第5話 漁ろよ! 水去の私物

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 怪人登記女を倒した無免ローヤー。赤原教授に詰られ、前原女生徒を泣かせて、下宿は吹っ飛んでしまった! だけど、ヒーローは受忍するしかない! 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!



 水去と神崎は、焼け跡を眺めていた。


「水去君、遡及ってなんなの?」


「うん? 遡及ってのは、文字通り遡って及ぶってことだ。無免ローヤーが倒した怪人の行為は、過去に遡って無かったことになる。被害も、洗脳も、全て。警察に任せず無免ローヤーが戦う意味はここにある。遡及効ってやつだ」


 前原女生徒を励まして、山を下りるバスに乗せ、彼女を見送った後、二人は山を登って、怪人登記女との戦いの地、水去の下宿跡に来ていた。


「それが、無免ローヤーの力……でも、キミの下宿は吹き飛んだままだけど」


「怪人を倒した時の爆発は、怪人の行為に含まれないんだよ。だから無免ローヤーの力じゃ消えないし、原状回復もされない。俺の過失だ」


 焼けたベニヤ板や書籍の間を、風が吹き抜けていく。七兜山は荒涼としていた。


「ホームレスになっても耐えなきゃいけないなんて、ヒーローは辛いねー」


「ん……無免ローヤーとして戦う以上、何があっても受け入れるって、覚悟はしている。あとそれ、前原さんには言っちゃ駄目だぞ」


 神崎が隣の水去を見る。


「何でさ?」


「倒された後が、やっぱり一番辛いんだよ。みんな、法科大学院生だからな。いくら絶望して怪人化してたとはいえ、いくら全部元通りになるとはいえ、自分が違法行為をバンバン働くような人間だって思うと、落ち込むもんだ……今、前原さんにホームレスだなんて言ってみろ。罪の意識で自宅を明け渡しかねない。特に、彼女は不動産系の怪人だったし……ホントは、倒した時も、俺の下宿が! なんて叫んじゃいけなかったんだ。反省してる」


「なるほどね」


「しかしまあ、ホームレスになったのは事実だ。これからどうしたもんかな……」


「頼れる人とか、いないのかい?」


「……いないな」


 そう言って、水去は黙り込んでしまった。睫毛が下がって、視線を隠す。神崎も前を向いて、戦いの跡に目を向けた。ぼろぼろで、黒焦げで、何の報賞も残っていない、空虚な光景だった。「そっか、じゃあ水去君、ボクのウチに来なよ」神崎がそう呟いた。


 水去が不審そうに首を傾げる。


「えっ……いや、何故そんなことを?」


「ボクの下宿、一軒家、7LDKだからね」


「7LDK⁉」


「広すぎて持て余したし、君がいれば研究が捗るからさ」


「いやっ、しかし、お前と暮らすのはなぁ……」


「なっ、もーっ、何だよ! 燃えた君の下宿は、ウチの会社が買い取ったものなんだからね? あーあっ、損害だなぁ。神崎グループがちゃんと対応しないと、あの大家さんにも迷惑をかけることになっちゃうなぁ。どうしよっかなぁー」


「あ、あんなボロ小屋に大した財産的価値ないだろ……おい……ちょっと……なんだよ……あー! もう! なに笑ってんだお前! 分かったよ! 住んでやるよ! その代わり、今から大家さんに説明と謝罪に行くから、お、お前も来るんだぞ!」


「オッケー! これで研究が捗るよ!」


 神崎の笑顔を見た水去は、与えられた親切と変化に戸惑いながら、曖昧に笑い返した。


 ○


「うわっ、これは生き残ってたかっ……」


 大家への説明と謝罪を終えて、焼け跡から生き残った書籍類を救出していた水去の下に、向こうで電話していた神崎が戻って来る。「なに? なに? なんかあんの?」と好奇心旺盛、目をキラキラさせながらカメラをかまえている。


「あっ、いや、何でもないぞ」


 水去が隠そうとしていたのは、古惚けて黄蝕んだノートだった。表紙には乱雑に、詭弁的三段論法、と書かれている。水去は目を逸らして作業を再開しようとする。神崎が「ねえ」と話しかけても聞こえないふりをしている。


「家賃無料の7LDK」


「なっ」水去が振り向いた。


「ボクの研究に協力するのが君の義務だろ?」


 神崎の反論を受けて、水去はしばらく押し黙っていたが、やがて、口を開いた。「ちょっとな……妙な物品なんだよ」「へえ! 妙、とは?」神崎の問いに、水去はまた黙り込む。日が沈んできていた。夕陽が焼け跡に、くっきりと陰影を刻む。ななえる……と神崎がまた言いかけた所で、水去が「法的三段論法」と言った。


「法律を使う時は、基本的に法的三段論法で考える。つまり、まずこういう条文があって、これはこういう意味で、こういう効果があります、と規範を示す。次に、今ある具体的な事実はこの条文に当てはまりますよね、と指摘する。最後に、なら法律によってこういう結論になりますね、と言うわけだ」


「何となく意味は分かるよ」


「これは『詭弁的』三段論法ノートだ。ページの上の方に問題状況を、最後の行に結論を書き込むと、文字が浮かび上がってきて空白を埋める。ノートが自動で規範定立、あてはめをしてくれるんだ。で、面白いのは、絶対に結びつかないような矛盾する問題提起と結論を書き込んでも、このノートは異常な論証でムリヤリ論理を構成して結びつける」


「う、うん……?」


「俺は何故か大丈夫だけど、この狂った論証を法律かじった人間に見せると、ウッと怯むんだ。閃光弾を喰らったみたいにな。あまりに異常な論理展開だから、脳が理解を拒絶するんだろう。だから、怪人に襲われた時の護身アイテムになる」


「はっ? えっ、ちょっとよく分かんないんだけど」


「俺にもよく分からん」


 そこまで説明して、水去はまた焼け跡漁りに戻ってしまった。空虚な七兜山の静けさが辺りを満たす。神崎はどうにも困ってしまって、薄ぼんやり呆けたままだった。


 水去がくしゃみをした。ハッ……と神崎の意識が肉体に戻る。


「あ、じゃ、じゃあさ、これは?」


 神崎がカードの束を拾い上げた。


「あっ、それに触っちゃ駄目だ!」


「うわっ!」


 驚いた神崎がカードを放り出した瞬間、ファンファーレが鳴り響いて、『要件事実バトル! スタート!』という謎の音声が再生された。カードが三枚、空中に浮いて輝き、全長百八十センチメートル程度の、丸っこい怪物が三体現れた。


「ヤバいっ」


 水去が焼けて崩れた壁を飛び越えて、六法をバックルに装着する!


「変身! 法に代わって、救済する!」


 光が彼を覆い、無免ローヤーに変身した! 無機質な複眼が鈍く光り、敵を見据える。


 唸り声を上げて向かってくる三体の怪物に対し、無免ローヤーが「抗弁する!」と叫ぶと、別のカードが彼の手元に飛来して、一本の剣に代わった。素早く掴んで構えると、飛び掛かってきた一体に、「履行期限!」と叫んで、すれ違いざまに切り伏せる。「弁済!」とさらに一体を倒す。最後の一体には「通謀虚偽表示!」と叫んで脳天からぶった切ると、現れた三体の怪物は靄になって消えた。『ユー、ウィンッ!』と謎の音声がまた響いた。


 無免ローヤーが変身を解いて、水去の姿に戻る。ふうう、とため息を吐いた。


「今のは、要件事実カードバトルセットだ。御覧の通り、不用意に触れると怪物が出てくるから、気を付けてくれな」


 さすがの神崎も唖然としてる。


「な、なんでこんなマジックアイテムめいた物を持ってるのさ……」


「うーむ。無免ローヤーでないと対応できない物が多いからかもしれない。マジックアイテムというより、呪いの品々って感じだしな。ホントに呪いだよ。ちゃんとした教科書や判例集は全部燃えて、こんなんばっかり生き残ってんだから。俺は明日からどうやって勉強すればいいんだよ。あーくそ……」


 そう言って、水去はまた焼け跡漁りに戻ろうとする。それを神崎が慌てて止めた。


「ちょ、ちょっと待ってよ! こんなのが沢山あるなら、話は変わってくるよ! ボクの研究内容も見直さないといけない!」


「えっ、これそんなに面白いか?」


「そりゃあそうでしょ!」


「ほーん、なら、えーと……」


 水去は、黒焦げの中から一冊の黄色い本を引っ張り出した。古びているが状態は良く、表紙に「手形法」と書かれている。ほれっ、と言って水去が投げて渡した。


「呪いの教科書だ。通称、夢淫魔の空手形」


「サッキュバスの、からてがた……?」


「読むとエネルギーがどんどん吸われてあっという間に眠ってしまう手形法の教科書だな」


「読むとエネルギーを吸われる……」


「で、これを読みながら寝ると、夢の中に超絶タイプの理想の相手が現れて」


「現れて……」


 緊迫した空気で、神崎の喉がゆっくり動く。


「ひたすら手形法を読み上げ続ける」


「ひたすら手形法を読み上げ続ける⁉」


「それも、こう、宇宙人みたいな話し方というか……手形法って条文の仮名遣いがカタカナのままになってて、あー、ゴホン……為替手形ニ依リ請求ヲ受ケタル者ハ振出人其ノ他所持人ノ前者ニ対スル人的関係ニ基ク抗弁ヲ以テ所持人ニ対抗スルコトヲ得ズ但シ所持人ガ其ノ債務者ヲ害スルコトヲ知リテ手形ヲ取得シタルトキハ此ノ限ニ在ラズ……みたいな感じで」


「はあ……?」


「で、最後の九十四条まで読み上げられると目が覚める。そういう一品だ」


「???????」


 それで説明責任を十分に果たしたと判断したのか、水去は焼け跡漁りを再開した。


「ちょ、ちょっと待ってよ! こういうのって、怪人の仕業なの?」


「知らん。俺が無免ローヤーをやってると聞きつけた某法律研究部の奴が、不気味だから引き取ってくれって持ってきたんだ。なんでも、部内で代々祀られてた基本書らしいぞ」


「なんでこんな本を祀って……?」


 水去が手を止めて、少し哀しそうに目を伏せた。


「……その昔、いや、今もかもしれないが、いつまでも世間に出ずに、司法試験のお勉強をしている人間は、無職無能の社会の屑として蔑まれていた。少しでも彼ら彼女らの社会的地位を上げるために作られたのが法科大学院だが、まあそれはいい。で、もしかしたらこの本は、かつて嘲笑と迫害が酷かった時代の、名残なのかもしれん。誰かから受け入れられたくて、モテたくて、だけど法律以外のこと、例えば性的交渉のことなんかは全然よく分かんなくて、そんなモンモンとした無念が、こういう形で具現化した、とか、な」


「そんなことが……」


 水去はもう何も言わずに、黙って本を掘り出し始めていた。気色悪い教科書を持たされて立つ神崎は、その寂しい背中を見つめた。遠くでカラスが飛んで、夕日が染みだらけになっていた。


「ま、こんなもんだな。焼けちゃったのもあるし、俺もコレクターってわけじゃない。片付けの目途も立った。そろそろ行こうぜ」


 しばらくして振り返った水去が、神崎に声をかける。それから大きく伸びをすると、カラスがギャーッと鳴いた。神崎は不思議そうに呪いの教科書を眺めていたが、突然「ああーっ」と声を上げて、水去に目を向けた。


「な、なんぞや急に」


「水去君、さっきお経みたいに長い法律をスラスラ諳んじてたよね! もしかして君、この本けっこう使ってるんじゃあないのぉー?」


「はっ? いやっ? そんなことないがっ? 俺が手形法十七条を暗唱できるのは、俺がちゃんと手形法を勉強してるってだけなんだがっ?」


「ねーねー、君の夢にはどんな人が出てくるんだよー、理想の相手なんだろー? 教えてくれよー、うりうりー」


 神崎が隣で肘を当ててくるのを払いのけつつ、水去は残された数少ない財産を風呂敷で包んで、かつての棲み処に背を向けた。隣には神崎がいて、二人並んで歩き出す。七兜山の急坂を二人で登る。黄昏時のしめっぽい闇が降り注いでくる。


 ふと水去が足を止める。神崎は少し進んだ所でそれに気付いて、振り返った。雲が流れて、最後の夕日が刺すように飛び込んできた。水去は目を細めて、坂の上の友の姿を見上げた。


「ああ、そうだ、神崎。俺が矢を受けて倒れてた時、守ろうとしてくれて、ありがとうな」


「なに言ってんの、水去君、そんなの、お互い様だろ!」


 二人の上を、七兜山の風が翔けぬけていった。どこか、嬉しい予感がした。


 ○


 ちなみに、神崎の下宿はトンデモナカッタ。


 門があり庭があり、その先にある7LDKの彼の下宿は、どう考えても学生が一人で住む家ではない。まあ、厳密には下宿ではなく、大学進学にあたって彼のために新築された住宅なのである。ふざけた話だ。玄関の広さや廊下の幅だけで、これまで水去が住んでいたボロ小屋を圧倒している。デカいテーブルにデカいソファー、デカいテレビやデカい本棚、広々としたキッチン、床暖房もあるし、食洗器もあるし、エアコンもあるし、風呂にはバカでかい浴槽があるし、トイレにはウォシュレットがついているし、大きな洗面台もあるし、お湯の温度はリモコンで管理できるし……いや、それだけではない、なんと! 洗濯機が屋内にある! 惨めな暮らしに慣れ切った水去には眩く輝くような家であった。一番隅の、一番狭いゲストルームを借りて、風呂敷包みを床に置くと、あんまり快適すぎるものだから、かえって緊張で吐き気がするほどだった。仰いだ天井は途方もなく高かった。


 みじめである。


 自分の持っているヘンテコな品々など、神崎の財産の前では吹けば飛ぶようなものだった。なんだ、詭弁的三段論法ノートって、そんなのが何の役に立つ? ふざけるな! 広いキッチンに比べたら、要件事実バトルカードなんて紙屑じゃないか。ふざけるな! 夢淫魔サッキュバス空手形からてがた? 中二っぽい名前で格好つけてもただのゴミ、高級マットレスと空調設備があった方がよく眠れるに決まってるだろ! ふざけるな! なんてこったい! い・け・な・い・よ!


 金持ちっていいな、と分からせられてしまった水去であった。



次回予告

雨降り! チンピラ! 繁華街! 第六話「山降りて、街へ出よう」 お楽しみに!

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