第4話

「おい! 保をどこにやった!」


 実嗣がやって来た翌日、修三が我が家にやって来て、開口一番そう怒鳴った。


 両親は田畑に出ている。きっと私一人しかいない時間を狙ってやって来たのだろう。


 この男はそういうやつだ。


「……知らないわ。私は関係ないもの」


「嘘言え! お前やこの家の者以外、誰が保を誘拐するって言うんだ!」


「誘拐? おかしなことを言うのね? 保は出て行ったのでしょう、この村を? 手紙が届いたそうじゃない」


「あんなもん、偽物だ! 親父や畑中の家の者は『保の文字に間違いない』って言ったがな、俺は騙されたい! 子供の頃からずっと一緒だったんだ! 保の文字や書き方の癖を間違えるはずがない!」


「そんなこと言われたって、私はあんたに石を投げ付けられてから、保がいなくなったと駐在さんが来るまでの間、一歩も家から出なかったわ。あの時はずっと雨が降っていたし、傷は塞がったとはいえ、ほら、見なさい! これだけの跡が残るほどの傷を負ったのよ!」


 前髪を上げて額を見せると、修三の顔色が変わった。


 私の額には小指の爪程の歪な傷跡がくっきりと残っている。


 もっと時間が経てばもう少しマシになるのだろうが、二ヶ月しか経っていない上に、結構深い傷だったため治りが遅くなってしまい、今でもハッキリと分かる状態で残っていた。


「じゃ、じゃあ、保はどこに行っちまったんだよ!」


「知らないわよ。私がそんなこと知ってると本気で思ってんの!? 私が、何のために保を誘拐するって言うのよ」


「……喰ったのか!?」


「呆れて物も言えないわ……」


「だってお前は、お前の家は!」


「鬼だって言いたいんでしょ? じゃあ、逆に聞くわ。人身御供として鬼に喰われた先祖がいるってだけで、一滴たりとも鬼の血なんて入ってやしないのに、私を『鬼』と決めつけるあんたらは何? 私からしたら、あんたらの方が鬼に見えるわ」


「なっ! 何だと!?」


「とにかく私は無関係! 帰って!」


 修三を追い出し、玄関の鍵をかけた。


 外で修三がしばらく騒いでいたが無視を通していたら、諦めたのかいなくなった。


 翌日から、私の行く先々に修三が姿を現すようになった。


 隠れているつもりなのだろうが、嫌味な程に視界に入ってくる。


 何故か駐在の姿もよく見掛けるので、私への疑いは解けていないのかもしれない。


 直接こちらに何か言ってくることはないため気にしないようにしている。


 今日は特に用事もない上に、日差しが強いため、家にこもって読書をしているのだが、この暑い中、修三は家の近くをずっとウロウロしている。


「……ご苦労なことだわ」


 この村には書店などないため、本は安住のおじさんが時々送ってきてくれる。


 新聞は一週間遅れ、雑誌は一ヶ月遅れで入ってくるような村なので、おじさんの存在は有難い。


「本が好きなのか! そうかそうか。うちの血筋は皆本好きなんだよ。お前の母さんも、小さい頃は本が大好きでなぁ」


 私が読書が好きだと知ると、おじさんは実に嬉しそうな顔をしていた。


 今読んでいるのは、おじさんが面白いから読んでみなさいと勧めてきた文藝小説だ。


 少々難しい内容なので、丁寧に文字を拾い、言葉の意味を理解しながら読み進めている。


 文字の世界は良い。読んでいる間は嫌なことを忘れられるし、何者にでもなれる。


 手に汗を握る冒険、胸を焦がす恋、仲間と笑い合う青春、身が震える恐怖体験、様々な人間模様を追体験出来る。


 読書に夢中になり数時間が経っていた。


 ずっと同じ姿勢で本を読んでいたため、少し体が凝ってしまったので、立ち上がり体を伸ばしながら窓の外に目をやった。


 門の近くに修三の姿が見えたのだが、少し様子がおかしい。


「あっ!」


 門に手をついて項垂れていた修三の体がぐらりと傾き、そのまま倒れた。


「っ……あの馬鹿!」


 この暑い中、帽子も傘もなく外にいたのだ。日射病にでもなったのかもしれない。


 例え嫌いなやつだとしても、弱っているやつを放置なんて出来やしない。そんなことをしたらこの村のやつらと同じになってしまう。それだけは嫌だ。


 家から飛び出し、修三の元へ駆け寄った。


「大丈夫!?」


「うっ……」


 体が異様に熱い。


「ほんと、何やってんのよ!」


 修三の体を起こし、何とか引きずるようにしながら家の中まで運んだ。


「……ったく、重いのよっ! あんたもっ、将来はっ、あの父親みたいにっ、腹ばっかり、膨れるんでしょうね!」


 あまりの重さに嫌味が零れていた。


 修三を廊下に転がし、シャツのボタンを外すと、体中に古さの違う沢山の傷があることに気付いた。


 中には火傷痕もあり、それが折檻の跡だということがすぐ分かり、そっとボタンを戻した。


 氷枕を作り、修三の首の下に宛てがい、額には濡らした手拭いを乗せ、氷嚢袋を脇に挟ませた。


 水を飲ませたいのだが、意識がはっきりしていないようなので難しいだろう。


 この村には病院もなければ医者もいない。


 大きな病気や怪我をしたら車で二時間以上かかる大きな町まで運ばなければ行けないし、小さな怪我や軽い病気ならば家で治すのが通常だ。


 薬や手当の道具は一通り揃っている。


「体調が悪ければうちにいらっしゃい」


 実嗣が前に言っていた言葉だ。


 実嗣は寺で、医者でもないくせに医療行為のようなことをしていると聞く。


 胡散臭すぎる上に、あそこには常に誰かしら村人がいるため、一度も行ったことはないが、そこそこ人が通っているようだ。


 修三の頭は驚く程熱を持っており、そこにも濡れた手拭いをあてがった。


 氷水をたらいに作り、定期的に手拭いを冷やしては修三の体の熱を冷ましていると、小さな呻き声を上げ、修三が目を開いた。


「目が覚めたのね……」


 声をかけると、小さく首を動かして私を見たのだが、まだぼんやりしているようで反応が鈍い。


「こんな日差しの中、帽子も日傘もなしに外なんかにいるからこんなことになるのよ……」


 水を汲んできて修三に飲ませようとするも、起き上がれないのか、まだはっきりしないのか、動かない。


「まったく……あんたは赤ん坊? 人の手を借りないと水も飲めないの?」


 嫌味を言いながらも、修三の体を起こしてやり、コップを口元へと運んでやると、ようやく水をコクコク飲み始めた。

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