6話 運命の相手

「レオナルド殿下、そういう理由ですので、申し訳ありませんが……」




 紳士科の校舎の中で、アダンは豊かな黒髪の頭を深く下げる。


 そしてファビオラから言われた通りの口実を伝え、レオナルドの誘いを断った。


 無礼だとお叱りを受ける内容だが、学生の本分は勉強にある。


 レオナルドが王太子であろうと、ファビオラが生徒である以上は、学業を優先させるべきなのは揺るがない事実だ。




「そうか。では、頑張って欲しい、と伝えてくれ」




 穏やかな笑みを浮かべ、アダンのこともファビオラのことも、レオナルドは責めなかった。


 その言葉に、アダンはホッと肩から力を抜く。


 レオナルドの背後に控える、将来の王太子側近候補たちからは、不敬であるとの鋭い視線が飛んできたが、それは流れるように無視した。


 母パトリシアの指導のもと、すでに大人に混じって領地経営に携わっているアダンにとって、10代の少年らが放つ圧などたかが知れている。


 


「御前を失礼します」




 きれいなお辞儀をして立ち去るアダンの後ろ姿を、レオナルドはしばらく見つめた。


 12歳にしては落ち着きがあり、身なりも整っていて、作法も適っている。


 表情を取り繕えない側近候補たちの方が、よほど幼いのではないか。


 しかし、レオナルドの考えは、そこにはない。


 


(ファビオラの髪色とは、まるで似ていないな)




 レオナルドは王城で、ファビオラの父トマスを、何度か見かけたことがある。


 やや白髪が混じっていたが、艶のある豊かな銀髪だった。


 ファビオラは間違いなく、トマスの血を色濃く継いでいる。


 


(数代前の王女が降嫁し、グラナド侯爵家は王家と縁続きになった。神様に愛される銀髪の持ち主は、今や王家だけの存在ではなくなっている)




 レオナルドは脳裏に、ファビオラの美しい銀髪を思い浮かべた。


 春のそよ風にたなびく様子も、複雑に編みこまれた様子も、白いうなじに影を落とす様子も。


 


(10歳で亡くなった双子の妹ラモナと同じく、ファビオラも神様に目をつけられているだろう。だからこそ、僕が護ってあげないといけないんだ。可哀そうなラモナのように、神様のもとへ連れて行かれてしまう前に――)




 14歳のレオナルドは、ファビオラと初めて出会った『17歳』の頃を回想した。


 


 ◇◆◇◆




 そのお茶会には、レオナルドの婚約者候補たちが集められていた。


 きれいに着飾った年頃の令嬢たちは、嬉々としてレオナルドを取り囲む。


 だが、どの令嬢の瞳の奥にも、あわよくば、という考えが透けて見えた。


 レオナルドは嫌気を感じて、半ばでさりげなく場を辞する。




 そして逃げた先で、輝く銀髪のファビオラに出会ったのだ。




「ラモナ……?」




 最初、レオナルドは人違いをした。


 10歳のときに死に別れたはずの、双子の妹の名を呼んでしまう。


 それほどファビオラの銀髪は、天使に例えられたラモナと瓜二つだったのだ。


 


「オーズ、ではないわね?」




 振り返ったファビオラもまた、レオナルドに誰かを重ね見たようだった。


 しかし違うと分かると慌てて立ち上がり、非礼を詫びてくる。




「王太子殿下に対して不躾でした、申し訳ありません」


「いや、いいんだ。君も今日のお茶会の参加者かい?」


「はい。グラナド侯爵家より参りました、ファビオラと申します。……少し涼みたくて、こちらへ足を伸ばしていたのです」




 ファビオラの腰かけていたベンチの後ろには、細かな飛沫を上げる噴水がある。


 会場の熱気に辟易していたのは、レオナルドだけではなかったのだ。


 親しみを覚えたレオナルドは、ファビオラへと近づく。


 


「僕もここで、休ませてもらっていいかな? 静かな場所を探していたんだ」


「もちろんです。こちらの席は、王太子殿下へお譲りしますわ」




 そう言って、ファビオラが去ろうとしたのを、レオナルドは慌てて止める。




「できれば、君と一緒に過ごしたい。その……亡くなった双子の妹に、よく似ているんだ」


 


 レオナルドの視線が、ファビオラの銀髪に向けられる。


 よほど懐かしいのだろう。


 その瞳はうっすらと、潤んでいるように見えた。


 納得してファビオラは頷く。




「お邪魔じゃなければ」


「ありがとう。感謝するよ」




 それからレオナルドとファビオラは、しばし歓談した。


 主にレオナルドが話したのは、ラモナとの思い出ばかりだったが、ファビオラは嫌な顔をせずに聞いてくれた。




(ラモナの親友だった、従妹のエバとは大違いだ。僕がラモナを思い出すたび、いつまでも死んだ人を恋しがるのはおかしいと怒る。……片割れがいなくなった喪失感は、いくら時間が流れても埋まらないのに)




 あまりにも銀髪を愛おしそうに眺めるレオナルドに対し、ファビオラは寛容にも銀髪に触れることを許してくれた。


 そうするうちにレオナルドは、己の心寂しさが、ファビオラによってじんわりと温められていくのに気づく。


 


(ファビオラに婚約者候補たちのような嫌悪感を抱かないのは、髪色がラモナと同じだからだろうか?)




 エバも含めた数多の令嬢に対して、あまりいい感情を持っていないレオナルドだが、ファビオラにはむしろ惹かれる。


 ファビオラからはレオナルドの地位を利用しようとする思惑が感じられず、慰めや労わりといった気遣いがあるばかりなのが良かった。




(もしかしたらファビオラとの巡り合わせは、ラモナの導きなのかもしれない。ずっと僕は、死別したラモナを忘れられなかったから……)




 レオナルドは双子の妹のラモナを、生まれたときから盲目的に愛していた。


 お花畑にいる妖精のような外見も、真っ白で無垢な汚れなき内面も。


 突然の事故によってラモナの命が儚くなるまで、レオナルドはいずれラモナと結婚したいとすら思っていた。




(血の繋がった兄妹では結婚ができない。でもファビオラならば可能だ。僕がどれだけ愛を注いでも、許される存在――ファビオラが欲しい)


 


 つかの間の逢瀬が終わる頃には、レオナルドはすっかりファビオラを、運命の相手だと認識していた。




 ◇◆◇◆




 『17歳』のお茶会は、レオナルドが席を外している間に多くの令嬢が帰ってしまい、早々にお開きとなったらしい。


 その夜、父ダビドから「誰か気になる子はいたか?」と聞かれたレオナルドは、ファビオラを王太子妃にしたいと宣言する。


 そうしたレオナルドの強い希望もあり、ファビオラは最終段階まで婚約者候補として残った。


 


(横領の一件さえなければ、僕の婚約者は、間違いなくファビオラに決まっていた)




 その日を、今か今かと待ち望んでいたレオナルドだったが、事態は急転してしまう。




 牢に繋がれたファビオラを逃がすために、レオナルドはモニカという身代わりを使うしかなかった。


 家族の無念を晴らしたい、冤罪に決まっている、モニカの弟に申し訳ないと泣き叫ぶファビオラを、レオナルドは秘密裏に用意した屋敷で1年以上軟禁した。


 そしてその間に、レオナルドの婚約者は、アラーニャ公爵令嬢のエバになっていた。


 せっかく助けたファビオラだったが、公にレオナルドの妃にすることはもうできない。


 罪人が生きているのがバレてしまえば、悲惨な方法で殺されてしまうからだ。


 


(それだけは、避けなくてはならなかった。入念に人目からファビオラを隠し、僕だけが密やかに愛でるつもりでいた。だから――まさかファビオラが首を吊るだなんて、考えもしなかった)


 


 しかし、レオナルドはファビオラの自殺について、少なからず疑問を抱いている。




(屋敷内に、あんな無粋なロープなどなかったはずだ。ファビオラの身の回りの調度品はすべて、僕が用意したのだから分かる。誰かが、あれを持ち込んだのだ。そして、その者がファビオラに死を唆したか、もしくは直接ファビオラを手にかけたのだろう)


 


 炎が煽られるように、レオナルドの感情が揺れる。


 


(王家を継ぐ者が、神様の恩恵で時を巻き戻せるのは一度きり。今回こそ、ファビオラを護り抜いてみせる)




 グラナド侯爵が罪に問われる前に、ファビオラを正式に婚約者にしてしまおうと思ったが、アダン経由で持ち掛けた顔合わせの機会は断られてしまった。


 出端をくじかれたが、それでこそファビオラだ、とレオナルドは感じる。


 以前だってファビオラは、ひらひらと舞う銀色の蝶々のように、レオナルドの虫網をかいくぐり続けた。


 それまで追いかける悦びなど、知らなかったレオナルドだったが――。


 思い出し笑いに口角が持ち上がる。


 


「またしても、大人しく捕まってはくれないんだね、僕のファビオラ」




 楽しげなレオナルドの独り言に、無能な側近候補たちは気づかない。


 出会う前から避けられていると思いたくないが、なぜかファビオラは淑女科から商科へと移動している。


 華美な装飾のない商科の校舎は、上位貴族が通う紳士科や淑女科から最も遠い場所にある。


 なんの理由もなしに、レオナルドが商科の校内をうろつくのは不審だった。




(13歳のファビオラに会ってみたいな。どうやったら、その姿をこっそり覗けるだろうか。いや、屋敷にロープを持ち込んだ人物を探るのが先か――万が一のことを考えて、あの屋敷を再び手に入れておこう)




 こうしてファビオラの包囲網は、徐々に敷かれていくのだった。

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