番外編① アオライト・グレン・ラインバード
アオライト・グレン・ラインバードは、世界有数の大国であり、世界トップの軍事帝国であるラインバード帝国の第3皇子として、亡国の生贄姫の息子として、母を犠牲にしてその生を受けた。
男の子だったからか、亡国の生贄の息子だからか、はたまた親殺しの大罪人ゆえか、アオライトに向けられる視線は、赤子の頃から厳しいもの以外存在していなかった。
自分が生きていることすらも、息をすることさえも許されない後宮の奥深くの物置部屋で、アオライトは浮浪児のように育った。不貞腐れて、非常には知らなかったのは、前世である結城蒼としての記憶があったが故だろう。
アオライトの前世である結城蒼は、これでもかというほどに善意と優しさに満ちた好青年だった。親を大事にし、友人を大事にし、何より、幼馴染の婚約者のことをこれでもかというほどに大事にしていた。大事な人から危険を全て遠ざけ、慈しみ、守り抜かんとした、まさに隠れヤンデレを体現したかのようなストーカーチック否、ストーカー男だった。
幸いにも婚約者であった京終優花はそんな蒼のことを愛してくれたが故に問題にはならなかったが、一歩間違えれば犯罪者一直線であったことだろう。
アオライトは、今世でも、優花に誇れるような生き方がしたかった。
だから、悪いことには一切手を染めず、殴られても、蹴られても、文句も言わず、ただただ耐え忍び、生き物や植物、メイドや下僕など弱きものに優しく接した。
そうやって優しく接しているうちに少しずつ味方ができて、食事や服に困らなくなっていった。
このまま隠れて息を殺しながらも平和に過ごせるだろうと思った矢先に、《最悪》は起こった。
13歳の春の出来事だった。
アオライトが最も愛する、前世で愛する人に永遠を誓った春に、暖かな陽気が幸せを運ぶ春に、アオライトは父帝から呼び出しを喰らい、そしてとある命令を下された。
「東の国グラナス王国が叛旗を翻した。———皆殺しにしてこい」
ボロを纏い、穏やかに微笑んでいたアオライトにそう命じた父帝は、アオライトに軍服と剣、軍馬、そして20名の騎士をアオライトに渡し、問答無用でアオライトを戦場へと送り込んだ。
戦場は、前世で知っていたよりも、今世で伝え聞いていたよりも、ずっとずっと悲惨で、凄惨で、救いようがない場所だった。救いがない場所だった。
アオライトはぼーっとしていた。
指揮もせず、初めて立った戦場に、命のやり取りの場に、平然を失い、呆然としていた。
仲間が、部下が、あっという間に死んでいった。
頭から全身に血を被った。
服や鎧が重くなった。
それから先は覚えていない。
気がついたら被っていた血がなおのこと増えていて、自分の剣にもべっとりと錆がついていた。
手にできた豆や特有の切り傷を見て、アオライトは前世で習っていた居合いがとても役に立ったのだと悟った。
それからの日々は、もっと地獄だった。
アオライトに戦いの天賦の際があると気がついた父帝は、アオライトを次々と戦場に送り込んでいった。
全身を血で穢して、いくつもの罪を重ねた。
尾ひれがついた?噂が出回り、怖がられるようになったのはいつからだっただろうか。纏わりついてくる鬱陶しい女どもに優しく接することができなくなり、当たり散らすようになってしまったにはいつからだろうか。
(あぁ、最悪だ)
優しい自分ではなくなってしまった。
重水無垢な自分では無くなってしまった。
死後の世界で優花に逢うのが、無性に、———怖くなった。
そもそも、幾重にも罪を重ねたアオライトは地獄行きだろうから、天国行きの優花には会えないかもしれない。
戦場から帰り、自室のソファーに深く腰掛け自嘲の笑みを浮かべたアオライトに、戦争の英雄であるアオライトのことを邪魔に感じ始めた異母兄がとある紙を手渡してきた。
「………留学?」
「あぁ。こういうものは本来、将来国を背負うものがいくべき人間がいくものだ。しかし!噂に聞けば、彼の国には少々問題があるというではないか。僕のみに何かあった場合、この国未来に関わる!よって!貴様が行ってこい!!」
「………そうだな。そうしよう」
戦争から、戦場から逃げられるのであれば、なんでもよかった。
アオライトは異母兄の提案からたったの3日で準備を完璧に整え、15歳の誕生日にオーギスト王国へと王立学園留学のために旅立った。
旅の途中、何度か刺客に襲われた。
異母兄の差金だった。
そんなに死んで欲しいと思われていたのかと驚くと同時に、何故戦場に追い出される前に殺してくれなかったのかという恨み節が募った。どうせなら、罪を重ねる前に殺して欲しかった。
オーギスト王国に入ってからはとても静かな日々だった。
毎日図書館で本を読んで、中庭で軽く剣の練習をして、様々な科目の授業を受ける。前世の大学のようなシステムを採択している学園で生活は、思っていたよりもずっとずっと自由で、のびのびとできた。
そんな日々の中で、アオライトは優花らしき人を見つけた。
前世からの癖を多く引き継いだ優花らしき人、ユティカ・フィオナ・グラツィーニ公爵令嬢は、ふとした拍子に優花を連想させた。
ご飯を食べる時の表情、ちょっと変わった本の捲り方、首を傾げる角度、立ち止まった際に一瞬足首を浮かす仕草さえも一緒で、胸が高鳴った。
しかし、彼女にはすでに婚約者がいた。
婚約者である王太子レオナルド・ラルスト・オーギストは、ユティカを溺愛してた。
彼女が幸せならば、身を引こうと思っていた。
だが、彼はだんだんと、けれど、着実に壊れていった。
そして、あろうことか優花を、否、ユティカを公の場で晒し者にし、傷つけた。
前世での蒼との約束を無意識のうちに実行してしまうぐらいに、怖がらせた。
アオライトは、ユティカが小指をギュッと握りしめて「助けて」と鈴の転がる可愛らしい音のような声で助けを求めてきた瞬間に、彼女が優花であると確信を得た。
だから、身分を明かし、ユティカを攫った。
今、アオライトは愛おしいユティカと共に前世から夢見た幸せな結婚生活を、アオライトの故国である帝国で送っている。父帝と皇太子に反感を抱いていた第2皇子によって皇位簒奪が起きた帝国は、恐怖によって支配から解き放たれたことによって、随分と暮らしやすい国になった。
第2皇子、否、現皇帝は、アオライトに一切の興味を抱いておらず、自由にさせてくれている。おそらくは軍神と名高いアオライトの顰蹙を買いたく無いだけなのだろう。
けれど、アオライトにとってはそれで十分だった。ユティカに危害が加えられなければ、ユティカと穏やかに暮らすことができれば、それでいい。それ以上は、何も望まない。
「ユティカ、今日はとても天気がいいよ」
あの時から80年、たくさんの出来事があった。
子供に恵まれ、孫に恵まれ、ひ孫の顔までもみることができた。ユティカもアオライトも96歳、十分に生きた。
バルコニーに設置された揺り椅子に仲良く一緒に腰掛けたアオライトとユティカは、互いを支え合い、穏やかに虹のかかった空を見上げる。
「………愛しているわ、蒼くん。わたしの愛おしい旦那さま、アオライト」
「僕もだよ、優花。愛おしい僕の妻、ユティカ。………すぐに君の元に向かうよ。だから、君はひとりじゃない。何があっても、ひとりにはしない」
「うん」
ゆっくりと落とされる皺くちゃな瞼。
共に時を刻んだ証たる身体中の皺すらも、愛おしくてたまらない。
ひと足先に虹の先の世界へと旅立ったユティカにキスを送ったアオライトは、ゆっくりと彼女が大好きだった紅茶を嚥下する。
「さあ、また彼女を探す旅に出なくてはね………………、」
享年96歳、平均寿命を大幅に超えてなお元気が有り余っていた英雄アオライトは、溺愛していた妻ユティカと同じ日同じ時間に亡くなったと後世に伝えられ、愛の象徴として祀られることになったのだった———。
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