第3話 見送り、からの襲撃

「うん、そろそろ激しく動いても大丈夫かも」

 そう言いながら、静香は上半身を左右にねじる。

 彼女が俺と暮らし始めてから一カ月、わずかなその期間で、彼女の腹の傷は完治していた。驚きを通り越して、ドン引きするほどの回復力だ。

 静香と初めて出会った廃屋の前で、俺たちは別れの準備を進めていた。

「みてみて、痕残ってるー」

 静香が服をめくると、元々怪我をしていた場所は、皮膚が少し黒ずんでいた。

 ふと、彼女のこの行動に慣れている自分に驚く。静香の柔肌を見ても何も感じないので、自分の中に黒い欲望がなくなったことに喜ぶ一方、男としての自分が心配だ。

「ありがとね。今日までここに置いてくれて」

 どうやら彼女は、今日ここを発つらしい。そのことを聞いた時は少し寂しさを感じたが、静香には静香の世界があるのだろう。引き留めるような真似はしない。

 ここに来たときはまだ綺麗だったスーツも、この一ヶ月の山生活で土が着きまくっている。体調を崩したことも何度かあった。それを見る度に、暮らしている世界の違いを感じさせられる。

「仲間が近くに来てるはずだから、私はそこで拾ってもらうよ」

「……」

 結局、何を話していいのかわからず、静香と会話を交わすことができなかった。コミュ障極まれり、だ。

 それでも、俺は少しでも彼女への好意を見せようと、割とマジで大切にしていた物を渡す。

「ん? なになに……これは」

 俺が手渡したのは、この山の洞窟で稀に採取できる鉱石、それを加工して作ったナイフだ。

 一カ月前……つまり、俺と静香が初めて出会った日、彼女が物欲しそうに見つめていた物と同じものを俺はプレゼントした。

「これ、くれるの?」

 俺は小刻みに頷いた。

 静香はナイフを鞘から抜き、刀身を見る。ナイフの長さは家でよく使うの包丁より少し長い程度だ。よく切れて手入れも要らない上に、壊れることがほぼないので、料理で使う分には不便はないだろう。

「組長が見たら卒倒するよこれ……」

 静香のナイフを見る表情は、最初は驚きに染まっていたが、徐々に笑顔に変わっていった。ナイフを鞘に仕舞って俺の方を向くと、満面の笑みで口を開いた。

「ありがとう、大切にするね」

 不意に、息が止まるような錯覚を覚えた。

 夜空の花火より鮮やかで、真夏の太陽より眩しいその笑顔は、俺にとってナイフ以上に価値のあるものになった。


 ◇


 一度も振り返ることなく、静香は行ってしまった。どこかの映画のラストじゃないのだから、何度か振り返ってくれたって良いのに。

「はぁー……家の場所、変えなかったらまた会いに来てくれたりするかな」

 思えば、まともに女と接したのはこれが初めてだった。

 十歳で家を飛び出してから森で暮らしてきたので、女どころか、男ともまともにコミュニケーションをとったことがない。俺にとっての人生の教科書は、山の中で時々見かける漫画雑誌だ。

「これを機に、家に帰ってみてもいいかもな」

 拠点をどこに移そうかを迷っていたが、ふと考えてみれば、実家に戻っても良いかもしれない。今の俺なら少し時間を置けば自立して社会で働けるので、両親に迷惑をかけることも少ないだろう。

 それに、今以上に好条件の立地の地下室はなかなかない。地下室も人の手1つで造れるようなものではないので、俺は本気で、実家に戻ることを考えていた。その時だ。

「……静香の気配じゃない」

 俺はすぐさま足元の小石を拾い、周囲を鋭く観察する。

 数は四、武装した集団だ。

「後ろ!」

 金属音がしたので振り返ると、廃屋の壁から、一人の男がこちらを覗いていた。

 黒光りする銃口を、こちらに向けて。

「いっ――」

 銃声がした直後には、俺は足をやられていた。

 右足の膝を掠めただけだが、その痛みは想像以上に鋭い。


 俺は膝をつき、膝の傷を手で押さえる。

「誰だ?」

「おとなしく着いてきてもらおうか」

「……まずは名乗れよ。猛獣じゃないんだから」

「手を後ろに回せ、抵抗するな」

 男は銃口をこちらに向け、圧を込めて脅迫してくる。

 周りを見ると、残りの三人の男が草むらから出てくるのが見えた。三人の男も銃を構え、片手には手錠を持っている。

「俺がなにかしたか?」

「答える理由はない」

「俺はただの山で暮らす一般人だぞ? なにが目的だ?」

「答える理由はない。着いてくる気がないなら、徹底的に痛めつけるぞ」

 四十代後半くらいのその男は、一秒も油断する隙を見せない。険しい顔立ちに見合った、冷酷な男のようだ。

 服は黒いスーツを身に着けているが、今の状況を見るに、この男たちがサラリーマンということはないだろう。

「かかったな」

「なに?」

「もう慣れた」

 俺は地面をひっかいて砂埃を巻き上げ、目の前の男に突進する。

 距離は五メートル。砂埃があるとはいえ、視界が完全に遮断されている訳ではないので、男は迷わず銃を発砲してきた。

「それも慣れた」

 俺は銃弾の側面を手で弾き、明後日の方向に逸らす。

 そして足を払って男を地面に倒し、めいっぱいの力を込めて鳩尾に拳を落とした。

 男は腹を押さえて苦悶の表情を浮かべ、少し経って気絶した。

「これが倫理だコラァ!」

 正当防衛なので、警察も許してくれるだろう。

 振り返ると、他の三人も、こちらに銃を発砲してきた。さすがに三発はキツイので、俺は倒れている男を盾にする。

「やっぱり防弾チョッキみたいなの着てたな」

 弾丸が男の体を貫通しないか心配だったが、どうやら防弾チョッキを身に着けているようだったので、それは杞憂に終わった。

「盾はこう使うんだよ!」

 俺は男を盾に構えたまま、三人のうちの一人に突進する。距離はそこそこあったが盾があるので問題ない。

 男の体を投げつけて一人の体勢を崩し、その隙にそいつの脇腹を思いっきりぶん殴る。

「防弾チョッキすげぇー。あんだけ食らって貫通してない」

 盾として使った男の体を見て、ついそんな言葉が出る。

 他二人は混乱していて、銃の構えがブレている。あれでは、当たるものも当たらない。俺は特に策を講ずることもなく、その二人に突進する。


 俺は流れるように四人を気絶させ、一息ついていた。

「こんなやつらが来るの初めてだな……」

 何がきっかけでこの四人がここにきたのかは分からないが、このまま気絶したこいつらを放置するわけにもいかない。尋問しようかと悩んだが、俺は四人を山の外に捨てるため、抱えていこうとしていた。

「いや、つよぉ。RO移植前でそんなに戦えるんだ」

「はっ?」

 不意に声が聞こえたので振り返ると、体全体を打つような衝撃波が飛んできた。二メートルほど吹き飛んだため、地面に打ち付けられて全身が悲鳴を上げている。

「それは山で暮らしてたから? それとも、すでにROを移植してるの?」

「し、静香……?」

「あれ、喋れたの?」

 俺の目の前で立っていたのは、さきほど別れたはずの静香本人だった。

 俺は酷く混乱していたが、同時に腑に落ちる部分もあった。よく考えたら、きっかけはこいつだろう。

「お前が……俺を」

「そう。ごめんね? 騙しちゃって」

「な、んで」

「それは後で分かるよ。とりあえず、おやすみ」

 仰向けで倒れる俺に向けて、静香が手のひらをかざした。俺の意識は、そこで途絶えた。


 ◇


「ほら、起きてー」

 名前も知らない彼を気絶させた後、私は連れの四人を起こしていた。

「おぉ……いってぇ」

「やられたねー、おじさん」

「姐さん……なんなんですかこいつは」

 鳩尾を殴られて気絶していた彼は、起きるなりそんなことを聞いてきた。

 聞かれても、私だって知りたい。こんな原始人。

「私も分かんない。帰ったら調べてみよう」

「とりあえず運びますか……おい、起きろお前ら!」

 おじさんは他の三人を起こし、気絶している彼を手錠で拘束したあと、ロープで縛ってどこかへ連れて行った。

 私も帰ることにしよう。久々の我が家だ。

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