イェーガー家傷害事件②

 「ほうほう、ここがイェーガー家かね。うん。いいお宅じゃないかね。」


 先生は杖を突きながら、馬車から降りる。

 先生と警部と俺の3人で来た。

 先生の住んでいるところは結構な高級住宅街で、今いるエリアは中産階級の家々が集まっている。

 でも、狭いなりに庭はある。

 これが中産階級ってやつか、まあ、パッとしない。


「ええ、夫のアロイスは腕の立つ猟師でして、数々のオオカミを仕留め、シカを狩り、生計を立てています。銃の腕は抜群で、この街で5本の指に入るのではないでしょうか。」


「そうですか、では、銃に気をつけねばなりませんな。」


 はっはっは。と笑いながら呼び鈴を押す。

 警部には冗談にしか聞こえないだろうな。


「はい。なにか?いや、なにかご用ですか?」


 玄関が開いて、背の高い男が出てくる。年のころは30行かないくらいか。トレーガー警部より少し若いくらいだろう。

 博士を見るなり警戒した様子だ。

 まあ当たり前だろう。上流階級の人間がいきなり目の前に現れたら、厄介ごとを疑うものだ。

 それに先生は魔法使いでもある。人間の形をした大砲が目の前に現れたら、誰でも動揺するだろう。アロイスもただならぬ気配を感じ取ったようだ。勘がいいな。


「ああ、イェーガーさん。紹介します。こちらは刑法学者のフォイエルバッハ博士です。」


「ええ、突然押しかけてしまって申し訳ないですな。何分、急ぎの要件だったものですから。」


 「ちなみに、哲学・法学・魔法学の博士を取っています。」というアピールを欠かさない。これは先生だけの特徴ではなく、この街の博士はみんなこう言う。

 しきたりのようなものだ。実は陰険な街なのだろうか?


「はあ。」


 アロイスはぽかんとした様子だ。


「失礼、服装を間違えたやも知れません。私どもとしては、立ち話でも良いのですが、悪目立ちしませんか?」


「あ、ああ。それもそうだ。いえいえ、歓迎しますよ。ドクトル。さあ、上がってください。何もないですけどね。」


「恐れ入ります。ではお言葉に甘えて、お邪魔しますよ。」


 先生、わざと上等な服を着て来たな。

 玄関前で悪目立ちしようという魂胆だ。こうして上がりこむために。

 もっとも、話の内容からすれば、彼の利益にもなるのだが。


「いやあ突然失礼しますよ、奥さん。私はパウル・フォン・フォイエルバッハ。哲学と法学、それと魔法学の博士を持っております。おや、利発そうなお坊ちゃんだ。ごめんね。少しお話させてもらうからね。」


 こうしてみると、好々爺のおじいさん博士にしか見えない。


「ああ、お前たちは下がっていろ。ささ、どうぞおかけください。」


 この一言だけで、奥さんと子どもは奥へと下がっていく。

 それにしても声の高さが顕著に変わる。

 これは犬タイプの人間だな。下に厳しく上にへつらう。

 まあ、お貴族様には諂っておいたほうが良いのは、間違いない。


「では、長居もできませんので早速本題に。」


 そう言うとトレーガー警部は事情を説明し始めた。


「この間、アロイスさんがおっしゃっていた件で、より法に詳しい方においでいただいた方がいいと思いましてな。」


「ああ、躾の件ですか。いやあ、あの時は俺もかっとなってしまいまして、少しやりすぎてしまったなと思っていたんです。」


「ああ、そうでしたか。まあ、改心されたのであればそれで良いのです。本官が出動するようになってからでは遅いですからね。」


「ははは、物騒なことを言わないでくださいよ。俺が愛する妻と子を殺すわけないじゃないですか。俺が手を出したのだって愛のゆえですよ。愛してなければ、そもそも構わないし、熱くもならないでしょう。それに妻を指導し、子どもに道徳を教えるのは夫、そして父の責務でもありますから。まあ、熱くなってしまったことは反省していますよ。」


 早口になった。さらに上ずっていることに本人は気付いているだろうか。

 自己弁護に終始しているのもポイントが高い。これはアウトだな。


「なるほどなるほど。いやいやこれはご立派に父親をされている。お若いのによくできた方ですな。ぼくもこれぐらいの頃に、こんな殊勝な心掛けを持ち合わせていた自信がありませんよ。」


 先生はにこやかに、なんなら恭しいほどに丁重に褒める。

 火山も人も、普段静かなほど怒ると怖いのだ。

 俺は感じた。

 赫熱した溶岩がゆっくりと滑り込み、マグマだまりの形成が始まった。


「いえいえ、何を仰いますドクトル。俺なんかまだまだ未熟者ですよ。」


「はっはっは。謙遜なさるな。さて、どうしたものか、トレーガー警部殿に着いてきてくれと頼まれてしまったから、来たものの、まあ、手ぶらで帰るわけにもいきません、一応法律の話だけして帰りましょう。」


「はははは。直々に、ドクトルの講義が聞けるなんて嬉しいことはない。今日は我が家の記念日になりますよ。」


「はっはっは。イェーガーさんはおだてるのがお上手だ。しかし、記念日にはなるでしょうな。」


 そういうと先生は解説を始めた。


「まずは、法諺というものからお話ししましょう。「法は家庭に入らず。」聞いたことはおありですかな?」


「ええ、まあ、詳しいことはあれですが、聞いたことはあります。」


「実はこれ法律ではないんですな。少なくとも私は作らなかった。」


「え?法律もお作りになってる?」


「いえ、まあ微力ながら関与した程度でしたがね。」


 咳ばらいを一つしてから先生は話を続けた。

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