【第2話】 ジュジュと青銀の鱗
碧い水の中で光に揺れる青銀の髪。上半身は裸。足の代わりに魚のような滑らかに動く尾びれを持つ下半身。
その鱗が虹色に、銀色に、青色に光を反射する姿はあまりにも美しかった。
おさかなさん……? きれい……。
ジュジュが見蕩れていると、少年はふっと海面を見やり、もう一度ジュジュの口内に空気を送り込む。
そして、そのままジュジュを抱きしめると、汽車よりも速く泳ぎ始めた。
あっという間に船から離れると水面に顔をだす少年とジュジュ。
船はとうに後方にあり、船影も見えなかった。
『大丈夫?』
少年の言葉にジュジュはむせながらも肯いた。
いつも聞いている言葉だったが、響きが少し違って聞こえた。
『よかった。きみが飛び込んできたときは驚いたよ』
琥珀色の瞳を細めて安心したように微笑む少年。まるで教会に飾ってある天使の絵のようだと思った。
『船には送ってあげられないけど、浜まで連れて行ってあげるね』
ジュジュを片腕に抱えると水面から顔を出したまま、少年は今度はゆっくりと泳ぐ。
陽射しが波に反射してきらきらと眩しい。
途中にイルカの群れに遭遇した。イルカたちはふたりを取り囲んで一緒に泳ぎ始める。
少年に促されてジュジュは小さな手をイルカに伸ばす。イルカたちは代わる代わるに、その手のひらに頭や鼻をこすりつけて甘えてくる。最初はおっかなびっくりだったジュジュだが、あまりの可愛さにすぐにイルカに夢中になった。
さっき海に落ちた衝撃も忘れたように興奮してはしゃぐジュジュを、少年は楽しそうに見ていた。
しばらく一緒に泳ぐとイルカたちは離れていった。
「あ……」
名残惜しそうにイルカを見送るジュジュ。
『港に近づいてきたんだ。彼らはそこまでは入らないからね』
「そうなの……」
寂しそうな様子のジュジュの頭を少年がよしよしと撫でる。
そこで、はたとジュジュは気がついた。
「あなたはおさかなさんなの? にんげんなの? てはあるわ。あしはないけど。ことばもはなせるし」
『僕たちはそのどちらでもあって、どちらでもないんだ』
「どういうこと?」
『きみにはまだ難しかったかな』
そう言って笑った少年にジュジュもつられて笑った。
落ちた海の中で自分を助けてくれた少年に、すっかりと心を許していた。
港が霞んだ影のように見えてくる。すると少年は浜へと方向を変えて泳ぎだす。
『僕が送ってあげられるのはここまで。あとは歩いて帰れるよね?』
小さな身体を抱いていた腕をほどき、ジュジュの足が水の底につく岩場の陰で少年は別れを告げた。
まだお礼を言っていなかったことを思い出したジュジュは、両手で少年の手をとり握った。
「あのね、たすけてくれてありがとう」
にこっと微笑んだジュジュはなんとなく別れがたくて、手を握ったまま琥珀色の瞳を真っすぐに見つめる。
少年もジュジュに握られた手をきゅっと握り返して、同じようにジュジュのアクアマリンの瞳を見つめていた。
『きみの瞳の色、海の水の色みたいだ。とてもきれいだね』
ほめられたことがわかったジュジュは、嬉しそうに微笑む。
「あなたもとてもきれい。わたし、ジュジュ。ジュジュっていうの』
『ジュジュ……』
噛みしめて刻みつけるように名前を繰り返すと『すてきな響きだね』と微笑んだ。
「あなたのおなまえもおしえて?」
『僕はルーラン』
「ルーラン。すてきなおなまえね」
一人前の淑女を気取ったように答えたジュジュを、ルーランは眩しそうに見つめた。
『さあ……身体も冷えてしまっているから、早く港へお行き』
握った手をほどいたルーランはジュジュを促す。
「また……あえる? わたし、またルーランとあそびたい」
ルーランは一瞬、戸惑ったような
『すぐには会えないけど……』
手を腰の辺りでもぞもぞと動かすと、ジュジュの目の前に手のひらを広げてみせた。そこにはムール貝ほどある、青銀色の鱗がいち枚のせられていた。
『これ、約束のしるし。ジュジュがなくさないで持っていてくれたら。また会えるよ』
「うわぁ……。とってもきれい。ぜったいになくさないからね。またあそぼうね」
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ジュジュは首に下げた小さな青いポーチから、いち枚の鱗を取り出す。指ではさむとそれを陽光に透かした。
青銀色に輝くかと思えば、加減によっては虹のように七色にも光を反射する。ルーランから受け取った大切な宝物。ルーランは、これを失くさずに持っていればいつかまた会えると言っていた。
あのとき、ジュジュもなにかを渡したくてワンピースのポケットを探ったが、なにも入ってはいなかった。
しょんぼりとするジュジュの額に、ルーランがキスを落とした。
『僕はジュジュのファーストキスをもらったから。いいんだよ』
「ファーストキス?」
当時はまだ意味がよくわかっていなかった自分。
ジュジュは思い出すたびに甘くせつない気持ちになる。幼いなりにルーランに恋をしたのだろう。
「会いたいなぁ……」
ジュジュはため息とともに鱗をしまった。
結局、あれからルーランには一度も会えてはいなかった。
幼いときには海に近づくのさえ禁止されていた。
ある程度の年齢になり、アルマとならふたりで遊びに行かせてもらえるようになるまでは、海にも近づくことさえできなかった。
ルーランが
だって彼は……。
今ならわかる。
もし、わたしが海にくることができなかった間にも、ルーランがずっと浜辺で待っていてくれたとしたら……。
わたしがこないと思って、もう会いにきてはくれないかもしれない。
それを考えると胸がとても苦しくなる。
やっぱりどうしても。
もういち度だけでもルーランに逢いたい。
アルマに付き合ってもらっては浜辺で波音を聴き、空の青と溶け合う水平線を眺めている。
しばらくすると貝殻や海硝子を拾うことにも飽きて、アルマは先に帰ってしまう。
夕暮れ前にはジュジュも重い腰を上げていた。
でも、それが出来るのもあと少しのことだった。
アルマは秋にはこの土地から離れた街に嫁ぐことになっている。そうなれば海にくるのは難しくなる。
ジュジュにもいくつか縁談がきていた。
両親が勧める相手にも、ジュジュは
それはルーランを待っているから。
しかしいつまでもそれが通らないことは、頭の中では理解をしていた。
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