第25話 ミーシャの推理
カプラン62fは小さからぬ政変というか、62fの単一国であるバルカニア国の意思決定システムが、少なからざる変更を余儀なくされつつあった。これまで長老エドワード主導の、トップダウンといっても過言でない―――バルカニア国の内部的意思決定様式の傾向。これが顕著だったが、エドワードがナタリーの天才プログラムを恣意的に排除した事実が発覚して、強い批判が彼に加えられたのだ。
バルカニアの伝統は、才能ある者には手厚い保護がなされ、その能力に見合った将来が保障される、というもので、もちろん努力を怠ることは許されないが、能力の芽を摘むことは最も非難に値すると考えられてきたのだ。しかも長老たる地位にある者がその愚を犯したのだから、事実を知った国民の批判、非難は推して知るべしであった。
哀れなのはハロルドで、ナタリーに対する直接関与はなかったが、エドワードとの長く緊密な関係から、セットというか、ほぼ同じ弾劾非難の俎上に載せられていた。二人は査問にかけられ、その評決いかんによっては、刑罰的非難という司法手続きが進行する予定であった。
現在、二人はカプラン62fから出ることは許されず、獄舎に繋がれてはいないが、ほぼ軟禁状態に置かれ、行動の自由は大きく制限されていた。
「ウェイン先生、二時限目の基礎医学の講義は終わりました。少し早いけど、ランチにしましょうか」
医科学カレッジの講義室からうきうきとした足どりで隣の研究棟へ戻ると、ミーシャは自室を素通りし、ウェインの研究室203B室のドアをノックして、笑顔をのぞかせた。
「そうだな。一緒にランチでも食べないと、君はすぐ自室にこもって、食事もせずにiPSとALS研究のとりこになってしまうからな」
ウェインは苦笑いを浮かべながら、皇帝ジョンの脳しゅようの術後経過報告書、これをバインダーに挟んで椅子から立ち上がった。兄スティーブの難病の根治可能性が見えだしてきたのだ。ミーシャにとっては、たとえ一分、一秒でも無駄にできず、ほんの僅かな時間であっても、ALSの究明に回したいのだった。
「本当に時間が欲しくって、一日24時間、iPSとALSに回したいくらいなんだから」
まさに彼女の本音であるが、バルカニアの天才医師にそんな我が儘が許されるはずはなく、活動可能時間、といっても睡眠を削ってのほぼ18時間。これの3分の1は講義に、残りを難度の高い手術と研究に振り分けるのがミーシャのタイムテーブルだった。
「で、研究の方は捗っているのか」
ソファーに腰を下ろすと、ウェインはテーブルにランチボックスを広げるミーシャに優しく声をかける。彼女がエドワードのマインドコントロール下にあった時は、ウェインは対抗的に高飛車で乱暴な態度で接してきたが、最早その必要はなく、恋人に接する態度に改めたのだ。
実は、既に6年が経過してしまったが、新入生を集めた基礎医学の時間に初めて彼女と出会った。そう、ミーシャが医科学カレッジへ入学して最初の講義のとき、ウェインは彼女を見初めたのだ。何と! 思春期に思い描いた理想の女性が、自分の講義を聴くべく瞳を輝かせ、最前列の席から自分を見つめていたのだった。
「ええ。アースでノーベル医学賞を受賞したドクター山中とその仲間の研究者たち、彼らには感謝しかないわ。兄が歩けるような、そんな夢のような未来が訪れたりしたら、それこそ私はアースのヤーポンに足を向けて寝られないわ」
ミーシャもウェインを見上げ、軽口をたたいた。徐々にではあるが、ウェインとは対等な恋人としての関係を築けつつあった。ミーシャがこれほど明るく朗らかになれるのも、iPS細胞が希望をもたらしてくれたからだった。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、脳からの命令を筋肉へ伝える運動ニューロンが変性することによって、全身の筋肉に障害が発生するもので、手厚いケアが無ければ、発症から3~5年で死に至ると言われてきた難病だった。兄スティーブの治療のためにミーシャが望みをかけたiPS研究は、そのiPS細胞の活用であった。
摂取したスティーブの細胞を運動ニューロンに分化させ、スティーブ自身の細胞でALSの経過を研究して、運動ニューロン変性の引き金の究明にミーシャは主眼を置いてきた。そしてその結果でもあるが、特に最近注目しだしたのは、スティーブの脊髄にiPS(人工多能性幹細胞)由来の運動ニューロンを移植することにより、運動機能を補完する方法だった。
以上は、アースのヤーポンにおけるiPS研究、特にキョウト大学の研究者たちの研究に示唆を受けたもので、ミーシャは輝く明日の希望を貰ったのだ。感謝、それこそ最上級の感謝以外、ミーシャは表す言葉を知らなかった。
「ところでね、ウェイン」
フォークに刺したポークをぎこちなく皿に戻して、ミーシャは口ごもった。ウェイン先生と呼ぶ方が抵抗ないが、体のつながりができると、ウェインと呼びたくなるのも事実だった。
「うん?」
「ええ。実は、解剖依頼を受けていたレイナスのことだけど、気になることがあるの。食事中に話すべきことじゃないかも知れないんだけど」
「いいよ。お互い医者なんだから、そんな気遣いは無用だよ。レイナスといえば、ロネに匹敵する極悪人と呼ばれていた人物だったよね」
レイナスはユダルマ星人で、宇宙犯罪史上ワースト10に入る犯罪者とも呼ばれ、高額の賞金がその首に懸けられていた。巨額の賞金を狙った賞金稼ぎや、連邦軍の警察部隊、その他被害国の秘密警察等が躍起になって追い求めたが、レイナス捕縛には至らなかった。
「確か、太陽系の第六惑星サターン。そのサターンのリング上で、逃走小型宇宙艇が発見されたんだけど、船内にレイナスの凍った死体があったんだったよね」
賞金稼ぎから逃げる途中、小型宇宙艇でサターンのリングまでは達したが、燃料切れのためレイナスは敢え無い最期を遂げたのだった。その死因解明のための解剖依頼が医科学研究所に持ち込まれ、ミーシャが担当したのだ。
「何か、不審な点でも?」
「ええ。ちょっと、レイナスの脳の画像を見てくれる」
ミーシャがデスクへ移動して、パソコンを開いて画像を呼び出す。
「エッ! 何だ! これは!」
画像を拡大して、ウェインは驚きの声を上げた。大脳辺縁部に、びっしりとミトコンドリア状のものが張り付いているのだ。ミトコンドリアは真核生物の小器官細胞だが、画像の脳に張り付いている小細胞はミトコンドリアと違って、二重の生体膜を持っておらず一重だった。
「ね、おかしいでしょう。しかもね、つぶさに観察すると、ごく僅かだけど、突然変異を起こしたと思われるものがあってね、それが長い突起を出して前頭前野に自己の一部を突き刺しているのよ」
「ちょっと待ってくれよ。・・・・・・ひょっとして君は、レイナスの異常な犯罪行動は、このミトコンドリアもどきの、しかも突然変異を起こした奴の長ヤリ突起。これが原因かもしれないっていうのか?」
「ええ。もしボンド中佐の言うように、悪の枢軸が独裁軍ではなく、容易に姿を掴めない暗黒軍だというなら、このミトコンドリアもどきの突然変異細胞。これが高い知能を有するかは別にして、それが暗黒軍の実態であるように思われない?」
「‥‥‥うーん」
ミーシャの推理に、ウェインは目をつぶって腕を組むと、体の奥からうめき声を漏らしてしまった。
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