第8話
「ねぇ? まだ見て回るの?」
「もうちょっと」
「ほんと、この臭い気分が悪いわ。少し窓開けてもいいかしら?」
「開ければいいさ」
目立つ縁側の方ではなく、裏の山側の方の窓を少し開けると、心地の良い風が吹き込んできた。
「はぁ、空気が美味しいわ」
ふと、窓の下に目をやると、真新しい車輪の跡を見つけた。
「何でこんな所に?」
不自然なその跡は山の方へと続いている。
「ねぇ? おばあさんって、山に登ったりする人だった?」
「あー? 山? 登れるわけねぇよ。足悪かったから、家の中を動くのもしんどそうだったからな」
「そうなの……じゃあ、変ね」
「あ? 何がだ?」
「ほら、これ見てよ」
修三がやって来て、窓の外の車輪の跡を見ていた。
「荷車の跡だな、こりゃ」
「山の向こうって、何かあった?」
「んー、山の向こうはまた山だな。でも、この山、うちの寺に繋がってるぞ?」
「あー、確かにね」
寺内のおばあさんちの裏山は寺の方まで続く大きな山だ。繋がっていない方がおかしい。
「あんたんちに何か運んだのかしら?」
「山の中をか? そんな馬鹿なことするやついないだろ? 道もない山の中だぞ?」
「そうよね……」
「大方、筍でも採った時の荷車の跡が残ってたんだろ? この山、いっぱい採れるからな、筍」
それにしては真新しい跡なのでは? と思ったが、だからといってそれが何だと言われると何も答えられないので、腑に落ちなかったがそれ以上の詮索はしなかった。
「もういいでしょ? 帰りましょうよ」
「そうだな、何もないしな」
開けた窓を閉め、二人で寺内のおばあさんの家を後にした。
翌日、珍しく修三がうちに来なかった。
きっと飽きたのだろうと気に留めなかったのだが、それから三日経っても修三の姿を見掛けることすらなく、少しだけ不安が芽生えた。
また折檻されて、痛みで動けないのではないかと思ったのだ。
だからといって堂守の家を訪ねてみようとは思えなかった。
四日目、修三は何事もなかったかのように我が家に現れた。
来なかった間のことを聞いてみたかったが、人間誰しも聞かれたくはないこともあるだろうから、本人が言ってくるまでは何も聞かないことに決めた。
「なぁ? 今度は武田んちの健介がいなくなっちまった」
「誰よ、それ?」
「お前、健介知らないのか?」
「村人と交流なんてないもの。全員なんて覚えてないわよ」
小さい村だとはいえ、住人だけでも百人は超えている。
ほとんど交流もないのだから、覚えていない人間がいてもおかしくはないだろう。
「で? その健介は、何でいなくなったの? 家出? 行方不明?」
「別の県にある大学に行くんだとよ」
「大学? この時期に?」
「……健介、頭悪かったのによ、大学なんて行けるのか?」
「頭が悪くても行ける大学はあるわよ、金さえ積めば」
「あいつんち、金なんてないのにな……」
そもそも健介がどんな人物かも分からないのだが、武田家のことは少しだけ知っている。
寺内のおばあさんの家に一番近い家が確か武田家だったはずだ。
お世辞にも裕福だとは言えない、屋根瓦が所々割れ落ち、土壁も部分的に崩れ落ちているボロ屋と表現するのが正しい佇まいの家で、やたらと子供が多かった気がする。
「子沢山の家、だったかしら?」
「あぁ、あいつんちは兄弟が多いな。健介が三男で、上に兄貴が二人と姉貴が一人、健介の下に妹が一人と弟が二人の七人兄弟だ」
「……多いわね」
「村で一番子沢山の家だからな」
「そんな家の人間が、こんな季節外れに大学へ行ったの?」
「そうらしい」
「変な話ね」
学校全てにおいて、入学の時期は四月であり、夏のこんな時期から入学するところなど聞いたことがない。
「その健介って人は、それまで別の大学に通っていたの?」
「通うわけないだろ? ずっとこの村で家の手伝いをしてたやつが、どうやって大学に通うんだよ」
「じゃなきゃ、この時期から大学に行くなんて考えられないから」
「そうなんだよな……」
保がいなくなり、寺内のおばあさんと健介がいなくなった。
「人がいなくなりすぎてない?」
「そうか? 毎年誰かしらがいなくなるぞ。こんな村だからな、当然だ」
「……何もないものね」
世間は高度成長期だと景気が良さそうだが、この村には関係のない話で、いつだって変わり映えのしない景色と時間が流れている。
娯楽のないこの村から出ていく若者は多い。
村の外の世界を知ってしまえば、もう戻ってこようなんて考えないだろう。
それほど何もないのだ、この村は。
それにしても、就職して村を出て行くなら分かるが、大学に行くとは不自然ではないだろうか?
「本当に大学なのかしら?」
「それは俺も思った……だからな、あそこんちの一番下の弟とっ捕まえて聞いたんだよ。『本当に大学行ったのか?』ってな」
「何してんのよ? 怯えるでしょうに」
「そうか? でな、弟が言うには『父ちゃんがそう言ってた。俺は知らない』だそうだ」
「兄弟なのに知らないの?」
「まぁ、相手は十歳のガキだしな。小難しい話なんて知らんだろ?」
「そんなもんかしら?」
「大事な話は大人だけでするもんだろ? 俺なんていつも蚊帳の外よ」
我が家は何をするにも家族で話し合うのが普通であるが、よそはそうではないらしい。
心の中にいつからか溜まり始めた靄は、未だにスッキリと晴れてはくれないようだ。
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