【1−2】
「なぜこんなところに人間族の子どもが…?」
駆け寄って状態を確認すると、子どもは静かに寝息を立てていた。
着用している衣服はそれらしくないが、材質や肌の状態からして大貴族の令嬢だと思われる。整った髪質に装飾品、衣服の全てに至るまで最高級な品物でまとめられている。
煌びやかなドレスを着ていないところを見るに、魔法学園の生徒が統一して着用している『制服』というものだろうか?初めて目にしたが独特な構造だ。
問題は、この子どもがなぜこんな危険地帯にいるのか、ということだ。
この山脈は一般人の侵入が固く禁じられており、子どもはおろか大人でさえも簡単には入山することはできない。麓ですら危険度B、Cランクの魔物が跋扈するこの山には、相当な実力がないと近づくことすらできない。
可能性として考えられるのは、転移装置の誤作動だ。
貴族の中には、王都と領地を素早く移動するために転移装置を使用することがあるという。転移装置どうしを魔力で繋げ、相互に転送することができるようになっている。この装置が不具合を起こした結果、この子どもがこの場所に転送されてしまったのではないか、ということだ。
いずれにせよこの子どもをこの場所に残しておくことはあり得ないので、ひとまず自宅に連れて帰ることにした。目を覚ましたら事情を聞き、送り届けてやるとしよう。
子どもの背中と膝裏に手を差し込んで担ぎ上げた次の瞬間、空間は揺らぎ、目の前の大樹が消えた。
「っ!!!???」
一瞬だった。
魔力を感じなかった異様な空間は現在、魔力に満ちた森の中へと変貌していた。まるで最初から、そんな空間が存在しなかったかのように。
少女を送り届けた後で調査したいと考えていたが、消えてしまってはどうしようもない。ひとまずは自宅に戻って、この少女を介抱しなければ。
ミラクレアスは、少女を担いで山を降りていった。
何時間も前から静かにこちらを見つめる視線に、彼は最後まで気がつくことはなかった。
※※※
寝室に寝かせていた少女が目を覚ましたようだ。
水を用意して部屋を訪ねると、少女はベッドの上で毛布を抱えて震えながらこちらをみていた。
「おはよう。私の言葉はわかるかな?」
「・・・・はい」
怯えながらそう答える少女は、室内にきょろきょろと視線を移す。
「色々と聞きたいことはあるが、まずは…」
ミラクレアスは聴診器を取り出してベッドのそばの椅子に腰掛ける。
「診察だ」
健康状態を確認している間、少女はじっとこちらを見つめていた。
口腔内の状態を確認した後、ミラクレアスはカルテに情報を書き込む。
「栄養失調だな。最近食事を控えめにしていただろう?子どものうちはたくさん食べないと、うまく成長できないぞ。」
「…あなたが私を誘拐したんですか」
少女は尖った視線をこちらに向ける。ミラクレアスは窓を開けると視線を返した。
「私の認識では『森で倒れていた君を自宅に連れ帰って介抱した』というものだが…」
「でも私は教室で授業を受けていたところだったんです。そうしたら足元が光り出して…気がついたらこの部屋に」
「では転移魔法の不具合かもな。あらかじめ教室にマーキングしておいて、条件を満たしたことで発動するタイプか…」
「…転移?魔法?」
「ひとまず食事を持ってこよう。何か食べられないものはあるかな?」
立ち上がり扉に向かいながら少女に問いかけると、彼女は真顔で答える。
「私はビタミン剤があれば大丈夫です。」
「……君の保護者には一度説教をした方がよさそうだ。こんな小さいこどもに食事すらまともに与えないとは…」
「こんなに食べられないです。」
大量の食事を抱えて戻ってきたミラクレアスに、少女は開口一番でそう言った。
鍋いっぱいに入ったたっぷりの野菜とヤギの乳を使ったスープ、大皿に盛られたてんこ盛りのうさぎ肉のソテー、カゴいっぱいの果物、そして山盛りのパン。
「食い尽くす必要はない、食べたいものを満足するだけ食べるといい。」
ベッドの上で食事ができるようにテーブルを整え、深皿にスープをよそうと少女の前に置いた。チラチラとスープとこちらを交互に見つめる彼女の行動に察しがついたミラクレアスは、スープから一口分を小皿によそうとすぐに飲み干した。
「心配しなくても毒なんて入れてない。」
少女はゆっくりとスプーンでスープを掬い、口に含んだ。
「・・・美味しいです。」
「それはよかった。じゃあいろいろ質問させてもらうよ。」
彼女はとても素直に質問に答えてくれた。
少女の名前は「キタガミ シオリ」、17歳の人間だという。「ニホン」という国で学生をしていたそうだ。
背丈について指摘し「子どもじゃないです!」とむくれる姿は年相応のものだったが、それを言うとさらに腹を立てそうだったので黙っておいた。こちらで目を覚ました時にはすでにこの姿だったらしい。
「『ニホン』か…国の雰囲気を聞く限りとても裕福な国なのだな。その『スマホ』という最先端技術が末端の民にまで浸透するほどに。それはこの世界の文明レベルで作れる物ではない。」
シオリが所持していた四角い物体を眺めながら、ミラクレアスは彼女を正面から見据えた。
「転移魔法、いや、召喚魔法の不具合で間違いはないだろう。しかも次元を超えた召喚ときた。魔法陣の場所が特定できれば転送用の魔法陣を創ることもできるだろうが、それも一朝一夕でできるものではない。数十年、数百年単位で時間がかかる。つまり現状、君を送還することは不可能ということだ。」
「そんな…」
目から涙をポロポロと落とし泣き崩れるシオリ。彼女が落ち着くのを待ち、ミラクレアスは話をつづける。
「送還方法がわかるまではこちらの世界で生活してもらうことになるが、今後の方向性が決まるまではこの家で暮らすといい。生活する上で何か欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ。」
そう告げて立ち上がると、ミラクレアスは部屋を後にする。中からは啜り泣く声が聞こえていたがミラクレアスは聞こえないふりをした。幼い少女が突然親元から離されてしまったのだ。今は気が済むまで泣かせてあげるのがいいだろう。
「改めまして、キタガミ シオリと申します。しばらくの間お世話になります。」
「これからよろしく。明日、街へ必要なものを買いに行こう。今日はこのまま休むといい。」
こうして2人の共同生活が始まったのだった。
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