イェーガー家傷害事件③

「ええつまり、法諺とはただのことわざです。だから別に法律を妨げるわけではないのですな。」


「な、なるほど。不勉強でした。」


 先生は視線でトレーガー警部のこともたしなめた。こんくらい知っておけと言わんばかりだ。

 失礼だが、たたき上げで座学は得意ではなさそうだし、腕っぷしタイプだし、酷な気もする。しかし、本人は恥じ入っている様子だ。


「つまり、あなたがもし重篤な怪我をさせようものなら、たちまち官憲が飛んで来るんですな。」


「はあ、分かりました。以後、いっそう気をつけようと思います。」


「うんうん。それがよろしいでしょう。奥様とお子様のためにも。ところで、家父権とは何かご存じですかな?」


「ええ、なんとなくですが、一家の主たる父が妻子を教え導かなければならないというものですよね。夫のそして父の義務であり権利ですよ。」


「ううん。まあ現代的にはそうですな。それが古代においてどのようなものだったか、まではさすがにご存じないですよね?」


「ええ、恥ずかしながら、学が無いものですから。」


「はっはっは、知らないことを恥じ入ることができる、それもまた美徳ですよ。では、もったいつけても意味ありませんからな。ご説明しましょう。」


「え?」というアロイスの言葉は空しく響いた。


「【十二表魔法:石棺】。」


 地面から石板がせり上がる。

 石板の高さは3メートルくらい。でもその向こう側は真っ黒だ。足元は平らな砂地になっている。つまり明らかな異空間。

 石板には古めかしい言葉が刻まれているがところどころ擦れて読めなくなっているものもあるだろうか。まあ、ドイチェ語じゃないから無学な俺には読めない。


「え?あ?ええ?」


 アロイスの理解が追いついていないようだ。

 いや、平民が魔法を使われることなんてそうそうない。理解できる方がどうかしてる。


「あれ、トレーガー警部は?」


「ああ、彼は嘘が付けませんからね。仲間外れにしておきました。」


 砂地の空間に持ち込まれたものは、人間だと先生、俺、アロイスの3人だけ。

 物だと先生が腰掛けていた椅子だけだ。


「さて、これがあの野蛮なロウ魔族の魔法です。いかがです。実に粗野でしょう。」


「ええ、殺風景で、いや、そんなことはどうでもよくて、俺の家は、家族はどうなったんですか?」


「ああ、ご心配には及びませんよ。それらは無事です。これは魔法ですから。」


「え、ああ。なるほど。で、これのどこが野蛮な魔法なんですか?」


「この砂地は、かつてあった闘技場の砂という説が多いですな。奴隷にされ、戦わされ、それを見世物にされた。」


「え、はあ、いや、それが何だっていうんですか。とっとと帰してください。」


 錯乱してきたな。銃を持ち出すなんて杞憂もいいところだったのでは?

 いや、こちらの先制攻撃で銃を封じることができただけか。


「いいえ、ここであなたの性根を叩きなおそうと思いましてね。」


「え?いや?なんの権利があって?」


「権利?人を殴るのにそんなものがあるはずないでしょう。少なくとも正当化される暴力なぞありませんよ。やむを得ないから非難されない暴力はありますがね。」


 正当防衛とかね、と先生は小さくぼやくと先生は指を鳴らした。

 砂地を割って溶岩が湧き出す。

 黒くサラサラとした溶岩は、だんだんと形を変えていき、やがて人の形を持った。

 身長は3mはある。


「さて、まずあなたに思い出していただくことから始めましょうか。人を殴ったらいけないということを。」


 先生は相変わらずイスに深く腰掛けたまま、パイプをふかし始めた。


「ひ、ひいいい。」


 黒曜の巨人がのしのし歩き始めた。アロイスは2、3歩後ずさると振り返って駆けだした。

 尻もちをつかずに逃げ出せるところをみると、狩人だなあと思う。

 今は得物を持たないから獲物でしかないのだけど、普通の人が恐怖したら動けなくなることが多い。逃げることができるだけ、優秀な部類だ。


 もっとも、石板より外側に出ることは叶わない。そこが法域の境界だ。


「なんで、なんで、や、やめろ~!」


 喚き始めた。まあたいていそんなもんだ。


「おっとカスパル。見てはいけないよ。」


「え?さんざん夢で見慣れてますが?」


 なんだよ、せっかく面白いところだったのに。


「だからこそ、さ。大人にはね、子どもに見せてはいけない世界というものがあるのさ。君はたくさん見て来たようだけどね。」


 そう言うと先生は僕を手招き、背を向けさせた。無骨だが温かい手だった。


 殴打の音が聞こえてくる。骨が砕け、肉の潰れる音がする。悲鳴は鼻声になり、絶叫になり、そして聞こえなくなった。


「さて、第二ラウンドだ。」


 先生、僕には見せないくせに、自分は楽しんでるじゃないか。

 ああ、大人はいつもこうして面白いものを子どもから取り上げて、自分達だけで楽しむのだ。


 

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