第二部:第一章・進学/魔法/妖精郷
Story.30―――奇妙な重低音
―――ブウウン―――ぶぅぅぅぅぅ―――んんんん
……奇妙な、柱時計がなるような、そんな重低音で目が覚めた。
しかし、そのようなことは、決して。断じて、ありえない。なぜならば―――この家に、柱時計―――ましてや、音がなるタイプの時計など存在しないのである。掛け時計があるが、それはただ、刻一刻、チクタクチクタク……と一定のリズムで時を刻み続ける円盤に過ぎない。
一瞬、〈カムランの丘〉にある時計台の鐘の音ではないか、とも思ったが……今は朝の―――否、早朝四時半である。とてもではないが、時計台の鐘がなる時間とは思えない。
私は、ゆっくりと床から身を起こし、部屋をぐるりと見渡す。
そこにあるのは棚、クローゼット、件の掛け時計、直方体の木箱、そして花瓶。震えるようなものは、この部屋には一つもなかった。
―――ブウウン―――ぶぅぅぅぅぅ―――んんんん
……やっぱり、聞こえる。
私は部屋を実際、自分の目で確かめようとベッドから出た。
横を見ると、いまだスヤスヤと、心地よさそうに寝息を立てている少女が、一人。
横たわっている彼女を起こさないようにと、細心の注意をはらいながら、私はベッドから出た。一瞬、モゾッという音がして、何もしていないのにゾクッと背筋が冷たくなったが。
無事にベッドから出た私は、部屋を一周しようと思い立った。一周と言っても、あまり広くはないので数十歩ほどではあるが。
足音を立てないように、いつもならば靴を履くが、裸足で部屋を歩くことにした。
まず入口の扉からスタートする。そしてクローゼット、掛け時計、花瓶、棚の順に見ていくことにした。
まずはクローゼット。クローゼットが振動するなど、それこそなにかの魔術でしかできないことである。しかし、もしかしたらということでクローゼットを開ける―――も、そこには服以外何もなかった。当然である。もしこれで人が入っていてブルブルと震えていたら、それは怖い。いや、そもそも人間がこんなブウウン―――ぶぅぅぅぅぅ―――んんんん、とかいう音を出すほどの速度で震えるのもそれはそれで怖いが。
次に、掛け時計を見る。掛け時計は、いつも通りに時を刻んでおり、異常はないようだった。一応、時計の裏も見てみるが―――そこにも何もなかった。
三度目に花瓶を見たが―――当たり前のように、そこにはなにもない。ただただ、朝焼けの太陽に照らされている花が美しいと言うだけである。
そして最後の本命、棚を見ることにした。
棚には三段の引き出しがあり、そこを一段ずつ見ていく。
まず上から一段目。開けてみるも、特筆すべきものは何もなかった。
そして二段目。しかし、同様に特筆すべきものは、何も。
最後の三段目―――それも、他の二段と同じように何もなかった。
ならば、あれは幻聴だったのか?
―――ブウウン―――ぶぅぅぅぅぅ―――んんんん
いや、幻聴なんかじゃない。ちゃんと物質的に存在する音だ。
そこで私は、木箱に気づいた。……ああ、そうか。木箱、か。私にとって、唯一この振動の原因として心当たりのあるものがあった。
その木箱の表面には、祈りの言葉が刻まれており、かすかに正属性の魔術が行使された形跡である魔力痕が残っている。
そして、この組み合わせは魔なるものを封印、あるいは浄化するために使われる。この木箱の材料は菩提樹であり、神聖で純粋な正属性の魔力を多く内包する木である。
私は、その隣においてある鍵を使い、蓋にかかっている南京錠を開ける。そうして南京錠から開放され、自由の身となった木箱の蓋を、持ち上げる。
そこから、濃密な魔力が漏れ出す。その魔力は濃密すぎて色をまとい―――中にあるものを見えなくしていた。それはまるで霧のよう。
その魔力の霧が大気中へ発散すると、ようやく目当ての物が見えてきた。
―――ブウウン―――ぶぅぅぅぅぅ―――んんんん
やはり、
そこから現れたのは、一振りの紫色の剣。サイズは大きく、間違いなく女子供の持てるような護身用、あるいは鍛錬用の剣ではない。これは……実戦用。それも、何か異質な魔力反応を感じる。
「これも、そろそろ頃合い、か……」
私は、ベッドで横たわる少女―――クロム・アカシックを見て、そう呟いたのであった。
―――ブウウン―――ぶぅぅぅぅぅ―――んんんん
私は、その奇妙な重低音で気がつく。
「ここは……」
暗く、暗い……ただただ暗い、何もない空間に私は立っていることに気がついた。恐ろしさゆえ逃げ出したいと思い立っても、足場がないために逃げることすらできない。
ふと、下を見るも―――そこにはなにもない。ただ……くらくくらい、おわりのみえないヤミがひろがっているだけであった。
「ほ、本当……なに? これ……」
一歩後退りする。不思議なことに、足場もないのに移動できたのである。逃げることはできないのに、恐怖の箸休めである後退りだけはできる……なんとも不思議なことである。
しかし、その後にぬるり、と足をすべらせる感覚に陥る。
「きゃあ!」
ひっ、と声を上げて逃げる始末である。……逃げること、できたのか。頭の中はなぜか冷静なようだ。しかし、それとは反対に体は止まることを知らない。いくら頭の中で「止まれ」と命じたとしても、この体は絶対に止まることがない。まるで、思考が二つ同時に存在しているかのようだ。
そしてどれだけ逃げただろうか。―――私は、そんなことも分からなくなるほど、逃げ続けた。頭の中で止まれと言っても、体は言うことを聞かない。ただただ……幼子のように逃げ続けるのみである。恐怖に突き動かされた人間というのは、こういうものなのだろうな。
ブウウン―――ぶぅぅぅぅぅ―――んんんん
ふと、後ろから聞こえたその音に気を引かれる。
振り返れば、そこには金髪の中に黒っぽい紫の髪を混ぜた男がいた。―――私は、その男を知っている。知っているのだが……。
「そこなる娘よ、聞け」
私が考えている間に、その男は語り始めた。
「君は、剣を取れ。もし
―――私の剣を。
―――そうして、私の意識は浮上した。
「―――は……!」
……夢、か。
最近見ていなかったのに、このような変な夢を。精神的に参っているのだろうか?
「今、何時だ……ろ」
布団から起き上がると、壁にかけてある掛け時計を見る。そこには、刻一刻、チクタクチクタク……と刻み続ける円盤があった。その円盤についている回り続ける針は、今は五時半を指している。
……そういえば、横で寝ていたはずのカナリアがいない。こんな朝早くからどこへ行ったのだろうか……?
モゾモゾと動き出し、寝室から出てリビングへと向かう。
リビングへとつながる廊下は、朝日を浴びて黄金色に光り輝いていた。朝の五時半―――本来、起床する時間帯ではないのだが、こんなにも美しいものだったとは……。
―――そんな風に考えながら歩けば、いつの間にやらリビングに着いていた。
ギィ、とドアがきしむ。
私はドアを開け、リビングへと入る。部屋の中央上―――そこにあるソファには、カナリアが腰掛けていた。手には、小さな木箱が置いてある。
「おはよう、カナリアちゃん。早いね」
そう言うと、カナリアはこちらを向いて答えた。
「ああ、おはよう。すまないが、朝食はまだだ。これから作るから、少し待っていてほしい」
「うん、わかった。―――ところで、その箱、なに?」
私は、カナリアの持つ小さな木箱を指さし言うと、カナリアはそれを机の上に置いて、はぐらかすように言った。
「ん、いや。なんでもない。なんの特徴もない、ただの、一般的な箱さ」
「へ〜……うっそだぁ。本当は?」
「ふふ、教えない」
「えーなんだよ〜、教えろよ〜」
意地悪に笑った彼女は、少し不安げな顔をしていた。
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