第6話 山降りて、街へ出よう

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 爆発炎上した下宿の後片付けをした無免ローヤー。要件事実バトルなどのハプニングに遭いつつ、神崎の家に引っ越した。とんでもねー広い部屋に分からせられたりもして……無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!



 昨日の予習をやっと終わらせた水去は、二十三時ごろ法科大学院自習棟を出た。「昨日の予習」というのは語義矛盾であるが、しかし法科大学院においてしばしば生じる事象である。一体どういうことなのか。


 法科大学院の講義は基本的にソクラテス・メソッドで行われる。ソクラテスといえば誰しも名前くらいは聞いたことがあるだろう、古代ギリシャの哲学者。あっちこっちで道行く人を捕まえては、面倒な質問を矢継ぎ早に繰り出し、相手が答えられなくなると、「お前は大事なことを何も知らない人間なんだよ」と無知の知(不知の知覚)を突きつけ恥をかかせるという、世界一有名かもしれない悪質な偏屈爺である。


 法科大学院はこの爺のヤリクチを採用している。すなわち、講師が生徒に質問をぶつけて答えさせ、対話の中で授業を進めるのだ。うむ、そう言われると、エキサイティングでインタラクティブな素晴らしい教え方に見えなくもない。


 しかし実際のところこのソクラテス・メソッド、対話、などという生やさしいものではなく、ほとんど講師による生徒の尊厳の蹂躙である。「本当に?」「それ条文に根拠あるの?」「ふーん、本当にそれが君の考えなんですか?」「君の妄想を聞かされても困るんですけど」「ちょっと君が何を言っているのか私には理解できないです」「そんなのも知らないって今まで君、何をやってきたの?」「君は法律が分かってない!」などのチクチク言葉を駆使して、生徒を追い詰めていくのが現代の産婆術なのだ。当てられた生徒にマイクが回って来て、そこから隣へ隣へとターゲットが移動していく様は、帝国陸軍で上官が兵卒を横一列に並べて「気合注入!」などと言いながら次々ぶん殴っていったのとそう変わらないであろう。


 受け答えの内容も成績評価の対象で、答えられなければ当然点数が下がり、下手を踏めば落第、原級留置、強制退学まっしぐらである。だから、ちゃんと予習しておかなければならない。


「じゃあこの行為が適法かどうかについて、重要権利利益実質的侵害説に基づいて説明してください」


 という質問が向けられた時、


〈じゅ、重要権利利益実質的侵害説ってなんだ? 初めて聞いたんだが……〉

 

 では困るのである。とにかく知識をつけておかないと絶句してしまって、講義室にブリザードが吹き荒れるので、法科大学院生は分厚い基本書やら何やらを開いて必死に予習するのである。……まあそこまでやっても〈初めて聞いたんだが……〉案件はしょっちゅう起きるのであるが。


 やっぱり量が膨大で、何も聞かれても大丈夫! といった完璧な予習は難しい。時間も気力も有限である。忙しいのだ。例えば昨夜も、水去は怪人と戦っていた。


【フハハハハァ! 俺は怪人準共有株式無断行使男ォ! 相続して準共有状態になった株式の持分過半数を有していることを奇貨として共有者間で協議せず勝手に権利行使者になって株主総会で議決権を行使し経営を混乱に陥れェ、会社を支配してやるのだァ! フハハハハァ!】


【ロクデモナイ奴だ! 変身! とうっ! この無免ローヤーが、法に代わって、救済する! お前のやっていることは……(中略)……権利濫用であって許されない! 喰らえ! 会社法八三一条に基づく株主総会決議取消アターック!】


【バカなァアアアアアァ! チュドーン】


 忙しくて予習なんかしている時間はないのだ。


 その結果、全然予習終わってないけど、「なんとかなれーっ」と講義に出席して、当てられないこと、当たるとしても予習できてる範囲の質問がくるのを必死で祈りつつ、極限まで影を薄くして講義が終わるのを待つ法科大学院生もいるのである。全然知識は身に付かないが、胆力は鍛えられるであろう。慣れれば、話の内容を欠片も理解できていないのに、涼しい顔して座っていられるようになる。


 とはいえ知識というのは積み重ねなので、予習せずに運よく今週を乗り切ったとしても、来週困ってしまう。前回の講義の内容を理解していなければ、今回の講義は分からない。じゃあ、前回できなかった予習から始めなきゃ……ということになり、「昨日の予習」などという意味不明な言葉が生じるのである。困った話だ。


 「なんとかなれーっ」が上手くいっても、次回の負担が増えるだけである。当然、急に時間が増えたり優秀になったりするわけではないので、また予習が終わらず「なんとかなれーっ」をすることになる。そうやって綱渡りを続けていると、予習しなきゃいけない範囲は雪ダルマのごとく膨れ上がっていく。複利で利子でもついてんのか? と言いたくなるくらい加速度つけて積み残しが増え、あっという間に首が回らなくなり、多重債務者に転落するのである。いずれ講義の中でマイクと共に引導を渡され、破産することになるだろう。


 悲しき阿呆学生の水去は多重債務者であった。それで今日も、夜遅くまで返済に苦しんでいたのである。やっと終わりの目途が立って(終わったとは言ってない)、懲罰房を出ると、外は彼の身上を表すがごとく土砂降りであった。傘立てを見る。


 持ってきていたビニール傘が無い


「ああっ、また盗まれたのか!」


 柄の部分に目印として黄緑色の派手な養生テープを巻いて、「MINA」と名まで書いておいた傘が盗まれていた。今月二回目。法科大学院における盗難の噂は絶えない。法律家を目指す人間が泥棒するのはどうかと思うが、皆ストレスで頭おかしくなってコモン・センスを喪失しているのかもしれない。ちなみに水去は法科大学院入学三日目で傘を盗まれ被害者になった実績がある。貧乏な彼には五百円の出費でも痛い。


「ちくしょう、使用窃盗なら不可罰だとでも思ってるのか? ふざけやがって……」 


「あれ、水去君、こんなとこで何ぶつぶつ言ってんの? 使用窃盗ってなに?」


 声の方を見れば、高級そうな傘を差した神崎がこちらを見ていた。顔が赤い。


「お前こそ何をやってたんだ?」「研究室で教授と酒飲んでた」「酒っ……お前、学部の二年生だよな?」「そうだけど?」「それで教授と酒盛りって、どんなコミュ力だよ……」「えー、いい人ばっかりじゃん」「お前は赤原を見てもなおそれが言えるのか?」「水去君がビビりすぎなんだよー」「あーあー、人から好かれる体質の人間は、人生楽しそうで羨ましいですねええええ」


 嫌味を言う水去を無視しつつ、神崎が、「傘ないなら入る? それか、タクシーでも呼ぼうかな? 山の上だから、来るのにちょっと時間がかかるかもしれないけど」と言う。そのけろりとした善意に水去は内心慄きが止まらなかった。


 水去が神崎宅に引っ越して、はや数日が経っていた。


 大学を出て、雨水がじゃぶじゃぶ流れる坂を登りながら、二人は並んで神崎宅に向かう。夜は猪がよく出没するので気を付けなければならない。夜遅くまで勉強している貧弱な法科大学院生がよく突撃されるのである。うりぼーにも不用意に近づいてはいけない。


「ところで、さっき言ってた使用窃盗ってなんなの? 怪人に関係あったりするのかい?」


「えっ、それそんなに気になるのか? うむ、説明が面倒くさい。俺は疲れてるんだ」


「なんだよー。ボクは君に住居を提供してる。君はボクの研究に協力する。ギブアンドテイクの関係だろ? ちゃんと説明してくれよ」


「……なるほど、双務契約ってわけか」


 神崎の要求に、金持ちの暮らしを享受している水去は頷くほかなかった。


 そんなことをしていると、いつの間にか神崎宅に辿り着いていた。デカい玄関を抜け、リビングでリュックサックを置き、中から刑法の参考書を取り出してチラ見しつつ、水去が説明する。


「窃盗って何となくわかるだろ? ざっくり言えば泥棒だ。で、使用窃盗ってのは、他人の者を無断でちょっと使って、元の場所に戻しておくことだ。ペンとか自転車とか、そういうのを考えればいい。使用窃盗は不可罰、つまり罰せられない」


「えっ、罰せられないの? だって、勝手に使ってるのに?」


「厳密にいえば権利者排除意思がないからという説明になるんだろうが、まあ、大した悪行じゃないからいいよ、ってことなんだろ」


「なんか、割と緩いんだね。それに、無断使用するのが窃盗になるというのも、不思議な感じだ」


 神崎がそう言うと、水去は疲れ切った顔で欠伸して、「まあ、そんなギチギチに法が出張ったら、生きづらいだろ」と答えた。


 ○


「パチンコ?」


 水去が食パンの耳をもそもそ齧りつつ、素っ頓狂な声をあげた。


 昼、大学のベンチで水去が一人飯を食っていると、前原女生徒がやって来て、なんと水去に話しかけてくれたのである。初対面の時は愛想良くしてくれても、それ以後の関係を続けてくれる人はそういない。水去は食パンの耳をモグモグしながら、内心とても感動していた。前原は、ベンチ横の自販機でおしるこを買いつつ、彼との話を続ける。


「うん、パチンコなんだけど……というか、水去君、お昼ご飯、パンの耳なの?」


「えっ、いやっ、まあ、お金持ちヤローの神崎様が、嫌い、とか言ってパンの耳食わねーから、俺が貰って集めてまして。あっ、俺、神崎の家に引っ越したんだよね。アイツ金持ちだから家にゲストルームがあって……」


 水去のなんだか情けない答えに、前原はニッコリ微笑んだ。「私も、前にパン屋のアルバイトしてた時、よく貰ってたな」優しい受け答え。素適な笑顔。そうして彼女は、水去のすぐ隣に腰かけた。一つのベンチに、水去と前原。距離が近い。神崎がいなくて二人きりなせいか、どうも緊張して、あ、ああ、あー……「あっ、それでっ、パチンコってのは?」と、水去が上擦った質問をする。


「うん、私、今パチンコ屋でもアルバイトしてるの」


「へえー。よく分かんないけど大変そうだね、凄いなぁ」


「体力的にはそこまでかな、ちょっと変わった職務内容だし。あんまり好きじゃないけど、お金払いがいいから。それでね、最近、パチンコ屋に……怪人が出るの」


「怪人!」


 水去がハッと顔を向けると、彼女の黝色の眸が、彼を見つめていた。

おしるこがスっと差し出された。


 ○


「……と、いうわけで、俺たちは今、三十分ほど山を下って、街へ出ようとしているのだ」


「なるほどね! おしるこで買収されたわけだ。この雨の中、靴下濡らして下山して……随分格安のヒーローだなー」


「仕方ないだろ、傘買ったせいで金無いんだから。バスにも乗れねーもん」


「まあ、ボクは研究になるからいいんだけどさ、なんか心配になるよ。キミ、いいように使われてるんじゃないの?」


「俺が? 前原さんに? 馬鹿野郎。彼女、この一件が終わったら、一緒に自主ゼミやろうって誘ってくれたんだ。俺は、感動したよ。なんてステキな響きなんだろうと、自主ゼミ、自主ゼミ……そんなのやってくれる人は、今まで一人もいなかった……」


「何言ってんの? ……うーん、キミって、ホントに友達いなかったんだねー。ま、ヒーローは孤独なものだけどさ」


「ヒーローだから孤独なのか、孤独だからヒーローなのか……」


 水去がさも意味ありげに、特に意味のないことを呟いた。隣で歩く神崎は、スマートフォンで近くのパチンコ屋について調べている。段々街に近づいてきて、自動車も走り始めた。トラックが車道を通り過ぎていく度に、霧のような雨が頬を濡らす。


「で、どういう怪人なの?」


「なんか、パチンコ屋で怪しい行為をしているヤツがいうとかなんとか。そいつが異常に勝つから、前原さんのバ先の経営が危ないんだとかなんとか」


「怪しい行為って何さ?」


「あー……ゴト行為とかじゃね?」


「何それ」


「知らん」


 貴重な若者の時間を(水去はもう若くないかもしれないが……)そんなくだらない話で浪費しつつ、山を下れば、七兜山の麓、難舵町に辿り着いた。別に大きい街ではないが、それでも、店があり人がいて繁華街がある。山の暮らしとは大違いだ。七兜山に住む七兜大生は、毎日山の上からこの街を見下ろしては、「しゃ、娑婆じゃあ、娑婆が見える、ああ、暮らしが、人の暮らしが……う、うう……は、はやく卒業して、こ、こんな山、出て行ってやるぅーっ!」と、光に手を伸ばして、決意を新たにするものである。


 もちろん、難舵町からバイクなりバスなり登山なりで通っている学生もいるのだが、この難舵町、近くにそれなりの地方都市があるせいで、妙に家賃が高い。水去のようなビンボビンボの貧乏学生には手が届かないのである。逆に言えば、山の上に住んでいるのはお金に余裕のない学生たちということになるので……みんな、生活の不如意から心が荒んでいるのかもしれない。神崎や高齢化著しい地元住民のような例外を除き、七兜山は貧して鈍している。


 と、まあこんな感じで、七兜山での暮らしは酷いもの……とはいえ、街には街の問題もあったりして……


「うわっ」


「おおっ? 兄ちゃん、邪魔や! ドコ見とんねん! 謝らんかい!」


 街の様子を写真に収めていた神崎に、ガラの悪いチンピラが絡んだ。しかし、水去は見ていた。カメラを覗き込む神崎の背後、チンピラが足早に歩いてきて意図的に肩をぶつけたのを。


「あ、すみませんね」ちゃんと謝る神崎。


「おお、謝ってくれるんか。ええ奴やんけ。ところで兄ちゃん、詫びついでにカネ貸してくれへんか? そっちの隣の暗―い奴でもえんやけど、お前はカネ持ってなさそうやなぁ」


 チンピラにすら馬鹿にされ、水去は深いため息を吐く。


「まあ、確かに金は持ってないが、持ってたとしても、お前に貸す金は無い」


水去が神崎とチンピラの間に割り込んで、毅然とした態度で答えた。


「ああ? なんやねんその態度」


「消費貸借は断わる!」


「ナニ言うてんねん!」


 チンピラの右ストレートが水去の頬を襲った。ぶん殴られた。


 六法閉じて、街へ出よう。しかし、街は危険でいっぱいだ。ヒーローだってチンピラに殴られる。治安はドーなってんだい! と思わないでもないが、容赦なく襲いかかる急迫不正の侵害に、どうする水去! どうする無免ローヤー!



次回予告

技術! アイドル! サングラス! 第七話「衝撃と電撃のパチンコ」 お楽しみに!

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