第4話 のろしの煙は始まりの知らせ 2
「まだ這いずってるな。やっぱり首を飛ばすしかないか」
三十歩程先で所々崩れた体をくねらせる
靴の裏から染み入る冷気を振り払うように、俺は歩調を速めた。
「グ……グ、ググ……」
やがてくぐもったおよそ元人間とは思えない呻き声が耳に届いた。体の隙間という隙間から漏れ出る赤い熱線が肌をヒリつかせる。
「ここまで近づいてもこっちを見ようともしないな。いや、気づいていないのか?」
「まあ、どっちでもいい、か!」
「ググ……ギャ!!」
狙いすまし、勢いよく振り下ろされた銃剣の刃は殆ど炭と化した屍食鬼の首を胴体から叩き落とした。その感触は中心に残った僅かな骨と肉の感触を残しながらも、焼け落ちた若木の幹の様にもろい。
最後まで前へと進もうと僅かに腕を伸ばしたまま、残った体は火花と熱気を放出しきると、ようやくその動きを停止させた。
「よし!まずは一匹……何!?」
顔を上げると、視界に移る全ての屍食鬼が初めて目の前の獲物ではなく、俺を見ていた。いや、焼けて白くなったその双眸で俺の姿が見えているのかは分からないが、とにかく頭をこちらに向けていた。気づいたか、興味を示したのは間違いない
「ちょいと油断しすぎたか。まさかあいつらに知能のようなものがあるのか!?」
屍食鬼には特定の行動や習性と言った動物特有の規則性が薄いことが多い。それぞれの個体の個性というよりは生前、死後の状態によって人間の機能が幾つか失われるか、曲げられたという方が正しい。
曲げられた人間の特性も二足歩行のままであったり、何故か聴力が過敏になる、といった様にその特性は様々だ。
ただ共通していることは生きている人間にとって「有害」であるということぐらいのもの。知能は人間と比べて、いや、動物と比べて著しく劣ることが殆どだ。
どの個体も精々が腹を満たすという欲求だけが残るのか、死肉を貪ったり他の生物を襲ったりが関の山。
今回の屍食鬼もその例に漏れず獲物と認識した先住民を狙ったとおもっていたが、奴らは俺が「仲間」(仲間ではなく自分たちに近い個体と認識しているだけかもしれないが)を殺したことに反応した。ということは……
「ガ!ゴガ……ググ、ガ!!」
俺を獲物ではなく脅威として認識したということだろう。一匹の屍食鬼が何とかひねり出したかのようなうねり声で吠えると、五匹の屍食鬼が一斉に俺に向かって駆け出してきた。
「クソ!、一匹ずつならともかく!」
おつむが粗末な屍食鬼でも、その狂暴性をもってして複数の人間由来の歯や長い腕につかまれてはたまったものではない。
辺りを見回し、俺は五十メートル程後方にそびえる縦横人五人分はある巨大な岩があることを確認し、その場所まで後退した。
「せめて後方に周られるのは勘弁してもらいたいからな」
岩を背に付け、銃を構えた時には既に二匹が「ググ…」と決して大きくはないうなり声が聞こえるほどにまで接近していた。
「まだ!」
銃声が轟き、最も接近していた屍食鬼の右目から頭を吹き飛ばした。
あらかじめ装填していた銃弾が一発、残りは……!
俺は飛び込んできた片割れの屍食鬼の腕と歯を銃で受け止め、蹴り上げると、そのまま地面に倒れた屍食鬼が仰向けになったところで口内に向けて銃剣を刺しこんだ。
一瞬歯に止められそうになったが、そのまま歯茎を粉砕し、脳まで突き上げる。
「あと三!」
残りの三匹はお互いが少し距離が離れていた。
装填は間に合いそうにないが、まだこっちには……!
その時、最も右手側にいた屍食鬼が一匹、複数の合わさった銃声と共に顎の下を削り取られ、その場に突っ伏した。
「次弾装填急げー!」
どうやら地上隊の射撃らしい。誰かは知らんがいい腕をしている。
勝ちの目も見えてきた。長銃のは無くてもこちらには短銃が残っている。
俺は腰にぶら下げていた
撃鉄を起こし、狙い定めしっかりと引き金を引いた。少しの間を置いて撃鉄が倒れ、燧石が当たり金とこすれ火花を発し、点火した火薬のガスで押し上げられた鉛の銃弾は、とびかかろうとする屍食鬼の頭蓋を砕く……ことは無かった
「あ、あれ!?」
なんてことは無い。弾が発射されなかっただけのこと、つまり不発だった。
「火薬が湿気ってたのか!?ああもう!」
怒りをぶつけるように俺は短銃を迫る屍食鬼に投げつけ、ひるんだ隙に入れ替わりで目の前まで迫っていたもう一匹を急いで持ち替えた長銃の銃床で応戦し、そのまま頭蓋を縦に割った。
「あと一!」
疲労困憊と興奮で激しく動悸する胸にわずらわしさを覚えながら、さっき仕留めそこなった一匹がいた場所を確認する。
しかし、そこには投げつけた短銃が横たわるのみであの黒焦げた異体が消えていた。
「どこに……ぐあ!!」
突如、二の腕が潰されるような痛みと熱さに襲われた。
目をやると、そこには、焼いた魚のような目をした赤黒い顔が、こちらを睨みつけるしながら、食いついていた。
「しま……懐に……!!」
残った左腕に握られた銃床で殴りつけるが、その衝撃が刺さった犬歯を通して自分に返ってくるばかりで効果が薄い。
にじみ出る血液が屍食鬼の歯に触れた途端に蒸発していき、段々とその熱が肩にまで登ってくる。
(外すまいと狙いすましたのが仇になったか!このままだと、腕がそのまま食いちぎられる。どうすれば……)
「ごちょーーーさーーーーーーーん!!!」
その時、聞きなれた声と共に、。「ゲガ!!」という叫び声と共に腕に埋まっていた屍食鬼の顔が離れさっきまで腕から肩に掛けての熱が、急速に冷却されていくのを感じた。いや、腕から肩どころか全身の熱が引いていく、というか冷たい!
「うおお!何だこりゃ!?海水!?」
どうやら俺と屍食鬼は頭から北西航路の氷よりも冷たい海水をかぶせられたらしい。
だが、ただの冷水で俺はともかくあの不死身の屍食鬼にダメージを負わせられるなんて……
「伍長さん!」
処理できない視覚の中に、桶をもったエルムゥの姿があった。
どうやら海水を掛けたのはエルムゥらしい。あのバカ、見ていることすらできなかったのか。いや、それよりも動きが鈍っている今が好機。ここしかない!
俺は足元で転がる長銃の銃口から銃剣を取り出し、左手で握ったまま、蹲る屍食鬼の背中に覆いかぶさるように体重をかけてその刀身を心臓目がけて突き刺した。
「止まれえええええぇぇぇぇ!!!」
屍食鬼の弱点は脳か心臓。だが、残った左腕で脳を守る頭蓋を貫くことは出来ない。
ならば確認がやりにくいが、心臓を破壊するしかない。
俺は肉の中にある心臓を探り当てる為に潜り込んだ銃剣の刀身を力任せにこねくり回し、内臓の感触のようなものを見つけると、そのまま持ち上げた。
その時、最後の抵抗とばかりに手足をバタつかせていた屍食鬼が一瞬膠着したかと思うと、だらんと全ての筋肉が脱力し、活動を停止させた。
倒した!と達成感と安心感が体中を駆け回るのも束の間、今まで興奮で忘れていた疲労までもが循環し、屍食鬼の死体と共に、俺は崩れ落ちた。
「あ!伍長さん!」
桶を放りだし、エルムゥが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!?」
「馬鹿!!」
ビクン、とエルムゥの体が跳ねた。
「見ていろって言っただろう!なんで来た!?」
「ご、ごめんなさい……でも、ボク、伍長さん助けたくて」
「……いや、いい。助けられておいて怒ることも無いな。だが、もうこんな危険なことはするな」
目に涙を溜めんながら応急手当をしようとする姿に、俺は何も言えなかくなってしまった。
「うん、うん……」
目の周りを真っ赤にして、エルムゥはコクコクと何度も頷く。
「それにしても、何で水なんか掛けたんだ?それで屍食鬼の動きが止まっていたが」
「……!そ、そうだった。ボク、国立図書の文献で読んだことがあるんです。燃える屍食鬼ってよく泥炭湿地で確認されることが多いんですけど、それによると屍食鬼自身が燃えているんじゃなくて、体に詰まった泥炭が燃えてるんだって!それで消火の為に水を掛けたら、屍食鬼の動きが止まったって書いてて、何で動きが止まるのかについては仮説がいくつもあるんだけど……」
さっきまで泣きじゃくっていたエルムゥにいつもの調子が戻ってしまった。
いつもなら煩わしいこの解説も、今は痛みを和らげるには丁度いい。
「さて、俺は一旦船に戻る。破傷風になりでもしたらたまらんからな。それに……着替えなきゃ凍え死ぬ」
上着を全て脱いだ俺は包帯で巻かれた右腕を押さえつつ立ち上がった。
その時、傍で横たわる屍食鬼の胸の辺りで何かが光ったような気がた。
奇妙に思い、横たわる屍食鬼を足で転がし、仰向けにする。
胸の上部から、へその下まで溶けかかった金色な丸いものが四つ程同化するように縦にくっついていた。
「もしかして、金属ボタンか?」
少なくとも、先住民に金属もボタンも扱う風習は無いはずだ。それに、このボタンには何かの紋章みたいなものが彫られているようで、微かに鳥の脚や、蛇のような文様が見える。
鳥の脚と、蛇……グリフォン!?
はっとして脇に抱えていた軍服を広げてみる。
「グリフォンの文様……同じだ。俺と同じヴィクセルン王国軍の紋章。ということはこいつ等……もしかして、スリラー号の!?」
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