第2話  遭難計画

中央大陸北西端の港から出航してからはや二か月。最後の補給港から出航してから三十日目の朝。今日も上甲板では一等、二等水兵達が水兵長の怒号を浴びせられながら甲板掃除や船の整備に追われていた。降雪こそ無かったものの、この気温だ。凍えそうな程冷えた水に浸した雑巾を絞る手は関節部を中心に赤く腫れていた。

そんな彼らの苦労を見物して楽しむ程悪趣味ではないのだが……


「わーーー!、わーーーー!!ごちょーーさーーーーん!!!!!!来てくださーい」


「ああもう分かった!分かった!。行くからもう少し静かにしてくれ」


今更だが、アイツは一体どんな神経してやがるんだ。

相変わらず観測所で望遠鏡を覗きこんでいるようだが……。

毎日コイツに呼ばれては、観測所に登っていたお陰で俺のマストクライムは水兵達とそう変わらない程に成長していた。エルムゥに至っては水兵顔負けだ。


「流氷ですよーー。すごいですね。おっきな磁器のお皿が割れたみたいになってますよ」


エルムゥの指さす方角に目を凝らしてみると、地平線の手前にぽつぽつと雪を被ったような青白磁の流氷がゆっくりと近づいてくるのが肉眼でも確認できた。

あれほどの大きさと数の流氷ならば、型落ちとはいえ、軍艦である本艦の鉄衝角を破ることは無いだろう。


「ああ、もうこんなところまで来たのか。なら早ければ今日中に西大陸が見えるかもしれんな」


興奮したエルムゥの早口話には相変わらず苦労をさせられっぱなしだが、今の所特に仕事がない俺にとっては、丁度いい暇つぶしとなっているのも事実だった。



「大陸!楽しみです。一体どんなワクワクが見つかるか……あ、伍長さん。今日も手袋してない。真っ赤ですよ」


アルムゥは望遠鏡を背嚢の外ポケットにしまうと俺の三分の二程しかないような小さな手で俺の手を包み「ひゃーー!つめたい!!」と何やら楽しそうにさすってきた。


「……ほっとけ。忘れたんだよ」


「またですかー」


相変わらず察しの悪いやつだ。


「じゃあ、ボクの手袋半分こしましょう」


「いらん。平気だ」


「……むーーー」


如何やら機嫌を損ねたらしい。一体なにが不満なのか。侯爵家の娘というのは皆こうなのか?「女性の機嫌は山の天気の如く」とは良く言ったものだが、コイツの場合は嵐か雲の無い晴天ばかりだと思っていた。


「……わかったわかった。じゃあ片方……」


「あ!伍長さん伍長さん!!」


「おい!」


既に興味は前方に戻ったらしい。アルムゥは望遠鏡片手に叫びながら左手で俺の肩をポコポコ叩いてくる。


「今度は流氷じゃないですよ!!おっきいです!!」


「見てやるから押し付けるな……ああ、氷山だな。そうか、もうそんな所まで来ていたか」


大きさは遠すぎてよくわからないが、山の頂上を切り取ったかのような氷の塊が確認できた。

幸い進行方向からは大分ずれた場所にあるようだが、氷山まで出てくるようになった以上、エルムゥに観測ごっこを任せるわけにはいかない。

ぐずるエルムゥを何とか引っ張り出し、仕事を奪われていた正規の観測手がシュラウドに手を掛けたことを確認し、俺は司令官室へと向かった。



第二甲板の最後尾にある司令官室は他の部屋とは違い窓も多く、ある程度の調度品まで揃っていた。海の上でなければ今の営倉から引っ越してしまいたくなるような広さもある。


「カカカ!あの伍長さんもお嬢ちゃんのお守は大変みたいだな」


廃糖酒の瓶を片手にもう片手で胸まで伸びる髭を撫でながら酒焼けした笑い声を飛ばしているドワーフの男。この男こそ捜索隊メンバーの隊長にして「テスラ号」艦長である

ゴルドー・アムンセス少佐だ。


「勘弁してください。あいつが甲板まで引っ張り込むせいで、ただでさえ慣れない船旅の疲労が増えるばかりだし、何より水兵達の視線が痛いんですよ」


「カカカッ!まあ許してやってくれ。別にあんたとお嬢ちゃんを悪く思ってるわけじゃあ無いさ。あいつらは故郷に家族を残して来ているんだ。ちょいと羨ましいんだろうよ」


「勝手に嫉妬されても困りますよ。それに小官しょうかんはまだ二十二です!」


冗談ではない。この二か月で元から薄かった結婚願望が完全に吹き飛ばされてしまった俺の身にもなって欲しい。


「だが感謝している連中の方が多いさ。オレもその一人だ。今朝も船医がよ、二か月経ってノイローゼが出ないのは初めてだと言ってたぜ」


幾ら賞賛されても喜ぶ気が起きないのは数年ぶりだ。

酒焼けの笑い声を飛ばす艦長は、不満顔になっていた俺に気づくことも無く、話を続ける。

「日没までには西大陸が見えるはずだ。北西航路の入り口も順調にいけば明後日には捜索活動を……」


「捜索活動!?」


「おわ!」


突如俺の座る長椅子の後ろから、エルムゥがひょっこり顔を出した。


「お、お前いつからいたんだ!?さっき部屋に戻しただろ」


「どうどう?尾行、気づかなかったでしょ」


「カカカ!!こりゃいい!あの「蟻渡り」の英雄伍長さんが娘には形無しか」


「ありわたり」?伍長さん、やっぱりすごい人なの?」


余計な事を吹き込んでくれたものだ。コイツには特に知られたくない俺の過去を聞かれては、今日こそ夜通し質問攻めにされかねない。

ここは……。


「お嬢ちゃん知らんのか?いいか、ガサラ伍長はな……」


「おい、エルムゥそれよりももうすぐ捜索活動に興味があるんじゃないか?今一度船長に説明してもらった方がいいんじゃないか?」


何とか話題を軌道修正するしかない。遭難者をダシにしているようだが、この際手段は選んで居られない。


「えー、でも……」


「艦長!よろしく頼む!」


「お、おう……そうか」


少し強引だが、これでいい。俺も改めて今回の件を復習することにしよう。

まだ納得がいかない表情のエルムゥを隣の椅子に乗せ、艦長が気を取り直し口を開くのを待った。


「まず、今オレ達が目指している北西航路は各国が長距離航海技術を身に着けて以来絶えず探検隊が派遣されてきたが、一人として向こう側まで辿り着けなかった訳だが」


艦長は近くにあった棚から安物の金属杯を三つテーブルに置き、先ほどから握っていた廃糖酒の瓶を傾けようとして、「おっといけねえ、陸軍の英雄さんと貴族のお嬢ちゃんにこれはダメだな」と、今度はもっと奥の棚から見るからに高価そうな葡萄酒の瓶を取り出した。


「一部の原住民を覗いて人間を寄り付かせず、まともな調査も出来ない西大陸北部の極寒大地。流氷と氷山に阻まれてまともに船が通れる隙間もない海峡。無理に通ろうとすれば流れる氷の板に閉じ込められるか、氷山に船体を真っ二つにされるか。無茶をしてもしなくても魚の餌と消えた奴らは数知れん」


一介の軍艦の艦長にしては中々話が上手い。隣のエルムゥも俺のことなど忘れて吟遊詩人の英雄譚を聞く子供の様に釘付けになっている。


「まあもしコイツを安全に航行出来る航路を発見できれば、念願の西大陸の向こう側を覗く事が出来るかもしれないんだからな。もしそうなれば百戦錬磨の将軍様さえかすむような金と名誉が約束されるのは間違いない」


西大陸の向こう側……か。

杯に注がれていく赤い葡萄酒の波を眺め、地平線を埋め尽くす想像もつかない西大陸の大地を探してしまう。


「五年前の開拓隊も例に漏れず西大陸の冷たい氷海の下に消えた……と考えられていた、と」

摘まみとして用意された塩味のきつ過ぎる干し肉を摘まみながら話に加わる。


「そうだ。一年前にアレンド港の漁師が偶然北西航路がある海峡を通ったらしいんだが、そこで俺たちの愛すべき祖国「ヴィクセルン王国の国旗」が入った軍艦が氷山の傍で座礁しているのを見つけたらしくてな」


艦長はテーブルシーツ代わりになっていた海図の左上辺りを指さした。

そこはまさに北西航路の入り口がある西大陸最北端の海峡だった。


「あれ、じゃあボクたちその軍艦を調べたら終わりなの?」


くぴくぴとあっという間に葡萄酒の飲みほしたアルムゥは少し残念そうに質問した。

俺としてはもしそうであれば楽ができたのだが、そもそも俺がこの船に乗る必要も無かっただろうし。


「いいや、その船の調査はもう終わっているんだ。問題は開拓隊隊長のスコルパ大佐が乗るスリラー号の方だ」


「どういうこと?」とエルムゥが首を傾げる。俺もそのことについて少し気になっていた。


「普通遠洋航海は二隻以上が常識なんだよ。一隻が航行不能になった場合に

曳航なり、曳航できずとももう一隻が救助を呼ぶことが出来るからな。だが、このふねは……」


それを聞いた艦長は深いため息を吐き、同意を求めるように「そう思うだろ?まったく……」と小さく悪態をついた。


「何でも捜索活動に参加予定だった艦はまだ建造中なんだとよ。それで今用意できるのはこの型落ちの更に型落ちの練習艦なんだがどうだ?と聞かされた時は流石のオレも上官を殴りたくなったわ」

話を続ければ続けれるほど艦長の声は小さく、独り言の文句に変化していく。

思わず藪蛇をつついてしまったようだ。

「そもそもそんな性能不足のオンボロ練習艦なんぞ航行速度も航続距離も合わせられんから邪魔にしかならんというのに本部の奴らは何を……おおスマン。話がずれたな」


「こちらこそ、余計な事を聞いてしまいました。宮仕えならば誰でも経験することです。本官もそれで何度殺されそうになったことか」


「カカカ!全くだ!」と艦長は笑うと頼んでもいないのに一口分だけ残っていた俺の杯に酒を注ぎ足した。少し酒が回りはじめているようだ。


「話は戻して……実は発見した漁師が気になって船の中を調べたそうだ。そこには……」


わざともったいぶらすように話を止める。「そこには……?」とエルムゥが続きを促す。


「誰も居なかった。船内はまさにもぬけの殻。生存者はおろか遺体も無ければ積荷は一部を除いて運び出されていた。争った形跡もない。この海域にいる海賊は精々ちゃちな密漁船ぐらい。ならば考えられることは二つ」


「残ったスリラー号に移乗して帰還しようとしたか、座礁した方の乗員はそこに置いて元のスリラー号だけで救助を呼びに帰還するか、か。しかし……」


どうやら望みの答えだったらしい。「そうだ!」と艦長は大げさに俺を指差し、問題正解の賞品とばかりに酒を追加した。


「後で軍が調査をした結果、なんと全員がスリラー号に移乗した説が濃厚とのことだ。ある程度乗員に余裕は持たせていたらしいが、明らかにスリラー号は過積載だ。そんな状態では最も近い港であるアレンド港にすらたどり着けないはずだ。だが、座礁した艦には長く誰かが居住した痕跡は無かった。ならば全員がスリラー号に移乗したことになる。」


「置いて行かれることが怖くて無理やりスリラー号に移乗させた。そして重量に耐えきれなくなったスリラー号とともに沈んだか、それとも物資が底をつき全員が衰弱死。今も幽霊船スリラー号は船員の骸骨を乗せたまま故国の大地を求めてさまよっているのか……」


冗談交じりにスリラー号の悲運仮説を立てていると「伍長さん……」とエルムゥが俺の軍服の裾を引っ張った。

流石にまだ子供のようだ。幽霊船と言っただけで怖がってしまうとは、ようやくエルムゥにも「年頃の女の子」と思えるような……


「幽霊船、いますかね?ジュール・モンローの「霊界大戦」みたいな!」

少しでも期待した俺が悪かった。


「カカカ!将来有望な探検家じゃないか。だが、全員移乗の選択が理性的であったならば、また違った結末が見えてくる」


「というと?」


「実は過積載状態のスリラー号でもたどり着ける距離に人間が住む集落があるのさ」


「あ、分かった!」とエルムゥが手を挙げ、艦長も「お、流石嬢ちゃん」と楽しそうに答えを促した。まるで幼年学校の生徒と教師だ。

「先住民の人がいるんだ!」


「そうだ!嬢ちゃんには後で勲章をやらんとな。そうだ、この極寒の西大陸でユキウシ狩りをして暮らしている狩猟民族「スノウマン」の集落がまさに絶賛開拓中の北西航路の途中にある島々で集落を築いていることが既に確認されていた」


先住民「スノウマン」。三十年前に初めての接触があって以来、開拓団が来るたびに交流を続けている。「狩猟民族」と聞いてつい身構えてしまいそうになるが、彼らは余所者の開拓者を歓迎し、薪や食料の補充まで手伝ってくれているという温和な民族らしい。


「最も近い「スノウマン」の集落は過積載のスリラー号の予想航続距離でもなんとかたどり着ける位置だ。彼らがスノウマンの人たちを頼りに北西航路に入っていった。というのは想像に難くない。残念ながら、最初の軍の調査隊は北西大陸を進める程の物資を積んでいなかったためスノウマンに接触することなく引き返してしまったが」


艦長は一杯分だけ残していた葡萄酒を杯に注ぎ、一気に飲み干した。


「で、俺たちの仕事はまず「スノウマン」の集落での聞き込み。その結果によってこの艦の進路をまた決める!というわけだ。俺の話はここまで」


取っ手をつかんだままテーブルに叩きつけられた金属杯の音が話のピリオドとなり、ゴルドー艦長の北西航路遭難事故講座は終わった。

興奮が収まらないエルムゥの熱を押さえていると、ドアの向こうから「前方に巨大な陸地の一部とみられる氷壁を確認!」と観測主の報告が聞こえてきた。どうやら捜索活動の開始は近いらしい。


それから2日後、エルムゥという一抹の不安を抱えながらも、我々の乗る軍艦「テスラ号」は西大陸に沿って北上を続け……

北西航路の入り口へと吸い込まれていった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る