2話 『知っている』

「お嬢さま、お目覚めですか?」




 ファビオラが予知夢の内容を思い返していると、侍女のモニカが寝室へ入ってきた。


 学校に遅れないよう、朝はいつも決まった時間に起こしに来てくれるのだ。


 しかし先ほどまで見ていた夢の中では、ファビオラに似せた銀髪のかつらを被り、モニカは身代わりとして絞首刑となった。




「モニカが……生きてる」


 


 うっかりこぼしたファビオラの言葉を拾い、モニカが肩をすくめてクスリと微笑んだ。


 それに合わせて、顎のラインで揃えられたオレンジ色の髪が揺れる。


 


「怖い夢でも見たのですか?」


「ええ、多分あれは――」




 夢の中でファビオラは、あの男の子と過ごした日から、殺されて世を儚む日までを体験した。


 これが予知夢だとしたら、待ち受ける危険を回避しなさいという、神様の警告に違いない。


 だから、ファビオラは考えた。


 どうしたら、家族とモニカを絞首刑から助けられるのか。


 どうしたら、王太子レオナルドに監禁されず、アラーニャ公爵令嬢エバに殺されずに済むのか。




(――悲劇の始まりは、間違いなくあの日だった)


 


 それは、王家主催のお茶会の日。


 16歳だったファビオラが、レオナルドの婚約者候補の一人に、選ばれてしまった日。




(あの日のお茶会には、王太子殿下と身分的に釣り合う令嬢たちが、たくさん集められていた)


 


 最後まで人生を俯瞰した、今ならば分かる。


 その日以降、他の令嬢たちが振るい落とされる中、ファビオラは最終局面まで候補に残り続けた。


 そして、いよいよ身分が高いエバを差し置いて、婚約者に選ばれそうになったのが、直接の死の原因だろう。


 グラナド侯爵家は何者かによって嵌められ、家族とモニカの人生が儚く散る。


 さらに匿われていたファビオラも、見つけ出されて殺された。


 レオナルドの執着とエバの嫉妬が、ファビオラたちの命を刈り取ったのだ。


 


(幸い、まだ私は王太子殿下と出会っていないわ。だったら――)




 ファビオラは今後の方針を決定すると、それを頭に刻み付けた。




 寝台でモニカに顔を拭いてもらい、続いて髪と服を整えると、ファビオラは食堂へ向かう。


 すると付き添うモニカが、思い出したように教えてくれた。




「今朝はめずらしく、旦那さまがいらっしゃいますよ」


「お父さまが? それはちょうどいいわ」




 さっそくファビオラは、家族とモニカの運命を変えるため一石を投じる。


 


(まずは、お父さまを味方につけないとね)


 


 グラナド侯爵家の当主トマスは、現実主義者だ。


 12歳のファビオラが見たという予知夢を、すんなり信じるとは思えない。


 あまつさえ、多忙なトマスとファビオラは、これまであまり家庭内で交流がなかった。


 それを鑑みると、そのまま話したところで、呆れられる可能性が高い。


 


(いくつかの真実を詳らかにして、無理やり納得してもらうしかないわ。それよりも問題は、お母さまよ)




 これからファビオラが実行するつもりの計画に、過保護な母のパトリシアは反対するだろう。


 しかし弟のアダンと共に、王都から離れた領地に滞在しているため、当分は顔を合わせることはない。




(来年までお母さまは、アダンの後継者教育にかかりきりのはず。つまり私への関心が薄い今こそ、動くときなのよ)




 食堂に辿り着くと、モニカが扉を開けてくれる。


 ファビオラは立ち止まり一呼吸おくと、テーブルについているトマスへ挨拶をした。




「お父さま、おはようございます。ご一緒できて嬉しいですわ」


「ああ、おはよう」




 トマスはファビオラに一瞬だけ顔を向けるが、すぐに手元の新聞へと視線を戻す。


 これはいつものことなので、ファビオラも普段通りに振る舞う。


 引いてもらった椅子に腰かけると、給仕が次々と朝食を運んできた。


 トマスはすでに食べ終えていて、食後のお茶を飲んでいる。


 今にも出勤しそうだと判断したファビオラは、いきなり中核を突く話を持ち出した。




「財務大臣であるお父さまと、宰相閣下であるアラーニャ公爵は、政策で対立しているのでしょう?」




 ばさり、と新聞を下ろし、トマスがファビオラを見た。


 ファビオラと同じ銀髪には、少し白髪が混じっているが、碧色の瞳はファビオラとお揃いだ。


 今はそれが、ぱちくりと瞠目していた。




「どこかで、そんな話を耳にしたのか?」


「『知っている』んです。9歳のときに私が矢傷を受けてから、お父さまと叔父さまは、国境の防衛体制を問題視していた。軍備拡大の必要性を国王陛下へ進言するも、ヘルグレーン帝国との友好関係を盾に、宰相閣下から猛反対されている。そうでしょう?」




 ここ数年、頭を悩ませていた件を、ファビオラに正しく指摘されて、トマスは戸惑う。


 機密事項ばかり扱っているせいで、家に仕事を持ち帰ったりはしていない。


 だから、「なぜ、ファビオラがそれを知っているのか?」と、トマスの顔には書いてあった。




(うまく興味を引けたみたいね。ここから、怒涛の説得をするわよ!)




 こほん、と前置きの咳をして、ファビオラは続ける。


 


「はっきり申し上げると、今後もお父さまの提案は却下され続けます。そして7年後、警備の手薄なエルゲラ辺境伯領を突破され、ヘルグレーン帝国の侵略を許してしまうのです」


「……ファビオラ、お前は何を『知っている』というのだ?」




 すべてを明らかにするのは、まだ早い。


 トマスが国庫から横領をした罪で、家族全員が絞首刑にされるなど、荒唐無稽すぎて信じてはもらえないだろう。


 不審の色を浮かべるトマスに、ファビオラは明言する。




「王国に頼っていては埒があきません。私が国境の防衛費を稼ぎます。叔父さまの治めるエルゲラ辺境伯領は、私にとって第二の故郷ですから」


「話が飛躍しすぎだ。それでは意味が分からない」


「これだけ『知っている』私に、賭けてみませんか? どうか軍拡路線の政策を、取り下げて欲しいのです。お父さまと宰相閣下の衝突は、将来的に喜ばしくないから」




 予知夢の中では、グラナド侯爵家とアラーニャ公爵家は、娘同士だけでなく親同士も対立していた。


 まずはその構図を、根底から壊さなくてはならない。




「ふむ……私と宰相が意見を争わせていると、国王陛下が困った顔をされる。私の味方をすれば依怙贔屓だと非難され、宰相の味方をすれば言いなりだと非難される。なかなか、難しい立場におられるのだ」




 トマスと国王陛下ダビドは同い年で、学生時代から肩を並べていた親友だ。


 現在は、臣下としての態度を崩さないトマスだが、ダビドへは忠誠以上のものを感じている。


 そんなダビドの心労の原因に、トマスはなりたくなかった。




「それで、ファビオラはどうするつもりだ? 防衛費を稼ぐだなんて、一朝一夕にはいかないぞ」


「今まで、学校の淑女科で学んでいましたが、これを機に商科へ移ります。そしてゆくゆくは、ヘルグレーン帝国で商会を立ち上げ、経営者として資産をつくります」




 自国ではなく、あえてヘルグレーン帝国を選んだのは、敵の情報を集めるためだ。


 ファビオラは12歳なりに頭を使ったのだが、トマスからは一笑される。


 


「ははっ、なんとも気の長い話だな」


「言ったように、私は『知っている』んです。ヘルグレーン帝国が、どこから攻めてくるのか。だから私が稼ぐのは、国境全体ではなく、その周辺を警備する額でいい。――これなら可能性が見えてきますか?」




 奇しくも、7年後にヘルグレーン帝国が攻め入るのは、大切な思い出が残る自然豊かなあの町だった。


 あの町には、特産品である乳製品を輸出するため、馬車もすれ違いで通れる大きな門と、ヘルグレーン帝国に繋がる一本道が整備されている。


 今はヘルグレーン帝国を友好国だと思っているから、大した防衛設備もなく、いざというときに戦える兵士も少ない。


 そんな穏やかな環境を、侵略者たちは利用するのだ。




「私が学校を卒業するのは6年後ですが、侵略行為は7年後に起きます。だから、ある程度の学びを終えたら、学生の間でも実践に移し、商売を始めるつもりです」


「……ファビオラの言うことを、おいそれとは信じられない。だが与太話と片付けるのも、危険な気がする」


 


 トマスは判断を迷っているのだろう。


 とんとんと指でテーブルを叩いた。


 これまでファビオラは見たことがなかったが、これは考え事をしているときのトマスの癖だった。


 


「材料が少なすぎて、すぐには決断しかねる。差し当たっては、ファビオラの商人としての適性を見極めようか」


「では、商科への変更を許してもらえるんですね?」


「サインするつもりはある。いつでも書類を持って来なさい」


「ありがとうございます、お父さま。決して後悔はさせません」




 不思議な子だ、と呟くと、トマスは出かけていった。


 母にはまだ内緒にして欲しいと口止めするのを忘れたが、トマスもパトリシアも分刻みで業務に追われている仕事人間だ。


 よほどの緊急事態じゃない限り、手紙のやり取りをしている様子はないので大丈夫かもしれない。




(王太子殿下を避けるためにも、さっさとカーサス王国を出て、ヘルグレーン帝国へ行くのが一番よ。きっと16歳になれば、お茶会への招待状が届くでしょうけど、それさえ断ってしまえば接点はなくなるわ)


 


 うんうん、と頷いて、ファビオラはやっと朝食に手をつける。


 モニカから、急がないと学校に遅刻しますよ、と促されながら。




(お父さまに認めてもらうために、とにかく商科コースで頑張らなくちゃ!)




 グラナド侯爵家に、神様の御使いの一族の血が流れているのならば、どうしてファビオラだけに予知夢が与えられたのか。


 その問題に、ファビオラはとうとう気がつかなかった。

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