を上げる。分厚いメイクが割れて、素顔が見えた瞬間、ガングロギャルの姿は、一冊の古惚けた本に変わった。「えっ……わ……」呆然とする水去。フッと蝋燭が消えて、何も見えなくなった。


 その時、はるか上で床扉が開いて、電灯の白い灯りが四畳半に差し込んだ。眩しい。「水去君、二日経ちましたよー。無事ですか? よく耐えきりましたね、お疲れ様でした」と声が響いて、ロープが垂れて来る。「登って来れますか?」「は、はい!」糸井教授の声に対し、水去は慌てて返事をして、ロープを掴んだ。しかしふと思い出して、ガングロギャルだった本を拾う。


 封印されちゃったぽよ☆ チョベリバー☆ ぁーしおここから連れてってネ☆


 そんな声が水去の脳内に響く。不気味ではあったが、本を開くと、びっしり刑事訴訟法の解説があった(ただしギャル語。翻訳しないと分からない部分アリ)ので、疲労と監禁の影響で判断力が極度に低下していた彼は、まあええわ、と、得体のしれない本を懐に入れて、ロープを握りしめた。


 ○


 暗闇の中から引き挙げられて、再び蛍光灯の下、水去は糸井教授と対面した。糸井教授は椅子に腰かけ、コーヒーを飲みながら、最初の二日間の様子を尋ねていた。


「ほう、アレを封印したのですか。これは驚きました。どうやったのですか」


「えーと……押し倒されて、襲われかけた瞬間、悲鳴を上げて本に……」


「へえ! ふむ、面白いですね。何か特殊な力が働いたのでしょうか。ふむ……君には法学の才能を欠片も感じませんが、しかし何かがあるようにも思わないでもない。法の御名伝説をご存じですか?」


「ほ、ほうのみな、ですか……!」


「法学界で古くから語り継がれる救世主伝説でしてね。すなわち、いつかこの世界の法理論の全てを変革し、御名を与える救世主が現れる。その時には、全ての論点や対立が消えて、真理としての完全無欠の法が創られる、解釈も適用ももはや争う必要はなくなる、という伝説です」


「はい……!」


「ま、私は完全無欠のたった一つの真理など存在せず、さりとて単なる主観的意見でもない、学問とはその中間の存在と考えていますから、こんな伝説は眉唾どころか噴飯物ですが、しかし大昔からまことしやかに受け継がれてきた伝説ではあるわけです」


「そうなんですか……!」


「水去律君、君は面白い名前をしていますね。そして、歴代無免ローヤーと比べても、特異なまでに法的オーラを感じない。並の無能ではありません。言ってしまえば並以下ということですが、少なくとも並ではない。君が何故変身六法に選ばれたのか分かりませんが、なにかしてくれるんじゃないかと期待していますよ。もしかしたら、救世主になるかもしれない」


 そこまで言うと、糸井教授はマグカップを机に置いて立ち上がった。「さて、ここからは私が引き継ぎましょう。水去君、無免ローヤーに変身してください」教授がじっと水去を見つめている。「変身、ですか……?」と水去が怪訝そうに言うと、「ええ、どうぞ」と糸井教授は答えた。


 水去もマグカップを置き、立ち上がる。六法をバックルにセットすると、光が溢れて、無免ローヤーに変身した。殺風景な地下室で、向かい合う二人。


「では、無免ローヤー。これから私と戦いましょうか。どこからでもかかってきなさい。遠慮はいりません」糸井教授が言う。


「えっ……? いや、そんなことは……今の俺は法の力で身体強化されてるんです。怪我、しますよ……?」無免ローヤーは困惑して、立ち尽くしたままだ。


 教授が咳払いをした。


「なるほど、私の身体が心配で、戦えませんか? ふむ、では、こうしましょう」


 そう言うと、糸井教授の身体から闇が噴出し、彼は怪人へと変貌した。醜悪な闇に包まれた両手を開いて、無免ローヤーに微笑みかける。


「な、なんで……先生が……!」


「実はねェ、私は怪人訴訟法男だったんですよォ。さァ、無免ローヤー、君は怪人を倒さないといけないのではないですかァ?」


 怪人が一歩、無免ローヤーに向けて歩を進めた。


「え……あ……ど、どうしてなんです先生! 怪人なんて! そんな……」


「まだ戦えませんか? 随分消極的ですねェ……ならこちらから仕掛けさせてもらいましょうッ!」


 糸井教授改め、怪人訴訟法男の闇が勢いを増し、部屋中を覆っていく。これまでに感じたことがないほどの、深く暗く凍えるような闇だった。無免ローヤーは一歩、二歩と、無意識のうちに後退っていた。


「やめてください! なんでこんなこと、先生っ!」


「歯を食いしばってくださいねェ……開廷!」


 怪人痴漢男が使ったのと同じ技、開廷、その言葉と共に、怪人訴訟法男が闇の法廷を顕現させ、無免ローヤーを呑み込んだ。



次回予告

現役! 均整! 控訴審! 第十六話「開廷! 訴訟法の世界」 お楽しみに!

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