第17話 オーフュース内戦前夜②弟タケルとの別れ

共に神之道家の家族として育てられ、姉と弟の関係だったが、タケルはどんな思いでテラスを見つめてきたのであろうか。母親は同じであったとしても、明らかに耳の形が違う姉と自分。身長も、178㎝ある姉に較べ、弟の自分は170㎝余りしかないのだ。


運動能力に至っては、中・高で陸上や水泳競技で数々の記録を打ち立てそれを保持している姉には及ぶべくもなく、自分は凡庸だった。ただ、姉に近づきたくて懸命に努力をした。キワムの教えも理にかなったものだったので、ヤーポン人の生徒と比較すれば、はるかに高位置のレベルをキープしているが、それでも姉には遠く及ばないものだった。


「姉上、どうして拙者はこんなに弱いのでござろうか。姉上のように強くなりたいのでござる」

 

小学校低学年の時はよくイジメに遭ったが、いつも姉のテラスが助けてくれた。弟の急を察知して、まるで風のように現れては救いの手を差し伸べてくれたのだ。


武家言葉を真似ると強くなれそうな気がして、物心ついた頃からタケルは武家言葉を使ったが、それで余計イジメられた。高学年になると、武術の技が身について、イジメの対処は容易にはなったが、それでも姉にははるかに及ばなかった。


「ジイジ、拙者は本当に姉上の弟でござるのか?」

 

高校へ入ってしばらくして、タケルはキワムに長年の疑問を口にした。18になったテラスが耳を隠さず、ショートヘアでハイスクールに通うようになったことが大きなきっかけだった。


「‥‥‥テラスには折々話し出しているのじゃが、お前にも話さねばならないと思っていたので、ちょうど良い機会かな。ただ、あまりにも長い話になるので、時間を見つけた折々に、ゆっくりと話させてくれないか」


春ゼミの声に包まれた武道場の畳敷きで、キワムは母マーヤとの出会いや彼がテラスとタケルをオーフュースへ帰す決意であること、そのために過酷ともいえる学習や武術訓練を課して来たことを、別れを意識してか、寂し気な笑顔を交えて語ってくれたのだった。


「お前とテラスはれっきとした姉弟で、二人ともテミア王国の正当後継者なんじゃ。・・・・・・ただ、テラスの父親はバルカニア人で、お前の父はヤーポン人であるという差。これが、運動や学習面で大きな差を生み出すんじゃろうな」

 

予備知識として頭に入っていたので、ボンド中佐が我が家を訪れたとき、姉の父かも知れないと思って、タケルはテラスを促し会いに行こうとしたが、姉に激しく拒まれたのだった。


「テラスはお母さんに対する思い入れが殊のほか強いんじゃよ。テラスと同い年の18の時にバルカニア人と恋に落ち、テラスを身ごもったんじゃから、無理もないかな‥‥‥。お前も分かっていると思うが、テラスの父はボンド中佐だよ」


重大事実を打ち明けて、キワムはタケルの表情を伺うように彼の顔を覗き込んで、話を続けた。


「そのボンドのことだが、彼はまったく知らなかったんじゃよ。恋人マーヤを襲った過酷な運命を知っておれば、彼は命を懸けてもお前たちの母を守っただろうが、ひたすら忘れることに努めていた結果が不幸を招いてしまったんじゃよ」

 

ボンドがテラスの父であることは、キワムもごく最近知ったことで、薄々は感じていたが、ハミングバードで神之道神社を訪れたときの、キワムの手を握り涙を浮かべた仕草で確信したのだった。


「ジイジ、男というものは時に悲しいものでござるな。拙者もヘス(ヘスティア)を悲しませないよう努めるつもりでござったが、母上とテミア王国の話を聞くと、姉上と共にオーフュース内戦に加わることが我が責務と思うようになり申した」

 

実際、姉のテラスはハイスクールの卒業を前に、近々退学手続きを取るつもりらしく、身近にいると、オーフュース帰国意思と内戦への加入決意が日々、タケルに強く迫って来るのだった。


ヤーポン歴の12月28日。テラスはゲーリから伝えられるテミアでのレジスタンス部隊の窮状を憂い、キワムの承諾を得て、タイトウ区今戸にある区立のハイスクール深川高校へ退学届を提出に出かけたが、担任及び校長先生から強く慰留されてしまった。あと三カ月で卒業なのだから、どんな事情があるか知らないが、このまま休学扱いでも卒業に然程支障があるとも思われず、退学届けは校長預かり、という提案を受けたのだ。


「分かりました」


二人に押し切られる形で承諾を与え、テラスは校長室を後にした。校庭へ出て、数々の記録を打ち立てた校内の温水プール前にしばらく佇んでいたが、未練を断ち切るように唇を結ぶと、テラスは通いなれた校門を後にした。北ノボ城攻撃のチャンスは限られていて、吹雪に曝されるここ二週間余りを逃すと、レジスタンスの北極基地が逆に敵攻撃で壊滅の危機に陥ってしまうのだ。


―――そう、感傷に浸っている余裕は無いのだ……。


強い決意を胸にテラスがハイスクール近くの、タケルとよくお参りをした稲荷神社へ別れに訪れると、並んだ赤い鳥居前で、タケルが思いつめた顔でテラスを待っていた。


「どうしたの? タケル。授業は?」

 

肌を刺す寒風に、テラスが口から白い息を漏らし、怪訝顔で弟に話しかけた。コロナ禍の臨時休暇を補うべく、補習授業が30日まで組み込まていたのだ。


「姉上。拙者を置いて、一人でオーフュースへ行くのでござるか?」

 

タケルは泣きそうな顔で姉を見上げた。コロナ禍の緊急事態宣言が一服し、補習授業のはずなのに、姉はカバンを持たずセーラーの制服にハーフコートを羽織っただけ。そんな軽装で、朝早く登校したのでタケルはテラスの退学届提出を読んでいたのだ。一時限目の授業は出ずに、姉とよく遊んだこの合力稲荷神社で待っていると、義理堅いテラスはやはり神社にお別れを伝えにやって来たのだった。


「タケル、お願いだから聴いてほしいの。今あなたをオーフュースへ一緒に連れて行くわけにはいかないのよ」


明るい日差しを避けて、テラスは境内奥の松の木の下に弟をいざない、彼の肩に優しく両手を乗せた。お前と呼ばずにあなたと言い方を変えたのは、タケルに自覚を持たせるためだった。もし自分がオーフュースで戦死するようなことがあれば、王位継承権を持つのはロネを除き、タケル一人になってしまうのだ。


「いま拙者が一緒に行けば、姉上の足手まといになってしまうからでござるか」

 

タケルは唇をわななかせ、うつむいたまま必死に涙をこらえている。


「確かにそれもあるけど、あなたにはジイジのところで神之道武術と兵法を極めてほしいの。そしてヘスと結婚して、お母さんの血を引く子供たちを生んで貰いたいの」

 

母マーヤに話が及ぶと、テラスの目に涙があふれる。夫ワタルを殺害され、身寄りのないこのヤーポンでたった一人で二人の子供を守り、亡くなって行った母マーヤ。どれほど心細く、また無念であったことか。キワムに教えられた母の最期の抵抗と自分の頬をなでる涙の顔が瞼に浮かぶと、テラスはこらえ切れずにタケルの肩に顔をうずめ激しく泣きじゃくった。


「姉上、分かり申した。分かり申したから、もう泣かないでくだされ。姉上の足手まといにならぬよう、ジイジに鍛え上げられてから、拙者も母上の母国へ参ります。・・・・・・ただ、オーフュースへ行くのはもう少し後でもよいのではござらぬのか」

 

こんなに取り乱した姉は初めてだった。それに、姉の涙はどんな言葉よりもタケルには説得力があった。これまで姉の涙は一度も見たことがなかったのだ。キワムの過酷極まりない訓練にも、決してネを上げなかった姉が、目の前で激しく泣きじゃくっている。こんな姉の姿を見ると、タケルは無理を通すことなど出来るはずがなかった。ただ、オーフュースへの出発が性急すぎるような気がして、それを口にしたのだ。


「ごめんね、取り乱して。ジイジに教えられたお母さんの最期を思い出すと、堪らなくなるの。―――さあ、もう大丈夫だから。・・・・・・そうよね、オーフュースへの出発は気象条件との関係では、あと暫くの余裕がなくもないのだけど、レアメタル・テミレートの発掘作業に従事させられている人たちの救助のためには、一日も早い作戦開始が必要なのよ」


レアメタル・テミレートは能内神経細胞ニューロンの接合部分に溜るゴミ、特にアルミ等の金属除去に有用であるとの研究結果が出ており、認知症の予防に画期的な役割を果たすと期待されていた。遺伝性のアルツハイマー型認知症を除き、認知症の大きな原因として、ニューロン間の隙間にアルミを含む微細物質が付着することで神経伝達が阻害されるとの実証例が報告されていることもあり、そのゴミ除去にテミレートが有効ではないかと期待されているのだ。


二十年近く前、認知症予防に一躍脚光を浴びたテミレートで、当初、少数民族や貧困層が重労働を強いられ、採掘及び生産業務に従事していたが、過酷な現場に事故はつきもので、多くの労働者の命が失われた。それを救ったのが、タケルの父ワタル主導の機械化策で、これにより採掘現場での事故が激減し、死亡事故は近年ほとんど報告されなくなっていた。


ところが、大量キラーロボ製造による国家財政悪化が、死亡事故の激増をもたらす結果に至ってしまった。国家財政を潤すテミレートの増産命令。ロネのなりふり構わぬ増産に次ぐ増産命令により、貧困層や少数民族が採掘現場に駆り出され、かつてのような劣悪な環境下での重労働で、今年だけでも七万人近い死亡者が既に報告されていた。


「拙者の父ワタルがかかわったレアメタルの採掘に、姉上の行動が左右されるというのは、何とも、因果を感じてしまいまするな」


「そうね、タケル。私もあなたもこの先、生涯にわたり、オーフュースとかかわって生きて行かねばならないみたいね。お母さんはたった一人で戦わざるを得なかったけど、私たちは二人で、しかもレジスタンス部隊の人たちや、その他多くの仲間がいるんだから頑張りましょう。それじゃ色々準備もあるから、本当に慌ただしくてごめんだけど、私は先に帰らせて貰うわね。じゃあね」


ようやく笑顔を取り戻し、別れを告げた姉に、


「左様、ボンド中佐もいることでござるし」

 

タケルは最も頼りになる人物の名前を投げて、姉の後姿を見送ったのだった。

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