第14話 弾劾されし無免の暴力
……ねェ無免ローヤー君。警察でも何でもない君がァ、どうやって僕を止めようというのかなァ。君はァ、一体何の権限があってェ、ヒーローの力を振るってるのかなァ……
それは、根源的な問い、目を逸らしてきたタブー、無免ローヤーの弱点だった。
無免ローヤーは、無免許の法律戦士。彼は警察官ではなく、弁護士でもなく、検察官でもなく、裁判官でもない。何の資格も権限も持たない、一介の法科大学院生に過ぎない。力を振るうことが許された存在ではないのだ。
つまり、存在自体がイリーガル。無免ローヤーが創り出す法の剣や、法の弓や、法の槍は、その実なんら正当性を持たない純粋な暴力装置なのだ。法を力の源としながら、法に反して力を振るう矛盾。
無免ローヤーは、怪人と同じ犯罪者なのか?
怪人痴漢男が開廷した闇の法廷において、無免ローヤーは弾劾される。
「無免ローヤー君。君は僕を止めると言ってェ、槍で僕を攻撃したけれどォ、そんなことが法律で許されてるのかなァ……」
闇の中で声が響いて、法の鎧を震わせた。
「許されないよねェ。同じなんだよ。僕はァ、痴漢がしたいからァ、痴漢をしている。君はァ、僕を止めたいからァ、戦ってる……」
闇が法の鎧に忍び寄って触れた。
「そこにィ、なんの違いがあるというのかなァ。お互いに、法律なんか関係なくゥ、やりたいことをやっているだけだよねェ……」
闇が法の鎧を覆い包み込んだ。
「なのにィ、どうして君はァ、ヒーローを名乗り、僕たちを怪人と呼ぶのかなァ。どちらの行為も、違法なのにィ……」
闇が法の鎧に流れ込み入り込んだ。
「善と悪、光と闇、適法と違法、そんなのは全てェ、誤魔化しなんだよねェ。自分を正当化するための、浅ましい自己弁護にすぎないんだァ……」
闇が法の鎧を侵食した。
「己の弱さォ、分かってくれたかなァ……? さァ、閉廷の時だよ、無免ローヤー……」
闇が全てを呑み込み、征服する。
無免ローヤーの法の鎧が、砕け散った。
○
闇の法廷が閉じて、戦っていた二人の姿が顕わになる。
「水去っ!」
駒沢の眼前には、大量の闇の手によって、全身を握られ覆われ抑え込まれ、まるで十字架に架けられたかのように虚空に吊り下げられた、水去青年の姿があった。法の鎧は消え去って、そこにいるのは、ただの法科大学院生だった。
「あーあ、やりすぎちゃったかなァ」怪人痴漢男が困ったように首を傾げる。
「駒……沢……、まだ……いたのか……」
闇で視界を覆われ、水去は何も見えていないらしかった。しかし、弱々しい声だけが、大量の闇の手、その指の隙間から漏れ出てくる。
「わァ、すごいね。まだ意識があるんだァ。すごいね、根性だねェ!」
「逃げ……ろ……前原さんを……」
「お前を置いて逃げられるわけねえだろ!」駒沢が叫ぶ。
そこに、一台のバスが滑り込んできた。さっき水去たちが乗っていた便の、次のバスらしかった。プシューと音が鳴って、入り口のドアが開く。
「バス……か……」
そう言った瞬間、水去が闇の手に噛みついた。「痛ァッ!」と怪人痴漢男が声を上げる。
一瞬だけ、口元を覆っていた闇の手が、緩んだ!
「乗れ! 駒沢!」水去が叫ぶ。
「でも!」
「お前が前原さんを連れて行くんだ! 頼む! 乗れ! 乗れっ! ぐあっ」
「調子にのるなよッ」
怪人痴漢男が闇の手による圧迫を強めて、水去は意識を失う。
駒沢が、前原を抱えて駆け出した。「ちくしょおおおおおおおお!」叫び声を上げながら、怪人痴漢男に背を向けて、バスに飛び乗る。
ドアが閉まって、発車した。どんどん距離が遠ざかっていく。
残された怪人痴漢男は、バス停から駒沢たちを見送りつつ「あーあァ、逃がしちゃったァ……ま、いっかァ」と呟いて、水去を覆っている闇の手の塊に目を向けた。
「男なんか触ってもつまんないなァ」
そう言うと、水去の首を掴んでいるものを除き、全ての闇の手を消した。それから唯一残した闇の右手を、クレーンゲームのようにスライドさせて、バス停のすぐ隣の柵の、その向こう側、つまり、はるか下に木々生い茂る七兜山の崖先に、水去の身体を持っていくと、指を開いて、ぽいっと彼を投げ捨てた。水去は、断崖の深淵へと、落ちて行った。
無免ローヤーの、完全敗北だった。
○
駒沢が病院に連れ込んだ前原女生徒は、やはり過労で衰弱しており、入院することとなった。彼女の見舞いには、佐藤女生徒や駒沢、神崎など、多くの友人たちが姿を見せたが、水去が顔を出すことはなかった。
そうして、数日が経ち、退院の日の朝。
病室に、神崎と駒沢がやって来た。
「あ、神崎君、駒沢君。おはよう」
もう幾分回復して、微笑みを見せる前原に対し、男二人の表情は暗い。ベッドの隣に立ったまま、視線で何かを確認し合ったりしている。数分、盛り上がらない雑談をした。
ふと、前原が寂しそうな表情を浮かべた。
「結局、最後まで水去君はお見舞いに来てくれなかったな」
彼女の手が、布団をぎゅっと握りしめた。「私、嫌われちゃったのかな。神崎君、何か知らない? 同居してるって、聞いたけど」
神崎がハッと息を飲む。前原はそれに気付かず、恋する乙女みたいに、指で布団の上にくるくる円を描いている。
「バスの中で、殴っちゃったのはやりすぎだったの。あれで、怒ったのかな、でも、水去君が突然お尻を触ってきたから、あんまり覚えてないんだけどね」
「あの、水去君は……その……」
「いくら水去君でも、あんな場所で触るのは駄目だと思う。だけど、殴るのはもっと駄目だよね。水去君、私のこと、怒ってるのかな」
「いや……その……」
「あっ、ごめんね。こんなこと、神崎君に聞いても、迷惑だよね。気にし過ぎだよね、うんっ。でも、その、もしできたら、水去君に、それとなく聞いてみてくれないかな、私のこと」
神崎は押し黙ってしまった。俯いて、微かに喉を震わせながら、じっと唇を嚙んでいる。
駒沢が彼を押しのけ、前原を見据えた。
「水去は、死んだ」
「えっ? それはどういう冗談? 私、もう怒ってないよ? お尻触ったこと」
「死んだんだよ……」
駒沢が、全てを話した。前原が気を失ってからのこと、バス車内での騒ぎの真相、怪人痴漢男との戦い、無免ローヤーの敗北、水去青年が変身を解除されてもなお、その身を犠牲にして、駒沢たちをバスに乗せたこと。
「俺は、バスのリアガラスから、怪人が、水去を投げ捨てるのを見た。崖の下に……」
「嘘、だよね? 酷いジョーク、そんな嘘、笑えないよ?」
「天祢さんを病院に連れ込んだ後、俺はすぐに北住台に戻った。どれだけ目を凝らして覗き込んでも、水去を見つけることはできなかった……」
「……嘘だ! 嘘でしょ! ねえ! そんなの嘘!」
前原が悲鳴のような叫び声を上げて神崎の方を見る。「ねえ、神崎君、嘘なんでしょ? ねえ!」「嘘じゃ、ないんです……」神崎が小さく言った。
「駒沢先輩が連絡してくれて、ボクは、すぐ現場に行った。可能な限り、神崎の人出を集めて捜索したけど、山が深すぎて、見つけられなかった。死体すら……」
「そんなこと言わないでよ! 死体なんて!」
「あれから、何日も経ってしまいました。あの高さから落ちて、生きてる可能性は低い。仮に生きてたとしても、もう……」
「ふざけないで! なんで……なんで……? どうして今まで何も、言わなかったの……? 律くんはまだ見つかってないって、それなのに……アナタたち今までっ、何考えて私の前に来てたのっ? ヘラヘラお見舞いなんか!」
神崎も駒沢も、前原の問いに答えることはなく、病室には彼女の荒い息だけが聞こえる。「そうだ、私が探しに行かなきゃ、こうしてる間にも、律くんはずっと一人で……!」前原がベッドを飛び出そうとする。それを、神崎と駒沢が押しとどめた。
「こうなるから今日まで言えなかったんだよ! 天祢さんだってまだ病人なんだ!」駒沢が声を張り上げる。
「嫌っ! 嫌っ! やめて! 律くんを助けに行かなきゃ! 私が! 私が律くんを救わなきゃ!」
「病人一人に何ができるってんだ!」
駒沢が怒鳴った。「もう何度も探したんだ! 何人もで! 何度も! 何度も! それでも見つからなかった! 水去は死んだんだよ!」病室に声が響いた。
前原が放心したように、ベッドの上にへたり込んだ。
「律くんは、死んだの……?」
「状況的に、そう断定せざるを得ない。神崎の家が、かなり大規模な捜索をしてくれたが、水去を見つけることはできなかった。世間的には、まだ、失踪という扱いになっているが」
「律くんを死なせた、その怪人痴漢男っていうのは、どうしてるの……?」
「知間、か。奴は今も、毎日講義に出席してるよ。俺たちじゃ、どうもできない」
「私が……そいつを殺す……殺してやる……!」
「やめろ! 怪人だぞ! 生身で勝てるわけがない! それに、天祢さんが怪人を倒しても、水去は戻ってこない! アイツの死は無効にはならない!」
「黙ってよ! 許さないっ! 絶対許さないっ! 律くん! 私が敵を討ってあげるから!」
バチンッと、神崎が前原の頬を打った。
「何するのよ!」
「誰を守るために、水去君が死んだと思ってるんですか!」
「え……」
「守るために戦ったんです! なのに、今、天祢さんが、怪人の手に堕ちたら、無駄死になんです! アナタの勝手な暴走で、無免ローヤーが、ただの敗北者になるんだ! 何も守れないただの負け犬に!」
神崎の気炎が噴き上がって、そして、また、病室に静寂が戻った。神崎も駒沢も、ゆっくりと呼吸をしていた。
涙が病室のベッドに零れ落ちて、次々と染みをつくった。「うう……うぇぇぇぇぇん」子供のように、前原が泣き始めた。
神崎も駒沢も、目を逸らして、視線を伏せる。鼻をすする音と、小さな、隠すような嗚咽が、彼らからも漏れ出た。病室中の空気が、哀切と悲傷で震えていた。
その時、病室のドアが開いた。
「ういーす。前原さんが今日退院するって聞いたんだけど、調子はいかが……あ、あれ、なんで泣いてんの? どっか、ヤバいんすか?」
まるで無神経な言葉に、駒沢がカッとなって詰め寄る。「お前なぁ! タイミングってもんを考えろよ! 水去が死んだって、知らねえわけじゃないだろ!」
「えっ、俺、死んだのか?」
「そうだ! 崖から放り捨てられて、それであいつは……は? なんだ、お前?」
駒沢が唖然とした表情で、目の前の人間を見つめる。来訪者は得意そうに、手に持った果物の盛り合わせを見せびらかした。
「俺は水去律。またの名を、無免ローヤー。哀しき怪人に親愛なる救済を与える者。そして、なけなしの金を叩いてお見舞いにフルーツバスケットを買ってくる者だ。高かった……」
彼は籠からオレンジを取り出し、開いたままの駒沢の口に押し込んで、ヘラリと笑った。
「み、水去君!」神崎が声を上げる。
「おー、神崎。久しぶりだな。しばらく飯作ってやれなくて悪かった。期限の切れた卵を生で食べたりしてないよな? ちゃんと焼いて食ってたか?」
水去が今度は神崎の口にリンゴを押し込む。「もがっ……ってそんなのどうでもいいんだよ!」「そうか? それはそれで、俺の同居人としての存在価値が」と水去が笑う。
それから彼は、前原の傍にやって来て、ベッド脇の机に、バスケットを置いた。
「律……くん……」
「前原さん! 元気そうでよかった。無事病院に辿り着いたんだね。ちょっと気に入らんが、駒沢のおかげなんだよな。あっ、あと、バスの中の出来事はですね、その、冤罪というか、俺じゃないんです! 俺じゃなくて、怪人痴漢男なるヤバいのがいて、酷い目に遭わせて申し訳ないんだけども、その、まあ、それでね……あ、葡萄食べる?」
「律くん!」
前原が勢いよく手を回して、水去の上半身をベッドに引き込んだ。しっかりと抱きしめる。「あばばばば、待って! 待って! 俺が汚い! 離して! しばらく風呂入れてなくて、俺が汚いから!」「駄目! 駄目! 離さない! 絶対離さない!」前原の言葉と抱擁に、少し絶句してから彼は「……ありがとう」と、確かに答えた。
神崎が背後から、水去の脳天をペシンと叩いた。
「キミねぇ、どうして今まで連絡もしなかったのさ。ボクたち、ずっと探してたんだよ?」
「そうなのか? いやー、ちょっと監禁されててな……」
水去が中腰の姿勢のまま、首だけ神崎の方に捻って答える。前原は彼の肩に顔をうずめたまま、まだ水去を離さない。「それで風呂にも入れてないのだ」
「監禁って、どこに⁉ なんで⁉」神崎が驚く、
「懲罰房の地下に、ちょっとな……あっ、そうだ前原さん」
「なぁに?」
前原が顔を上げて、水去の真正面、至近距離で、花が満開に咲いたような笑顔を見せる。
「これから怪人痴漢男と戦うにあたって、協力してほしいことがあるんだ……前原さんにしか、できないことなんだ」
「私にしか、できないこと?」
前原がコクリ、と小首をかしげた。それに合わせて、駒沢が足をばたばた踏み鳴らす。
「ああっ! 水去、まさかお前っ! 天祢さんをあの痴漢野郎に差しだそうってんじゃねえだろうな! そんなことは俺が許さん! 見損なったぞ! この屑! 塵! 水去!」
駒沢青年が、口の中のオレンジを皮ごと噛み潰して喚き散らし、水去から前原女生徒を引き離した。「天祢さん! こんなケダモノに抱き着いてちゃいけない! 抱き着くならこの俺にふややややぁ」伸ばした駒沢の手が偶然にも、前原の柔らかな胸部に触れてしまっていた。全員、目を丸くする。
それから、前原女生徒の表情が冷たい無になって、駒沢の首筋に手刀を叩き込んだ。
痴漢は気を失い、ずるずる床に滑って落ちる。「「うわぁ……」」と、水去、神崎が同時に声を漏らした。
次回予告
奈落! 修行! 伝説! 第十五話「死と師と、駄目な弟子」 お楽しみに!
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