第2話 初めての夜

「…………」


 ポニーテールの少女はゆっくりとベッドの周りを歩きながら僕を観察する。

 ユズさんの名前がでたところから、不審者とかではないだろうけれど。


「あの――」

「黙って!」

「は、はいっ!」


 ……怖っ!

 圧のある言葉に少しばかり縮こまってしまう。


「…………」

「………………」

「(い、いつまでこのままなんだろう……)」


 あれから彼女に言われた通りに黙ったまま数分。彼女は変わらずずっと僕のことを一定の距離を開けたまま観察を続けていた。

 長いまつげに、きりっとした瞳、薄く開かれた唇。どこをとっても美しく、綺麗だと思う。

 余りじろじろ見ては失礼だとも思ったが、特に彼女の方から話を振ってくることもないため自然と目が行ってしまう。


「(……いつまで続くのだろうか)」

「…………」

「(少し姿勢を崩したいけど、下手に動くと怒られるよな)」


 とはいえこのままというのも辛い。


「(ユズさんが帰ってきてくれれば一番だけど……)」


 サクラさんを運びに行ってから結構良い時間が経っているのに戻ってくる気配はない。


「……ユズなら来ないわよ。あたしが部屋を出るまで二人きりにしてほしいってお願いしたから」

「えっ?」


 心の中を読んだような発言に思わず驚いてしまう。


「あなた、確か肇って言ったわよね?」

「え、えっと……」

「あぁ、別にもうしゃべっても良いわよ。さっきは集中していたから気を散らさないでほしかっただけだから」

「は、はぁ。そうですか」

「で、あなたの名前は本当に肇なのよね?」

「うん。僕の名前は肇、です」


 記憶があやふやではあるものの、それは先ほど思い出した記憶でもそう呼ばれていたから間違いはない。


「ならカズフミって名前、聞いたことない?」

「カズフミ……?」


 頭の中で何度も復唱してみるが、一向にピンとこない。僕と関わりのある人ならさっきみたいに思い出すこともあるかとも思ったけれどそれもなし。


「ごめん、僕、記憶がちょっと曖昧になっているみたいで」

「そういえばユズがそんなこと言っていたっけ。まぁいいわ」


 そう言うと彼女はそのまま部屋の扉の方へと歩いていき、ドアノブに手をかけたところで振り返る。


「もし何か思い出したら教えなさい。でも出来るだけ早く出て行ってね。それじゃあ」

「あ、あのっ!」


 そのまま部屋から出ていきそうになる彼女を呼び止める。


「……なに?」


 思い切り不機嫌そうな目でこちらを見る。


「その、できれば名前を教えてほしいなって」

「なんで教えなきゃいけないの?」

「え、それは……」


 言葉に詰まってしまう。というよりも彼女の威圧感に気圧されてしまっている。

 重い空気が部屋を満たしていくのがはっきりとわかる。

 これが自分のせいだってのも、早く答えなければ状況は悪くなっていく一方だとわかってもいる。しかし、どうにも言葉が出てこない。

 どうしたらよいか迷っていると、


「――心配になって様子を見に来たらやっぱりアオイちゃん意地悪してますね」


 扉が開き、そこには呆れた様子のユズさんが立っていた。


「ユズ……」

「ユズさんどうして」

「アオイちゃん、すぐに終わるからと言っておきながらずっと肇くんを独占しているんだもん」

「別に独占しているつもりなんてないわよ。あたしはただあの忌々しい人間のことをしていないか気になっただけで」

「だから彼は違うって言ったでしょ。大体、あの人が現れたのは二十年も前なのよ。どうやったって計算が合わないでしょ」

「むむむ……」


 どこか悔しそうに唸るアオイと呼ばれた女性。

 ここには先ほどのような重い空気は無く、彼女から感じていた威圧感もすっかり消えていた。


「それと、名前くらいは教えてあげても良いんじゃない。というより、教えないと許しませんよ」

「うっ、わかったわよ」


 凄いな。ユズさんが少し言っただけでこんなにもあっさりと。

 ポニーテールの女性は僕に向き直り、


「あたしの名前はアオイよ」

「アオイ、さん。はい、覚えました」

「別に覚えなくても良いわよ」

「もぅアオイちゃんったら……」

「言われた通り名前を教えたんだからこれでいいでしょ」

「はいはい、もういいですよ」

「ふんっ」


 ぷいっと不機嫌そうな表情を浮かべたまま、廊下の奥へと消える。

 その後ろ姿を見てユズさんは盛大なため息を吐いた。


「はぁ~、まったくアオイちゃんったら。ごめんね肇くん。気を悪くしたでしょ?」

「い、いえそんなことは……」

「それよりアオイさんって、誰にでもあんな感じなんですか?」

「うーん、気が強いところはあるけれど普段はもっと優しい子なのよ。肇くんからしたら信じられないかもしれないけど」


 思わず頷きそうになる。


「詳しいことは私の口からは言えないけど、あの子も好きであんな態度を取っているわけじゃないの。だからあまり嫌わないで貰えると嬉しいかなって」

「……わかりました。ユズさんのお願いですし、出来る限り頑張ります」

「ありがとう」

「それじゃあ今日は色々あって疲れたと思うからゆっくり休んでね」

「はい。色々とすみません」

「気にしなくてもいいのよ。それじゃあおやすみなさい」

「おやすみなさいです」


 そう言い残してユズさんはそのまま扉を閉めた。

 と、ほぼ同時に僕は思い切りベッドに倒れ込む。


「はあぁぁぁぁ」


 頭が枕に沈み込むと、あの時に感じたサクラさんの香りが僕を包み込んだ。

 そのせいで、今僕が横になっているのが女の子のベッドだということを強く意識させられる。


「……ダメだダメだ。彼女は僕の恩人なんだ。邪な気持ちになんてなったら」


 ……落ち着かない。


「ゆっくり休めと言われたけど、このままじゃ眠れそうにないな」


 僕はベッドから起き上がり、窓辺に立って空を見上げる。

 暗い紫色の空に大きな月が佇んでおり、その周りには綺麗な星々が点々と輝いていた。


「……これからどうなるんだろう」


 僕はちゃんと家に帰れるのか、記憶が全て戻るのだろうか。

 不安だけが強くなっていく。


「いい風だな」


 窓を開けてみると、外から心地よい暖かい風が僕の横を通り過ぎる。

 その風は別の花の香りがして、それがなんだか安心できた。


「ふわあ……」


 空を見上げたままぼんやりしていると、ようやく眠気が襲ってきた。


「……これで良しっと」


 夜の空に名残惜しさを感じながら窓を閉める。

 眠れるか心配ではあったけれど、ベッドに入るとすぐに僕の意識は深い眠りへと落ちていった。

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