浄化の魔神

御所 ラ・テ

渡りの少女

【1−1】



月を覆い隠していた雲が晴れ、王都が月光で満たされる。

明朝から降っていた雪も血で染まり、至る所にそびえ立つ氷柱が光を反射し、血痕を幻想的に照らし出す。


そんな王都の通りを、静かに闊歩する1人の男性。

瓦礫や血溜まりを気にせずに突き進む彼を止めるものはいない。ゆっくりと、生の時間を噛み締められるよう歩を進める。暗闇に溶け込むほどに黒い翼から、ひらりと一枚の羽が足元に舞った。


王都の中心にそびえ立つ一際大きな氷柱にもたれかかり、今にも息絶えそうな男がいた。

身を包む黄金の鎧は胸元が大きく抉れ、滴る血液が地面に広がっている。煌びやかな装飾が施された直剣は中ほどで折れ、男性の足元に転がっている。


「ヒュー……ぐふ…カハ…」


鉛のように重い瞼を上げた『勇者』の男性は、自分のひらりと舞う羽根に目線を向ける。顔を上げると、そこにはこちらに歩み寄る人物のシルエットが映る。彼の背には、自らの身体を包めるほど大きな翼。

その姿は神殿の壁画に描かれたものを彷彿とさせるが、大きな違いはやはり色合いだろう。黒く染まった翼は美しく輝いてはいるものの、神聖さは欠片も感じられない。一般人であれば即座に絶望するような邪悪さを纏っていた。

勇者にかざされた掌には慈悲などない。放たれた光によって、勇者の運命をただただ無情に突きつけていた。


後日、魔法連盟を通じて女神教会から発表がされた。

その内容は以下の通り。

『人型の魔神が王都を襲撃。女神教会の重要施設を破壊。』

『魔神との戦闘により勇者死亡。』

『聖女が行方不明。魔神による計画的な誘拐か。』


※※※


勇者一行の手によって魔王が討たれたことで悪魔族との1000年にも及ぶ戦争が終結。人間族、獣人族、長耳族、妖鬼族。そして悪魔族の合計5種族で和平条約が結ばれ、世界に平和が訪れた。勇者一行に名を連ねたのは悪魔族を除く4種族の5人パーティ。人間族の剣士、長耳族の魔法使い、妖鬼族の武闘家、獣人族の斥候、そして異世界から召喚された人間だ。

和平条約締結後、勇者一行は各種族が合同で運営する『魔法連盟』を結成。友好関係が穏便に進められるよう図り、協力関係を築いて危機に対応できる対策を行なった。これが功を奏し種族同士での国交が盛んに行われるようになり、悪魔族の精製する高純度な魔鉱石が魔道具ととても相性が良いことが発覚するなど、最初は忌避感を感じていた4種族も徐々に悪魔族に友好的になっていった。

こうして世界に平和が訪れて、500年が経過した。



【魔神による王都襲撃の13年前】


「いやぁ助かったぜ、あのままだったら全員毒で死んでいたな?」

「だから解毒剤はたくさん持っていくべきだって言ったのに。ミラさんには感謝しないとね。」

「あぁ、彼が調合してくれた『よく効く解毒剤』のおかげで、ヒュドラの神経毒もすぐ治って撤退することができた。まさかあんな効果があったとは思わなかった。」


4人の冒険者が山を駆け下りながら討伐対象の魔物について話していると、山頂から響いていた咆哮が止んだ。自分たちを探すのを諦めたようだ。下手にちょっかいをかけたせいでヒュドラを怒らせてしまったが、目標の素材は採集できたし五体満足で生還できているので十分だろう。


「ギルドに依頼達成の報告をしたら、ミラさんに礼をしに行こうか。」

「そうね、ついでにあの解毒剤も追加で購入できないか聞いてみようかしら。」


麓で出会った男性を思い浮かべながら、彼らは街へと戻っていった。


ここはスプレッツェル王国グラント公爵領の国境沿いにある山脈であり、凶悪な魔物が蔓延る通称「悪魔の森」。希少な鉱石や植物があちらこちらに生えている素材の宝庫である反面、危険度Aランクを超える魔物がうじゃうじゃと生息しており、半端な実力ではギルドから入山許可すらおりない危険区域でもある。

そんな山の麓に建っている一軒の木造の家。

その中では、傷ついたイノシシの子供にせっせと包帯をまく男がいた。彼の名はミラクレアス、『悪魔の森』で怪我をして訪ねてきた冒険者の治療を行う医者として生計を立てている。

背中まで伸びた銀色の髪を邪魔にならないよう編み込んでまとめており、蒼い瞳は見たものを冷静にするような輝きを持っている。

前足を怪我した子イノシシの治療が終わると、そばで見守っていた親イノシシに話しかける。


「これでしばらく放っておけば自然と治るはずだ。はしゃぎ過ぎないようにしっかり言い聞かせておけよ。」

「〜・〜・」


フガフガと鼻を鳴らす親イノシシはミラクレアスの足元にどんぐりをぶちまけると、子イノシシを連れて山へと去っていった。


「わざわざ料金を払っていくなんて、律儀なやつだ」

ミラクレアスは足元に散らばるどんぐりを拾い上げながらぼそりと呟く。正直いらないものだが、せっかくいただいたものなので倉庫にでも保管しておこう。

個人的な理由から人との付き合いを避けるようになり、危険区域のすぐそばに家を建てて長い時間が経つ。冒険者証もだいぶ前に破棄しており冒険者時代の仲間とも一切連絡を取っていないため、現在では彼らの生死さえ不明だ。


地下室にはいると、室内にある薬草の刺激臭がツンと鼻をつく。イノシシからもらったどんぐりを木箱に入れると、残りの薬草の量を確認する。明日やってくる行商人に卸すための消毒薬は既に準備できているが、先日冒険者に渡したような『よく効く解毒剤』の調合には特殊な素材が必要だ。試作品は渡してしまったので、素材を再度採集しに行く必要がある。


「ヒュドラの毒対策にヒュドラの素材が必要とは、本末転倒だな。」


魔物の中での最強格であり、魔物一厄介な毒を扱うといわれている毒竜『ヒュドラ』。ヒュドラの毒を解毒できる薬なら、事実上全ての毒を解毒できることになる。そんな薬に必要な素材の一つが、『ヒュドラの毒腺』。

『毒を以て毒を制す』とは、実に本筋を捉えた言葉である。


『悪魔の森』に完全に入ってはいないとはいえ、山の麓も危険な魔物がたくさん現れる。

山に入ると同時にゴブリンたちが群れを成して襲い掛かってくるが、ミラクレアスは即座にそれらを斬り捨てる。

ゴブリンの素材など今更欲しいとも思わないので、残骸はそのままに奥へと進む。何処かに巣でもできたのか、今日はやけにゴブリンの数が多い。この山をゴブリンの団体だけで生息できるとは思えないので、おそらく統率するキング的なゴブリンがいるのだろう。まぁ珍しいことではない。繁殖力の強いゴブリンが山を埋め尽くしてしまうと、貴重な薬草が踏み荒らされて薬に使えなくなってしまう、ヒュドラを狩るついでに間引いておいてもいいだろう。


遭遇したゴブリンを片っ端から殲滅していると、親玉からこちらにやってきてくれた。

簡単に言えば、図体ばかり異常に成長したゴブリン。戦闘する時は主に突撃一択だが、ゴブリンキングと戦う時に注意する点は配下のゴブリンによる援護だ。単体火力の高いゴブリンキングの対応をしているところを配下のゴブリンが奇襲をかけてくるため、討伐の際は複数の冒険者パーティで役割分担をして対応するのが王道なのである。

つまり、配下のいないゴブリンキングはただのでかいゴブリン。適当に弱らせればこの森に生息する他の魔物が倒してくれるだろう。


「グギャァァァァァ!!!!」

「『氷棘(アイスニードル)』」


雄叫びをあげ、手に持った棍棒で木を薙ぎ倒すあのデカブツは、ミラクレアスの位置を把握できていないらしい。そこそこのサイズで放出した氷の棘はそのままゴブリンキングの膝を貫通し、片足をはじき飛ばした。絶叫のような咆哮が響き渡り、周囲の音は全てかき消される。今移動すればあのデカいのに気付かれずに済むだろう。

音のする方向へと歩み寄る魔物の気配を感じ取りながら、ミラクレアスはその場から離れた。





薬草はあらかた採集した。あとヒュドラの素材を取ったら帰ろうと思ったのだが、、、

森の中の様子がおかしい。

妙に静かというか、森の中で風切り音や葉が擦れる音すら聞こえないことなどあるだろうか?

場所的にはSランク程の魔物が現れてもおかしくないのだが、気配を探ってもそれらしき魔物が近くに来ている様子はない。


少し警戒を強めながら森の中を進むと、見覚えのない開けた場所に辿り着いた。

森に入ってから常時展開していた索敵の魔法に引っ掛かることもなく、その空間は目の前に突然現れた。

手入れの行き届いていない荒れた森の中に突如として現れた聖域。中心には天にも届きそうなほど高い大樹がそびえ立ち、大樹を中心として草原が広がっていた。その大樹は金色の光の粒子を纏っており、どこか神聖な雰囲気が漂っている。

長く麓で生活しており森の中を熟知していると思っていたミラクレアスは、驚きつつも違和感を抱いていた。


「(魔力が微塵も感じられない。この空間だけ森から切り離されているようだ。)」


龍脈の直上に位置する土地には、龍脈から溢れる潤沢な魔力によって凶悪な魔物が発生する。この山脈も龍脈の影響を受けており、土地には絶え間なく魔力が供給されている。

しかしこの空間には、龍脈から供給されているはずの魔力が一切感じられない。展開中の索敵の魔法も霧散し、体外での魔力操作ができないようになっている。まるで、この空間が魔力そのものを拒絶しているようだ。


「…だれかいるのか?」


大樹の方向から気配を感じ取り声をかけると、大樹のそばに横たわる人影が目に入った。

ゆっくりと近づくと、大樹に寄り添うように眠る幼子の姿。

黒髪を背中まで伸ばした人間族の少女。背丈はミラクレアスの膝上程度しかない幼児だ。膝丈のスカートに礼服のような上着といった学生のような衣装に身を包んでいる。


これが、少女とミラクレアスの出会いであった。


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