第3話 命の花
「ん、んぅー……っ!」
カーテンの隙間から差し込んだ暖かな日の光を受け、目を覚ます。
知らない部屋、知らない世界での初めての朝は、なんだか少しだけ心地よい目覚めだった。
「一晩寝たら何かが変わる……なんてことはないよね」
なにか思い出せないか頭を働かせてみるが、相変わらずモヤがかかったように真っ白のまま。
(結局、思い出せたことは昨日のアレだけ……か)
思い出せたと言っても戻り方なんかは相変わらずわからないままだし、それ以外の情報も一切わかっていないんだけど……。
「そうは言っても、ここで悩んでいても何か変わらない、よね」
何か迷ったら一旦行動に移す。何もできずに停滞していると掴めるチャンスだって逃してしまうかもしれない。
ひとまずは……。
「とりあえずみんなに挨拶から、かな」
そう呟いてから、僕は部屋を後にした。
「ユズさんおはようございます」
「あ、肇くんおはようございます」
部屋から出て下の階へ降りると、ユズさんが大きな籠を抱えていた。
ここはリビングになっているらしく、大きなソファにテレビのようなものまで。
この部屋に対して違和感を抱いていない辺り、どうやらこういったところは元いた世界とさほど変わらないらしい。
「肇くんは私と同じで早起きなのね」
ユズさんはそう言って僕に優しく微笑む。
言われてみれば他の人はまだ寝ているのか、ここには僕とユズさんしかいない。
「ユズさんはいつもこの時間に?」
「そうね。私はみんなのお洋服を洗濯して干さないといけないから」
慣れた手つきで次々と籠の中に入っている服を、次々とハンガーにかけていく。
昨日もそうだったけれど、ユズさんは三人の中でも一番しっかりしていて、包容力もあるように思える。
それでいて、家族の中で一番早くに起きて、洗濯などの家事もして……。
「なんだかお母さんみたいですね」
「そうかな? ……まぁ、そうかも。これでもこの家の中では一番お姉さんだし、私自身こういった家事とか大好きなの」
ユズさんは僕と会話しながらも手を動かし続けていた。
けれど、その表情は先ほどから変わらず優しい笑顔のままで、心から本当にそう言っているのだと伝わってくる。
「そういえば肇くんの服も買わないといけないね」
「僕のですか? 流石にそこまでしてもらうには……」
「記憶、まだ戻ってないでしょ?」
「それは、はい。少し思い出せたこともありますが……」
「ふふっ、そんなに焦らなくてもいいのよ。ゆっくりでいいんだから」
「…………はい」
しかしアオイさんは僕がここにいるのを嫌がっていた。いくら記憶が無く、行く当てもないとはいえ、嫌がっている女性がいるのにいつまでもここにいるわけにはいかない。
「……アオイちゃんのこと、気になる?」
「え、あ、はい。あ、いいえっ」
顔に出ていたのか、考えていたことを言われ、つい慌ててしまう。
「ふふっ、隠さなくていいよ」
「……はい。その、アオイさんは僕のことを嫌っていたみたいだから、やっぱりあんまり長くいないほうがいいのかなって」
「肇くんって優しいのね」
「どう、ですかね。正直昔のことがわからないのでなんともいえないです」
「ううん、優しいわよ。アオイちゃんにあれだけ言われてそれでもアオイちゃんのことを考えてくれているんだもん」
「さてと、そろそろみんなを起こさないといけない時間だけど……」
「ふわぁ~、ユズしゃん、肇しゃん、おはよーございますぅ~」
「おはようユズ」
ユズさんが階段へと目を向けると、上から眠たそうに瞼を擦るサクラさんと、身支度までしっかりと整えているアオイさんが降りてきた。
「おはよう。でもアオイちゃん、もう一人忘れているわよ」
「……あんたも、おはよう」
「お、おはようございます」
アオイさんから明らかに不服そうな表情を浮かべられながら挨拶を交わす。
その一方でサクラさんは身体を左右に揺らしながら、僕の前に立ち、
「肇さんも早起きさんなんですね~」
「今日はたまたまだよ」
「一人で起きられるなんて偉いですよぉ」
まだ寝ぼけているのだろう、呂律が回りきっていないし、なんだかぽわぽわしている。
「ほら、サクラ。顔を洗うわよ。そうすれば目が覚めるから」
「はぁ~い。それでは肇さん、またあとで~」
サクラさんはそう言って、アオイさんに背中を押される形でリビングをあとにする。
そんな二人を見ていると、つい本音が零れてしまう。
「……良いお姉さんなんですね」
「本当の姉妹ではないけど、一緒に暮らしていたら自然とそうなっちゃうのよ。サクラちゃんって、どこか放っておけないようなところがあるから」
「あはは、なんとなくわかります」
知らない世界で僕を助けてくれた優しい女の子。
もちろんユズさんの優しさも負けず劣らずだけど、サクラさんにはもっと別のものを感じる。
人を引き付ける、思わず魅了されてしまうような……。
「それじゃあみんな起きたからご飯の準備をしないと」
「あ、僕も手伝います」
「ふふ、ありがとう。助かるわ」
いつまでもこの優しさに甘えてばかりではいけない。
僕にも出来ることを見つけていくんだ。いつか別れの日が訪れるその時まで。
「――それで、肇くんの服を買うのは決定として、それまでどうするかよねぇ」
朝食を済ませて、今は二人でその後片付けをしている最中、ユズさんは悩まし気にそう呟いた。
「みなさんは何か予定があるんですか?」
「うーん、予定というより、仕事……かな? これから私たちはお花のお世話をしなくてはいけないの」
仕事でお花のお世話……というと、
「みなさんはもしかして生花店で働いて?」
「うーん。そうじゃなくてね、私たち妖精は命の花という大切な花を育てるために産まれてきたのよ。あ、命の花というのはその名前の通りで、その花には一人の人間の命が宿っているの」
「人間の命、ですか……」
ただのお花のお世話かと思っていたら、壮大な話になってきたな……。
「命の花が枯れたらその花と繋がっている人間の命も失われてしまう、と言われているわ」
「と言われているって……なんだか曖昧ですね」
「そうね。でも私たちも人間が亡くなったところなんて見たことないから」
「あぁ……」
言われてみればこの世界には人間がいないということを、これまでの反応からして伝わってくる。
……あれ? でもその話が本当なら。
「もしかして、僕の命と繋がっている花もここにあるってことですか?」
「君が生きている限りはどこかにあるわね。まぁ、私たちもどの花が、誰の命に繋がっているかなんてわからないから調べられないけど……」
「そう、なんですね」
「とにかく、私たちはそのお花のお手入れをするのが仕事なの」
つまり今こうして僕が生きていられるのは、本当にユズさんやサクラさん達のお陰ってことなのだろう。
「……ありがとうございます」
「ど、どうしたの、いきなりお礼なんて」
「いえ、僕がこうして生きているのもユズさんたちのお陰なんだなって思ったら自然と」
「そんなの気にしなくていいのよ。私たちはそのためにいるんだから」
「ユズさん……」
「で、ここからさっきの話に戻るんだけど、午後にはお世話も終わると思うんだ。でもそれまで君はすることがなくなっちゃうでしょ」
「……流石に一人で外、というのは」
「ジー…………」
「ダメ、ですもんね」
「当たり前。君はまだ病み上がりのような状態なんだから。それにみんな午前中はお世話をしているから君に何かあっても助けられないの」
「サクラちゃんのためにも無理はしちゃダメよ」
「すみません」
「わかればよろしい。……でも、ずっと待っているのも退屈だろうし」
ユズさんが「うーん」と頭を悩ませていると、僕たちの間からひょこっと小さな頭が飛びだす。
「だったら、わたし達のお仕事を見てもらうのはどうでしょう!」
「ちょっとサクラ。それ本気で言ってるの?」
サクラさんの提案に隠れて聞いていたのであろうアオイさんも飛び出してくる。
「もぅ、いるなら隠れてないで話に混ざっても良かったのに」
「いや、それは……。ううん、それよりも命の花の世話を人間に見せるなんて出来ないわよ!」
「良いアイデアだと思ったんですが……」
「命の花は大切な花なの。万が一あいつが悪戯でもして枯らしたりしたら、責任を取るのはサクラなのよ!」
「むぅ、アオイお姉ちゃん、肇さんはそんなことしませんよ! ですよね、肇さんっ!」
「それはもちろん。みんなの邪魔をしないようにはするつもりだけど……」
「だったら仕事を見られるだけで邪魔だから来ないで」
そ、そこまでなのか……。
僕のことを嫌っているのはわかるけど、昨日よりひどくなっていないか……。
「アオイちゃん、別に良いじゃないの」
「こればかりはユズの頼みでも嫌よ。……どうしてもって言うならあたしがいない時だけにして」
「アオイちゃん……」
「それじゃああたしはもう行くから」
そう言い残してアオイさんはそのままこの場を後にする。
「……もしかしてわたし、良くないこと言っちゃいましたか」
「ううん、気にしなくていいわ。君もね」
「は、はい」
なんて慰められはしたけれど、申し訳なさが勝ってしまう。
せめてアオイさんがどうして僕のことを嫌っているのかわかれば、解消する方法もあるかもしれないけど。
(今はまさに取り付く島もない、って感じだからな)
こればかりは時間が解決してくれることを祈るしかなさそうだ。
まぁ一番は早く記憶を取り戻して、元の世界に変えることだけど……。
「とりあえずこれだけやってしまいましょう。アオイちゃんも、自分がいない時なら良いって言ってくれたわけだし」
ユズさんは手を叩いて場の気を取り直す。本当にユズさんがいてくれて助かったと心の底から思った。
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