第3話

 保が行方不明という話は、小さな村だけに瞬く間に広まった。


「鬼に喰われたんじゃないのか?」


 何故か家出をしたという発想はないようで、結局村人の疑いの目は我が家に向けられている。


 苗字がそれだからといえ、鬼のように人を喰らう習慣などない、ごく普通の家庭なのに。


 鬼が本当にいるのだとしたら、そういう心ない言葉を平気で吐き出す人間の心の中にこそ住み着いてるいるのではないだろうか?


 保が行方不明になって以降、我が家には幾度となく駐在がやって来ては、家のあちこちを見て回っている。


「自分は疑ってないんですがね、村の人達に言われて、仕方がないんですよ。これで潔白が証明出来れば、鬼喰家の仕業じゃないと言えますのでね、協力してください」


 ヘラヘラと笑いながらも、駐在は蔵や厠、果ては納戸の隅々まで確認して行った。


 蓋がされ、汲み上げ式のポンプが設置された井戸を壊してまで中を確認しようとした時は流石に父も呆れていたが、錆の浮いた杭を見て、「そこまでする必要はないですね」と笑う顔がどこか気味悪かった。


 保が行方不明になって一ヶ月経った頃、畑中家に、本人と思われる文字で書かれた手紙が届いたという。


 詳しい内容は知らないが、村の人達が話している内容からして、どうやらこの村が嫌になったので出て行ったという顛末らしい。


 この村ではよくある話である。


 人騒がせにも程があると思ったのだが、どうにも妙だ。


 保は修三の腰巾着で、村の中ではそこそこ人気があり、堂守家の恩恵も受けていたため、この村にいる限りは安泰といえたはずだ。


 将来的には畑中家を継ぎながらも、堂守家の傘下に入れただろうから、ある程度の美味しい思いが出来る未来が約束されていると言っても良かった。


 あれは気が弱かったが、計算高さも持ち合わせた、少々ずる賢いところのある男だったのに、そんなやつが何故家出などしたのだろうか?


 考えてみたところで保ではないので分かりはしないのだが、何となくの気持ち悪さを覚えた。



◆◆◇◆◆


 今年も夏がやって来た。


 白い花が村のあちこちに咲き始めると、本格的な夏はすぐそこである。


 ばあちゃんが「クリの花」と呼んでいたその花は、特に堂守の家の近くに沢山咲いていて、うちの近くにはあまり咲かない。


「何でクリ? 木じゃないのに」


「さぁね、ばあちゃんも知らないけど、ばあちゃんのばあちゃんがそう言ってたんだよ。花の名前なんて知らないからね、ばあちゃんも『クリの花』って呼ぶようになったのさ」


 幼い頃のばあちゃんとの記憶が蘇る。


 保が村を出て二ヶ月が経っていた。


「紅ちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかしら?」


 母に声をかけられ部屋を出ると、母が小さな荷物を手に立っていた。


「安住のおじさんに荷物を送ろうと思うの。でもね、母さん、今から畑に行かなきゃいけないのよ。だから、これを郵便局に出してきてくれないかしら?」


 安住のおじさんとは、他県に住む母方の親戚で、時おり我が家にやって来ては、都会の話を面白おかしく話してくれる気のいい人だ。


「こんな村、出てしまえばいいのにな」


 酔うとおじさんはいつもそう零している。


「この村で土地を売って出て行こうとしたところで、二束三文にしかならない。その金を持って村を出たって、とてもじゃないが職が見つかるまで食いつなぐことも出来やしない。この村に住んでいる限り、食うに困らず、人並みの生活は送れる。仕方がないんですよ」


 その昔、父はこの村から出て、他県の大学に通っていて、そこで母と出会い、結婚を誓い合い、母と生きるために村を捨てようと考えたそうだ。


 だが、父の父、私の祖父が死に、そのことですっかり弱ってしまった自分の母親を見捨てることは出来ず、婚約者であった私の母の後押しもあり、渋々この村に戻ってきた。


「あの時、就職を蹴ってこの村に戻ってきた自分の決断を、時折恨めしく思いますよ」


 寂しそうに、悔しそうにそう呟いた父の背中が深く印象に残っている。


 母から受け取った荷物を郵便局に出して、照りつける日差しの中をゆっくりと歩いて帰っていた。


 郵便局と言ってはいるが、商店の一角にある簡易的なもので、町の郵便局員が週に一度やって来ては集荷していき、村宛ての郵便物もその時に配達してくれる。


 今日は汗ばむほどに暑い。


 農業が中心のこの村は、暑い時期になると、涼しい朝方と夕方に農作業が行われ、日差しの強い日中は家で休むことが当然のことで、この時間帯は外に出ているのは子供くらいなものだ。


 その子供達も、こんな日差しの日には、涼しい山の中や川遊びをすることが多いため、人っ子一人見当たらない。


 早鳴きの蝉の声が暑さを強調しながら響いていて、じんわりと汗が吹き出してくる。


 家に続く道を歩いていると、この暑いのに場違いな服装の男がこちらに来るのが見えた。


 実嗣だ。


 こんな陽気だというのに、いつもの朱色の法衣に深緑の袈裟を身に纏い、坊主頭に汗を浮かべながらこちらに向かって歩いてくる。


 関わりたくないので引き返そうかと思ったのだが、家はもうすぐそこである。


「やぁ、紅子ちゃん、こんにちは」


「……こんにちは」


「丁度良かったよ。今ね、紅子ちゃんの家に行ったんだよ」


「……そうなんですね」


「困ったもんだ。色良い返事がもらえなくてねぇ。紅子ちゃんからもご両親に言ってくれないかい? うちに来たい、と。堂守の人間になりたい、と」


「っっ!? 何の話です!? なんで私が堂守に!? 嫌です! お断りします!」


「おや? 紅子ちゃんも私に反抗するのかい? いけないねぇ、実にいけない」


 首を振りながらもニヤッと笑う実嗣の顔が化け物に見えた。


 駆け足で実嗣の横を通り過ぎ家に帰ると、母が塩を持って立っていて、慌てて帰ってきた私を見て悟ったようで、実嗣が去って行った方向を睨み付けながら塩をしつこいほど撒いていた。

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