第29話 皇帝ジョン①前皇帝ウイリアムとの出会い

ジョンが前皇帝ウイリアムと初めて接触を持ったのは、ジョン14歳の時で、これは本書の第19話で背景事情を含め詳しく述べた。その折に、ジョンの皇帝ウイリアムへの接触理由として、ALSに罹患するウイリアムにスティーブの詳細な治療データを提供すること。この利益供与と引き換えに、独裁軍の後押しでスティーブが惑星スノードンの難民収容基地へ移送されることを阻止して貰う。これがそもそもの目的であった。ところが、皇帝ウイリアムの出してきた条件はジョンとミーナにとっては少々意外というか腑に落ちないものであった。


「スティーブの治療データに関する件は了解した。スティーブのために最新の治療を施すことも約束しよう。ただそのための条件として、ジョン。君とお母さん、それに姉さんのリズには守って貰わなければならない約束がある」


なんと! 皇帝ウイリアムは家族間のみの極秘事項で、ほんの僅かな人たちしか知らないはずの、ジョンの姉リズの存在を知っていたのだ。


「ジョン、驚くことはないのだよ。君からスティーブの治療データ提供の申し出がある前から、君たち一家は独裁軍の科技研(科学技術研究所)の調査対象だったのだよ」


ネット画面から、ウイリアムはジョンにやさしく微笑みかけたのだった。彼のALS進行状況はスティーブほど深刻ではなく、手足の麻痺による運動障害と呼吸障害のレベルにとどまり、コミュニケーション障害の発生は未だ初期レベルだった。


「会話に支障はないと思うが、もし必要だったら、電子マイクを使った合成音声で、バルカニア語で語りかけようか」


皇帝ウイリアムは信じられないほど、ジョンに優しく接してくれた。年齢差を勘案すると、正に父親が息子に話しかけるような対応だったのだ。


「いえ、本当に、本当に大丈夫です」


皇帝の真意を窺いながら、ジョンは緊張した面持ちでネット画面をのぞき込んでウイリアムの提案に答えた。確かに若干聞き取りにくい発音もあるにはあったが、事実上の宇宙共通言語ユニガリンを使った生音声での会話で十分意思疎通が図れるものであった。


「本当に、そう硬くならなくていいよ。君のことだから、私がオリオン座を構成する恒星群の中の、3等星π(パイ)3星。このπ3星を巡る第四惑星の、グリア出身であることはすでに調べてあるだろう。グリア星人が緑の惑星アースに生息するカピバラ―――あの動物を直立歩行させたような体形であることも」


皇帝は可笑しそうにジョンを見つめ白い歯を覗かせた。ネット画面の彼は全宇宙人の公約数的体形―――バルカニア人とテミア人、それに惑星アースの人々の体形がこれに近いが―――この体形にコンピューター変換し、画面に登場してジョンに語りかけていたのだ。


「私のALS進行状況は君の予想から外れたようだが、十分な医療設備とスタッフのサポートのおかげなんだよ。いずれにしても私より君の親友スティーブの方が重篤だから、早急に呼吸筋麻痺と嚥下筋麻痺対策が必要だな。このための最新呼吸補助具と胃ろう造設器機をバルカニア号へ送るから、これでスティーブの状態はしばらくは安定するはずだ。スティーブの件が片付いたら、お母さんと一緒にデスアームへ来てくれないか。本当に大事な話があるんだ」


皇帝ウイリアムは、親友スティーブがスノードンへ送られないことは簡単に請け負ってくれて、気負っていたジョンは拍子抜けすると同時に、何か得体の知れない不安感が脳裏に押し寄せたのだった。が、このジョンが襲われた漠然とした印象は、的を外してはいなかった。


ウイリアムの意図はスティーブを助けたいとの思いも当然あっただろうが、主たる目的は全宇宙に混沌と無秩序を生み出す、カオス。そのカオスの根本原因をなす暗黒軍の実体把握と戦闘による殲滅であり、暗黒軍との互いの存在をかけた死闘であったのだ。


この暗黒軍との死闘に勝利するために、未だ正確な実体を確かめ得ていないが、有機生命体を滅ぼしかねない魔物。この魔物の実体に迫る微かな手懸り。これがジョンとミーナそれにリズによってもたらされる可能性が非常に高い―――独裁軍科技研が困難を極めるリサーチを重ねた末に、ようやく入手した知見結果だった。                          


「リズは君のお父さんハドソンと、カプラン62Fの寒冷地ガザールで隠遁者を装う隠れ生活を送っているから、コバックがリズ殺害のために送る凶悪犯アイヒムに二人の居場所を知られないためにも、取り敢えずは君と君のお母さんのミーナとデスアームでの面会の機会を持ちたいんだ」


父親と姉の居場所まで独裁軍に知られていて、ジョンは独裁軍の情報収集力に驚かされたが、暗黒軍に関する驚愕の事実をウイリアムの口から語られるのはまだずっと先のことで、ジョンが成人に近づき、ウイリアムと養子縁組を交わす頃になってようやく知らされることになるのだった。ただ聡明なジョンは14歳であっても、衛星アパが自分たち家族をめぐる全てに暗い影を落としているのではないか―――直感的に理解したのだった。


このジョンの直感には根拠があって、母ミーナとアパの関係が深く暗く、そして苛烈極まりないものだったからだ。アッパーハイスクール(高等学校)の奨学生として、オーフュースを訪れていたミーナは、アパ族族長第一承継順位者チャールズに略奪され、衛星アパでの彼との婚姻生活を余儀なくされてしまった。


アパ族は、銀河系内惑星アースでかつて栄えた騎馬民族国家・モンゴリア帝国を理想像とする民族だった。そんな彼らには略奪婚は茶飯のことで、略取される女性たちも多民族に及んでいて、このことがアパ族の人種構成と共に族長承継問題を複雑なものにしていた。また、被害女性の年齢幅も広く、さらわれた翌年チャールズの子リズを産んだミーナはまだ18歳だった。


20歳になっていたハドソンはミーナの許婚(いいなづけ)で、ミーナ誘拐の1年後、彼は両親と妹の反対を押して、決死の覚悟で恋人奪還のため衛星アパへの潜入を試みた。ハドソンにとって、恋人ミーナのいない世界は一片の存在価値も見いだせず、生きる希望すら湧かないものだったのだ。


情報を収集し分析する、苦悩と焦りの一年が過ぎた時には、ハドソンは衛星アパの自然環境のみならず、政治経済分野のエキスパートにも引けをとらない専門知識を取得していた。近々起こるアパ族族長承継で、チャールズと弟コバックの闘争が不可避との情報を取得するや、ハドソンはID(身分証明書)を偽造し、レアメタル採掘作業員に化けて、単身アパへ乗り込んだのだった。


秘密情報を頼りに、チャールズが弟コバックに殺害される機会を窺いながらの苦渋の日々だったが、2年後漸くチャンスが訪れ、ハドソンは族長承継問題で混乱の極致にあったアパ族の隙を突き、ミーナとリズを漂泊船バルカニア号に連れ帰ったのだった。帰還から1年後、ジョンが産まれ、苛酷極まりない過去3年間だったが、ミーナは漸く二人の子を持つ幸せな母親になれたのだった。


―――母と共に初めて養父ウイリアムに会った日から、既に二十五年が経ってしまったのか……。


旗艦空母デスアームの皇帝執務室で、前皇帝ウイリアムお気に入りだったリクライニングチェアに彼の仕草を真似て、ジョンが細身の長身を委ねる。ゆったりと、自らも愛用し出した椅子に揺られていると、皇帝ジョンのひとときの回想が始まる。


ロネの命令で仕掛けられたドミノプラスチック爆弾回路は、ウェインがミーシャ解明図を送ってくれたので直ちに解除・無能化され、デスアームの安全は確保されていて何の不安もなかった。


さて、ジョンの回想に戻ると、前皇帝の最初のメールから一週間後、ジョンは母ミーナを伴いデスアームを訪れたが、その25年前のことがジョンには忘れられない記憶として脳裏に焼き付けられている。スティーブの治療室としても使っていた、デスアームのコックピット後方の5メートル平方のこの部屋が、皇帝ウイリアムの執務室だった。


「体の自由が利かないので、こんな格好で失礼するよ。さあ、二人とも、リラックスして、ソファーにかけてくれ給え。飲み物は何がいいのかな?」


ネット通信でも、独裁軍の既成概念をひっくり返してしまう皇帝ウイリアムの印象だったが、現実に対面すると、印象どおりというか、それ以上の紳士然とした、物腰の柔らかな50代の男性だった。カーフスキンのコーチに身を横たえたまま、緊張気味の二人に微笑みかけたのだった。


ドクターと思われる男女二人の医療スタッフと護衛兵二人は、皇帝の右指先が軽く動いただけで命令が伝わったのか、尊敬の笑顔と敬礼を残し退出して行った。三人だけで和やかに話し合おうとの、皇帝の配慮だった。


「ええ、ありがとうございます」


息子ジョンにソファーへの着座を促しながら、ミーナが皇帝にスティーブのスノードンへの移送阻止の礼を述べて、自身も息子の隣に腰を下ろし正面のウイリアムに瞳を移した。14歳のジョンは、全く物怖じしない母が頼もしく、また静かだが炎がぶつかり合うような視線の交わりで、二人が完璧な信頼関係を築いたのが認識できたのだった。


実際この先、ミーナは皇帝ウイリアムの申し出を何一つ断ることなく悉く受け入れて、死の床で息子ジョンの行く末をウイリアムに委ね、孫のケビンの安全さえも彼の保護下に置くことを了承したのだった。


「ジョン。魂の繋がる人との間では、言葉は不要なの。お母さんは、皇帝ウイリアムとの間で、それを感じたの。このことは、あなたとの間でも同じよ。あなたのお父さんとの間でも全く変わらないわ。衛星アパでリズを育てているときも、ハドソンはきっとお母さんを取り戻しに来てくれるって、信じて疑わなかったもの。だからあなたも、お父さんやリズ、それにスティーブのような魂の誓いが立つ人とは、決して心を離しちゃだめよ。迷わずに、信じるのよ」


母ミーナの遺言で、ジョンは皇帝に就いてからも片時も忘れることがなかった。


―――魂の誓いか……。


初代皇帝カーター、それに先代のウイリアム達との間で交わされた約束―――暗黒軍の実体を掴み殲滅させるまでは、決して、誰も完全には信じてはいけない―――孤独の中で守り続けてきた独裁軍皇帝不文律であったが、母ミーナの遺言に優先権を譲る時がやってきている。未だ完全には暗黒軍の実体はつかみ切れていないが、攻撃対象は把握できるようにはなったのだ。


―――ボンドの娘テラスに会う必要がありそうだな……。


魂の誓いが立つと確信している五人に、あと一人加える決意をして、ジョンは苦笑いを浮かべながら愛用チェアから立ち上がった。最近、ほん最近に至り、魂の誓いが立つと確信できるようになった男。その自分と同い年の男の娘への、ジョンは肩入れを決意したのだ。


まだ十八というのに、けなげにも母マーヤの意志を継ぎ、平和だったテミアを回復すべく、悪逆無道の権化・ロネと戦っているのだ。ボンドには先般、テミアの国内問題であるとの理由で独裁軍の積極関与は否定したが、ジョンは独裁軍保守派の反対に抗っても、テラス援護の決意を今ここに固めたのだった。


―――さて、会ってなんと話しかけようか……。


39歳のジョンの胸がざわざわと波うち、十代の少年のように沸き立つのだった。

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