第10話 京都

 結局曖昧になってしまったが、俺はこの姿でどうやって人と会えばいいのだろう? 静香の部下らしき人達が車の準備をしたり、身なりを整えているのを見ながら、俺は一人そう思った。

 俺たちがこれから向かう組はかなり大きいヤクザらしく、ここの組員の人たちもかなり緊張しているのが見て取れる。俺はそんな彼らの様子を、少し離れた場所でステップを踏みながら観察していた。ちなみにステップを踏んでいる理由は、ずっとその場で突っ立っていると地面のコンクリートやアスファルトが溶けてしまうためだ。


 二週間ほどここで暮らしてみて分かったが、静香の部下はそこまで数が多くない。ぱっと数えても二十人ほどだ。女の組長などは非常に珍しいので、あまり人が集まらないのだろう。外観の非常に地味な事務所を見るに、それはよく理解できる。

 では、静香がヤクザとして獅子堂会に身を置いている理由はなんなのだろうか? 以前聞いてみた時ははぐらかされてしまったので、実は今もよく分かっていない。


 と、そろそろ出発の準備が終わりそうだ。事務所の前の道路に黒塗りの車が停車し、その運転席には虎岩のおっさんが乗っている。いつ見ても高そうな車だ。このご時世であの車を手に入れるのは、相当苦労したことだろう。そんなことを考えていると、静香が事務所から姿を現した。

「やっと出てきた……」

 結局、アイツが出てくるまでなん十分もかかった。待たされる方の気持ちにもなってほしい。

 事務所から出てきた静香は黒いスーツを身にまとっていた。荷物を自分の背後を歩かせている若い男に持たせ、髪の毛はいつも通り後ろで1つに結んでいる。荷物を車のトランクに積み、乗車して出発しようとする直前、静香は少し遠くにいる俺に向かって言った。

「この車についてくればいいから、頑張ってねー」

「扱い酷すぎんだろ!」

 やはり、ここ最近の静香の俺に対する態度はおかしい。他の組員にはとてもにこやかに接しているし、俺にもここに来たばかりの頃まではそう接してくれていた。だが今は違う。

 俺は最近、静香から嫌われているように感じていた。そう感じる度に「相手はヤクザ」だということを意識するのだが、それでは納得できない自分がいる。


 そんなことを考えている内に、静香は車に乗り込んで出発してしまった。俺は心の中でモヤモヤしていたが、置いて行かれるわけにもいかないので、少し威力を調節したジェット噴射で静香の車を追いかけた。


 京都への道中は、特にこれといった出来事は起こらなかった。上空を飛んでいるので人から視線を集めまくったこと以外は、特に気になることは起きなかった。

 東京から京都までは少し遠い。その間、静香の車は何度かガソリンを補給していた。俺はというと、長時間炎を噴射していても特に疲れることもない。

 ――そういえば、この体になってから食べ物も水も口にしていない。そういった欲が消えていたのか、すっかりそのことを忘れていた。


 京都市内に入ってからは、少し大変だった。

 まず、静香の車が何度か襲撃されていた。助ける間もなく静香が襲撃者を撃退していたが、車には少し傷がついてしまったらしい。その傷を見て、静香よりも虎岩のおっさんの方が渋い顔を浮かべていたのが、最も面白かった出来事だ。

「京都の治安も東京と変わんないな……」

 昔、京都は綺麗な場所だったらしい。日本の全都道府県の中でも、少し特別扱いを受けていたほどだったそうだ。

 だが、いまではそんなものは見る影もない。防犯設備を取り入れてない建物は見当たらないし、その設備がない建物は総じて廃屋のような状態になっている。

 それに、空を飛んでいたせいで、見たくもない物まで見てしまった。強姦をする者、強姦をされそうになって発狂しながら男を滅多打ちにする者、ラジオに向かってぶつぶつと何かを呟いている者……と、顔を渋くせざるを得ないような光景がそこらじゅうで見られた。

「……クソ過ぎる」


 静香の乗っている車が、巨大なビルの前で停車した。

 おそらく、このビルが今回の目的地なのだろう。俺は車の表面が溶けないくらい離れた場所に着地し、一息ついた。静香も車を降り、トランクの中からアタッシュケースのような物を取り出した。金でも入っているのだろうか?

「おじさん、駐車場の場所分かる?」

「大丈夫ですよ。姐さん、お気をつけて」

「おじさんもね。何かあったら携帯で呼んでね。絶対だよ」

「分かってます」

 おじさんは、車のドア越しにそれだけ言葉を交わすと、車を再び発進させてどこかに行ってしまった。

 俺は静香に話しかけようかと思ったが、最近の俺に対する態度を思い出し、話しかけようとした口を閉じてしまう。そんな俺に、静香は少し緊張した面持ちで声をかけてきた。

「行くよ」

「あ、ああ。でも、床焦げないか?」

「大丈夫。ここのビルは丈夫だから」

 静香はスタスタとビルの中に入っていく。ビルの前には六人のスーツを着た強面の男が並んでいたが、静香が手帳のような物を見せると、易々と道を空けていた。

 俺が通ろうとしたらめちゃくちゃ警戒された上に何発か発砲されたが、静香がそれを止め、事情を説明してくれた。

「こいつです。例の」

「こいつが……?」

「どういう状態なんだこいつ」

「ほんとに生きてんのか?」

 ――こいつこいつうるせー!

 そう言いそうになったが、俺は名前を名乗っていないので、そう呼ばれても仕方ない。


 男たちは頭を下げて謝ってくれた。俺は特に怪我もしていないし、銃弾は俺に着弾する前に溶けてしまったので、本当に何も迷惑していない。だから、全然気にしていない旨を伝えておいた。俺が喋るたびに彼らは困ったような表情を浮かべていたが、ちょっと気持ちは分かる。

 自動ドアを通り抜けても、男たちはこちらに頭を下げていた。正確には、静香に頭を下げていたと思う。獅子堂会とは違う組なのに、なんでアイツに頭を下げているんだろう? なにか特別な関係でもあるのだろうか?

 俺が静香に尋ねようとする前に、俺の目に、ビル内の光景が映りこんできた。

「広っ――」

「私から離れないでよ」

「分かってる分かってる」

 ビルの中は、外とはまるで別世界だった。

 俺がいるエントランスは三階くらいまで吹き抜けになっており、とても広々としている。掃除も隅から隅まで行き届いており、今床に寝転がっても服にほこりがつくことはないだろう。まあ、服着てないけど。

 ただ、そんな場所だからこそ心配なことがある。俺はさすがに焦り、静香に尋ねた。

「し、静香、やっぱマズいって」

「なに? もたもたしてる時間ないんだけど」

「俺、この体だぞ? どんだけ気を付けても床が焦げ付くって」

 この体を自分で研究するうちに、分かったことがいくつかある。そのうちの一つが、体の部位によって温度が異なるということだ。

 おそらく、力の源がそこにあるからなのだろう。心臓のあたりが最も温度が高く、そこから離れるにつれて徐々に温度が低かった。だからといって、足の裏の温度が低いというわけではないので、俺はビルの床を汚すことがとても心配だった。

 俺のその心配に、静香は爆音を持って答えた。

「はぁ……フンッ!」

「ちょっ!?」

 静香は突如、ビルの床に向かって衝撃波を放った。

 突然の凶行に俺は言葉を失ったが、静香は余裕そうに床を指さしていた。それに釣られて、静香が技を放った先の床を見る。すると驚いたことに、床面には衝撃波による傷は一切なかった。床の素材は白く、石に近い何かだが、そこまで丈夫には見えない。だが、床面にはヒビどころかほこりすらついてなかった。

「ここの被移植者の力で、ビル全体が保護されてるの。だから安心して良いよ」

「マジか……いや、すげぇな」

 感心するとともに、俺はここの組長に会うのが怖くなってきた。獅子堂会の会長も――一度しか会ってないが――かなり不愛想で怖い人だったので、俺はどういうメンタルでいればいいのか分からなくなってくる。

 少しビクビクしながら静香の後ろを歩いていると、上から突然女の声が飛んできた。

「静香ちゃーん! 久しぶり!」

「その声は……美玖?」

 声のした方を見ると、三階の手すりのあたりからこちらに手を振っている女性がいる。その女性は静香を見つけると、手すりを乗り越え、一階のエントランスに飛び降りた。

 ――危ない! そう声をかける前に女性は着地したが、どうやら怪我をしている様子はない。それどころか、静香にある提案を持ちかけた。

「喧嘩しよ――ちょっとだけ!」

「ハイハイ、ちょっとだけね」

「えぇ……」

 俺が困惑している間に、二人はこのエントランスで喧嘩を始めてしまった。ヤクザとは、こういうものなのだろうか。

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