第7話
「寺内のばあさんさ、いなくなっちまったの知ってるか?」
今日も我が家に来ている修三がそんなことを言った。
寺内のばあさんとは、おじいさんに先立たれて一人暮らしをしていた八十過ぎのおばあさんで、田んぼや畑を売ったお金で細々と暮らしており、ほぼ家から出ることがなかった人である。
「知らないわ。何でいなくなったの? まさか、また行方不明?」
「村のやつらの話じゃ、町の病院かどっかに入ったらしい」
「あー……歳だしね、しょうがないわ」
「でもさ、人が一人いなくなるってよ、大変なことだろ? 引越しなんてありゃ、こんな小さな村だ、みんなで手伝いに行ったりするしよ」
「……家には来ないわね、そうなっても人なんて」
「俺は行くぞ! って、そうじゃなくてさ、ばあさんいなくなったのに、引越しも何もなかったからさ、気になるって言うかよ」
「一人暮らしのおばあさんだもの。荷物もそんなになかったんじゃない?」
「……でもよ、引越し作業もなかったのにな、いなくなって今日で三日なのに、家の中もぬけの殻だったぜ」
「……変ね」
「だろ? なぁ? ばあさんち、行ってみないか?」
「はぁ? 何でよ」
「面白そうだろ? 行くだけ行ってみようぜ!」
断っていたのだが、修三があまりにもしつこかったため、一緒に寺内のおばあさんの家に行くことになった。
おばあさんの家は村の中心地から少しだけ離れたところにあり、家の周りは畑が広がっている。
その畑は元は寺内家のものだったのだが、手放して今は別の村人のものとなっている。
「お邪魔しますよっと」
「ちょっと! 勝手に入っちゃ叱られるわよ!」
「住人がいないんだ、叱られねぇよ」
寺内家に到着するなり、修三は玄関を開けて屋内に入っていった。
田舎だから鍵なんてかかっていないことは当たり前なのだが、流石に勝手に入るのはまずいのではないだろうか?
寺内家は木造平屋の瓦屋根の家で、薄茶色の土壁には所々ヒビが入っている。
修三が家の中に入ってしまったので、私も入ることにし、玄関土間で靴を脱いでいると、嫌いな臭いが漂ってきた。
「具合が悪くなりそうだわ……」
玄関から伸びる廊下の右側は壁になっており、数箇所に窓があり、外と同じく土壁が塗られている。
左側は部屋になっていて、修三が入っていったであろう手前の部屋の障子戸が半分だけ開いている。
この村の家屋は基本的に木造瓦屋根で、壁は土壁の家がほとんどだ。
土壁に漆喰を塗り、白壁の蔵造りの家にしているのは我が家と堂守の家くらいなもんである。
靴を脱ぎ、その部屋に入ると、本当に物一つなくガラーンとしていた。
「な? 何もないだろ?」
「本当に何もないわね……」
これは、想像以上に奇妙なのかもしれない。
「この家に、あんたは来たことあるの? おばあさんがいた頃」
「あるぜ?」
「その時、襖はあった?」
「襖? ……あぁ、あった、あった! あれ? でも今はないな。日焼けして変色したやつ。鶴の絵が描いてあって、ばあさんが『これはうちの家宝だ』って言ってたやつ」
「家宝だから持ってったのかしら?」
「持ってくか? 病院でも施設でも、そんなもん置いとく場所なんかないだろ? それに
、襖なんて外して持ってくなら、嫌でも目に付くし、人手がいるだろ」
「でも、現にないわ」
「だよな、ないよな」
襖がなくなり、仕切られることのなくなった三つの部屋が、一つの大きな部屋のように広がっていた。
奥の部屋には床の間があり、掛け軸でも掛かっていたのか、壁の一部だけ日に焼けていない箇所がある。
「元々物の少ない家だったのかしらね」
「いや、物持ちのいいばあさんだったから、玄関には大きな下駄箱があったし、ここ、茶の間だったんだけどよ、ガラス戸のデカい棚があってさ、妙な置物なんかがいっぱい並んでたぞ」
よく見ると、畳にも日に焼けていない部分があちこちにあり、長年何かが置いてあった形跡だけが残っていた。
「こうもガランとしてると、少し気味悪いわね」
「そうか? うちの説法部屋はこんな感じで何もねぇぞ?」
「よく知らないんだけど、普通、説法なんて本堂でするもんじゃないの?」
「他は知らないから分かんねえけど、うちの寺だと、本堂は祈祷やら経を読んだりする場所で、説法はまた別の部屋を使ってるな」
「あんたんとこ、無駄に大きい寺だもんね」
「まぁな……この家なら三個は入るかもな」
「それにしても、この家、空気が悪いわ。気分が悪くなりそう」
「そうか? うちの線香の臭いしかしないぞ?」
「これ、あんたんとこの線香の臭いだったの? 時々嗅ぐことがあったんだけど、この臭い、嫌いなのよね。嗅ぐと少し気分が悪くなるし」
「この村で線香売ってるのなんて、うちしかないけど、お前んちは線香炊かないのか?」
「炊くわよ? でも、あんたんとこからは買ってないわね。おじさんが送ってくれるから」
この村にある商店では線香は売られていない。なので我が家はおじさんが定期的に送ってくれる線香を使っている。
よそもそんなもんだと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
堂守の寺で売られている線香の臭いは、複数の花の香りの中に、どう表現すればいいのか分からない不思議な香りが混ざっていて、花の香りは良いのだが、その不思議な香りがどうにも落ち着かないし、気持ちが悪い。
「線香ってこんな香りじゃないもの。これが線香の香りだなんて思わなかったわ」
「俺は、線香といえばこの香りで生きてきたからな、他は知らないな」
「この香り、本当に嫌い」
「イラついてる時にこれ嗅ぐと、気持ちがスっと落ち着くけどな?」
「あんたとはとことん合わないようね?」
「人間ってのはな、みんな違う生きもんだからな! 好みが合う合わないなんて些細なことだ!」
修三のお気楽な発言に、更に頭が痛くなりそうだった。
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