タソガレ世界探検記

こでぃ

第1話 非現実の船内で

床板が軋むような音と共に身体が左右に揺らされて目が覚める。

右手側にあるこの部屋唯一の窓から差し込む光は今朝は曇天らしいことを知らせていた。

一応の下士官待遇で与えられたこの個室でも、ようやく違和感なく過ごせるようになってきたと思っていたが、どうも自分は船という奴と相性が悪いらしい。コイツが横に縦に傾くたび、内臓が一緒に釣られていくような感覚に襲われ、港を出てからというもの、寝入りも寝起きも芳しくない。


「こんな朝はせめて温かい朝食を静かに楽しみたいものなんだが……」


今はそれすら叶わない。何故なら……

ほら来た。ドアの向こうから聞こえてくる、ワザとではないかと疑いたくなるような足音。それはものの数秒で俺の部屋の前まで迫ると共に、ドアがけ破られた。


「おはようございます!伍長さん!、朝ですよーー!!ご飯ですよーー!」


本当にこいつがあの足音の主だというのが港を出て最初の朝から一か月たっても信じられない。ノックも無しに俺の部屋に侵入してきた人物はまだベッドに腰掛けたままだった自分とそう変わらないほどの身長しかない、肩程までしか届かない栗色の髪がかえって印象的な14~15程の少女だった。


「今日もパンとスライム漬け肉のスープです。一緒に食べましょう!」


少女の両手には二人分の食事を載せたトレーが握られていた。ドアを毎回け破るのもトレーで両手が塞がるから、との事だ。フンフンと鼻息を荒げ、足を広げてこちらを見るその姿は、子供の頃に飼っていた犬の事を思い出させる。


「全く、相変わらず声と突入の速さは一兵卒にも引けを取らんな、エルムゥ。とても年頃の女性とは思えん」


「えへへ、そうですか?やだなあ。いくら褒めてもボクの分のパンはあげませんよ?」


「いらん」


こいつに皮肉が通じないことは分かっていたことだ。俺はくねくねとエルムゥと一緒に揺れるトレイから数切れのパンと波立つスープ皿を救出し、テーブルの上に置いた。


「早く食べて上の甲板に行きましょう」


「……床で食うな。詰めればまだスペースはある」


相変わらず貴族の娘にしてはやけに食器を鳴らしながらスプーンを動かすエルムゥに疑問を持ちつつ、五分ほどで一足先に食事を終えた俺はカチャカチャとスプーンを鳴らしながら口の中のパンをスープで流し込むエルムゥにきいた。


「そう言えば、何故上甲板に行きたいんだ?」


「あ、そうですそうです。お外、もう雪が積もりはじめてるんです。後で見に行きましょう」


「雪なんてそう珍しいものでもないだろう」


「いえいえ、まだベルンの街は夏になったばかりだったのにもう雪なんて、それも積もりそうな勢いで!」


普通、此処までの船旅生活を続けていれば、長距離航海に慣れていない奴は一々雪なんかで一喜一憂する余裕なんてなくなってくるものなのだが、そこの所は素直に感心する。


「そりゃあそうだ。一か月北西に進んでいるんだぞ。この調子だと、もう三日もたてば毛皮のコートが常に手放せなくなるはずだ」



「これからもっと寒くなっていくの!?じゃ、じゃあ……」

エルムゥは目を見開いた。


これは意外だ。今まで俺は目の前の少女を永久凍土の上や南の灼熱砂漠だろうと走り回る犬のような存在と決めつけていたがどうやら考えを改め……


「じゃあもうすぐ流氷も見えるの!?ボク、流氷見てみたいんだ。ジュール・モンローの「氷結大地」みたいな一面氷の鏡!」


前言撤回。こいつはただの馬鹿犬だ。


「あのなあ、もう少し真面目にしてくれ。俺たちは遊びに行くわけじゃないんだ。」


「わかってますよー。行方不明になった人達を探しにいくんでしょ?みんなどうしてるんだろうね。もしかして、本当に「氷結大地」の氷の国みたいなところにたどり着いちゃったのかな?」


「氷の国、か……それならまだいいが」


立ち上がり、部屋の窓を眺める。そこから染み出してくる僅かな冷気と、雪を降らせる薄暗く厚い雲が正体の分からない不安を覚えさせてくる。


「失踪からもう五年だからな……」



話は丁度一か月前まで遡る。いつまでも変わらない訓練や国境警備に退屈しながらも、軍を辞める理由も見つからない日々を過ごしていた俺は部下から連絡を受け、陸軍本部に出頭していた。


「貴官には五年前に消息を絶った北西航路開拓隊の救助、及び回収の為の捜索隊に参加してもらいたい」


執務室に通された俺を待ちかまえていた「髭卵将軍」ことカルノフ少将開口一番にそう命令した。


「捜索自体は海軍主導だが、貴官には海軍一等兵曹と同等の下士官待遇にするように言っておる。作戦日時は追って数日中には連絡しよう。質問は何かないかね?伍長。答えられる範囲であれば答えよう」


成程、「髭卵将軍」は真面目で無駄を嫌うと聞いていたが、どうやら本当らしい。


「では……陸軍所属で、しかも海軍とは共同作戦どころか何の接点もない小官しょうかんをどうして任命したのですか。陸軍でなければならないとしても沿岸基地配属の者など幾らでもおりましょう」


「うむ……」


少将は少し間を置きつつ、少し腰を曲げ手を組んだ。


「長距離航海技術が発達して以来、我が国が北西航路開拓の為、多大な投資を続けていることは知っているな」


「ええ、帝歴二百六十年のグレゴー航路発見からもう二百年以上」


「そうだ。その中でも北西航路は世界中でも唯一誰も突破できず、調査も進まない魔境になっている。あの分厚い流氷の川の先に新たな海があるのか、それとも西大陸の壁に阻まれるだけなのか。それすらも分かっていないのだ。それ故、遭難した北西航路開拓隊が生き残る為に大陸に上陸していたとすれば……」


「地上の調査も必要だと」


「そうだ。おかならば陸軍われわれの領分。その中でも特に寒冷地における生存能力、生存知識に長けた者が必要……つまりは貴官のことだがね。伍長」


「小官に陸上調査兼ガイドをしろ、ということですね」


「ということだ」


正確にはだろうな。要は捜索だけならばまだしも、うっかり海軍の連中だけに北西航路を横断されてしまった場合、人類初大陸の裏側発見の名誉を与えたくない、というのが本音だろう。

上の連中の面子なんて俺にはどうでもいい話だが、特に断れる立場でもないし、断る気も無い。何より、戦争でもなければこのゆっくり精神を腐らせていくような退屈の感情を忘れさせることは出来ないだろうと感じていた俺には、丁度いい防腐剤になるかもしれない。


「……了解いたしました。ガサラ・アーネルト伍長。命令、謹んでお受けいたします」



物思いにふけっていた俺はエルムゥに連れられ、上甲板に着いてみると、そこでは既に何人かの船員が雪の除去作業に追われていた。


「わぁ……」


ピョンピョンと飛び跳ね、両腕を広げるエルムゥの姿には、思わずこれが軍の捜索任務であることを忘れてしまいそうになる。


「ねえねえ伍長さん。伍長さんも早く来て!」


全く、コイツが冒険家志望の侯爵閣下の娘でもなければ、その侯爵閣下直々に世話何か頼まれなければこんなちんちくりんのガキなんぞ……

そう思いながらも、俺は船員達の邪魔そうな視線に刺されながら、たっぷり一時間雪像作りに付き合わされ、挙句の果てにはマストの上の見張り台での観測体験にまで連れていかれてしまった。

捜索隊最後の補給地であるアレンド港をエルムゥが望遠鏡越しに発見したのはその二十分後のことだった。













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