琥珀の瞳とアクアマリン

冬野ほたる

【第1話】 ジュジュ、海に落ちる



 ジュジュは幼いころに海で溺れたことがある。大陸へと渡る船の甲板から波の狭間に落ちたのだ。

 突然の強風に煽られてのことだった。

 夏に避暑のために家族でおとずれていた島。その地からの帰途のこと。


 即座に救命具が投げ入れられた。しかし、そのときにはもうジュジュの姿はすでに波間から消えていた。何舟ものボートが降ろされて捜索が始まった。


 彼女の両親と兄は必死になって目を凝らし、白い波頭の間にジュジュを探そうとした。ボートからの捜索は午後から夜通し続いたが、ジュジュは見つかることはなかった。


 誰もがあきらめ、悲嘆にくれた家族を乗せた船が早朝に港につくと、船長に知らせが入った。昨日の午後に幼い女の子が港近くの浜で保護されたという。


 くるりと巻いた金髪とアクアマリンの瞳。背丈や特徴、着ている服からもジュジュに間違いはなかった。


 この出来事はのちの世にも『ラディラ港の奇跡』として語り継がれることとなる。





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 「ジュジュ! 先にもどってるからね! あんまり遅くならないでよ!」


 浜辺の先でアルマが大きく手をふる。

 ジュジュは「はーい!」と両手を高くふり返した。


 アルマの姿が見えなくなるまで手をふると、ふうっと息をついて浜辺の流木に腰をかける。


 膝に肘をおいて両手で頬杖をついた。


 初夏のは眩しいほどに降り注ぎ、白い砂浜にきらきらと反射している。青い水平線は果てしなく広がっていてその先は見えない。

 海から吹く風は涼しく、穏やかに繰り返す波の音は、心をあの日に飛ばしてくれるようだった。


 なんて気持ちよくてきれいなんだろう。


 ジュジュはそのままぼんやりと青い海を眺めていた。


 アルマとは家が近所の幼馴染だ。


 ふたりは時間ができるとよく海にきていた。浜辺で桜色の貝殻を拾ったり、海を漂って磨かれた硝子のかけらを集めたりした。


 アルマと海辺にきていることはジュジュの両親には内緒だった。


 ジュジュが海に落ちて生死も不明のまま一時的に行方不明になってから、母親のジュリアは海の近くからも引っ越したいと思っていた。しかし、ジュリアが嫁いだ家はこの土地に代々と続く旧家であったために、それは叶わなかった。せめてもとジュリアは、ジュジュが海に近づくのを禁止した。


 ところが当の本人のジュジュは海を恐ろしいと思うようになるどころか、大好きになったのだ。


 あの日、海に落ちた午後――


 欄干付近にしゃがんで青い海を眺めていたジュジュの小さな身体は、突風に煽られた。波によって船が急に傾いたことと重なって姿勢を崩したジュジュ。そのまま欄干の隙間からすり抜けてしまい、海原に投げ出されてしまった。


 一瞬のことで誰にも予想がつかなかった。ジュジュの身体をとっさに繋ぎ止めることもできなかった。

 落ちる瞬間のことはジュジュも憶えてはいない。


 世界がくるっと回転したかと思うと、あっという間の出来事だった。気がつくと、さっきまで甲板から眺めていた青い水の中にいた。


 海水は程よく冷たく、頭上には碧い水面から揺蕩たゆたう光が見えた。


 着ていたワンピースは水を吸ってしまい、重く身体にまとわりつく。かろうじて手足をばたつかせるも、浮かぶのではなく、じょじょに海底に沈んでゆくような感覚があった。すぐに息も苦しくなる。


 どうすることもできずに混乱が極まる寸前に、視界の端に尾びれが映った。

 薄い青銀とも虹色ともとれる大きな尾びれ。

 するとすぐに、二本の白い腕にしっかりと抱き抱えられた。


 ジュジュは苦しい息の中で顔を上げる。尾びれと同じ色の青銀の長い髪が水を泳ぐ。


 琥珀色の瞳が近づいてくる。すると、唇に柔らかなものが押し当てられた。


 それがなにか考える時間もなく、口のなかに新鮮な空気が送り込まれる。


 驚いたジュジュはとっさに目を閉じてしまい、慌てて顔を離そうと唇を開けてしまう。ぼこりと白い空気の泡が浮かんだ。


 白い両手がジュジュの頬を挟む。動けないように固定されると、また柔らかなものが押し当てられて、新鮮な空気が口内を満たした。なすすべもないジュジュは送られた空気を飲み込み、鼻から吐き出す。


 それを数回繰り返す。すると身体と息がとても楽になるのがわかった。


 ……たすけてくれたの?


 恐る恐る瞼を開ける。


 目の前にいたのは、琥珀色の瞳と青銀の長い髪をした少年だった。






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