第2話 花山 静香

「私、花山 静香。よろしくね」

 そう名乗った女は、傷が良くなるまでここにいることにしたようだ。元々そのつもりだったので、俺は快くそれを了承した。

 だがどうやら、静香は山で1人暮らしをした経験がないらしい。

「ねえ、食べ物ってどうやって調達するの?」

「……」

 地上の廃屋近くで、俺はあるものを探していた。なぜか会話しようとしても声が出ないので、静香との会話は諦めている。

 俺は無言で、発見した大き目の倒木に近寄り、幹を掴んでバリっと剥がす。木が腐っていたおかげで、それをするのに大した力は必要なかった。


 俺は木の内部にあった物を手に取り、静香に見せつけた。

「え、なにそれ」

 ――見て分かるだろう、幼虫だ。カブトムシの。

 そう思ったが、声を出せないのでそれを静香に押し付ける。

 幼虫を渡された彼女は、少し混乱していた。いやむしろ、一周まわって落ち着いているようにも見える。

「あー……ね? 冗談、じゃないんだよね?」

「――!」コクコク

「焼いたりはしないの?」

「――?」

 焼くわけがないだろう。生で食っても問題ない上に、焼こうとしたら火を起こす必要が出てくるのだ。

 だが、彼女は味が気になるみたいだ、仕方ない。

「急に枯れ木を集め出してどうしたの?」

 仕方ないので、火を起こすことにしよう。別に、それ自体は特に手間がかかるわけではないのだ。ただ、資源がもったいないだけで。


 湿ってない枝だけを探していたので少し時間がかかったが、無事に枯れ枝を集め終わった。俺はボロボロのズボンのポケットから小さな金属片を取り出し、それを右手に持って投球姿勢を取る。

「待って、その金属――」

 静香が何か言っていたが、俺は気にせず、集めた枯れ枝に向けてその金属片を投げつけた。


 金属片は投げ飛ばされてからぐんぐん加速していき、空中で発火、そのまま集めた枯れ枝に激突し、火を起こすことに成功した。

 俺は胸を張りながら、静香の方に顔を向ける。一瞬だけ見えた彼女の表情は、複雑そうな感情を抱いているように見えた。

「あ、ありがとう。焼いて食べるね」

 静香が、俺が渡した幼虫を焚火で焼きだした。俺はそれを見て、ほかに幼虫がいないかを探し始めた。俺は一匹だけで一日中過ごせるが、彼女はそうもいかないだろう。

 あわよくば、動物を捕まえるのもいいかもしれない。

「なんて贅沢な焚火だろう……」

 幼虫を焼いている静香は、乾いた笑いを浮かべていた。少し怖い。


 ◇


 夜になった。

 夜は怖いので、その間に外に出ることは基本的にない。俺は地下室で、静香と二人でいた。

「今度はなにしてるの?」

 そんな声を横に、俺は筋トレを続ける。

 静香は運動をしなくてもいいかもしれないが、山で暮らしている俺は、体力を低下させるわけにはいかない。だから、最近は常に体力をつけることを考えている。まあ、ただ単に筋トレが好きというのもあるが。

「ねえ、どれくらい山で暮らしてるの?」

 そう聞かれて、俺は返答することができなかった。分かるわけないだろう、カレンダーがないんだから。

 無視して筋トレを続ける。

「ねえねえ」

 無視して筋トレを続ける俺を、静香は指でツンツンしてくる。

 ただ、分からない物は答えようがないので、それでも無視して筋トレを続ける。

「なんでこんなとこで暮らしてるのー?」

 俺は今、暑さを理由に上半身の服を脱いでいることを後悔している。静香は俺の筋肉に反って指先を滑らせているのだが、これが童貞の俺には結構効くのだ。布を介していないせいで、その感覚は俺の皮膚へダイレクトに伝わる。

 あまりに効いたため、俺は腕立て中に地面へ倒れ伏してしまう。

「あ、顔大丈夫? いや、髪があるから平気か」

 静香の言う通り、伸びまくった髪の毛のおかげで顔面は守られたが、この女がいる限り、筋トレに勤しむことはできなさそうだ。

 俺は諦め、地下室の隅っこに移動し、横になって眠りにつこうとする。

「寝るの? この段ボールは、使わないの?」

 俺は無くても平気だが、静香は寝てる最中に体が冷えたら大変だろう。俺はそう考え、段ボールを彼女に譲り、掛布団として使うようにした。

「私が使っていいの?」

 俺は段ボールを静香に押し付け、再び部屋の隅で壁の方を向いて横になる。


 目をつむっていると、体の上から何かが被せられるような感覚があった。目を開いて確認すると、それは白いシャツだった。

 驚いて静香の方を振り返ると、彼女はインナー姿でこちらを向いていた。

「それ、お返し。貰ってばっかじゃ悪いからね」

 意味が分からない。段ボールがあるとはいえ、インナーとズボンだけでは体が冷えてしまう。俺はそう主張しようとしたが、声が出なかったのを思い出した。

「遠慮なく使って。じゃ、おやすみ」

 静香はそう言うと、俺がいる場所の反対側で横になり、段ボールを被って目を閉じた。

 女に会ったのは実に久しぶりだが、こんなに押しの強い女は今までいただろうか? 俺は不思議に思いながら、静香から貰ったシャツを興味本位で嗅いでみた。

「汗のにおい……」

 久々に感じる人間臭さに、俺は少し安堵を覚えた。


 ◇


 静香の匂いを感じながら目を覚ました俺は、名残惜しく感じながら静香の頭元にシャツを返し、地下室の外をそーっと覗く。

 山の木々で見え辛いが、空は日の出特有の色を放っている。俺は出入り口を閉じて地下室の中に戻り、ボロボロで丈の足りないTシャツを着て、まだ寝ている静香へと近付き、右肩のあたりをポンポンと叩いた。

「おい、起きろー……あれ、声出る」

 あまりに自然に声が出たので驚いたが、思えば、昨日声が出なかったのは静香相手に緊張していたからだろう。ただ、喋らなくてもコミュニケーションを取ることができたので、基本的にはこれからも無言でいようと思う。女と喋ったことないし。

「うぅん……寒い」

 ようやく起きたと思えば、とても寒そうに段ボールを掴んで離さない。やはり、昨日の夜は少し無茶をしていたのだろう。これ以上放置すると風邪をひく可能性があるので、俺は静香を強引に起きさせ、シャツを着させてボタンを閉めた。

「おはよう……うぅ、さむ」

 動くのさえ辛そうにしているが、山での暮らしに余裕はない。俺は静香を連れて地下室から出て、近くの水場へ向かう。


 やってきたのは、山の斜面を静かに流れる浅めの川だ。幅は五メートルもないだろう。だが、流れる水は透き通っていて綺麗だ。よほど水に敏感ということがなければ、この水を飲んで体調を崩すことはないと願いたい。

「へぇー、ここの水を飲んでるの?」

 いつの間にか意識が覚醒していた静香は、俺の元から離れ、川の水を手ですくって飲んでいた。俺も喉が渇いていたので、川の水をすくってごくごくと飲む。

「……?」

 少しだけ水の味に異質なものを感じたが、気のせいだろう。喉も潤ったので、食料を探すことにする。

 静香もいるので、できるだけ体に優しいものがいいだろう。魚とか、木の実とか。そう考えて静香を呼ぼうとすると、静香が大はしゃぎしながらこちらを見ていた。

「みてみてー! 魚捕まえた!」

 見ると、本当に手づかみで魚を捕まえている。捕まえている魚は、多分アユだろう。

 案外、静香はフィジカルが強いのだろうか。

「ここ魚多くていいねー。そういう時期なのかな?」

 知らないが、この山では季節に関係なく同じ植生が見受けられる。サバイバルをするには、都合のいい環境だ。

 俺が感心していると、静香は次々とアユを捕まえていく。すでに三匹のアユが彼女の手に堕ちた。茫然としていると、水にぬれた静香が、挑発的な笑みでこちらを見てきた。

「えぇー? なにしてるの? もしかして、魚捕まえられないの?」

 あまりに露骨な挑発だったが、面と向かって煽られた経験のなかった俺は、その挑発に安々と乗せられた。


 その後、体がずぶ濡れになってお互いに寒い思いをしたのは言うまでもない。ちなみに、静香は軽めの風邪を引いた。

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