第12話 交渉(?)

 ビルの最上階は想像していたよりも広い。

 その中でも特に広い部屋に俺たちはいて、十何人のいかついヤクザたちの中心にいた。

「これはちょっとした手土産です。お納めください」

「いらん。それより、この暑さはどうにかならんか? その男のせいだろう」

 そう言って、部屋の奥の男は俺を指さした。本当に申し訳ないが、これだけはどうすることもできない。というか、俺を連れてくるように言ったのはそっちなので、少しくらい我慢したらどうなのだろう。口にはしないが、俺はそう思っていた。

「すみません。どうか今だけご容赦ください」

「まぁいい。で、なんだっけ?」

「要件はすでに伝えているはずですが」

「手を組まないか、だったか」

 ここの組長らしき男はとても威圧的だ。正直俺はとても帰りたい気分だが、静香が全然怯んでいないので、俺も帰る訳にはいかない。

 静香は差し出そうとしたアタッシュケースを引っ込めると、少し息を吐いた。

「彼に用があったのでは?」

「そうなんだが……檜山から話を聞いて、少し興味が失せてな」

「……何したの?」

 ――いやいやいや!

 静香が疑念の籠った視線をこちらに向けてくる。俺は全力で首を横に振ったが、静香の表情は晴れなかった。

 なんか、勝手に期待されて勝手に失望されている気がしなくもない。そうだとしたら、心外にもほどがある。

「では、手を組む気はないと?」

「質問ばっかりだな。俺にも質問させてくれよ、なあ?」

 男は椅子の上で手を組み、こちらに姿勢を傾ける。それと同時に、こちらを見る目もされに鋭くなった。俺は少し警戒しながら、次にくる言葉を待つ。

 静香も汗を流している。一瞬、彼女も緊張しているのかと思ったが、これは俺の体から出る熱気のせいだろう。

「そこのお前、名前は」

「……俺?」

「そうだよ、お前だ」

 まさかこっちに話が飛んでくるとは思わなかった。だが、名前を聞かれた時の対応は決めている。俺は準備していた言葉を、その通り口にした。

「好きに呼んでください。名乗る気はないです」

「じゃあ炭人すみびとな。お前、こっちにつく気はないか?」

 なぜか分からないが、男は俺を勧誘してきた。その言葉を聞いて俺も驚いたが、ふと見ると、静香が男を強く睨んでいる。

 受け入れたら静香に殴られそうだ。

「ないない、ないです。諦めてください」

「そうだろうなぁ……」

 きっぱりと断ったが、怒らせてはいないようだったので安心した。

 見ると、静香の表情も少し緩んでいる。俺がきっぱり断ったから安心したのだろうか。そう思った直後、静香は再び男を睨んだ。

「協力する気はない、ってことですか?」

「ああ。俺は別に、日本軍がどれだけ力をつけようがどうでもいいからな」

「そうですか――」

 そう言うと、静香は左手に持っていたアタッシュケースを左側に投げ飛ばした。

 アタッシュケースが飛んでいく先に立っていた組員はそれを躱したが、おかげでアタッシュケースは壁にぶつかり、中に入っていた札束をまき散らす。

「し、静香!?」

「原始人くんは遠くに下がって」

「なんだ? やる気か?」

 組長の男は笑いながらそう言い、周りに並んでいる男たちも武器を構えている。

 俺は状況が理解できず、その場から動けないでいた。

「従わないなら、従わせます」

「いい根性だ。ボロ雑巾にして街中に捨ててやるよ」

 その言葉の直後、部屋中の組長以外の男たちが雄たけびを上げて静香へ襲い掛かる。俺は慌ててその集団から抜け出し、何を思ったのか組長の方へ避難してしまった。

「あ、あぶねぇ……」

「参加しないのかよ?」

「いや、しませんよ」

 自分の身を護る為だったら迷いなく喧嘩するが、今回は俺は関係ない。なので、参加する訳がない。

 それよりも、この男は参加しないのだろうか。俺はそう疑問に思い、質問を投げかける。

「組長さん……? は参加しないんですか」

「しねぇよ。今年で七十だし」

 確かに、その年齢で参加するのは少し厳しいだろう。男は短髪だが、その髪はほとんどが白髪だ。顔のしわもかなり多く、とても喧嘩できるような体ではない。まあ、その顔のおかげで威圧感は半端ないが。

 スーツは、他の組員と同じように全身白のものを身に着けている。そう言う決まりでもあるのだろうか?

「お前の被移植者としての能力ってなんなんだ?」

「えっと、黒い炎が出たり……体が熱くなったり?」

「それ以外は?」

「あ、えー……あと、再生能力? も、です」

「ふーん……」

 幾つかの質問を受けて、そんなに俺の体が気になるだろうかと不思議に思う。が、常識的に考えて全身真っ黒こげの人間なんていないので、気になってしまうのも無理はない。

 目の前では静香が能力で何人もの組員を薙ぎ払っている。だが、扉の外からも組員は押し寄せてきているので、キリがない。このままでは静香のジリ貧になってしまうのではと思っていたら、組長の男が再び話しかけてきた。

「助けに行かないのか?」

「え?」

「あいつ、お前の連れだろ?」

 そんなことを言われても、俺はこの喧嘩には関係ない。関係ない喧嘩に関わる必要はない、と俺は思った。

「関係ないですね。あいつの喧嘩なので」

「じゃあ、今のうちに逃げないのか?」

「……逃げる?」

 ――逃げる? それは、さっき静香にも言われた。罵倒された中で、そんなことを言われていたはずだ。だが、今ここから逃げたとしてどこに行けばいいのか分からない。

 行きたい場所がないのだ。だから、逃げるなんて選択肢を選ぶことはできない。

「逃げる場所がないので」

「やっぱな。お前、つまんない奴だわ」

「……」

 今日はやけに人から罵倒される。そのことに対して、俺は段々苛立ちを感じ始めていた。

 俺は被害者だ。山から強引に攫われ、地獄の苦しみを伴う手術を受け、まともに人として生きられない体になってしまった、被害者である。

 なぜ、加害者側の人間であるこいつらに罵倒されなければならないのか、俺は甚だ疑問だった。

「分かんないか?」

「……」

 俺は男の言葉を無視することにした。これ以上、こいつらの言葉を聞いても意味はない。所詮、こいつらはヤクザなのだから。

「お前、二十は行ってるだろ」

「……」

 年齢は山で暮らしていたので分からないが、それくらいは行っているだろう。だが、俺は言葉を返さない。向こうもそれを悟ったのか、勝手に語るように言葉を続ける。

「今の日本にはな、誰かを養っている余裕のある人間なんてほとんどいない。それでも、親世代は身を削って子供を養い、なんとか生きる術を身に着けさせようと必死だ」

「……」

 そんなこと、俺にだって分かっている。この戦時中の日本で、そんな余裕がある人間はいないに等しい。だが、それが何だというのだろうか。口には出さないが、俺は強くそう思った。

「それはヤクザだってそうだ。必死に色んなところを着飾って舐められないようにしてはいるが、真っ当なシノギだけでやっていけているヤクザは多くない」

 そうは言うが、そもそも、真っ当なシノギをやっているヤクザなどいるのだろうか? 俺の印象だと、ヤクザは非合法なことで大量に金を稼いでいる連中だ。そんな連中に余裕がないなど、俺には考えられない。

「で、だ。お前はどうだ?」

 どうだと言われても、俺はこの体になってからお腹が空いた事がない。呼吸を止めていても生活できる。不幸中の幸いだが、今の俺は生きることに必死になる必要がない。

 そう思っていると、組長が説教臭い言葉を続ける。

「お前は何がしたい?」

「……俺は」

 俺は何がしたいのだろう。ふと、俺はやりたいことが全くないことに気付いた。

 前からそうだったが、この体になってからは特に顕著だ。俺は、俺がやりたいことが全く分からない。何もやりたくないわけではないのだ。だが、やりたいことがない。

「お前、静香に色々言われてただろ。こっちまで響いてきてたぞ」

「そう、あいつにも言われた」

「だろ? だからお前、あいつに嫌われてるんじゃねーの?」

 思い出してみると、静香もそんなことを言っていた気がする。だが、そんなことを言われても俺はどうすればいいのか分からない。

 ずっと山で暮らしていたのだ。将来のことなど考えていなかった。

 その日を生きるので、精一杯だったから。

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