第9話 ロケット

 ヤクザの事務所で暮らし始めてからちょうど二週間。今日の朝、静香は突然こんなことを言ってきた。

「今から京都行くよ」

「なんで?」

 理由は教えてくれなかった。やることもやりたいこともないのでついて行くが、理由も言わず連れていくのは勘弁してほしいと思った。

 山での一ヶ月と事務所での二週間、静香と暮らしてみて感じたことだが、あの女は特に説明が少ない。あっちは俺の事情や素性を聞いてくるくせに、自分のことは絶対に話そうとしないのはどういう了見だといつも思う。


 それに、この事務所の場所は東京だ。京都まではそれなりに距離があるので、行くのには乗り物を使う必要がある。

 そう、車を使う必要があるのだ。

「俺の体温分かってんのか? どうやってそんな遠くまで行くんだよ」

「君、炎を噴射して移動できたりしないの?」

「さあ?」

 体にROを移植されてから二週間、ずっと事務所の地下で火力発電をしていたので、そんなことは試したことがない。

 そう伝えると、静香は俺を事務所の外に連れ出し、こう言ってきた。

「じゃあ、ちょっとやってみて」

「いや……いきなり?」

「うん、はやく」

 つい、ため息を吐きそうになった。ため息はギリギリのところで留めたが、顔には感情が出まくってただろうなと思う。

 仕方ないので、言われた通りにしてみることにする。

 ただ、炎を噴射して移動する、という現象の意味が分からない。ロケットのような物をイメージすればいいのだろうか?


 少し考えても分からなかったので、俺はすぐ近くで見ている静香に助けを求めた。

「なあ、どうすれば炎で移動できんの?」

「適当に勢いよく噴射すれば移動できるんじゃないの?」

「曖昧過ぎる……」

 言いたいことは分かるが「やれ」と言った本人がそれではどうなんだ?

 少しもやもやしながらも、俺は手のひらを背後へ突き出す。俯瞰して見たら、俺は今、ナ〇ト走りのような体勢になっているだろうなと思う。

 それから俺は目を閉じて、この二週間練習していたことを実践しようと集中していた。

「指向性を持たせて……」

 超ド級のガスバーナーを想像する。

 俺が手のひらから出すのは、そのガスバーナーから出る炎と同じ……いや、俺の炎はちょっと特別なので、もしかしたらそれよりも強力かもしれない。とにかく、人が一瞬で焼け死ぬ勢いの炎をイメージする。

「勢いよく!」

 練習によって掴んだ感覚で、俺は手のひらから炎を勢いよく出した。

 その炎がどんなものなのかは俺の視界では分からないが、間違いなく、俺の手のひらからはかなり勢いの良い炎が噴出している。

 俺は一瞬喜びそうになる。なにせ、一発で成功したのだから。人間、初めてのことは大抵失敗するものだから。

 だが、喜んでいられたのはほんの一瞬だった。

「お? なんか……」

「待って待って!」

 俺は浮遊感を覚えた。直後、凄まじい重力を感じた。


 俺は一瞬で状況を理解した。発射されたのだろう。物凄い勢いで。


 慌てて炎の噴出を止める。だが慣性で体は止まらない。

 周囲の景色がどんどん俺を通り過ぎていく。最早、どこを通ったかなどは判別できない。

 そうして周囲を観察していると、ふと少し前方にある建物が目に入った。

 小学校で教育が終わっている俺だが、そんな俺でも分かるものがそこにはあった。

「ヤッバ!? 幼稚園ある!」

 ちょうどそういう時間なのだろうか、小さな子供たちが広場に出て遊んでいる。このまま飛んでいけば、俺の体はその広場へ着弾することになるだろう。

 ちょっとヤバいかもしれない。さすがに大量殺人鬼にはなりたくないので、俺はどうにかして体を止められないかを考えた。

 というか、考えるまでもない。先程の炎を逆噴射するしかないだろう。

 俺は手のひらを体の前方へひっくり突き出した。

 そして先程と同じ感覚で、炎を勢いよく噴射する。

「クッソ、勢いが――」

 集中して噴射した炎ではないので、さきほどの炎よりも勢いが非常に弱いのが分かった。それでも確実に体の勢いを殺せてはいる。俺は逆噴射の勢いを、今できる限界まで強めた。

 逆噴射の勢いで、俺の体にはさっきと逆方向に重力がかかる。周囲の景色も徐々に形を取り戻し、俺の体にかかる重力も徐々に弱くなっていく。最終的に、俺は幼稚園の敷地のギリギリ外側で着地することに成功した。

「あっ――ぶねぇ!」

 ここ最近でぶっちぎりで疲れたかもしれない。まさか、炎を噴射するだけであそこまで勢いが出るとは思わなかった。

 俺はさすがに焦っていたので、安心したせいでその場に腰を下ろしてしまう。地面のアスファルトが溶ける感覚を覚えたが、正直今はどうでもいい。俺の姿に気付いた園児も現れ始めたので、俺は急いでその場を後にした。


 静香の事務所に戻る途中、あいつがこちらに走ってくるのが見えた。静香は俺の姿に気付くと、こちらに手を振りながら走る速度を上げた。

 事務所からはまだかなりの距離が離れているので、静香もかなり焦りながら追いかけてきたのだろう。シャツには汗が滲んでいるし、少し息切れもしていた。

 俺と合流するなり、静香は心配そうに声を上げた。

「ちょっと、大丈夫だった?」

「ああうん、なんとか」

「どっかの建物に激突したりしてない?」

「幼稚園に突っ込みそうだったけどなんとかなったよ」

 それを聞き、静香は大きく息を吐いた。めちゃくちゃ安心している。

 そこまで俺のことを心配してくれたのかと思っていると、そんな俺の心情を読み取ったのか、静香がこちらを睨みながら口を開いた。

「あんたが面倒起こして迷惑こうむるのこっちなんだよ。勘弁して……」

「――抱きついて灰にしてやろうか?」

「きゃーセクハラー」

 怖がらせようとしたつもりだったが、静香は棒読みでそんな言葉を返してきた。俺にそんな度胸がないことを見抜いたのだろう。

 イライラしている俺を横目に、静香は振り返って言った。

「さ、戻って出発の準備するよ」

「……俺はさっきの手段で移動しろって?」

「そ、頑張って」

 静香はすたすたと事務所に向かって歩いていく。

 俺は小走りで静香の横に並んだ。「なあなあ」と声をかけても、この女はこちらを見ようともしない。俺はかなりこいつに対して不満が溜まっていたので、イラっとして少し大声を上げてしまった。

「おい! 説明くらいしろよ」

「怒鳴らないでよ。あっついしうるさいなあ」

「なんで京都に行くんだよ?」

「関西のヤクザと手を組むためだよ」

「俺が行く必要性!?」

 俺はこいつらの組に入った覚えはない。それなのに連れていかれる意味が理解できなかった俺は、反射的にそう言い返した。

 それに、俺は普通の人間に会えるような体ではない。口から出る息は周囲の温度を灼熱にするし、体から出ている熱気は部屋のものを片っ端から燃やしてしまう。そんな俺を連れて行っても、別のヤクザと手を組むことなんてできるはずがない。俺はそう感じていた。

 そんな俺に、静香は少し間を置いて理由を語りだした。

「……向こうの組長が、君に会いたいんだって」

「は?」

「なんで奴が君を知ってんのか……なんで君に会いたいのか。理由は分からないけど、手を組むかどうかは君次第だって」

「……はぁ?」

 静香が語った理由を聞いても、俺は疑問が深まるばかりだった。

 俺のヤクザの知り合いは多いわけじゃないし、関西のヤクザなんて見たこともない。そんな中で俺が呼ばれる理由を、俺は全く理解できなかった。


 頭の中を疑問符が巡っている間に、俺たちは事務所に辿り着いた。

 静香は早々と中へ入っていったので、俺はポツンと事務所の外に取り残された。特に準備することもないので、俺は静香の準備を外で待つことにする。


 必然的にボーっとすることになった俺は、頭の中で今日の静香の言動について考えていた。

「……なんかあいつ、今日イライラしてた?」

 振り返ってみると、最近になって静香の俺に対する言動がとげとげしくなったように感じる。

 まあ、気のせいだといいのだが。

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