第8話 あなたの心を盗んでも

 女子大学院生に膝枕されていることに気付いた男子大学院生水去律はどういうリアクションをするのか。


 正解は、素早いゴキブリのような動きで飛びのいて、壁に張り付く、である。全くナニヤッテンダイ。


「お、俺は、一体どれだけ寝てたのか……」


 水去が何か慌てたように、質問とも独り言ともとれる発言をする。


「三十分ぐらいかな。そんなに沢山じゃないよ」


「さ、三十分。そうか、ごめっ、ご迷惑をおかけしました」


 不思議そうに見つめる前原から、彼は目を逸らした。


「あと、こ、ここはどこで……? パチンコ屋の前にいたはずなんだけど」


 二人がいるのは、小さな和室だった。窓もなく、荷物が雑然と置かれている。生活空間ではなさそうだった。


 前原が立ち上がって、壁に張り付いたままの水去の肩に、そっと手を置き、畳に座らせた。身体が痺れているせいか、水去はされるがままに座った。


「ごめんね。今日はパチンコ屋と別のアルバイトがあって、一緒にいけなくて」


「いや、それは、無免ローヤーの義務みたいなものだし、いいんだけど」


 水去がそう言うと、彼女は義務を否定するように、唇をキュッと尖らせて首を振った。


「でも、私は、水去君ばかりに任せちゃいけないと思う。だからね、休憩時間に店まで様子を見に行ったの。そしたら、水去君が怪人の攻撃受けて倒れるのが見えて……」


「ああ、やられて気を失ってしまった、ということか」


「神崎君と二人で運んで来たの。ここは今日の私のバイト先で、定食屋さんのバックヤードなんだけど」


「大変ご迷惑をおかけしました」


 水去が畳に手を置いて頭を下げる。前原が慌てて何か言いかけた時、彼は顔を上げた。ニッコリ微笑んでいる。「でも、もう大丈夫。今度は負けないさ」すっと立ち上がった。


「あっ、水去君、眼が覚めたんだね!」


 部屋の扉が開いて、神崎が顔を出した。赤い三角頭巾をしている。「天祢さんが君を見てる間、ボクが厨房に入ってたんだからね!」「えっ、それは保健衛生的に大丈夫なのか?」頓珍漢な返答をしている水去は、隣の前原女生徒の様子にも気づかないまま、部屋を出た。部屋の外は廊下で、隣に厨房の入り口があり、向こうには食事する客の物音が聞こえた。暖簾がかかっているから、足元しか見えないが……水去は厨房に寄って店主らしき老爺にお礼を伝えると、(「こんなんがアマちゃんのコレか?」と小指を立てていた)暖簾をくぐった。


 出入口すぐ近くのテーブルで、駒沢青年がカツ丼を食っていた。美味そうである。

一瞬、何とも言えない表情で見つめ合うヒーローと怪人。


「あ、さっきボクが揚げたカツだ」


 水去の背後から神崎が顔を出して、己の仕事をアピールした瞬間、水去は「何食ってんだお前っ!」と声を上げた。「何食ったっていいだろうがっ!」と駒沢は答えると、闇が溢れて怪人に変貌した。闇の力で勢いよく引き戸を開けて、外に飛び出した。


「待て! 金払え! 食い逃げだ! 食い逃げだぞ!」


 怪人を追って水去も店の外に飛び出す。しかしその時にはもう、怪人は姿を消していた。「逃げられると思うなよ、変身! 法に代わって、救済する!」


 水去青年は六法をバックルにセットし、溢れた条文たちが法の鎧となって、無免ローヤーに変身した! 「水去君!」神崎と前原が後を追って店を出てくる。「怪人は! どうなったのっ?」無免ローヤーは無機質な複眼を一瞬彼らに向けると、「逃げられた、しかし、逃さない」と、六法をめくり、刑事訴訟法の頁を開いた。


【刑事訴訟法百八十九条 一般司法警察職員と捜査!

 二項 司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする!】


「捜査、開始だ」


 キュィィン……と音を発して、無免ローヤーの複眼が光り始める。刑事訴訟法の力により捜査モードとなった法の眼は、怪人の闇を微細な痕跡まで捉え、逃さないのだ!


「こっちか!」


 逃げる怪人の痕跡を追って、無免ローヤーは駆け出した。


 ○


 法の眼は街を捉える。しかし無免ローヤーの複眼に映るのは、ヘンテコなコスプレもどきのヒーローを、好奇と軽蔑の眼差しで嘲笑する善良な市民ではなくて、法に絶望し堕ちた怪人、その犯罪のなれの果て、つまり闇であった。


 法の眼は自動券売機の硬貨釣銭返却口に闇を見た。おそらく、闇を接着剤状に変化させ塗布して釣銭の付着を待ちこれを回収して取得しようとしているのであろう。

法の眼は銀行のATMに闇を見た。おそらく他人のキャッシュカードを挿入し現金を引き出したのであろう。


 法の眼は家電量販店のトイレの洗面台下部の扉がついた収納棚の中に、テレビが隠されているのを見た。おそらく機を待って外に持ち出すつもりなのであろう。


 無免ローヤーは街を駆ける。闇を追い、闇を祓うため、奇異の眼差しを向けられても、明日の講義の予習が滞っていても、どうしてこんなことをしているのか分からなくなっても、法科大学院の仲間を救うため、法の力を集めて、駆け抜けた。途中で疲れたので神崎たちと合流して、パチ屋で得た金でアイス食べたりなんかして、雑談して、その後もなんやかんやして、うろうろして、ぶらぶらして、それからやっと捜査を再開して、そして……


「見つけたぞ、駒沢!」


 どこかから拾って来たのであろう自転車に乗る駒沢の前に、水去が立ちふさがった。神崎と前原もいる、なのに駒沢は、余裕の表情を崩さない。


「水去……鈍間な奴だ……お前が俺を見つけるまでの間に、俺はこの自転車の占有を侵害したと言えるほど乗り回した」


「自ら罪を自白するとは、本当は迷ってるんだろ、駒沢。いや、怪人窃盗男!」


 水去がビシッと駒沢を指差す。「えっ、窃盗?」と神崎が驚きの声を上げた。水去と前原が頷く。そう、駒沢青年は怪人窃盗男なのである。


「窃盗罪は、財物の占有を保護しようする規定だ。パチ屋のゴト行為、食い逃げ、自動券売機からの硬貨の取得、ATMの違法な利用、店舗内トイレへのテレビの持ち込み、自転車の乗り回し、多種多様で一見別の犯罪に見えるが、これらは全て、占有の侵害に当たり、窃盗となる」


 水去がそう説明する。そこからさらに前原が、


「泥棒って言っちゃうと分かりにくいけど、例えばパチンコ屋で不正な力を使うことは、通常予定された遊技方法を逸脱するもので、管理者の意思に反してメダルに対する占有を侵害して、自己の占有に移したってことで窃盗になるの」


 と言葉を続けた。


「まあ、一口に窃盗と言っても、その中身はいろいろあるってことだ。きちんと保護法益を踏まえて、当てはまるかを考えないといけない。泥棒なんて雑なくくりではなく、法が定める構成要件に該当するかを考えないといけない」


 水去が、最後にそうまとめる。二人のレクチャーを無言で聞いていた駒沢が、そこで漸く口を開いて、「注文後に故意の生じた食い逃げは、確かに利益窃盗だが、利益窃盗は不可罰のはずだ」と言った。水去が駒沢を見据える。風が山から吹き降りて、次第に強まってきた雨を押し流し始めた。


「犯罪を厭わない怪人が、不可罰を主張するとはな。やはり、お前は迷っている」


「迷う? 違うな、これは余裕というものだ」


 駒沢の身体から闇が溢れて、怪人窃盗男に変貌した。


「領得物ゥ召喚、利用処分ッ……!」


 怪人窃盗男がそう呟くと、闇が空間にポータルを開き、中から一本のビニール傘が現れる。傘の柄には養生テープが巻かれていた。「あっそれ俺の傘じゃねえか! ちょっと前に盗まれたヤツ!」と水去が声を上げた。


「だったらァどうするゥ? 取り返すのかァ?」


 怪人窃盗男が傘に闇を纏わせ、水去に向ける。


「窃盗犯人からの所有者奪取が認められるかは学説によるが……いずれにせよ、法に代わって、救済する! 変身!」


 水去が六法をバックルにセットする! 光が溢れ、各種法律が鎧となって、水去青年は無免ローヤーに変身した! いつもよりちょっと遠い七兜山の山頂で、雨に負けじと火薬が爆発する!


「こいつだ!」


 無免ローヤーが六法を開き、条文に触れる。


【刑法二三五条 窃盗!

 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する!】


 六法が輝き、光の中から法が現れ、刀へと姿を変える。腰に法の刀を帯びた無免ローヤーが、腰を落とし、右手を柄に沿える。


 それに対し、怪人窃盗男は傘を開いて、天に掲げた。


「無免ローヤー! 一度敗れたお前にィ、何ができるというのだァ!」


「お前を救える!」


「俺はそれを望んでいないィ!」


 周囲の電線から電気が集まり、避雷針のごとく天を刺す傘の上で、闇と混ざる。黒く濁った雲立ち込める中空で、闇の電光が蜷局を巻く。パチンコ屋の時より、ずっと大きいエネルギー。「この攻撃がァお前に受けられるかァ? 喰らえッ、溢れんばかりの怒りをッ! 悲しみをッ! 絶望をッ!」怪人窃盗男が傘を振るい、闇と怒りに満ちた電撃が空間を穿ち降り注ぐ。


 急迫不正の侵害が無免ローヤーを襲う!


 雷速で迫りくる怪人の攻撃。視界一面に闇が広がる。避けることはできない、神崎と前原が背後にいる。しかし受け止めることもできないだろう。その威力は身をもって体感した。現前に迫る敗北の二文字。もはや結果回避可能性はなく、運命の因果は決定されたかに思えた……


 その瞬間、無免ローヤーはもう一つの条文に触れた。


【刑法二四五条 電気!

 この章の罪については、電気は、財物とみなす!】


 闇の閃光が周囲を覆う中、六法から溢れた光が、法の刀に流れ込む。無免ローヤーが刀の柄を、そっと握った。それから、たった一歩、しかし大地を割らんばかりの一歩で、力強くコンクリートを踏みしめ、刀身を抜き放つ。一寸の揺らぎもなく、美しい流線形が描かれる。


 法的抜刀術、応報ノ居合


 大・切・断!


 神速で振るわれた法の刀が、迫りくる闇の雷撃を、一太刀で両断した! 


 切られた電気エネルギーは、ほんの少しのジジジ……という音だけ残して、空中に散り消える。怪人窃盗男の持つ傘が、真っ二つになって地面に落ちる。翳さえ切り裂かれて、静寂が街を突き抜けた。


「な、何故だァァァァ!」怪人窃盗男が絶叫した。


「お前の攻撃は、周囲の電線から電気を領得する電気窃盗によるもの。電気は有体物ではないから、二三五条だけなら窃盗罪の客体にならない。だが、刑法二四五条がある。これにより、電気窃盗は犯罪になる。……正直、雷を切れるかどうかは賭けだったが、俺はその賭けに勝った! 観念しろ、怪人窃盗男!」


 無免ローヤーが敵に法の刀を向けて近づいて行く。しかしたどり着く前に、怪人窃盗男は崩れ落ちた。今度膝を折ったのは、駒沢青年の方だった。


「畜生ォォォォォッ! 畜生ォォォォォッ! また俺ばかりィ、俺ばかりが奪われるッ! 心もッ、望もッ、未来もッ、やっと得た力すらもッ!」


「なに? どういうことだ」


 無免ローヤーがそう尋ねると、湿り気の多い雨の中、怪人窃盗男が、うなだれたまま、ゆっくりと話しを始めた。


「俺はァ、かつて都の大学に通うエリートだったァ……」


「都の大学、だと?」


駒沢青年は、学部時代には都の大学に通い、主観的にも客観的にもエリートと言ってよい、将来を約束された学生だった。順風満帆な人生。自身に満ち溢れた毎日。しかしある時、彼はとんでもないものを盗まれたのである。


「ある時、大学でェ、俺はァ、一人の女性を見たァ……」


 彼女には比類なき偉大な力があった。そして彼女は美しかった。まるで、神様の子どもなんじゃないかと思うくらい、強く美しい存在だったという。


 駒沢青年は、彼女に恋をしてしまった。もう彼女のこと以外、何も考えられない。法律など手に付かない。キャリアなんて微塵も価値を感じない。何もできない、何もしたくない、ただ、彼女のことを思う以外は。


 語られる彼の言葉を、水去は何か思うところがあるのか、神妙な表情で聞いている。


「俺は心を盗まれたんだァ……盗まれた心をォ取り返そうとォ……俺は彼女にィ、交際を申し込んだァ……そして、振られたァ……」


「……」


「それ以降ォ、俺の人生は真っ暗だァ! もう何一つとしてェ、前向きなことができないッ! 役立つことができないッ! 何もできないィ……気づけば、こんな辺鄙な山の、くだらない法科大学院まで来てしまったァ。俺の望もォ、未来もッ! もう何も無いんだよォ」


「そうか……」


「何故ッ! 心はッ! 窃盗罪の客体にならないッ? 心を盗まれて、俺の人生は滅茶苦茶になったッ! 帰せェ! 帰せよ俺のォ! 俺の心ォ! 誰も助けてくれないだァ……法は、俺を救わないィ!」


「心は、財物じゃ、ないからな……」


「はッ! そう言うと思ったぜッ! 法ってのはいつもそうなんだァ、無味乾燥で、実質がないィ……他に大事なものがない空虚な法律家どもがァ、机上で好き勝手弄っているだけの言葉の羅列なんだよォ! 現実を生きちゃいねェ!」


「そうかもしれない、だけど……」


「だからッ、俺がァ、俺がこの力をどれだけ使ったってェ、現実を生きていない法律家どもは、微塵も興味はないだろうなァ! だったらッ、俺だってェ、好きに生きさせてもらうッ!」


 怪人窃盗男が立ち上がって咆哮した。全身から莫大な闇が噴き出し、周囲を汚染していく。無免ローヤーも、法の刀を構えた。


 打ち倒すため、そして、救うため、両者は駆け出した。


「無免ローヤー! 俺はァ、俺は全てを盗み全てを得る、その邪魔をするなァァァァ!」


「いくら窃盗を重ねたって、失った心は戻ってこないんだ! ここで、俺がお前を止める!」


 力の衝突。


 怪人の闇と、無免ローヤーの振るう、光に満ちた法の刀が、一瞬の内に、すれ違った。


 七兜山から吹き下ろす風が、残身の状態を保った二人の背中、その間にある数メートルの空間を突き抜けていく。その時、無免ローヤーが、腰の鞘に手を当て、法の刀をゆっくりと納めた。カチン、と金属が触れ合う音がした。


 雨が止んだ。


 ドガアアアアアアアアン! 怪人の闇の身体が爆発した!


 爆炎の中から、駒沢青年の姿が現れる。無免ローヤーが駆け寄って、彼を支えた。サングラスがぽつりと地面に落ちた。


「駒沢、お前の気持ち、俺は分かるよ。心を奪われることと、その重さ。なのに、現実は残酷で、無常で、理不尽なこと。法が、何も救済してくれないように感じることも……だけどさ、法が心に介入しないのは、心を保護するためでもあるんだ。法じゃ対応できない、対応しちゃいけないこともある。それは間接的だけど、法がお前の心を、ちゃんと尊重してるってことじゃ、ないのかな」


「水去……」


 二人の下に、前原が近づいてくる。


「大丈夫だよ、駒沢君。どれだけ絶望しても、どれだけ罪を犯しても、きっと立ち直れるよ。無免ローヤーが助けてくれたんだもの。私も、駒沢君と同じだったから、分かる。いつか、いつかきっと、失ったものじゃなくて、新しく得たものを見て、笑える時が来るから!」


 前原女生徒が、駒沢青年に微笑んだ。


 激しい衝撃と電撃が全身を貫いたかのように、駒沢青年は跳び上がった。「お、俺は、また心を盗まれたのか」そう言って、駒沢が前原の手を取る。「住所と電話番号を教えてくれないかっ!」「お前いくつ心があるんだよ!」無免ローヤーが駒沢の後頭部を叩く。「違うっ!」駒沢青年が激しく叫んだ。


「一度、戻って来たんだ……盗まれた心が……そう、心は取り戻せたんだ! そしてまた、貴方に盗まれたんだよ! そうか! 心は、心は取り戻せるんだ!」


 駒沢青年の興奮した声が、雨上がりの街に響き渡る。


 人生は、大体いつだって雨模様。暗くて、冷たくて、時には雷さえ落ちる。だけど、それでも、ほんの一時だけ、雲が消えて、青空に虹がかかることがある。その瞬間に空を見上げれば、もうちょっとだけ、生きてみようと思えるのだ。俯いてるばかりじゃつまらない。時には、上を向いて歩こう。


 七兜山には、虹がかかっていた。



次回予告

表現! アイデア! 二分論! 第九話「無免ローヤーって仮面ライダーのパクリじゃないの?」 大丈夫なのか? お楽しみに!

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