第14話 白鳥の愛と奇跡②バルカニア人医師ウェイン

「中佐ー! ボンド中佐ー!」

 

ギャラクシーのプラットホームに収容され、スワローバードのルーフが開けられると、ジュニアが泣き声でボンドの名を呼んだ。


「ジュニア、千加子はどこだ!」

 

通路からプラットホームへ駈け込んで来たボンドが、呆然と立ち尽くすジュニアに千加子の所在を確認する。


「おいっ! 千加子! 千加子司令官!」

 

船内のシートに横たわる千加子に駆け寄り、心肺停止を確認すると、ボンドは迷いなく口づけで彼女の肺に自分の息を吹き込み、右手で心臓マッサージを施す。軽々と移動ベッドへ移し替え、抱いたまま集中治療室へ運びながら、


「ドクター! ドクターを呼べ! 早くしろ!」

 

大声で医療スタッフに命令しては、ボンドは息を吹き込み続けた。大型客船グレイシャスの予備電源起動と安全飛行確認。これに手間どってしまい、千加子救出に遅れを生じてしまったことが心底悔やまれる。フロアを走りながら、ICUまでの距離が何と遠く感じられることか。


「ドクター! ドクターはまだか!」

 

ようやくICUのベッドに千加子を運び込んで寝かせると、血色の消えた彼女の唇から息を吹き込んでは、合間に、大声でドクターを呼び続けた。


「なんだ、何だ。人使いの荒い司令官だな。睡眠2時間の上に、これでも走って来たんだぜ」

 

ようやくドクターがICUへ入ってきたが、


「エッ! お前は!」

 

二人の口から同時に、同じ言葉が相手に発せられた。ドクターとしてやって来たのは、ボンドと初等・中等スクールで席を並べた親友のウェインだったのだ。


「おっと、21年ぶりの再会を祝う状況じゃないようだな。ミーシャ、人工呼吸器装着。それから点滴液の濃度は―――」

 

ウエインはベッドに横たわる千加子を見て、彼に付いてきた―――ひと目でバルカニア人と分かる若い女性スタッフにてきぱきと指示を与える。21年前、ボンドが連邦軍幹部養成大学、ウエインは医科学専門カレッジへ入って以来の再会だった。


「喜べ、ボンド。脳死は免れたようだぞ」

 

彼レベルになると、頭の触診だけで脳死か否かの判断がつくようである。千加子の頭を両手で包み込むようにして、慎重に感触を確かめていたが、ボンドにほっと安堵の笑顔を向けた。


「そうか!」

 

ボンドにとっては、何よりの朗報だった。取り敢えずは第一関門突破なのだ。


「ミーシャ。人工呼吸器は外していい。・・・・・・何という生命力だ! しかし、厄介だな」


「おい、どういうことだ!」


「うん。心肺停止と判断したんだが、かすかだが、つまり冬眠状態に近い心臓の動きが認められるんだ。ほら、モニターではフラットなんだが、パルスオキシメータや精密機器は完全なゼロ表示ではないだろう。・・・・・・恐らく10分以上も酸素の供給が止まっていたので、本来は脳死に至ったところだが、生命を維持するために、本能的に彼女の体が冬眠状態を選んだんだろう」


「厄介、というのはどういうことだ?」


「うん。覚醒手段の選択が限られると思うんだ。九分九厘脳死に至るところ、ギリギリの自衛本能で冬眠状態に入ったので、デリケートで壊れやすい危険性と、現状維持の強固性を合わせ持っている。ま、これが、滅多にお目にかからん、というか初めてお目にかかった症例に対する、俺の判断だ。ただ、お前がしていた必死のmouth-to-mouth(口移し)は俺には怖くて出来ないが、あれで壊れなかったんだから、リカバーは逆の意味で困難を極めるかも知れんな。いずれにしても、早く手段を決めて取りかからないと、冬眠状態の強固性を持つとしても、・・・・・・見たところ、強度のストレス下にあったと判断されるんで、彼女の体はそう長くは持つまい」


「どうしたらいいんだ。何としても助けたいんだ」


「冷静だったお前が、あんな大声を出して、しかもこの取り乱しようだ。彼女を何としても救いたいのは、俺にも伝わって来るよ。・・・・・・どうだボンド。LMR(Love Method for Revival)を施してみたら。初等、中等の保健の授業でみっちり仕込まれたんだ。お前にもできるだろう、というより、バルカニア人だったら誰でもできるはずだ。俺がやってもいいんだが、ミーシャが怒るだろう。な、ミーシャ」

 

ウェインが苦笑いをミーシャに向けると、彼女は知りません! と、プイと横を向いてしまった。


さて、バルカニア人たちの間で、初等、中等スクールでの授業で採用されている心肺停止からの復活蘇生手段LMRを語るには、バルカニア人たちが生まれ育った惑星カプラン62fの過酷な環境について話さねばならないだろう。


アースから1200光年離れたケプラー62fはハビタブルゾーン(生命体生存領域)として大きな期待を持たれているが、カプラン62fもケプラー62fと双子星と呼ばれるくらいよく似た惑星で、アースやフェニアンそれにオーフュースに匹敵する快適な生存環境を保持していた。


そのカプラン62fに122年前、直径30㎞に及ぶ小惑星が異常接近したのだ。6600万年前にアースに衝突した小惑星は直径約10㎞、これで恐竜が滅んだアースの歴史はバルカニアの初等・中等の教科書にも記載されていて、小惑星接近にバルカニア人はパニックに陥ったのだった。


もっとも、アースと違い、小惑星のカプラン62fへの衝突は免れたが、大きなダメージを受けてしまった。異常接近通過のあおりでカプラン62fの大気圏の二酸化炭素の約80%が、小惑星通過で引きちぎられるような形で宇宙へ霧散してしまったのだ。


結果、カプラン62fの大地の約80%が昼は70°近い灼熱の砂漠。夜は-70°という極寒の氷土に覆われる過酷な環境下に置かれてしまった。


11年後、一部のバルカニア人たちはより快適な環境を求めてカプラン62fを脱出したが、まだ数万人を乗せた大型宇宙船は宇宙をさまよったままで移住先は決まっていない。カプラン62fに残ったバルカニア人たちは、彼らを漂泊の民とか旅人と呼んで一線を画している。


さて、カプラン62fに残ったバルカニア人たちは、小惑星通過直後から適応困難な環境下に投げ出されてしまったが、特に深刻な事態に見舞われたのは子供や若者たちであった。思慮がまだ浅く、活発な動きをすることから、高温と寒冷の切り替え時間を忘れ、また避難場所の存在も忘れがちであった。


結果的に多くの子供や若者たちの命が失われたが、バルカニア人たちは心肺停止に陥った場合の救助策を偶然にも発見したのだ。必要は発明の母といってよいような、全くの偶然により得られた策であったが、これにより多くの若者や子供たちが死の淵からの生還を果たしたのだった。


18と17歳の恋人たちの行為によってもたらされたことから、Love Method for Revival(復活のための愛の手法)と呼ばれているが、端的に言えば、性交によって心肺停止からの脱却を図るもので、最も有効な行為形式が、試行錯誤を繰り返した結果、理論的にまとめ上げられ、初等・中等スクールでの授業にも取り入れられていた。


性技としての完成度は、アースの古代インドで作成された性典カーマスートラを遥かに凌ぐもので、医学的にも高い評価を与えられるべきものだが、バルカニア人以外にLMRの存在を知る者はいない。平均IQ138という、アースでは天才と呼ばれる値が、バルカニア人の平均的知能指数なのだ。この高い知能とLMRは乖離があり過ぎ、また民族に対する誤解を招きやすいので、LMRは暗黙であるが、民族外不出であった。


「さあ、ボンド。そろそろ取り掛からないと、若いが、レジスタンス司令官としては稀有な人材を失ってしまうぞ。・・・・・・お前が迷っているのは、恐らくテラス姫を想ってのことだろうが、娘と恋人は違うだろう」


「エッ?! お前、どうしてそれを!」

 

親友の言葉にボンドは絶句して立ちすくんでしまった。まさかウェインが自分とテラスの親子関係を知っていようとは思いもよらなかったのだ。


「ミーシャ、そんな怖い顔をするなよ。宇宙共通医師法の守秘義務に違反するのは分かっているが、21年ぶりの親友との再会だ。口が滑らかになるのも仕方ないだろう。それに、ボンドは決して口外はしないよ」

 

ふくれっ面の、恋人なのか、単なる助手にすぎないということはないだろうが、清楚―――この表現以外に伝えようのない、すらりとした肉薄の長身に黒目がちの一重瞼。その彼女に苦笑いを浮かべ肩をすくめると、ウェインは驚愕の事実を親友に語ったのだった。


まず、テラスとボンドの関係は、アースのヤーポンでの学術会議で研究仲間の医師ナカムラからの情報で知ったのだった。トウキョウ都の嘱託医師であるナカムラは、都開催の癌研究シンポジウムで、


「ウェイン先生と同じ耳の形をした娘さんが、都内在住なんですよ。知能も体力もヤーポン人とは思われないレベルなんですが、一度お会いになってみませんか。私しか知らないトップシークレットで、お互い守秘義務を持つ医師としてお伝えするのですが、名前は神之道テラスといいます」

 

隣席のウェインに、敬愛の眼差しでささやきかけたのだった。


「一目見て、お前の娘だと分かったよ。俺はそのとき、二つの手術依頼を受けていたんだが、一つは独裁軍のエンペラー、つまり皇帝の脳しゅようの摘出手術。なぜ俺に独裁軍トップの手術依頼が回って来たかというと、彼は旅人―――そう111年前に宇宙へ旅立った我々バルカニア人の仲間だったんだよ。かなり困難な手術で、独裁軍領内で必死に医師を捜したらしいんだが、結局、同族への信頼の誘惑に勝てなかったんだな」


旅人と旧のバルカニア人とは、今では思想的に大きな隔たりがあり、旅人は正義と秩序と具体的妥当性の調和に哲学的価値を認め、それから演繹した行動を選ぶと言われていて、何より自由を重んじるボンドやウェイン達とは別民族のような様相を呈している。その皇帝、バルカニア名をジョンというらしいが、彼がどのような経緯で独裁軍の皇帝に就いたのか。ボンドには興味があるが、ウェインにはさしたる興味の対象ではなかった。


「あと一つの手術依頼は、サラム将軍の大脳皮質辺縁分離手術だったんだ」


「エッ! サラム将軍の手術もお前がしたのか!」

 

ボンドは驚かされることばかりだった。


「ああ、俺だよ。最初はロネの手先だと思って、将軍は俺を敵視して、すごい形相で睨んでいたよ。マーヤ様の生きた姿か、マーヤ様の血を引く方の姿を見るまでは決して死ねない、と悲壮な決意だったな。そこで俺は、マーヤ姫が亡くなってしまっていること、娘のテラス姫がヤーポンで生存していることを伝え、ハイスクールへ通う彼女のフォトを見せたんだ。・・・・・・凄かったな。あんな号泣は初めて見たよ。『ああ、これで自分はいつでも死ねる!』と言って、俺にテラス姫への忠誠を残す脳手術を依頼して、術後、壮絶な死を遂げたんだ」


当時を思い出しながら、ウェインは神妙な面持ちで続けた。


「‥‥‥ほんとうに穏やかな死に顔だった。マーヤ姫は彼のすべてだったとそのとき理解したよ。娘のテラス姫への忠誠を残すことで、将軍はマーヤ姫との約束を果たし、自己の存在を全うできたんだな。・・・・・・こんな立派な人物を死に追いやる、ロネという男を、そのとき心底憎んだよ。―――ま、戦いは俺の領分じゃなくて、お前の役目だがな」


真剣な眼差しのボンドに苦笑いを返すと、ウェインは一つため息を吐いて続けた。


「さあ、しゃべり過ぎてしまったが、そろそろLMRに取りかからないと手遅れになってしまう。お前の選択と違って、千加子には生か死かの二者の択一しかないんだからな。悩むのは後でいいだろう。さあ、色男。とっとと役目を果たせよ! ミーシャ、行くぞ! 眠くてたまらん」

 

ウェインはしゃべるだけしゃべると、美人助手を連れてICUから出ようとするが、


「ボンド中佐。お願いがあります」

 

ミーシャは上司を無視して、千加子を見つめ悩みの渦中にあるボンドの背中に声をかけた。


「中佐と千加子さんのLMRを、ここで見させて戴きたいんです」

 

振り向いたボンドにミーシャは平然と願いの内容を伝達する。


「おい、ミーシャ。何を言ってるんだ! ボンドと千加子の愛の営みを間近で見ようっていうのか。24歳の若い娘の言うことじゃないぞ! 愛の営みだったら、俺と仮眠室のベッドですればいいじゃないか」


「先生はLMRで千加子さんが回復することに疑いを持っていないようですが、私は予断を許さない状況であることには変わりないと考えています。もしもの時にはきめ細やかな判断と処置ができる、女性医師が付き添っていた方が良いというのが理由の一つ。あと一つは、子供のころから母に言われて来た呪縛からの解放です」


「どんな呪縛なんだよ」


「ウェイン先生のような我がまま勝手な生き方をする人を好きになってはいけない。結婚するなら、同じくバルカニアの天才と呼ばれるボンド中佐のような人としなさい、って言われ続けてきたので、この機会に心の切りをつけたいんです。・・・・・・私も重大決意をしているんだから、四の五の言わずに、もう! 早く仮眠室へ寝に行ってよ!」

 

泣きそうな顔のミーシャに告げられると、ウエインはお手上げだと言わんばかりの仕草を浮かべICUから出て行ってしまった。


「さあ、中佐。早く準備をして下さい。残された時間はあまりないんだから、さあ、早く!」

 

有無を言わさぬ口調でボンドに告げると、ミーシャは手際よく千加子の宇宙スーツを脱がせ、あっという間に下着をはぎ取ってしまった。


―――エッ! そんな……。


驚いたのは千加子だった。幽体離脱下に置かれていて、魂はICUの室内にとどまっているのだ。先ほどまでのボンドの行為もすべて彼女の視野に入っていて、体の反応がないだけなのだ。ボンドのキスも乳房のマッサージも感じられないのがもどかしい。


―――私を生の世界へ引き戻してくれる唯一の男性。


間もなく彼とのSEXで蘇る心身の融合。それらを同性であるミーシャが、二人の間近で見つめるという。何と恥ずかしい。


「分かったよ、ミーシャ。教わった通りの手順でLMRに取り掛かるので、間違っていたら指摘してくれないか」

 

ボンドもようやく覚悟を決めたのか、ミーシャの指示に従い、衣服を脱いで全裸になったが、39歳とは思えぬ若々しくスリムだが頑丈な体躯だった。


―――あー! 恥ずかしい! 

 

マニュアル通りであろうが、キスもディープで舌を絡められ、右の乳首をつまむように揉んでは左の乳房を手のひらに包み込む。こんな濃厚な愛撫に心が狂おしく反応するが、体が無感覚なのが千加子は悩ましい。


ミーシャは千加子の体温や機器を確認するが、まだ、とボンドに首を振ると次の動作を促す。


「あ、中佐。待ってください」

 

ベッドへ移ろうとするボンドに、ミーシャが思い出したように声をかけた。


「滑らかにしておいた方が良いので」

 

ミーシャはごく自然に白衣のひざを折ると、ボンドの下腹部に顔を近づけ、マニュアル通りなのか、口に含んで舌を絡ませた。


「あっ! いや! 私のボンドなのに」

 

思わず口を開いたのは千加子だったが、勿論二人には聞こえていない。


「さあ、中佐」

 

少し上気したミーシャが、ボンドに中断したLMRの続行を促す。


「うん」

 

ミーシャにより開かれた千加子の体に、ボンドが優しく重なって、唇を合わせたまま、ゆっくりと入っていくと、


「アッ!」


今回も体ではなく、離脱した千加子が小さく口を開けた。滑らかにゆっくりと更に深く、ボンドの体が千加子の内へ押し進んで行く。


「アーッ! ―――い、痛い!」

 

形の良い唇が小さく声を上げると、間近で見つめるミーシャが、安堵と戸惑いの表情をボンドに送った。生への生還を確認した安堵が勝るが、処女だった千加子の扱いに苦慮したのだ。ボンドも同じ思いで、千加子との結びを解こうとして腕に力を入れ、体を支え上げようとするが、


「いや!」

 

千加子の脚がボンドの下半身に絡んで離さなかった。


「おめでとう千加子。そしてありがとう、私の愛のキューピッド!」

 

ミーシャは重なり合った二人の頬にキスをすると、苦笑いを浮かべ、仮眠室へ駆けて行った。

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