第14話 ちょっとした成長
「ありゃ、飛び降りちまった」
静香が出ていった窓を見ながら、組長がそう零した。
「おい、このままじゃ静香ちゃんが死んじまうぞ」
そんなこと、俺だって分かっている。
さっき見た限り、静香の体はすでに再生が追い付いていない状態だった。もしも落下によって大怪我を負えば、取り返しのつかないことになる可能性が高い。
「無茶をするようになったなぁ、静香ちゃんも」
「……なぁ」
「あ? なんだ?」
俺の呼びかけに、組長は少しキレ気味に反応した。
静香の言ったことは、まだ理解できていない。何をすべきかも分からないし、自分がしたいことも分からない。だが——。
「檜山をぶっ飛ばしたら、静香の言うことを聞いてくれないか」
「……へぇ?」
組長に向き直り、俺はそう提案した。
彼の険しい表情は変わらない。昔の俺ならその圧で怯み、声も出せなくなっていただろう。
しかし、今の俺にはそうはならない理由がある。
「心変わりか? なぜ急に静香ちゃんのために動こうとする?」
「……山暮らしをしていて、俺はすっかり忘れていた」
家を飛び出す前のことを思い出した。
苦しい生活の中でもずっと笑っていた母を、弱いところを一切見せず、国のために動いていた父を。
「そう、忘れてたんだ。この国が、一体どんな現状なのか!」
家を出て、山で暮らし、俺は自立できていると思っていた。それ自体は、間違いじゃないだろう。だがそれでは、たくさんの物が足りなかった。
「京都の町を見て、ようやく実感できた。俺は、心がまだ子供だって」
ここに来てから、いろんな人を見かけた。その中には、明らかに俺よりも年下なのに働いている子供の姿があった。
俺はというと、どうだろうか? 静香に甘え、この体を言い訳にして、何も行動を起こそうとしない。
「そりゃ静香も嫌になるよな。自分は必死に生きてるのに」
「だから、静香ちゃんのために動くと?」
「そうだ」
俺は窓から身を乗り出し、レールに足をかける。
やはり、かなりの高層ビルだ。下を見ると、すでに飛び降りた静香が、落下しながら檜山とやりあっている。
「答えは聞かない。ただ、俺を見ていてほしい」
口でどう言おうと変わらない。とりあえず、行動を起こさなければならない。
それが、静香の力になれる唯一の方法なのだから。
「絶対に……納得させてやる」
「ああ、行ってこい」
そう決意を告げ、俺は窓から飛び降りた。
最大火力のジェット噴射を伴って。
◇
私が窓から飛び降りると、凛はすでに体勢を立て直し、こちらへ攻撃の構えをとっていた。
しかし、彼との距離は十メートルほど離れているため、そんな位置から拳をふるっても突風しか届かないように思える。
「こんな距離でなにを——」
次の瞬間、凄まじい破裂音と共に、凛がこちらにはじけ飛んできた。
私はそれに反応できず、鳩尾に強烈な一撃を食らってしまう。
「カッ——」
「ビルから落とした程度で、追い詰めたと思ったか?」
「……さっきから思ってたけど、女の子にも容赦ないね」
「ヤクザに女もクソもあるかよ?」
強がってそんな言葉を吐きながら、私は拳に音を蓄積させる。
——音は衝撃。
私はとびきり強い音を拳にため、凛の顔面めがけてそれを振るう。
「当たるかよ」
「当たらなくてもいいんだよッ!」
首をひねって回避されるが、それでいい。私は蓄積していた音を解放し、回避した凛の耳元で爆音を響かせた。
「なっ!?」
手榴弾を易々と上回るその爆音を耳元で聞いてしまった凛は、声を上げて一瞬で気絶したように見えた。私は追撃のつもりで、今放った音と同じレベルの音をもう片方の手に蓄積し、右わき腹を殴ろうとした。
「死ねッ!」
「効かねぇ——」
「はっ!?」
気を失ったように見えた凛は、ハッキリとした意識を持ってこちらを睨んでいた。
咄嗟に攻撃をやめ、防御に周ろうとする。だが、間に合わない。
「——なっ!」
「がっ!?」
凛と密着するほどの距離にいた私は、彼の渾身の頭突きをもろに受けた。
視界が揺れる。さらには痛みも感じない程に意識が朦朧とし、体に力が入らなくなる。
そして、ぼやけた視界の中で、凛が私の頭を掴もうとしているのが見えた。
「……やっぱ、勝てないか」
ふと、後悔と共にそんな言葉が出てしまった。その直後に諦めの感情が芽生え、スーッと体から力が抜けていく。
そもそも、こんな仕事自体やりたくなかったのだ。まだ会長への義理が果たせていないが、私も必死に頑張ったので、それは見逃してほしい。
——そう、考えた時だった。
「待てコラァ!」
目の前にいた凛が吹っ飛んだかと思うと、凄まじい熱波と共に、私の体に強いGが加わった。
気づいた時には私は地面に着地しており、ビルに入る時に通った自動ドアがすぐそこにあった。
「今の落下で気絶すらしないとか……炎出すしかないか?」
「……って、原始人くん!? 上にいてって——」
「うるせぇ! そこで座ってろ」
原始人くんはこちらに背を向け、ビル前の歩道に立っている凛を睨んでいた。
凛も原始人くんを睨んでおり、よく見ると白スーツのあちこちに焦げた跡が見受けられる。
「おいおい、マジで何がしたいんだよお前」
凛が機嫌悪そうに、原始人くんに問いかける。
「ガキよりもガキみてぇな価値観の野郎が、ヤクザ同士のやり取りに首ツッコんでんじゃねーぞ? あ?」
私が与えたダメージのせいでもあるだろうが、凛は相当イライラしていた。
原始人くんを喧嘩に巻き込むわけにはいかない。私はすぐに立ち上がり、原始人くんの前に立ち塞がろうとした。
「そうだ、俺は子供だ。体だけ成長して、心が全然成長してない」
そんな私を彼は手で制止し、凛に言葉を返した。
彼がなにをしようとしているかが分からない。一瞬止めようかと思ったが、彼はその前に言葉を続けた。
「でもな、そんな俺でもできることがある」
「はぁ? なんだそれ」
「誰かのために動くってことだよッ!」
原始人くんから黒い炎が立ちあがる。あまりの熱さに私は距離をとり、ビルの自動ドア付近の壁にもたれかかる。
見ると、彼の足元の石のタイルはすでに赤く溶解しきっていた。
「それに、『若人笑うな来た道だ』って言葉もあるだろ?」
「黙れよガキが!」
凛は凄まじい速度で原始人くんに接近し、顎へ向けて拳を放った。その拳は間違いなく直撃したが、原始人くんが怯むどころか、凛の拳を一瞬でドロドロに溶かしてしまった。
「あっちぃ!?」
「ちょっと寝てろ!」
咄嗟に拳を引っ込めた凛。その間に拳を握り、原始人くんは凛のすぐ足元の地面へ拳を突き刺す
そしてその場に、一瞬の赤い火柱が立ち昇った。
「凛!?」
火柱が消え去った跡には、服の大半が焦げ落ち、煤だらけでボロボロになった全裸の凛が倒れていた。
それを見て私が茫然としていると、原始人くんがこちらに歩み寄ってくる。
「ごめん、静香」
「えっ、なに?」
「俺は今まで、何も行動を起こそうとしてこなかった。お前に甘えていたんだ」
顔が焼け焦げているのでどんな表情をしているかは分からないが、彼は真剣な声色で語り始めた。
「何もやりたいことがなくて、俺にはお前の陰に隠れることしかできなかった。本当に、子供だった」
「……そうだね」
彼は私の目の前に来ると、膝をついて私に視線の高さを合わせ、真剣なまなざしでこちらを見る。
「俺は十歳の頃から山で暮らしてた。人と関わりを持ってこなかった分、そこで精神的な成長が止まっちまったんだと思う」
「うん」
「でも、これから少しづつ成長して見せるから、どうか——」
「……」
「——どうか、俺を捨てないでくれ」
彼の心は伝わった。誠意を持っているのは分かる。彼なりの覚悟を持っていることも。
だが、一つ言っておかなければならないことがある。
「ごめん、原始人くん」
「え?」
「——このドロッドロの地面、どうにかしてくれない?」
時間は短かったが、原始人くんが凛と戦ったおかげで、このビルの玄関口は炎と溶岩だらけになっていた。
アウトローニッポン 科威 架位 @meetyer
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