第5話
水を飲んだことでやっとはっきりしてきたのか、目の焦点が定まってきた修三。
「……ここ、は? ……な、何でお前が?」
意識がはっきりしたのはいいが、そうなると煩わしさが増える。
「あんた、うちの前で倒れたのよ。ここまで運ぶの苦労したわ。礼くらい言えないもんなの?」
嫌味ったらしくそう言うと、修三が「悪い……ありがとうな」と言った。
素直になられるのも気持ちが悪いもんだ。
「動けるようになったら帰ってよね。いつまでもいられたら迷惑」
「……分かってるよ」
立ち上がろうとするが、まだ足に力が入らないようで、すぐに床に座り込んでしまった。
「何も今すぐ帰れなんて言ってないわよ」
「……悪い」
話すこともないためその場を去ろうと立ち上がると、修三が声を掛けてきた。
「……本当に知らないのか?」
「はぁ……疑うのは勝手だけど、知らないもんは知らないわ。保に興味もないし」
「……あの日、保が消えた日な……あいつ、俺に呼ばれたって言って家を出たらしいんだ……」
「あんたが呼んだら飛んでくわよね、保なら」
「……でもな、俺、呼んでないんだよ」
「記憶違いなんじゃないの?」
「そんなはずないだろ……あの日は、ちょっと体が痛んで寝てたんだよ……そんな日に呼ぶわけがない」
修三の体にあった無数の傷や火傷の痕を思い出した。あんな傷が出来るような折檻が日常的に行われているとしたら、痛くて動けない日もあるだろう。
「そうなのね……でも私は、鬼喰家は無関係よ」
「……別に、本気でお前や鬼喰家の者が保を食ったなんて思ってねぇよ……でもな、保が消えた日に、お前に似た女を見たってやつがいるんだ……」
「誰がそんなこと言ってるのよ? あの頃はずっと雨で、家から出てないって言ったわよね? 信じる信じないは勝手だけど、それが事実よ」
「……なぁ? お前、着物は着るか?」
「着物? 正月に着ることはあるわよ?」
「そうじゃなくて、日常的にだよ」
「着るわけないじゃない、着物なんて。特別な日以外着ないわ」
着物の着付けは最近になって母に習い始めたのだが、私は不器用らしく一向に上達しないでいる。
動きにくいし、息苦しく窮屈な着物は、衣服の中では苦手だ。
「お前に似た女を見たやつが言ってたんだ。雨の中、真っ赤な着物を着て、蛇の目傘をさした女が堂守の家の方に保と歩いてたって」
「……うちに赤い着物なんてないわよ。私が着るのは黒に牡丹の花が刺してあるのだけよ。疑うなら家探しでも何でもすればいいわ」
「……それは駐在から聞き出したから知ってる。お前の家に赤い着物はなかったって、やつが言ってた」
「へぇ……あいつのことだから、赤い着物があったって言うかと思ったら」
「駐在はいいやつだよ……」
妙に実感のこもった声で修三がそう言った。
「……着物を着てた女が、何で私に似てたって、目撃者は言ったのかしら? 傘をさしてたら、顔なんか見えやしないわ」
「腰まである黒髪なんて、この村じゃお前だけだろ。その女の髪が腰まで伸びてたんだとよ」
この村には私と同じ年頃の女は何人かいるし、そうじゃなくても女はいる。
だが、私ほど髪を伸ばしている者はいない。
別に切ってもいいのだが、小さい頃から何となく伸ばし続けた髪は腰を通り越し、尻の辺りまで伸びてしまっている。
暑い日には結ぶ事もあるが、大概は結ぶ事なく下ろしている。
「あんたんちの方に歩いてたんなら、やっぱりあんたの家に行ったんじゃないの?」
「俺もそう思ったさ……でもな、あの日は俺は部屋で寝てたし、寺には村のやつらがいつも何人かいる。その誰もが保を見てないんだ……」
「妙な話ね……」
「着物の女は、本当にお前じゃないんだな?」
「違うわ。そもそも、汚れるのにわざわざ雨の日に着物なんて着る馬鹿がいるもんですか!」
「……そうだよな」
雨の日に着物を着て保と歩いていた女がいた事実に、少しだけ好奇心が湧いてきたのだが、余計なことには首を突っ込みたくないのもあり、そこで話は終わった。
修三は少し休んだ後、少しよろけながらも堂守の家へと帰って行った。
修三が帰ってから、修三が言っていた言葉を思い出していた。
「真っ赤な着物……蛇の目傘……」
我が家にも傘は当然あるが、洋傘ばかりで、蛇の目傘なんてない。
赤い着物といい傘といい、我が家にはないものばかりを身に付けた謎の女の存在が気になって仕方がない。
その女は私と同じで長い黒髪だったという。
考えてみたところで、私は小説の中の名探偵ではないのだから、何も分からない。
そもそも情報も少ないのだから、それで推理しろという方が無理な話である。
「赤と言えば実嗣しか浮かばないのよね……」
年がら年中、朱色の法衣に深緑の袈裟を身にまとっているあの男の顔が浮かんで、何だか気分が悪くなる気がした。
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