第4話 あの時の歌

「お待たせしました~、お水の時間ですよ~」


 そう言ってサクラさんは、桜色のじょうろを持って楽しそうに命の花へ水をくれる。

 あれから二人の仕事を見るために家の隣にあるビニールハウスのようなところへ移った。

 ここには僕とサクラさんとユズさんしかいない。アオイさんは別にもやることが出来たと言って早めに切り上げてどこかへと行ってしまったらしい。

 ……それにしても。

 サクラさんから視線を外し、周囲を見回す。


「これ全部が命の花、ですか」


 ビニールハウスの中にずらりと並んだ様々な花。普通の花と違うのはみんなそれぞれが独自の色で輝いているのだ。


「……みんな綺麗だ」


 言いながら僕は再びサクラさんの方へと視線を向ける。


「みなさん、これからもずっとずっと元気でいてくださいね♪」

「あっ、なんだか元気がない子がいます。どうかしましたか?」

「あわわ、こっちにはもっと元気のない子が」

「えーっと、えーっとこんな時は~」


 あっちこっち忙しそうに歩き回っている。でもその顔はとても楽しそうで、なんだか見ているこっちがほっこりする。

 その一方でユズさんは周囲に気を使いながら何かを運んでいる。


「よいしょっと」

「あれ、ユズさん。それって」

「可愛いでしょ。先週芽吹いたばかりなの」


 そう言って見せてくれたのは、いくつもの子葉だった。

 どこか危なげで、誰かの手を借りなければすぐにでも枯れてしまいそうだけど、将来は綺麗な花を咲かせてくれると、そんな不思議な予感を与えてくれる。

そんな子葉が植えられている鉢を、ユズさんはゆっくりと並べていく。丁寧に、優しく、慎重に。


「サクラさんとは違ったことをするんですね」

「お花のお世話を言っても色々あってね、私は、この子たちみたいな赤ちゃんをある程度まで育てる係なの」


 確かに言われてみれば、ユズさんのいるところにある鉢の中は、どれもこれもかなり若い……というより、芽吹いてからそれほど時間のたっていない小さなものが多い。


「サクラちゃんは若いお花を育てる係で、アオイちゃんはもうすぐで寿命を迎えるお花を育てる係よ」

「若いお花は大抵の事では枯れることはないから、サクラちゃんのような若い妖精が担当して、私やアオイちゃんのようなベテランは赤ちゃんみたいに少しのことで影響されてしまうお花のお世話をすることになっているの」

「みなさんにお世話されるお花は、幸せですね」

「そんな上手いこと言っても何も出ないわよ。あ、そうだっ、君も良かったら手伝ってくれるかな」

「僕が、ですか? そんな命の花のお世話なんてできないですよ」

「ふふっ、そんなこといきなり頼まないから安心して。ほら、あそこ」


 ユズさんが指した方へと視線を移す。

 そこには命の花とはまた別に、どこか見覚えのあるような様々な色の花が、レンガの花壇に植えられていた。


「あそこにはね、普通のお花が植えられているの。君さえ良ければなんだけど、あそこの花のお世話をして貰えたらなって」

「わかりました」

「あら、意外と乗り気なんだね。人間の男の人ってお花のお世話とかあんまり好きじゃないって聞いたんだけど」

「人によるとは思いますが……。僕は好きなんだと思います」


 現にこうして二人の事を見ていたら体が少しうずうずしてきている。


「よかった。道具は入口の近くにあるのを好きに使っていいからお願いね」

「はい!」


 今まで助けて貰った恩を少しでも返せる機会が訪れ、つい気合の籠った返事をしてしまう。

 そんな僕がおかしかったのか、くすりと笑うユズさんに見送られながら、僕は花壇へと向かった。




「…………ふぅ、これで終わりかな」


 水やりを終えてじょうろを足元に置いてぽつりと呟く。

 何事も無く無事に終えることが出来たところまでは良かったのだが、逆にそこが引っ掛かってしまう。

 花壇に植えられている花はぱっと見ただけでも、いくつかの種類がある。

 そんな花達を前に僕は、まるでその花が何で、どういった風にお世話をすれば良いのかをわかっているように動いたのだ。

 頭では当然ながら理解していない。

 だが、それでも僕の体は自然とそう動いていた。

 まるで食事の際に箸などを使うのと同じように、そうすることが当たり前だと言わんばかりに。


(僕は、一体……)


 空になったじょうろを見つめながら自分のことについて考える。

 しかし、その度に頭の中にモヤがかかって思考を邪魔してくる。


「……ダメだ」


 考えれば考えるほどわからなくなってくる。

 僕は首を横に振って頭の中をリセットし、


「そういえば、この後は何をすればいいんだろう……」


 とりあえず自分に与えられた仕事は終わったけど、誰に声をかけよう。

 どっちも何か真剣に花を見ているようだけど……。


「サクラさん、かな」


 ユズさんはかなり慎重にならざるをえない役回りだし、それを邪魔してはいけない。

 それよりもサクラさんがどこか悲しげに見つめているのが気になる。


「サクラさん、どうしました?」


 僕はサクラさんの隣へと立ち、そっと声をかける。


「ぁっ、肇さん……」


 そう言ってどこか寂しそうな瞳で僕を見上げる。

 どうしたのかと思えば、彼女が見つめていた先には、とても弱々しい光を放っている命の花があった。


「何日か前からずっとこんな状態で、わたしなんとかしたいって思っているのに全然元気になってくれなくて……」

「わたしはこんなことしか出来ないですけど、早く元気になってください……」


 そう言ってサクラさんは懐から透明な液体が入ったスポイトボトルを取り出し、中の液体を一滴花に垂らす。


「これは?」

「元気になるお薬です。今まではこれを使えば一日で元気になってくれたんですが、このお花さんだけはまだ……」


 言いながらサクラさんは立ち上がり、


「ユズお姉ちゃん、いつものやってもいいですかー!」

「いいわよ~」

「ありがとうございますっ!」


 サクラさんの要望にユズさんはすぐに承諾する。


「いつもの?」


 僕はその様子に首を傾げる。

 このやり取りを見るに、本当にいつもやっていることなんだろうけれど……。


(これ以上なにかやれることなんてあるのかな……)


 そんなこと思っていると、サクラさんは僕の方を見て、


「えへへ、見ていてくださいね」


 満面の笑みを浮かべてから先ほどの花へと向き直り、ゆっくりと目を瞑る。

 それから小さな手を自身の胸元へ当て、大きく息を吸い、そして歌い始める。


「~~~♪」


 ビニールハウス中に響き渡る、可愛らしさを秘めた美しい歌声。

 決して声量が大きいわけではないのだが、それでも彼女の声は僕だけでなく、ビニールハウス全体を包んでいるような……。

 思わずこの歌声に全てを委ねたくなるほど、甘く心に響く。


(でも、この歌。どこかで……あっ)


 それは初めて僕がサクラさんと出会った時に聞こえてきた歌だった。

 だけどあの時よりも、柔らかく、優しい。まるで僕の心に直接呼びかけるように、近くにそっと寄り添うような……。

 彼女の想いが歌を通して僕に届く。

 元気になって、また綺麗な姿を見せてください。そんな祈りにも似たサクラさんのまっすぐな気持ち。初めて聴いたはずなのに、どこか懐かしく感じる不思議な歌。

 いや、違う……。僕はこの歌を……。


「知っている……」


 どこで聴いたのかも思い出せないけれど、僕はこの歌を聴いたことがある。それもここに来るよりずっとずっと前に。


「……いい歌でしょ」

「ユズさん……」


 いつの間にか隣に来ていたユズさんは、愛おしそうにサクラさんを見つめていた。


「昔に元気がないときに教えて貰ったらしいの」

「アオイさんにですか?」

「ううん。残念ながらそれが誰かは今でもわからないの。でもサクラちゃんは元気をもらったって言って、その日以来、元気のない花には必ずこの歌を送っているのよ」

「そうなんですか。とても良い歌ですよね、なんだかサクラさんが元気をもらったっていうのもわかる気がします」

「そうね。私もこの歌が大好きよ」

「僕も、大好きになりました」

「……ふぅ。ふふっ、はやく元気になってくださいね」


 歌い終えると、サクラさんは弱々しい命の花に微笑む。

 その時の彼女の慈愛に満ちた顔は、何があっても忘れない。そんな予感がした。

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