第11話 檜山 凛

 静香の言っていたことが本当なら、このビル内ではどれだけ暴れようと壁や床が壊れることはないのだろう。どういう原理でそうなっているのかは分からないけど。

 だが、目の前の二人の暴れようは、それを忘れさせるほどだった。距離を取ったり、詰めたり、オブジェを投げ飛ばしたりと、物凄い暴れ方である。あまりに喧嘩が激しいので、俺は隅で座り込んでそれを眺めていた。

 すると、外で警備をしていた男の一人がビルの中に入ってくる。その男は周囲をキョロキョロと見渡し隅で座っている俺を見つけると、近付いて話しかけてきた。

「ここに来るのは初めてか?」

「ああまあ――そうです」

 その男は図体がでかい。身長は190くらいあるだろう。鍛えているのか、肩幅や腕の太さもかなりのものだ。彼は白いスーツを身に着け、黒いサングラスをかけている。ヤクザらしく、とても威圧感のある男だった。

 俺はかけられた言葉に首を縦に振る。すると男は俺の隣に座って一緒に静香たちの喧嘩を眺め始めた。

「いつもなんだよ、あいつら」

「会うたびに喧嘩してる、ってことですか?」

「そうそう、迷惑だろ?」

 横に座っている男の言葉に、俺は苦笑いする事しかできなかった。だが、ここを拠点とする人たちにとっては迷惑なのは確かだろう。床や壁が傷つかないとしても、あの喧嘩に巻き込まれたら、普通の人は大怪我を負うに違いないのだから。

 だが、そう話す男の言葉からは、少しも嫌悪感を感じない。それどころか、少し楽し気に喧嘩を眺めていた。

 ふと、そんな彼のスーツから異臭が漂ってくる。見ると、スーツが少し焦げていた。俺の熱気のせいだろう。

 俺は慌てて立ち上がり、男から距離をとった。

「スーツ、焦げてますよ!?」

「え? うおっ! マジじゃん」

「俺のせいです、マジですみません」

「へぇー、面白い体だな」

 彼の綺麗だった白いスーツの、右側の袖が少し焦げてしまった。

 俺がビクビクしながら男の反応を待っていると、男は笑って袖の炭を払う。

「そんな怖がるなって。何もしねぇよ」

「で、でも、スーツが」

「替えならいくつかある。心配すんな」

 俺が心配しているのはそこじゃない。

 大前提として、相手はヤクザだ。なにか相手を怒らせるようなことをすれば、向こうの気が済むまでボコられたりすることになる。俺はそれを心配していたが、目の前の男に起こった様子は一切なかった。

「なんだ? そんなにヤクザが怖いのか?」

「そりゃ怖いでしょ……」

「お前もヤクザだろ」

「俺はヤクザじゃないです!」

「……え、マジ?」

 本当に勘違いしないでほしい。俺は、静香たちの仲間になったつもりはないのだ。今の俺は、山から攫われてきたただの一般人である。

 俺は男の言葉を強く否定したが、男はそれを聞いて少し考え込んでいた。今まで勘違いしていたのだろう。まあ、ヤクザである静香と一緒にいたので仕方ないことだが。

「聞いてた話と違うな……」

「え?」

「お前、静香の組で暮らしてるんじゃないのか?」

 ――どこで聞いたんだろう、そんな話。

 俺は一瞬疑問に思ったが、獅子堂会の会長が言ったんだろうと結論付ける。

 そして、俺が静香の事務所の一室を借りているのは確かなので、俺は首を縦に振った。

「静香に誘われなかったのか?」

「誘われたけど、断りました」

「んー……」

 さっきから質問して、考え込むの繰り返しをしている男は、まださっきの場所に座ったままだ。俺は男が何を知りたいのか全く分からない。かといって言い返す勇気もないので、その場で立ち尽くしていた。

 静香たちの喧嘩もそろそろ終わりのようで、二人とも疲れが見え隠れしていた。なんなら、雑談の方向にシフトしている。

 そんな二人を見てヤクザというものに疑問を覚えていると、黙っていた男が口を開いた。

「お前、子供みたいだな」

「……はい?」

「まあいいや。俺の名前は檜山凛。じゃあな」

 男はビルを出て、外の警備に戻ってしまった。

 唐突に罵倒されたので、俺は放心してしまう。静香たちの喋り声を背景に、さきほどの言葉が頭の中を跳ねまわっていた。

 子供っぽい? 早く自立したくて家を飛び出したのに、子供っぽい? 俺は男の言葉を、飲み込むことができなかった。

「大丈夫?」

「――あっ、はい」

 静香に声をかけられてようやく、気を取り戻すことができた。罵倒されたショックは残ったままだけど。

 静香のスーツは喧嘩のせいでかなり崩れていたが、特殊な素材なのか、静香が少し生地を叩いただけで元の状態に戻っていた。

「目的地は最上階だから、エレベーターで行くよ」

 そう言われて着いて行きエレベーターに乗ると、ボタンの数字が40まであることに気付いた。凄まじい高さのビルだ。頂上に着くまでは、エレベーターでも少し時間がかかるだろう。

 エレベーターの中では無言の時間が続いていたので、まだ罵倒されたショックが残っていた俺は、頭の中でさっきの言葉を思い出してしまっていた。

「子供っぽい……子供っぽい?」

「だ、大丈夫?」

 さすがに俺の様子がおかしいことを感じ取ったのか、静香が心配そうに顔を覗いてきた。

 俺はなんとか口を開き、理由を話すために言葉を絞り出す。

「さっき――檜山って人に」

「ああ、あいつね。あいつがどうしたの?」

「子供っぽいって言われた……」

 言葉一つで、こんなに精神にクるとは思いもしなかった。何年も山で暮らしていたので、そういう感覚が麻痺していたのかもしれない。多分、社会で暮らしていくなら、こういうことにも慣れていかないといけないのだろう。社会人は、俺が思っているより凄い人たちのようだ。

 そんな精神状態の俺に、静香は「ふーん」と言いながら姿勢を戻したあと、追い打ちをかけるような言葉をかけてきた。

「子供っぽいってか、子供でしょ。」

「え?」

「なに、気付いてなかったの?」

 俺は密かに、静香からの慰めの言葉を期待していた。だがどうだろうか。返ってきた言葉はそれとは真反対の言葉だ。

 ショックを通り越して、最早悲しくなってくる。静香と出会って一ヶ月以上になるが、その間もずっとそう思われていたのかと考えると、さらに悲しくなってきた。

 小学生の時でも、ここまで酷い言葉はかけられなかったと思う。あまりのショックで静香の言葉の真意を掴めずにいると、静香はさらに追撃してきた。

「じゃあ無意識だったんだ。成長したのは体だけだったんだね」

「ぐふっ!?」

「まさか、自分が大人だと思ってたの? ないわー、ないない」

「がはっ!?」

 多分静香は人の心がない。ヤクザであるかどうかは関係なく、こいつは人の心がない。俺はそう確信した。

 俺に罵倒されて喜ぶ趣味はないので、ただただ心が傷つく時間が過ぎていく。ようやくエレベーターが最上階に到達するころには、俺の心は再起不能一歩手前になっていた。

 それでもなんとかエレベーターから出た俺は、泣きそうになりながら静香の後をついて行く。そんな俺に、静香はまだ言い足りないというように言葉をぶつけてきた。

「この何週間か、君、何してたか覚えてる?」

「何もしてないけど……」

「それだよ。私は君を山から攫ってきた責任を果たすつもりで、君のことを助けようと思った」

 そうだ。俺のことを攫ってきたのはこいつらだ。そんなやつらに、俺のことを責められる筋合いはない。

 俺は言い返そうと思ったが、その前に静香が再び口を開いた。

「けど――逃げようともせず、協力しようともせず、かといって敵対しようともしない……なんなの? 何がしたいの?」

「俺は……」

 言われて、俺の思考は固まってしまった。

 俺は、何がしたいのだろうか?

「責任はとる。行きたいとこや、やりたいことがあるなら手伝うよ。けど――」

 静香は廊下の途中で立ち止まり、俺の方に振り返って、言った。

「自分の立場も選べない人を、助けることなんてできないよ」

 それだけ言って、静香は行ってしまった。

 俺はついて行くべきなのだろう。けど、彼女からかけられた言葉が、俺に進むことを許さなかった。

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