第9話 曖昧な記憶と確かな記憶

 眼に鮮やかな景色は……戻ってこない。気が付くと白一色の箱の中のような場所に移動していた。ぺたんと太腿から伝わる温度はひんやりしている訳でもあたたかい訳でもない。不思議な感覚がする。


奥からは黒い外套に長身を包み込んだ誰かが歩いてくる。私は立ち上がって向かい打つ準備をする。羽や武器は健在だが、防具や四つ足の変身は解けていた。それに頭が痛い。先程無茶に力を使ったからだろうか。はたまた何か違う事情が。



「よくやったねネリネ! だけど流石にお友達をたくさん連れて来すぎじゃないの?もぅびっくりしちゃう!」



 誰かは親し気に私の隣にいる桃髪に話しかける。彼女の知り合いだろうか。そうだとしても似たような黒いやつらに襲われたばかりなので警戒してしまう。私はハルバードを構える。



「ここはどこなの? それであなたは?」


「すまない。紛らわしい格好をしているが私は君たちの仲間だ。第5次陥没穴調査隊員のライラックだ」


「あなたがライラックなのね!」


「あれ、エリカさん初対面なんですか? 私にライラックさんは──」


「あー、そうなのよ。初めて会ったわ」



 あれ。初めてのはず。何の抵抗もなく、するすると口から次いで出た言葉たちであった。さらにはネリネの口を咄嗟に塞いだ。


 

「ネリネ。それでここに全員逃げ込んでこれたのはいいんだけど、これからどうするんだい?」


「まずは皆さんの怪我を治します。そして私はあなたと答え合わせをします」


「ほーう、それは楽しみだ! 私も治療に精を出そう!」



 ライラックはドラセナ、ローズ、ルガティを纏めて抱え上げて別室に連れて行った。鼻歌でも歌いそうなテンションで去っていく彼。どうにも何かを思い出そうにも彼に関する記憶に辿り着くことができない。



「ねぇネリネちゃん、あのライラックっての信用出来るの?」


「私も詳しくはまだ知りませんが。信用は出来ます。それに今は彼の力を頼らなくてはどうにもなりませんので」


「わかったわ。ネリネちゃんに私の命を預けるわ」



 私は変身を完全に解くと自分に回復魔法を施す。それを見たネリネが何かを始めた。すると、彼女の傍に小さな人型の生き物が現れた。両手で掬えてしまいそうな大きさ。スライムみたいな半透明の体で、まあるいツバのトンガリ帽子にローブ。全身が黄色くピカピカと光っている物体だ。

 

 私はその可愛らしい姿につんつんと触れてみる。ぷるんとした感触が指先に伝わる。



 「ワ!ビックリシタヨ」



 それは片言の言葉でネリネの後ろへ隠れた。いじらしい反応を見て、何だか無性に追いかけ回したくなってしまった。



「まてぇー」


「ちょっと。エリカさんこの子を追いかけ回さないでくださいよ」




 小人を抱えたネリネと私でおにごっこが始まった。



「その子はなに者?」


「盾の妖精みたいなものですよ」


「へぇー。少しでいいから撫でさせてよ」


「イヤダヨー!」


「嫌がっているようなのでダメですー」



 私たちはぐるぐると走りまわっていたが、ぬるりと戻って来たライラックによって注意を受けた。彼が指を鳴らすと二つの椅子が並ぶように出てきた。これからネリネが言っていた答え合わせなるものが始まる。椅子に座りネリネの声に耳を傾ける。



「ディルクナードに現れた陥没穴は獣人の世界の入り口なのですね」




 獣人。


 空想上、あるいは昔話。あったかもしれない遠い昔に恐れられた獣。今や子供に言い聞かせる為に使われる歌にしか出てこない存在である。


 彼らはシルエットこそ人間と同じだが、常人ならざる身体能力を持っている。さらには、強靭な肉体を覆う毛皮。鋭く固い爪や牙。集音機能に優れた大きな耳。これらの獣としての利点を生まれながらに持ち合わせているのだ。


 そんな彼らがどうして御伽話の存在と呼べるのか。ある時を境に獣人の全ては忽然と姿を消したからだ。

 

 遠い昔に人間と獣人の対立による大きな戦いがあった。この戦いに獣人は敗れたと言い伝えられている。圧倒的に武力で劣る人間が獣人に勝つことができた大きな要因。それが魔法である。時には身体そのものを強化し、時には超常現象を引き起こす。魔法を上手に行使することによって人間はこの戦いに勝利したのだ。



♦︎


「うん、私の結論と同じだよ。ここには間違いなく獣人が住み着いている」



 ネリネの突拍子もない結論をライラックは肯定した。私は一つの疑問点をぶつける。



「いや、そうだとして。陥没穴の中に檻のような架空の世界を作り出すなんて魔法。獣人が行使できるはずはないわ」


「ふふふ、それは実に簡単な問いだ。以前までの調査隊のメンバーが寝返っていたとしたらどうなる?」


「「え!!!」」


「しかもだ。新しく世界にテクスチャを貼り付けるなんていう所業が為せる魔法使いがこの世に何人いると思う? そんな規格外なことが出来るのは現代に存在する奇跡の魔法使いである四大魔女以外に考えられない。それにこの魔女たちは4人揃って第一次調査隊のメンバーとしてこの陥没穴に落ちているんだ。ここまでで言いたいことはわかる?」



 ディルクナードの魔女が獣人に手を貸す。これは考えられないことでもない。だって、彼女たちは獣としての利点を一切持ち得ないだけで、ネコミミと呼ばれるれっきとした獣人であるからだ。



(やっぱりまだ森の魔女も生きてる!)



「でも、よかったね。倒すべき相手は分かったわけだ」



 私は静かに拳を握り込む。奥歯に力を入れると、肩は震えてくる。ネリネは心配そうにこちらへ顔を向ける。ごめん。魔女が、獣人が恐ろしいわけじゃないんだ。



「まずは、君たちが魔法の檻と呼んでいるテクスチャを剥がさなければ始まらない」


「具体的な方法はあるのですか?」


「3人の体調が回復したら、私がテクスチャに穴を開けてそこから本当の世界に行けるようにする。そうして大魔法を行使した魔法使いを倒して地上、私たちの世界へ帰ろう」


「なんかさー言うのは簡単だよね!」


「そうですよ。本当に倒せるのですか? 私たちは黒い外套の連中を倒すというか追い返すのがやっとなのですよ」


「大丈夫だとも。私たちには切り札があるじゃないか。その時点で交渉を持ちかけられる」



 ライラックは私たちの方へ視線を向ける。外套で顔こそ見えないが、しっかりと両目で姿を捕捉されている気がする。それから、3人の治療が終わるまでの間、私はライラックが用意した部屋で休むことになった。

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